知香の恋人
とても珍しいものを一樹は見た。
無口で目立たない知香が、ほかの女子数名に囲まれている。
しかも、早朝の学校の廊下で。
どうしたんだろう?
そして、女子の一人は、茜だった。
というより、喋っているのは、ほとんど、茜だった。
はっきりと話の内容は聞こえないけれど、知香が責められているみたいだ。
こっそり近づいて様子をうかがおう。
一樹はそう考えたけれど、うまくはいかなかった。
「おお! これはこれは、いま話題の藤村じゃないか」
芝居がかった口調を聞いて、一樹は顔をしかめる。
クラスメイトの大木だった。
身体もでかいし、声もでかい男だ。
良い奴ではあるけれど。
しかし、大木のせいで盗み聞きは不可能になった。
廊下にいた生徒たちが、いっせいにこちらを振り向いたせいだ。
一樹は、大木に尋ねた。
「なんかあったの?」
「あったといえば、あったな」
大木はにこにことするだけで、それ以上、なにも言わなかった。
かわりに、目線だけで、知香のほうへ行けと合図した。
言われなくても、そのつもりだ。
女子の集団に話しかけるのは、それなりに勇気がいる。
しかも、相手はみんな、どういうわけか、一樹に注目している。
一樹はためらいながら、声をかけた。
「ちょっといいかな。白川さんに用事があるんだけど」
「噂をすれば、藤村くんね」
女子の一人が言った。
村瀬だ。
派手な雰囲気で、目立つタイプ。茜の友人。
けど、あまり話したことのない相手だ。
「俺の噂?」
「そう、そう」
「俺の噂なんて、まったく面白くないと思うけど」
「そうでもないんじゃない?」
「よほど暇なら、違うかもしれないけどね」
「あたしはいつでも退屈しているから」
「なるほどね」
「でも、退屈していなくても、面白い話かもね」
村瀬はへらりと笑った。
一方、ほかの女子たちは困ったような顔をした。
茜も目を伏せている。
噂というより、悪口でも言われていたのか。
地味にショックだ。
が、気にしても仕方ないので、気にしないことにした。
「あー、村瀬さん。黒崎先生に白川さんが呼ばれているんだ」
「へえ、こんな朝早くから?」
「悪いけど、連れて行くよ」
「ふうん」
意味ありげににやにやと村瀬は笑う。
不気味だ。
知香に目を向けると、こくこくとうなずいた。
茜と村瀬たちの視線を避けるように、二人は歩き出した。
階段の踊場に移動する。
このあたりなら、ほかには誰も来ないはずだ。
窓から差す光で、埃がきらきらと光る。
「あの……職員室に行くんじゃないの?」
「あれは嘘だよ」
「え?」
知香は不思議そうに一樹を見つめて、しばらくして微笑んだ。
「わたしが困ってたから、助けてくれたの?」
「やっぱり、困っていたんだ。どうしたの?」
知香は口ごもった。
猫殺しの件がばれたのか。
でも、そうだったら、学校にも来てはいないはずだ。
「あのね……。昨日、わたし、藤村くんの家に行ったよね?」
「そうだけど?」
「あの、その……宇佐美さんが見てたみたいなの」
「え?」
「えっと、わたしが家に入るところを……」
第三者から、つまり茜から見たら、知香はどう見えるか?
不法侵入者には見えない。
知香は、家に招かれるほど、一樹と仲が良い。
きっと、茜はそう考える。
しかも、その茜には家に来るなと言ってしまった。
「まずいことになった……」
一樹はつぶやいた。
「それで、白川さんはどう説明をしたの?」
「えっとね……」
知香は顔を赤らめて、うつむいた。
予想がついた。
「わたし、藤村くんの彼女だって、言っちゃった」
◆
「嘘つきの藤村」
「そんなふうに言わないでくれると、助かるな」
「だって、嘘つきじゃん」
茜に睨まれる。
一樹は、茜と一緒に、国道沿いの自動販売機の前に立っていた。
夕焼けのなか、目の前を自動車が流れるように走り去っていく。
「藤村は、あたしとの約束を破った」
「ごめん」
「白川から、告白されたの?」
「まあね」
「そう、なんだ」
一樹は、知香と口裏をあわせて、彼氏彼女のふりをすることにした。
知香がクラスメイトに「彼女だ」と言ってしまった以上、仕方がない。
一樹が否定すれば、知香の立場は悪くなる。
それに、家の件もある。
偽装カップル。
それが、一樹と知香の新しい関係ということになる。
「その……白川はあんたの家に行ったんだよね?」
「宇佐美さん自身が見ていたんだよね?」
「そうよ」
「なんで、うちの前を通ったの?」
「嘘つきには、答えたくない」
茜は顔をそむけた。
宇佐美と一樹の家は、たしかにそれほど離れていない。
まあ、不自然とまでは、言えないかもしれない。
「それで……その、白川と何か、したの?」
普段は威勢のいい茜が、小さな声で尋ねる。
うつむいて、顔を赤くしていた。
「何もしてないよ」
「嘘つき」
「宇佐美さんの想像するようなことは、していない」
「あたしが何を想像したっていうの?」
「宇佐美さんが想像したのは……」
「やっぱり、言わなくていい!」
実際には、知香が犯罪の証拠写真を消そうとし、一樹がその現場を押さえただけなのだけれど。
まあ、普通はそんなこと、想像できない。
「何をしたの?」
「だから、何もしてないって」
「藤村は嘘つきだから、信用できない」
たしかに、一樹は、茜に嘘をついている。
黙った一樹を、茜が上目遣いに睨んだ。
「嘘つき。……嘘つき、嘘つき、嘘つき!」
「悪かったよ。まさか、本当に告白されるなんて、思ってなかったから」
「だから、いい加減にあたしと約束をしたわけ?」
「ごめん」
「ごめんで済んだら、警察はいらないわ」
「もっとジュース飲む?」
「いらない! あたしのこと、子ども扱いしてるの?」
すでに三本、一樹はジュースを奢っていた。
茜はそれをすごい勢いで空にしてしまった。
一樹は尋ねた。
「どうして、宇佐美さんはそこまで白川さんのことにこだわる?」
「あたしがこだわっているのは……」
茜は口ごもった。
何かを言おうとしていたみたいだけれど、結局、言葉を飲み込んだ。
代わりに茜はため息をついた。
「そうね。あたしは、白川だから、怒ってる」
「昨日、宇佐美さんは、『白川は普通じゃない』って言った。それって、なにか根拠はある?」
もしかしたら、茜は重要な情報を知っているかもしれない。
知香が猫を殺す理由を明らかにする鍵を。
けれど、茜は言った。
「見ていれば、わかるわ」
「見ていれば?」
「そ。つまり、あたしの勘」
「そんな……」
根拠がないことだったとは。
ただ、実際に白川が、危ない人間なのはよく知ってる。
猫殺しもそうだし、他人の家に侵入するのは大胆すぎる。
「やっぱり、彼女の悪口を言われたら、藤村も怒る?」
茜は小さな声で尋ねた。
「まあね」
「白川のどこが気に入ったの?」
想定問答の範囲内だ。
事前に用意しておいた。
「可愛いから」
安っぽい解答だ、と一樹は思う。
でも、疑問も持たれにくい。
短く答えたほうがいい。
「たった、それだけの理由?」
「それだけだよ」
「ふうん」
「まあ、趣味が合うっていうのも理由かな。それに、女の子に告白される機会なんて、二度とないかもしれない」
「そんなこと、ないんじゃない?」
「どうかな。俺は平凡だからね」
茜はじっと一樹の瞳を見つめた。
「藤村はさ、本当は……」
そこで茜は言葉を切った。
怪しまれているのかもしれない。
バレずに嘘をつきとおせるか?
茜は、友人だ。
罪悪感だってある。
約束を破ったし、嘘もついている。
いっそ、正直に話してしまおうか。
でも、そうするとしても、知香に事前に相談してからだ。
どうして、自分はここまでして、知香をかばおうとするんだろう?
一樹のやっていることは、まったく正しくない。
自分でも、わかってはいる。
動物虐待を隠蔽し、友達に嘘をつき、従妹に迷惑をかける。
見返りは、たぶん、何もない。
「もう、あたしたちは、二人でどこかに遊びに行ったりは、できないよね」
茜がつぶやいた。
もともと、二人で遊びに行ったりすることなんて、なかったはずだけれど。
一樹がそう言うと、茜はうつむいた。
「そうだよね」
「べつに、行こうと思えば行けると思うけど」
「あたしには、できないよ」
「どうして?」
「どうしてって、白川が気にするでしょう」
「そうかな」
「そうよ。あんたって、ほんとに無神経」
「たしかに、俺は無神経だ」
「あたし、帰らないと」
「ああ、それなら……」
「一緒には、帰らないから」
茜は小声で言い、身を翻した。
こちらを振り返らずに、駅へと早足で歩いて行く。
一樹はそれを眺め、声をかけて引き止めようか悩み、結局、何もしなかった。