エロ魔導師は我が道を往く──転生者は最強のアブノーマル──
その日、日本のとある街の路上にて、ひとりの青年が死に瀕していた。
なんの事は無い、簡単に言ってしまえば良くある交通事故で、青年が路上に飛び出しそこに車が走って来た。 それだけの事だった。
ただ、車に轢かれ死の縁へ唐突に誘われた青年からすれば正しく人生最大の危機であり、そして命の終わりを告げる衝撃だった。
(………死ぬ、のか……)
致死の衝撃と浮遊感、その後地面にゴミのように叩きつけられ、自身の肉体が乱暴に変形させられる感覚。
薄れていく意識の中で明確な“死”を感じながら、最後の力を振り絞り眼を向ける。
(…………ああ……ちくしょう………)
視線の先にあるのは、路上にばら蒔かれた女性物の下着。
車に牽かれて、無惨にもぼろぼろになってしまった物もあった。 今の自分と同じように。
更に、その近くに青年を撥ね飛ばしてしまった車の運転手が降車しているのと、青年を追いかけて来ていて、決定的瞬間を目撃して唖然とした表情をしている警察官もいるのだが、青年はそこまで意識を向けていない。
(…………理不尽だ……俺は、何も悪くないのに……)
青年の名誉の為に説明すると、散らばった女性物の下着は青年の所持品であり、盗難等犯罪行為の末に入手したものでは断じて無い。
きちんと青年が働いた末に獲得した賃金で、堂々と誰にはばかる事無く、青年一人でランジェリーショップに赴き購入した物品である。
──しかし犯罪では無いにしても、青年の行動は世間体的には絶対的に“犯罪的”だった。
帰宅中、我慢出来ずに購入した物品を掲げてものすっごい笑顔でスキップしながら、鼻歌混じりに帰宅してしまったのだ。
──そう、青年は変態だった。
犯罪になりうる事だけは絶対にしない程度には配慮のある変態ではあるが、逆に言うと犯罪でなければ誰にどう見られようと気にしない堂々とした変態だった。
逮捕歴は無いが補導歴や連行経験は数知れず………そんな感じの害悪の塊のように見える無害な変態。 それがこの青年だった。
つまり、何故彼が生命の危機に瀕しているのかと言うと、なんかヤバそうな変態が歩いていると通報され、迅速に対応した警察官数名に青年が職務質問を受け、運の悪い事にここ数日その近辺には実害のあるタイプの変態(下着泥棒)が出没しており、そんな事から青年はとても強い疑いを持たれ連行されそうになってしまった。
更に運の悪い………というか、悪癖というか。
この青年には日課となっている行動があり、帰宅後それに勤しむ予定だった。
それを妨害されるような警察官の行動に非常に苛立ってしまい、無理矢理逃亡を計ってしまったのだ。
しかし訓練された警察官数名を振り切るのは変態とはいえごく普通の身体能力しか持っていない青年には至難の技だった。
故に周囲の状況確認等をおこなわずに車道へ飛び出すという、無謀な行動に至ってしまった。
無茶な車道横断。 そこに走行してきた乗用車。
結果、変態な青年の命は自業自得とも言える流れで尽きる事になってしまった。
気の毒なのは車を運転していた人と、職務上当然の事をしたにもかかわらず、目の前で青年を瀕死の重症へ至らせてしまった警察官である。
ちなみに青年が逃げた理由は、頻発する下着泥棒に同じ変態として義憤し、無防備に下着を干しているような女性宅を中心として見廻りを毎日敢行していたからである。
決して干してある下着をチェックする為に徘徊していた訳ではない。 彼は変態だが紳士なのだ。
徘徊している所を目撃され、要注意人物として警察にマークはされていたが。
(…………この世界は……理不尽だ……)
消えかける意識の中で青年は想う。
現代社会は息苦し過ぎる、と。
自分から法に背いた事は一度たりとも無い。
確かに自分の生き様は異端であり、蔑むような存在だったのだろう。
それでも自分は、自分に対して正直で在りたかった。
自分に対して嘘を付きたくなかった。
例えそれが原因で、友人も恋人も居らず、実の両親にさえ可哀想な子を見るような眼を向けられようと、正直者で居たかった。
(……その結果が、これか………)
思うように生きられず、邪魔者が淘汰されるように消えて逝く。 そんな風に感じてしまう。
何故ダメなのか? 変態だって良いじゃないか。 法と秩序には最大限配慮していた。
その上で自分は大好きな物を大好きだと、誰にはばかる事無く示していただけなのに。
(…………もし、天国とか地獄とか、転生とかあるとしたら俺はどうなのだろう?)
悪い事はしていないが地獄だろうか? していないつもりでも存在自体が悪と言われてしまえば否定も出来ない。
それとも天国に行けるのだろうか? 行けたらガチ天使の美しい女性達と超エロい事しながら幸せに暮らしたい。
(……いや、最後の最後でやらかした……か……)
青年はそこで初めて、自分を撥ね飛ばしてしまった車の運転手の様子に気が付く。
その運転手は女性だった。 自分が何よりも尊び、慈しむべきだと考えていた存在だった。
──ごめんなさい。 俺が飛び出したばかりに。
その女性は、あまりの事態に顔を青ざめさせて、女性用の下着が散らばる路上へと腰を抜かしたように座り込んでしまっていた。
今までの人生で、女性だけは絶対に泣かせないようにと誓って生きて来たのに、最後の最後でそれを果たせなかったようだ。
「…………、……」
青年は自らの死の淵で思う。
もっと自分らしく生きていられたら。
もっと自由な世界に生きていられたら。
後悔しながら死に逝く事など無かった筈なのに、と。
───もし、転生……生まれ変われるのなら。
「………来世……こそ……………心赴く……ままに、生きられま………よう……に………」
その言葉を最後に、変態だった青年の魂は肉体から離れた。
──────。
「──産まれたのかっ!?」
ここでは無い、何処か遠い世界。
そこに住まう一組の夫婦の間に、たった今、新しい命が産まれ落ちた。
「旦那様はまだ下がっていてください!! 泣き声を上げてない、急いで対処!!」
「は、はい!!」
お産を仕切る壮年の女性が声を上げて指示を出し、産声を上げない赤ん坊へ処置を施していく。
「そう、そうやって泣き声を上げない時は足を持って、逆さまにして背中を…………」
「は、はいっ……!!」
産まれた命の無事を確認出来ずに、その場は徐々に緊迫した雰囲気へと変わっていく。
「……お、おい大丈夫……」
「──大丈夫、心配しないであなた……」
堪らず口を挟もうとした、その場に居る唯一の男へ向かって、たった今母親となった女性、その男の妻が声を放った。 そして。
「……あ、あ~……あぅ~ぁ~?」
泣き声とも呼べない、微かな声を漏らして、産まれたばかりの赤ん坊はようやく呼吸を自らおこない始めた。
「……お、おお……!! 良かった、やった、よくやった!!」
「はい……」
産湯につけられ、身体を洗われてから清潔な布で産まれた子は包まれ、それから父となった男と、母となった女へと受け渡される。
「きちんと呼吸もしていますし、大丈夫でしょう。 かわいらしい男の子ですよ」
「ああ、産まれた、産まれてくれた……良かった」
「男の子か……!!」
「……あぅー?」
母親に抱かれ、父親からの笑顔に見守られる赤ん坊。 まだ見えていない筈の黒い瞳を動かし、まるで何が起きたのか分からないといったような表情にも見える。
「……あなた、名前はどうしますか?」
「名前か……」
母親の問い掛けに、父親はほんの少しだけ唸る。
名前。
ずっと考えていて、必ず決めていなくてはいけない事だったのだが、今の今まで悩んで決められていなかったのだ。
「…………うん、散々悩んでいたのが嘘みたいにコレだと言う名前が浮かんだ。 なんでかな?」
「きっと、この子の顔を見たからよ、名前というのは、稀に神様が直接お示しになるそうよ、あなた?」
お互いに微笑みながら、我が子を見詰めて語り合う。 そして、今、この瞬間に閃いたという名前を父親は口にする。
「──エーロッツォ。 この子の名前はエーロッツォだ」
「……エーロッツォ……良い響きね」
「あーぅ~」
慈しむように、産まれたばかりの息子の両手を、片手づつ父と母で優しく握り、呟く。
「エーロッツォ、そう……お前はエロだよ」
「エロ、私達の坊や」
──ある世界で、ひとりの青年が死んだ。
そして、そことはまた異なる世界で新生した命があった。
かつての世界で異端とされた男は、その名をエロと名付けられ、新しい世界で生きる事となる。