クラスメイト
一樹は大きくあくびをした。昨日は驚かされた。あんなグロテスクな場面に遭遇することは、めったにない。
誰かに言うつもりはないけれど。
教室の隅にいる、知香の姿をちらりと見る。昼休みなのに、知香は誰とも話さず、音楽を聞いているようだった。
そんなことを観察していたら、ぽんと肩を叩かれた。
「なに見てんの?」
「何も見ていないよ」
「ふーん。あたしに嘘をつくんだ」
「俺は嘘をついてない」
「白川のことを見てたくせに」
頭上から女子が、一樹をのぞきこんできた。
さっぱりした短い髪に明るい雰囲気。制服もけっこう、着崩している。
同じクラスの宇佐美茜だ。
「俺は、白川さんを見ていたんじゃない」
「なら、何を見てたわけ?」
「白川さんの使っているイヤホン」
「は?」
「高級品だなと思って」
茜は呆れたような顔をした。
「藤村って、変わってるよね」
「ひょっとして、俺のこと、褒めてる?」
「んなわけないでしょう」
「『変わってる』ってのは、褒め言葉だ」
「そう思ってるのは、あんただけ」
「そう?」
「そう。人と違うからって、すごいってことにはならないでしょうが」
「まあ、それ以前に俺は平凡だよ。変人じゃない」
成績は中の上、運動は不得意ではないけれど、スポーツ万能ってタイプではない。
これといった特技も、今はない。
クラスでは、そんなに嫌われていないはずだ。たぶん、好かれてもいないけれど。
茜はじっと一樹を見た。
「やっぱり、あんたは変人だと思うけど」
「そう?」
「そう」
「それで何の用?」
「用がなかったら、話しちゃいけないの?」
「そういうわけじゃないけどね」
一樹は、教室を見回した。茜がどうして自分に話しかけてきたのか、わかった。
「村瀬さんと原田さんは、部活のミーティングとか?」
茜は肩をすくめた。
「そう。それで、退屈なの」
茜の友達は用事で出払っているようだった。一樹と親しいクラスメイトの大木もいない。
この昼休みは部室で過ごしているのだという。
「嫌になっちゃうよね」
「まあ、俺たち帰宅部員は、仕方がないよ」
「で、暇そうなあんたで遊ぼうと思ったの」
「俺は宇佐美さんのおもちゃなわけ?」
「そうよ。不満?」
「いいや。どうぞどうぞ、ご自由にお使いください」
「……その反応、気持ち悪いんだけど」
「なんで?」
「ふつう、自分のことをおもちゃだなんて言われて喜ぶ?」
「喜んだつもりはないんだけど」
「あんたは変人じゃなくて、変態かもね」
「ひどいな。宇佐美さんが言い出したことなのに」
「なら、あたしも変態?」
「やあ、変態の宇佐美さん」
軽く頭をはたかれた。
少し痛い。
見上げると、茜はくすくすと笑っていた。
この学校は中高一貫校だ。
茜は去年、つまり中等部三年のときもクラスメイトだった。高校一年になった今もクラスメイトだ。
教室では、ときどき話す。
だから、ある程度はお互いのことを知っている。
たぶん。
けれど、知香のことは何も知らない。
「そういや、二葉は、修学旅行中だったよね?」
「今ごろ阿蘇山のてっぺんにいると思うよ」
二葉というのは、一樹の従妹のことだ。
桜井二葉。
一つ年下で、同じ学校の中等部にいる。
ついでに言えば、同じ家で暮らしている。
そして、茜とも知り合いだった。
というより、どっちかといえば、二葉のほうが茜と仲が良いのかもしれない。
「てっことは、あんたはいま、一人暮らしってわけね」
茜は面白がるように言った。
一樹の父は単身赴任中だから、たしかに、家にいるのは、一樹だけだ。
「たしかに、そうとも言えるね」
「ね、見に行ってもいい?」
「どこを?」
「あんたの家」
「駄目だよ」
「けち」
「うちに来ても、面白いものなんてないよ」
「面白いかどうかを決めるのは、あたしだから」
「駄目なものは駄目だよ」
「つまんないの」
「それに、今日の放課後は、大木と先約があるからね」
「ふうん」
たぶん、茜も本気で家に来るつもりはないはずだ。
一樹は、絶対に家に友人を呼ばない。
それを知っていて、茜はこういう話をもちかけている。
だいたい、茜とは教室以外の場所で会ったことは、ほとんどない。
一樹は話題を変えることにした。
「宇佐美さんから見て、白川さんってどんな人?」
この質問は明らかに失敗だった。
茜は急に不機嫌そうになった。
「知らない。あの子、全然しゃべんないし」
「そうなんだ」
「やっぱり、白川のことをいやらしい目で見てたんだ」
「なんで、いやらしい目って決めつける?」
「だって、男子なんて、みんなそうでしょう?」
「『みんな』って。例えば、誰のこと?」
「『みんな』は『みんな』よ」
「宇佐美さんって、男嫌いだよね」
「男子の友達ぐらい、あたしにもいる」
「例えば?」
茜は言葉に詰まった。
上目遣いに一樹を見た。
「藤村……とか」
「ほかにはいないの?」
「うっさい!」
「宇佐美さん、美人だからモテそうなのに」
「それ、セクハラ発言だから」
「ごめん。発言を撤回するよ」
「それもムカつく。あたしが美人じゃないって言いたいわけ?」
「俺はどうすりゃいいのさ?」
「だいたい、あんただって、女子の友達いないでしょう」
「宇佐美さん以外はね」
「へえ、そうなんだ」
茜はかすかに頬を緩めた。
もう、知香のことを口に出すのはやめよう。
一樹がそう思ったとき、後ろから声がした。
「あの……」
一樹と茜は一斉に振り返った。
そこにいたのは、知香だった。二人に見つめられた知香は、どぎまぎしたみたいだった。
「何の用?」
冷え冷えとした声で茜が言った。知香はますます怯えた様子になった。
「えっと、その、あの……」
「早く用件を言ったら?」
茜が早口に言う。
茜は知香のことを嫌っているのだろうか。
このままだと知香が気の毒だ。
一樹は助け舟を出した。
「ごめん。白川さんのことを話しているのが、聞こえた?」
「うん。そうなの」
「悪いね。全部、聞こえてた?」
知香はふるふると首を横に振った。
「ええと……いやらしい目で見ている……の?」
よりにもよって、その部分だけ聞こえていたのか。
一樹が答えるより早く、茜が答えた。
「藤村は、白川のことをそんな目で見てない」
「いやいや、宇佐美さんが自分で言ったことじゃないか」
「あんたは黙ってて」
茜にぴしゃりと言われて、一樹は肩をすくめた。
けれど、言われたとおり、黙ることもできない。
「俺は白川さんのイヤホンを見てただけだ」
「そう……なの?」
「そうそう。だから、気にしないでよ。あ、ほかにも用事があるんだよね?」
「どうして、わかるの?」
「なんとなく」
知香は不思議そうな顔をした。
べつに推理をしたわけでもない。
人見知りの知香が話しかけてくるなら、他にも用事があると考えた方が自然だ。
知香はちらりと茜を見た。
「わたし、藤村くんと話がしたくて……いい?」
「あたしが邪魔ってこと?」
「そんなつもりは……」
知香は目を伏せて、黙ってしまった。
あいかわらず、茜は不愉快そうに、きれいな眉をひそめていた。
知香の話というのは、十中八九、昨日の猫殺しのことだろう。
だけど、ここで話すわけにはいかない。
「白川さんが言いたいのは、後で別の場所で話そうってことだよね」
「うん」
「なら、放課後の四時に、旧校舎の生物準備室に来てくれる?」
「わかった。あの、ありがとう」
「どういたしまして」
知香はほっとした様子で、自分の席へと戻っていった。一樹もほっとした。
ただ、茜だけは、一樹をじっと睨んでいた。
「藤村さ」
「なに?」
「ちょっと来て」
「なんで?」
「いいから!」
一樹はいきなり手首をつかまれた。
そして、強引に教室の外へと連れていかれた。
廊下の隅で、茜は小声で話し始めた。
「白川とどういう関係なの?」
「クラスメイト」
「そんなことは知ってる」
「それ以上の関係はないよ。話したことだってほとんどない」
「なら、なんで呼び出されたの?」
「さあ?」
「告白でもされる?」
「白川さんに? それはないと思うけど」
「もしも告白されたら、付き合う?」
「まあ、付き合うかもしれないけど」
「約束して」
「何を?」
「白川とは付き合わないで」
「どうして?」
「あの子、見た目は可愛いけど、ちょっと危ない感じがするの。普通じゃない」
茜はささやくような声で言った。どうして、茜はこんなことを言うのだろう?
それはわからないが、知香が普通じゃないことは知っている。
町中で猫を虐待している女子高生というのは、控えめに見て、危険人物だ。
「あの子に近づいたら、藤村がひどい目にあうかも」
「あれ? 宇佐美さん、ひょっとして俺のことを心配してくれるの?」
「べつに。そんなんじゃない」
「ありがとう」
「だから、違うって言ってるでしょ!」
茜は顔を赤くして、怒鳴った。
「約束してくれるの? してくれないの? どっち?」
一樹は黙った。
茜が不安そうな顔をして、急に小声になる。
「あたしに、そんな約束をお願いする資格なんて、ないかもしれないけど」
一樹は決めた。
「約束するよ」
「本当?」
「もちろん。宇佐美さんの言ったとおりにする」
だいたい、約束の前提が、非現実的な話だ。
知香みたいな子が、自分を好きになるなんて、ありえない。
約束しても、後悔することはない。
「よかった」
茜は柔らかく微笑んだ。