ふたりの少女
尾行されていることには気づいている。
ばれないと思ったのか。
ファミレスの席に座りながら、一樹は苦笑した。
「一樹くん? どうしたの?」
不思議そうに知香が言う。
「いや、宇佐美さんが店内にいるから」
「え?」
「振り返っちゃ駄目だ」
知香の肩を軽くつかんで、制止する。
頬を赤くして、知香がうつむいた。
「わたしたち、カップルに見えるんだよね」
「少なくとも、宇佐美さんには、そう見えるだろうね」
逆に言えば、二葉はそうは思わない。
一樹と知香の関係がフェイクだと知っているからだ。
かんかんに二葉は怒っているけれど。
知香が一樹に迷惑をかけているように見えるから。
実際、知香の嘘を隠すために、こんなことをしているわけだけれど。
さっきまでは二葉もいたはずだけれど、どこかへ行ったんだろうか。
知香は小さな声でつぶやいた。
「仲が良いんだね」
「俺と二葉が?」
「うん」
「白川さんには、そう見える?」
「見えるよ。……うらやましいな、って思う」
「どうして?」
「だって……楽しそうだもの」
「そうかな」
知香にはそう見えるのか。
一樹は話題を変えた。
「宇佐美さんには、ばれないようにしないとね」
知香はうつむいた。
「ごめんね」
「気にしないでよ」
「あの……わたしと一緒にいて、退屈じゃない?」
「いいや。白川さんと一緒にいるのは、楽しいよ」
「ありがとう。でも……」
「でも?」
「知香って呼んでほしいな」
上目遣いに知香に睨まれる。
いけない。
さっきから、三度目の失敗だ。
「ごめん、知香」
「もう一度、同じセリフを言って」
「え?」
「さっきの、言葉」
「ええと……知香と一緒にいるのは楽しいよ」
言い直すと、とても恥ずかしいセリフだ。
「わたしも、楽しい」
知香は微笑んだ。
これは演技なのか、それとも本心から言ってくれているのか。
知香の内心はわからない。
ただ、一樹はこの状況をそれなりに楽しんでいる。
ゲームみたいなものだ。
茜にばれないように、うまくこの場を乗り切る。
気づいていることを茜に言いに行ってもいいのだけれど。
それでは面白くない。
一樹たちは席を立った。
この後、駅まで知香を送っていく。
それで、ゲームは終了だ。
店の外では、雪が降っていた。
十二月のこの町では、珍しい。
二人は寒い夜道を並んで歩いて行く。
「ねえ、一樹くん」
「なに?」
「もし、わたしが、猫を殺すことを楽しんでいたら……軽蔑する?」
「いま、その話題はやめようよ」
「答えて」
「知香は楽しんでいるの?」
知香は首を横に振った。
なら、どうしてそんなことを聞くのか。
けれど、聞かれた以上は、答える。
「もしそうだとしたら、俺は、知香を軽蔑するべきなんだろうね」
「……うん」
「でも、それで知香と絶交しようとか、そういうことは思わないよ」
「どうして?」
「人と関わるってことは、相手の欠点に目をつぶることだと思うから」
一樹は小声で話しながら、後方との距離に気をつかった。
茜にこの会話を聞かれたら、大変だ。
「二葉や宇佐美さんも、俺の欠点に目をつぶってくれているし」
「どんな欠点?」
「いろいろあるよ。ピーマンが食べれないとか、怖くて飛行機に乗れないとか」
「子どもみたいだね」
知香がくすりと笑った。
「一樹くん、大人っぽく見えるのに」
「そう?」
「うん」
一樹の本当の欠点は、ほかにある。
だけど、それは知香には言わない。
「一昨日の夜に、また、猫が殺されていたらしいね。知香があれをやったの?」
「うん。あの……」
「責めてるわけじゃないよ。事実が確認できれば十分だから」
知香がナイフをもって、猫の首筋を切っている姿が、思い浮かんだ。
いま、一樹の隣にいる少女は、とても残酷なことをやってしまえる。
とても、そうは見えないけれど。
別れ際なんだから、もっと別の話題を出せばよかった。
駅はすぐ近くだ。
ところが、予想外のことが起こった。
「引き返したほうがよいかもしれないな」
一樹がつぶやく。
「どうして?」
「宇佐美さんに先回りされてる」
駅の柱の陰から、ちらちらと茜がこちらの様子をうかがっている。
要領が悪いな、と一樹は思う。
自分だったら、もう少しうまく尾行をする自信がある。
どちらにしても、安全をとるなら、茜を避けるべきだ。
けれど、知香は決心したように言った。
「行こう」
「宇佐美さんと鉢合わせするけれど?」
「わたし、宇佐美さんに遠慮なんてしない」
知香ははっきりと言い切った。
そして、早足で茜の方へと歩いていった。
止めるべきなのかもしれない。
茜も知香の様子に気づいたのか、慌てて逃げ出そうとした。
けれど、一樹が迷っているうちに、知香は茜をつかまえてしまった。
改札口の片隅で、知香と茜は向き合っていた。
「宇佐美さんは、何をしているの?」
知香が落ち着いた声で尋ねる。
「っ、それは……」
「わたしたちのことを、見ていたの? どうして?」
「偶然、ここにいただけよ」
「嘘……だよね?」
知香は、茜をじっと見つめていた。
怯んだのか、茜は目を地面に落とす。
そのまま、茜はぼそりと言った。
「あんたたちって、ホントに付き合ってるの?」
「うん」
「ふうん」
「疑ってるの?」
「べつに。でも、証拠を見せて」
「……証拠?」
知香が一樹を振り返る。
どうしよう、と言いたそうな表情だ。
茜はどうして証拠なんて言い出したのか。
それは知らない。
だいたい、どういうものが証拠になるのだろう。
ただ、やっぱり、一樹と知香の関係は不自然に見えるのか。
一樹は二人に向けて言った。
「証拠なんてないよ。でも、付き合っているのは、本当だ」
こういうふうに、言うしかないだろう。
一樹が黙っていると、知香が無茶をしそうな気がした。
けれど、それは黙っていても、黙っていなくても、同じだった。
「証拠なら……見せられるよ」
知香がつぶやいた。
「どんな証拠?」
茜が聞き返す。
知香はちらりと一樹の顔を見た。
それから、決心したように一樹に近づく。
「一樹くん」
「ええと、なに?」
「動かないで、くれる?」
「ええと」
「動かないで。それと……目をつぶって、ほしいな」
「なにをするの?」
知香は顔を赤くした。
「そういうことは、聞いちゃダメだよ」
もし、知香の言うとおりにしたら。
知香は何をするのだろう。
「ちょ、ちょっと待って。白川は、ホントに何をするの?」
茜が慌てて言った。
けれど、知香はちらりと茜を見ただけだった。
知香は、もう一度、一樹をまっすぐ見た。
頬は真っ赤に染まっていた。
どうするべきか。
知香は、たぶん、意外と大胆な性格をしている。
このまま、一樹が黙っって目をつぶれば。
証拠になるようなことをしてくれるのかもしれない。
例えば、ハグとかキスとか。
それは魅力的だ。
知香が本気でそうしたいと思ってくれるなら。
けれど、これはただの演技だ。
「ええと、知香。無理をする必要はないよ」
「わたし、無理なんかしてない」
「本当に?」
「それは……恥ずかしいけど」
「なら、焦る必要はないよ。ゆっくり進めば、いいんだから」
「でも、宇佐美さんに証拠を見せないと……」
これは、グレーゾーンの発言だ。
知香も気づいたのか、口元を押さえた。
演技していることが、バレかねない。
話をそらすべきだ。
「目に見える証拠なんてさ、なくていいんだよ。宇佐美さんはさ、そういうのって必要だと思う?」
一樹は茜に聞いてみた。
「必要に決まってるじゃない」
「どうして? 理由は?」
「それは……」
「証拠はいらない。友人である証拠、彼氏彼女である証拠、従兄妹である証拠 。どれもなくても、困らない」
「でも……」
「重要なのは、心のなかでどう思っているか。それだけだよ」
「でも、心のなかは見れないないじゃん」
「だから、言葉にするんだよ。必要なときはね」
「なら、あんたは……あたしのこと、どう思ってるの?」
「宇佐美さんのこと?」
「ごめん。やっぱり言わなくていい」
「大切な友人だって思ってるよ」
「嘘」
「嘘じゃない」
「そんなこと、真顔で言われたら、どうしたらいいかわからない」
茜は目を伏せてしまった。
さすがに白々しかっただろうか。
けれど、嘘を言ったつもりはなかった。
一樹は補足しようとしたが、袖を引っ張られた。
振り向くと、知香が不満そうにこちらを睨んでいた。
「あの……そういうのって……彼女の前で、話すこと?」
「あー……ごめん」
「それに、宇佐美さんは……わたしの質問に答えてないよ」
「質問?」
「どうして、わたしと一樹くんについてきたの?」
そういえば、それがあった。
一樹が目で問いかけると、茜は拗ねたように答えた。
「べつに。冷やかそうと思っただけ」
「そういうのって……良くないと思う」
知香のつぶやきに、茜は目をそらした。
ただ、冷やかしが悪いのなら、二葉も同罪だ。
そういえば、二葉はもう家に帰っているのだろうか。
「まあ、ここにいるのも寒いし、解散しよう。今日はありがとう、知香」