ありのままの高杉を見よ
今日も元気に全裸の高杉が僕の周りを駆け回る。
ここは巷で人気のお洒落なカフェ。気合の入った白塗り共がスコーン片手にダージリンを流し込む社交場だ。その中を何も飾らぬ成人男性が縦横無尽に走り回るのである。
昔はこんなに変人じゃなかった、と思ったものの、振り返れば記憶の彼もそれなりに変わっていたことを思い出す。
高杉との付き合いは幼稚園時代まで遡る。
右も左もわからない頃、突然愛する肉親と離れ離れにされ、見知らぬ他人だらけの一室に押し込まれ、涙を流す僕の隣に、服を着た高杉は腰掛けていた。
センチティブだった僕に対し、同調しながら話を聞いてくれた。アドバイスに僕のオツムが追いついていないのを察すると、黙って肩を抱いてくれた。機嫌を損ねれば耳元でお歌を囁いてくれた。あの安心感と包容力を忘れたことはない。ついでに先生たちがその時高杉に向けた顔も忘れることはなかった。今に思えば、あれは彼の深い慈愛への驚嘆ではなく、異様な早熟への底気味悪さの表れだったのだろう。
ただ当時の僕は、そんな大人の薄汚れた思考はなかったので、喜んで高杉と親友になった。それから20年、目まぐるしく変わっていく彼を眺めながら今に至る。
その親友はあられもない姿で名状しがたい行為をしている。それでも僕の心が穏やかなのは、そこで培った経験故だろう。一朝一夕の輩にはそうはいかない。奴らはぷるぷる震えながら、必死に午後の優雅な一時を取り繕っている。
ならば、目の前のボブカット眼鏡も僕と同じ明鏡止水のはずだろう。僕のもう一人の親友、久坂菜穂のことだ。
だがこのサブカル系女子の心は荒れていた。見るからに苛立っていた。眉間に皺を寄せ、指で何度もテーブルを叩き、貧乏揺すりは僕の足裏まで伝わってくる。
男子たる者、こういう時は「可愛い顔が台無しだよ」くらい言って然るべきだろうが、こいつ相手じゃ気恥ずかしいし、ぶっちゃけそこまで可愛くないし、で僕は目と目を合わせないことに集中した。
だがこれが悪手であった。久坂の皺はより深くなり、テーブルへの打音は32ビートを刻み、床から伝わる振動は僕の膝まで揺らしてくる。
久坂は無言で膨れ上がる怒りを表現していた。
国語のテストの如く、僕はこの時の彼女の気持ちを考える。長い付き合いなので大体察する。
彼女はきっと何かに気付いてほしいのだろう。彼女にとって自明の理に気付いて、僕から話を切り出してほしいのだ。
そもそも呼び出して来たのはお前の方だし、幸せじゃないんだから態度ではなく言葉で示せよ、と心でぼやく。
でも僕は大人かつ紳士なので、彼女の荒んだ心を癒すように優しく言葉を投げかける。
「こ、この度は一体どういったごご用件でしょうか」
「ビビッてるからって敬語やめな」
渇いた口内を紅茶で潤す。
「急に呼び出してどうした?」
「は?あれを何とも思わないの?我慢の限界。高杉を止めようよ」
嗚呼、そこのストリーキングのことか。
「でも、どうやって?」
「高杉のお父様に頼んでよ」
どうやら高杉パパとの交渉を僕にやらせようとしているようだ。自分1人で出来るのに、わざわざ僕を呼び出したのだからそういうことだ。
久坂も高杉パパが嫌いなのだろうか。
少なくとも僕は大嫌いだ。
高杉も変人だが、高杉パパもぶっ飛んだ人である。
僕が高杉パパと出会ったのは小学校低学年の頃である。
ついでに高杉自身が高杉パパと出会ったのもこの時期である。
それまで高杉は祖父母に預けられていた。これは高杉が産まれる前、高杉パパが事業に大失敗し一家を離散させたせいである。その余波で高杉は極貧生活を余儀なくされた。
そしてそれが原因で高杉は資本主義を恨み過ぎて共産主義に傾倒していた。ちょうどそんな折であった。
高杉パパがまさかの逆転劇を起こし不死鳥の如く復活したのだ。
早速彼は高杉を引き取り、それまでの罪滅ぼしとばかりに溺愛した。
高杉のためなら湯水のように金を使い、高杉の望みは全て叶えた。
僕も一時期親父の交換を計画する程憧れていたが、高杉パパはあまりにタガが外れていた。
高杉がサーモン寿司にはまれば、カナダの漁村と専属契約し、毎朝サーモンを空輸させ、毎晩職人を呼び握らせた。
共産主義の尖兵から資本主義の奴隷となり果てた高杉が、株で2億の損失を出しても何も言わずに補填した。
高杉がアポロ11号の月面着陸の真偽を確かめたいと言えば、史上最年少17歳の宇宙飛行士にさせた。
高杉パパは愛情は金額だと思っているきらいがある。
ある一面では間違っていないと思う。
だがその過剰な愛情表現が僕には不健全に見えて気色悪かった。
また、それだけの巨額の金をどうやって捻出しているのかが幼心でも疑問だった。今でも高杉パパは相当やばい仕事をしていると思っている。
一方の高杉息子はいつからか愛を試すようになっていた。月面着陸の真偽はわざと無理難題を吹っ掛けたものである。
そして4年前、高杉のある願いが父親を今までになく苦しめた。一晩あれば殆どの望みを叶えてきたのに、この願いだけは方針の目処すら示されなかったそうだ。
それでも高杉パパは頑張った。いくつもの論文を読み、いくつもの企業を調査し、いくつもの施設、機関に掛け合った。
その1年後に努力は報われた。父親の深い愛は証明された。
こうして高杉は透明人間になった。
カフェの客にとって高杉の存在はドタバタうるさい足音だけである。
エレガントな昼下がりにしては少々騒がしいが、足音だけなら我慢も出来るだろう。
だがそうなれば、何もない場所から頻繁に音がすることになる。(自称)霊感がある人に限らずとも、ラップ現象やポルターガイストだとわめいても良いはずだ。でも彼女らは黙ってぷるぷるするだけである。
彼女らは音の原因を知っているのだ。それが全裸男の乱痴気騒ぎだとわかっているのだ。
実は高杉は透明ではない。
高杉パパの粉骨砕身の結果、現代科学で息子を透明に出来ないと結論付けた。唯一発展途上国の怪しい研究所から人体を透明にする実験のオファーがあったらしいが、そんな眉唾物に大事な息子を預ける訳はない。
高杉パパの財力をしても高杉を透明にすることは出来なかった。
ならばどうしたのか。
勿論金の力を使ったのである。
どう金の力を使ったのか。
多額の献金で議員を買収し、自身の企業城下町では高杉を透明人間と認めさせたのである。
これには高杉も初めは馬鹿らしいと漏らした。
だが彼はどこかで、本当に透明人間になれたのでは、と気に掛かっていたのだと思う。常識に生きてこなかった高杉らしい発想だ。
僕がふと「お前、透明になってるよ」とからかったのがトリガーとなった。
第1次無課金装備遠征が執り行われた。
何事にも挑戦してきた高杉らしい行動だ。ただ初めての冒険は失敗に終わる。家を出た途端、散歩のおばさんに悲鳴を上げられたのだ。高杉は即時撤退した。
当然問題となった。だが罰せられたのは高杉でなくおばさんだった。通称『高杉守・透明人間条例』のためである。条例はおばさんの尊い犠牲で周知されることとなった。
条例を要約すれば、
高杉が全裸の時は何人も高杉のことに触れてはならない。
ということになる。一方の高杉にも当然条件が課せられる。
高杉も全裸の時は何人にも危害を加えてはならない。
公然猥褻は危害だという常識はこの街じゃ通用しない。
この条例は違法だという常識も政治無関心と高杉パパの金の前では無力である。
条例が周知された結果、何故か変なやる気を出した高杉の、第2次、第3次遠征は成功に終わった。勿論住民の協力と寛容と忍耐の賜物である。
2度の成功体験に、高杉は透明人間であることに妙な自信を抱き始めた。再現性があると思い始めた。
こうして3年後、どこに出しても恥ずかしくない立派な裸族が出来上がった。
僕は高杉透明人間化の経緯を思い起こす。
目の前のでかい丸眼鏡の「高杉を何とも思わないのか」という問いにも一理あると思えてきた。僕も高杉の行動を全て受け入れている訳ではない。気に掛かることはある。
飽きっぽい高杉が何故3年間も透明人間ごっこを続けているのか。
何故僕の周囲に頻繁に現れるのか。
本人に聞けば良いのかもしれない。しかし直接話しかけるという愚行は、生け贄の末路を知っていれば真っ先に消える選択肢だ。
間接的に話すことが出来れば良いが、高杉は電話やメールにも答えてくれない。服を着ず、通信機器も使わないで、文明を捨てようとしているのか。
そう考えれば、疑問や問題を解消するには諸悪の根源・高杉パパに掛け合うのが手っ取り早いだろう。
正直気は乗らない。
だがそろそろ冬だ。去年も一昨年も風邪をひいていたし、吹雪の中で震える裸の友を見るのは忍びない。
あの人に掛け合ってやるかと、僕が重い腰を上げたその時だった。
スマホが震えた。
僕は慌てて画面を見る。高杉のことばかり考えていたため、遂に奴から連絡が来たのかと思った。だがそれはニュースサイトアプリからの通知であった。通知設定を変更し忘れていたのだ。デフォルト設定はやめてほしい。
そもそも高杉は視認できる所で何も持たずに疾走している。
どうせ芸能人の不倫とかパンダとか下らない話題だろうと思いつつも、ついつい通知に目が向かう。そこで飛び込んできた見出しに僕は絶句した。
『(株)TAKASUGI会長高杉明氏が多額の横領で逮捕』