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従妹

 一樹たち三人はリビングの椅子に座って、紅茶をすすった。


「おいしい」 


 知香がつぶやいた。

 紅茶の銘柄も淹れ方も凝っているから、おいしいのは当然だ。

 一樹がそう言うと、二葉が呆れたようにため息をついた。


「紅茶にこだわる男子高校生って、あまりカッコよくないですよ」

「悪かったね」

「おいしいのは、本当ですけれど」


 二葉は、お茶請けの菓子をつまみながら、そう言った。

 紅茶に凝っているのは、父の影響だった。

 父はいま、遠く離れたアメリカの片隅にいるけれど。


「あれって……ピアノ、だよね?」 


 知香が小声で尋ねる。

 テーブルのある位置とは反対側の端に、黒い大きなグランドピアノが置かれている。

 二葉がじろりと知香を睨む。


「あれがピアノじゃなかったら、なんだって言うんですか?」

「……ごめんなさい」

「先輩に謝られても困りますけれど」

「あの、あれって、藤村くんが弾くの?」


 二葉は言葉に詰まった。

 代わりに一樹が答える。


「ピアノを弾くのは、二葉だよ」

「兄さんも、弾いていたでしょう?」


 二葉は小声で言った。

 少し、苦しそうな声だった。

 一樹は肩をすくめ、知香は興味深そうにそれを見つめた。


「わたし、藤村くんがピアノを弾くの、聞いてみたいかも」


 こういう話になるかもしれないとは、予想がついていた。

 一樹は苦笑いした。


「下手で恥ずかしいから、やめておくよ」

「下手でも、わたしは聞きたいの」

「ごめん。本当に恥ずかしいんだよ」


 残念、と知香はつぶやいた。


「それより、二葉に弾いてもらおう。二葉はあの有名な――」


 言いかけたところで二葉に足を踏んづけられた。痛い。


「わたしは見世物じゃないんですよ!」

「悪かったよ」


 一樹と二葉のやりとりを、知香は不思議そうに見ていたが、何かに気づいたのか、驚い

たような表情になった。


 おずおずと知香が口を挟む。


「もしかして、二葉さんって、あの桜井二葉さん?」

「そう。そのとおり。あの有名な『天才美少女ピアニスト』の桜井二葉だよ」

「その呼び方、やめてくれません?」


 二葉はすごく嫌そうな顔をした。


 そんなに嫌そうな顔をしなくてもいいのに、と一樹は思った。そのあたりは、天才と呼ばれ慣れている二葉と、そういう世界と縁遠くなった一樹の考え方の違いかもしれない。


 一樹はからかうように言った。


「事実じゃないか。中学生ながら権威あるコンクールの賞を得て、批評家の先生方からは絶賛の嵐。大きなホールで単独公演もするし、今年中にはCDだって発売される」


 知香が「すごい」とつぶやき、尊敬の眼差しで二葉を見た。「サインでももらったら」と知香に言おうと思ったが、一樹は思いとどまった。


 二葉にもう一度、足を蹴られたからだった。


 これ以上、二葉の機嫌を損なうと、取り返しがつかなくなりそうだ。

 ともかく、問題は二葉に納得してもらうことだった。

 二葉には、知香の秘密を守ってもらわないといけない。

 けれど、二葉は渋い顔をした。


「わたしには、まともなことだとは思えません」

「まあ、そうだよね」

「隠すってことは、わたしたちも、白川先輩の猫殺しに協力しているってことになりません?」

「ならない。俺たち自身が犯罪行為をするわけじゃない。」

「何の罪もない動物が殺されるのをを、見過ごすんですか?」

「そうなるね。でも、二葉には迷惑をかけない。それだけは約束する」 


 二葉はとんとんと指先でテーブルをたたいた。


 そして、ため息をつく。


「可愛い女の子だからって、かばうと痛い目に合うかもしれませんよ?」

「そうかもね。でも、もし裏切られたら、それは俺自身の責任だ」

「そこまで言うなら、兄さんのお願いを聞きますけれど、わたしから一つだけ」


 二葉は知香に向き直った。


「白川先輩、これ以上、兄さんを巻き込むのはやめてくださいね。ほうっておくと、兄さんまで動物虐待の常習犯になりかねません」

「……うん」 


「さ、さ、わかったなら、早く帰ってください」

「藤村くんと二葉さんって……従兄妹なんだよね?」

「そうですけど?」

「その……どうして一緒の家にいるの?」


 一樹と二葉は、顔を見合わせた。

 二葉は少し不安そうな顔をした。

 たぶん考えていることは二人とも同じだった。

 さて、どう答えるべきか。


「まあ、学校とかの関係でね。二葉がうちに下宿している。そういう感じだよ」


 嘘ではないけれど、重要な点を隠している。

 でも、知香に何でもかんでも話す必要はないだろう。

 知香もまた、一樹にすべてを話すわけではないように。

 話がややこしくならないうちに、一樹は知香を玄関へと促した。

 帰り際になって重要なことを思い出した。


「そうだ。白川さんに伝えておかないといけないことがあった」

「なんのこと?」


 ついさっきかかってきた電話のことを、一樹は手短に伝えた。

 知香は目を見開いた。


「つまり、俺以外にも知っているやつはいるみたいだけど、心当たりある?」

「……女の子の声だった?」

「そうだったよ」

「たぶん、その子のこと、わたしは知ってる」

「どういう人か、教えてくれない?」


 知香は少しためらった。

 それから、ゆっくりと首を横に振った。


「ごめんなさい。教えることはできないの」

「まあ、べつにいいけれど、大丈夫?」

「うん。その子は、わたしの味方だから」


 味方?

 本当にそうなのだろうか。


 電話を聞くかぎり、そうは思えなかった。

 一樹がそう言うと、知香は柔らかく微笑んだ。


「大丈夫だよ」


 それ以上は、一樹は何も言えなかった。

 知香は何も話すつもりはないようだ。

 小さくお辞儀して、知香は帰っていった。

 リビングに戻ると、二葉がピアノの前の椅子に座っていた。

 ぼんやりと、焦点の合わない目で、虚空を見つめている。

 二葉はそのまま動かずに言った。


「どうして下手だなんて、言ったんですか?」

「何のこと?」

「ピアノのことに決まってます。兄さんは……下手なんかじゃない」

「俺は下手くそだよ。二葉にくらべれば、ずっとね」

「それは……」

「『天才美少女ピアニスト』の二葉と、練習してもろくに上達しなかった俺。どちらが上

手いかは、はっきりしていると思うよ」


 一樹は笑いながら言ったが、二葉は虚ろな瞳のまま、何も答えなかった。

 一樹は目の前にあるグランドピアノに目を落とした。

 これは、もともと、一樹のためのものだった。

 けれど、今は違う。

 これは二葉のためのものだ。

 一樹は言った。


「二葉は特別で、俺は特別でなかった。それだけのことだよ」

「そうやって逃げるんですね」

「逃げる? 何から?」

「何もかも。どうして白川先輩をかばうんです?」

「いきなり関係のない話になったね」

「関係あります。答えてください」

「さあ、どうしてかな」

「可愛い女の子を助ければ、自分が特別になれるとでも思いましたか?」

「なれないだろうね」

「兄さんは自己満足で、頭のおかしい女子高生を助けているだけです」

「そのとおり。これは自己満足だよ。自分を満足させるための、退屈しのぎにすぎない」

「兄さんはひどい人ですね」

「俺は二葉とは違うから」

「わたしは、いまの兄さんのことが、好きになれません」

「昔は好きだった?」

「茶化さないでください」

「茶化されると困る?」

「そうやって、いつも話をはぐらかすんですね」

「俺は臆病だからね」


 じっと二葉は、こちらを見つめていた。

 たしかに、以前はもう少し、仲が良かったかもしれない。

 はじめて会ったときは、どうだったろう。 

 二葉は目をそらした。


「……疲れました。わたしは部屋に戻ります」

「お疲れ様」

「兄さん」

「なに?」

「これ、お土産です」


 ぽんと、二葉は、紙袋をテーブルの上に置いた。

 袋を開けると、熊本銘菓「いきなり団子」の姿があった。。

 お礼を言おうと振り返ると、二葉はすでにいなかった。 


 その夜。

 市内の外れで、三匹の猫の生首が見つかった。

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