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君が首席で次席が俺で。

「ホントに、クラウスったら懲りないわよね」




草の上に寝転がる少年に、彼女は微笑んでいた。


少女の微笑みに、少年は顔を背け、不貞腐れていた。




「拗ねた顔しないの。大体、兄様に勝とうなんて、クラウスったら無謀なのよ」


「むぐ」




喉を詰まらせる少年を横目に、少女はぐるりと広い庭園を見回した。


一流の庭師に整えられた庭園、ここはつい先ほどまで決闘場だったのだ。


――少女の自慢の兄と、この転がる少年との。




「庭のかけっこだけどね。でも、やり方も姑息よ。スタートの合図を誤魔化したり、使用人に兄様の妨害を命じたり……それで負けてるんだから、ダメダメね」


「――――」


「クラウス? ねえったら。もしかして、言いすぎちゃった?」




散々な言われように傷付いたのか、背を向ける少年に少女はそっと手を伸ばす。




「ごめんね、クラウス。泣かないで……」


「引っかかったな! お前も転べ……って」




次の瞬間、会心の笑みで少年が少女の手を引っ張った。が、思ったより軽い体はあっさりと少年の胸の中に。すぐ近くに、少女の顔がある。




「ぁ」




カーッと、少年の顔が赤くなる。それに少女は薄く唇を綻ばせ、




「クラウスって、ホントに姑息。……鼻の頭、汚れてるわよ」


「ば、やめろ!」




腕の中の少女にハンカチで鼻をくすぐられ、そのバツの悪さに少年は顔を背けた。




「……お前は俺の母様か!」


「お母様じゃないわよ。私は、あなたの未来のお嫁さん、でしょ?」




上目遣いの少女、その言葉に少年が硬直する。




「私をお嫁さんにしてくれるって、そう言ったものね? 兄様を負かして、私をパリウッド家から奪ってくれるんでしょ?」


「お前は、あっさりと……」


「先にはっきり言ってくれたの、クラウスじゃない。私の方が恥ずかしかったし、私の方が嬉しかった。だから、一生言ってあげる」




真っ直ぐ言われ、少年が俯く。赤い顔から火が出そうだ。


何故、自分が少女の兄に勝とうと必死なのか、その理由が筒抜けなのだから。




遠く、少年と少女を微笑ましく見守っている視線がある。


それは、少女とよく似た顔立ちの少年――自分の妹と、その婚約者である親友とのかませ役を引き受け、誇らしく笑う人物のものだ。その兄に、少女は手を振り、




「頑張ってね、クラウス。兄様は完璧だけど、きっと伸び代はあなたの方が上よ。私、信じてる」




言って、少女――アルテミスは微笑んだ。


そして――、




「――クラウスがきっと、私をお嫁さんにしてくれるって」




その微笑みに、少年――クラウスはなんと答えたのだったか。


それはまだ、幼い子供でいられた頃の、白く霞んだ大切な思い出。




物語はそれから数年後、ようやく動き出す。


――クラウス・ラズベリー、十七歳の春だった。







馬上で互いが交錯した瞬間、俺は草原に投げ出されていた。




「ふんぐぬっ!」




刹那、宙で身をひねり、地面で受け身を取る。


無様な落馬など許されない。勢いよく転がり、最後にピシッと手足を伸ばして、美しくポージング、これだ!




「ラズベリーくん! 無事で……三点倒立!?」




落馬した俺の姿に、空気の読めない教師と衆愚な同級生が騒ぐ。ええい、やめろ。


俺の無事はこのポーズを見ればわかるだろうが。むしろ、その心配が俺を惨めにする可能性を恐れるがいい。今の俺に声をかける権利、それがあるとすれば――、




「大丈夫かい、クラウス。すまない、うまく手が抜けなかった」




馬の蹄を鳴らして、馬上からぬけぬけと俺を見下ろす奴ぐらいだ。


太陽を背負い、逆光に抱かれる姿に思わず目を細める。細めて、そいつが眩しく思えたみたいで舌打ちしたくなった。というか、した。




「ちっ」


「……拗ねた態度は、君自身を貶めるだけだよ」


「上から目線でありがとう。だが、いい気になるな。今日の俺は調子が……そう、実は今朝から腹の調子がよくなくてな!」


「へえ」




それが言い訳に思えたのか、高速で腹を擦る俺を見る奴の目は冷たい。


いや、ホントだぞ。今朝から俺の胃腸は死にかけていた。差し込みがすごい。




「今の俺のように、全身グズグズの状態だろうと勝利を求められる。ふっ、ラズベリー家の嫡男に求められるその重責、木端貴族にはわかるまい」


「勝てていたら格好のついた台詞だったね。……なら、次はお互いに万全な状態で競えることを期待しているよ」


「ちっ」




そう言い残し、馬ごと遠くなる背中に舌打ちを追加。俺から興味をなくしたような態度が妙に癇に障った。


服の汚れを払い、俺も生徒の並ぶ列に戻る。ええい、生徒共こっちを見るな。




「いいやられ役っぷりだったな、クラウス」




その不機嫌な俺を、軽薄に笑う赤毛の男が出迎える。その呑気な顔目掛け、俺は最高に威嚇的に笑った。




「いい度胸だな、ボッシュ。俺を馬鹿にして、テンペスト家を潰されたいのか?」


「怖い怖い。俺、お前の将来の右腕よ? お前を振り落とした薄情な馬を回収して、元の位置に戻した功績で許してくれって」




気安くウィンクなどしてくるこいつは、ボッシュ・テンペスト。


微妙な家格の次男坊で、俺とは到底釣り合わないのだが、これでなかなか弁えた男なので、将来の部下候補として使ってやっている。




「イライラされると周りがビビるだろ。天下のラズベリー家の長男って自覚してくれよ」


「くだらん。そんなことは生まれたときから自覚している」




何をわかり切ったことを。


我がラズベリー公爵家は、アルセール王国有数にして本物の貴族だ。その公爵家の長子である俺には、立場に相応しい実力と教養を身につける責務がある。


だからこそ、アルセール王国の王立貴族学院――王侯貴族の子女が通い、教養と心構えを育てる学び舎で、日々己を高め続けているのだ。




「権利と義務、その自覚が俺を形作っている。それが俺の優秀な成績に表れていることは、今さら語るまでもないだろう?」




髪をかき上げ、俺は自分が最も映えるように計算され尽くした角度で微笑む。


毎日朝夕、鏡と格闘して身につけた技だ。笑顔の魅せ方一つ、努力を欠かしてはならない!




「ああ、今さらだな。クラウス・ラズベリー。優秀なお前がこの王立貴族学院で、栄えある『次席』なのは疑いようのない事実さ」


「むぐぬっ」




言った! 言いやがった! この男、今、絶対言ってはいけないことを!


同性ですら嫉妬を忘れ、異性ならば骨抜きになる俺のスマイルを浴びながら、なおも言ってはならないことを!




「次席と言うな、次席と! 誰が次席だ!」


「お前だよ、クラウス・ラズベリー。次席。二番目。一足りない。それがお前」


「ぐぬぬぬぅ!」




二番目! 一足りない! 次席乙! ありえない!


俺を誰だと思っている。俺はあらゆる才能に恵まれ、努力と研鑽を欠かさない男、クラウス・ラズベリーだぞ!




「そして、あのアルタイル・ファリオンこそが俺たち同期生のトップ。唯一、お前の上に立つ首席ってのも残念ながら事実さ」


「ふん、何が首席だ。奴の何がすごい。ちょっと俺より学業に優れ、ちょっと俺より教養に秀で、ちょっと俺より実技がうまく、ちょっと俺より総合成績に勝るだけだろうが!」


「そのちょっとお前よりすごいところがすごいの。お前がすごいおかげで、あいつがすごいこともみんながわかってる」


「俺を引き立て役扱いするのはやめろ!」




腹立つ! すごいすごいと、俺を差し置いて誰かが称賛されるとかすごいやだ!


ましてや、それがアルタイルなんて最悪だ。




遠く、馬を降りたアルタイルは一人だ。誰もが奴を遠巻きにするのは、皆が弁えているからである。奴と親しくすれば、この俺に目をつけられるのだと。




「その孤独の寂しさに調子を崩せば可愛げがあるものを!」


「わぁ、完全に悪役の台詞。それでやられるところまで、お約束すぎるぜ」


「やられてない! まだ勝つ途中なだけだ! 大体、俺はラズベリー公爵家の長男、奴は貧乏男爵家の跡取りに過ぎん! ふっ、家の差で勝ったな!」


「その勝利、嬉しいか?」


「奴など欠点だらけだ。私服はお下がりの古着で、貧乏男爵家の財布事情には目も当てられん。無理して学院に入学して親しい友人もなく、放課後は宿舎にこもって勉強三昧! はぐれ者とはこのことだ!」


「気持ち悪いぐらい詳しいな」


「気持ち悪くない。普通だ。金なし友なし未来なし。おまけに奴は、おん――」




と、気持ちよく誹謗中傷していたところで鐘の音が聞こえてくる。


終業の合図に、不完全燃焼な俺を除いた面々は弛緩した顔だ。向上心のない。その点だけなら努力家のアルタイルの方が見所がある。あくまで、その点だけ。




「今、何か言いかけてなかったか?」


「……大したことじゃない。奴への尽きない悪口の一つだ」


「悪口の自覚あんのかよ」




呆れた風なボッシュと、集合を呼びかける教師の下へ歩きながら俺は反省する。


迂闊にも勢いで口走りかけたのは、決して口外してはならない俺だけの秘密だ。




「――――」




列の中、俺はそっと横目にアルタイルを窺う。


同級生の輪に入れず、離れたところに立つ中性的な美貌、舌打ちを堪えた。




ボッシュに言いかけた言葉。――奴は、アルタイルは女だ。


違う。そもそも奴はアルタイルですらない。




アルタイル・ファリオン、その本名はアルテミス・パリウッド。


俺のかつての幼馴染みにして、将来の約束を交わした婚約者。




数年ぶりに再会した婚約者は男装し、男である兄の名を名乗って俺の前に現れた。


そして神に愛された男である、俺ことクラウス・ラズベリーを次席に追いやり、華々しい主席の座を我が物とし続けている。




――君が首席で、次席が俺で。




その事実を知るのは、俺ただ一人だけなのだ。

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