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答えは一つ

 

 ナイフは一樹の肩をかすめ、部屋の白い壁に突き立てられた。

 そのナイフの柄をつかみ、引き抜けば、少なくとも物理的には自分が有利になる。

 そう考えた一樹の考えは裏切られた。


 愛歌はにっこりとほほえむと、二本目のナイフをくるりと指先で回転させた。


「藤村先輩は理由もわからないまま、白川先輩をかばい続けるつもりですか?」

「まあ、良くないことだろうけれどね」

「かばうこと自体を否定するわけではありません。でも、白川先輩の行動の理由がわからなければ、彼女を理解することはできない」

「そうだね。そうだけど……」

「理由を知ろうとするべきです。あなたが少しでも、白川知香を大切に思うのなら」


 ほんのすこしだけ、愛歌の声がかすれた。

 なら、愛歌は知香を大切に思っているのか。

 二人はどういう関係なのか。

 それを聞いてもきっと愛歌は答えない。

 一樹は、近くにあった椅子を指し示した。


「とりあえず、座る? ずっと立ってて疲れない?」

「ナイフをもったまま座ると思いますか?」

「いや。あー、黒崎さんは、知香の知り合い?」

「先輩に質問する権利はありませんよ」

 

 予想通りの無回答。

 愛歌はかすかに不機嫌そうに眉をひそめた。


「さっきから気になっていたんですけれど、あの人のことを『知香』って呼ぶんですね」

「それは、まあ、一応ね」

「恋人気取りですか?」

「そういうことになっているから」

「偽物なのに?」

「この際、偽物かどうかはあまり関係ない」

「二葉さんは怒っているでしょうね」

「二葉が?」

「従妹といっても、はじめて会ったのは、たった六年前。そうでしょう?」

 

 一樹は黙った。

 なるほど。

 事前に調査したというだけのことはある。

 二葉のことも知っているのか。


「二葉さんのご両親が事故で亡くなって、それで藤村家に引き取られたんですよね?」

「そのとおりだよ。それがどうした?」

「どうもしませんよ。ただ、お互いにどう思っているのかな、と思いまして」

「どういう意味?」

「そのままの意味です。二葉さんのこと、嫌いですか?」

「嫌いなわけないよ」

「なら、好きですか?」 

「大切な家族だよ」

「はっきり言うんですね」

「本人が聞いてるわけでもないからね。二葉はいいやつだよ」

「恥ずかしいセリフですね」

「だから、本人が聞いていたら言えないよ」


 愛歌の碧い瞳が、かすかに揺れたような気がした。

 けれど、次の瞬間、愛歌はぐっと身を乗り出した。


「へええ、でも、それは建前でしょう? だって、本当は二葉さんのこと、先輩は邪魔に思っているわけですから」

「まさか」

「本当にそうですか? 自分より遥かに優秀な年下の従妹。とっても、目障りじゃないですか?」

「ピアノのことを言っているのか」

「はい。だって、先輩と違って、二葉さんは特別だから。すごいですよね。頭もいいし、運動も得意。それに、天才少女ピアニスト! そんな存在が近くにいたら、すごくコンプレックスを感じて当然です。先輩自身がピアノを弾いていたのなら、なおさら」


 一樹は黙った。

 愛歌の言葉が真実を突いていたからだ。

 小学生の頃は、かなりの時間をピアノの練習に費やしていた。理由は単純で、一樹の父はほどほどに有名なピアニストだったからだ。彼が一樹に同じ道を進ませようとしたのかどうかはわからない。が、ともかく、知人のピアノ教室に一樹を放り込んだ。

 当然、時間をかければ、それなりには上達する。そして、周囲は褒めてくれた。さすが、あの人の息子だ、と。

 一樹は周囲の期待に応えようとし、また、自分が特別な存在だと思い込んだ。


 「でも、二葉さんに出会ってすべてが変わりました」


 愛歌の言うとおりだ。


 二葉が家に引き取られてきたとき、幼い彼女はすぐに一樹の弾くピアノに興味を示した。一樹は笑って

「弾いてみる?」と問いかけ、二葉はこくりとうなずいた。彼女は小声で「わたしもピアノ、練習しているんです」と呟いた。


 そして、一樹は、年下の二葉が、自分より遥かに優れた才能と技術をもっていることを知った。


「たしかに驚いたよ。まさか自分の従妹にそんな天才がいるなんて思いもしなかった。誰も教えてくれなかった」


 はじめのうちは、一樹は二葉と張り合おうとした。それまで以上に練習した。けれど、追いつくどころか差は開くばかり。 


 結局のところ、一樹は自分にさして特別な才能がない、ということに気づいた。たまたま幼いころからピアノに触れる機会があったから、同い年の他の子どもよりも上手に演奏できた。それだけだ。

 中学生になってしばらくして、一樹はピアノに対する熱意をほとんど失った。


「人は、望む全てを持っている他人を、好きでいられるものでしょうか? 本当は二葉さんなんて、いなくなればいい。そう思っているんでしょう?」


 一樹は何も答えなかった。


「何も答えないんですね」


 なぜ答えなければならない?

 どうして見ず知らずの他人に、好き勝手なことを言われなければならないのか。

 一樹は腹が立ってきた。


「黒崎さんは勘違いしているよ。俺が二葉のことが嫌いなんて、そんなわけないだろう」

「二葉さんのこと、羨ましくてたまらないのに? 妬ましくて妬ましくてたまらない。そんな相手がずっと一緒にいたら、気が狂いそうじゃないですか?」

「ああ。羨ましいさ。俺は二葉みたいになりたかったんだ」

「だったら嫌いになるでしょう?」

「逆だよ。だからこそ、俺は二葉のことが好きなんだ」


 愛歌は何も反応せず固まった。

 そのあいだに畳み掛ける。


「俺がピアノをやめたのは、俺自身の問題だ。二葉のせいじゃない。二葉みたいな天才が身近にいてもいなくても、そのうち俺は挫折していたよ。でも、俺は二葉みたいな特別な存在になりたかったから、だから二葉のことを尊敬している。二葉がどれだけ才能に恵まれていて、それ以上にどれだけ努力しているかも、近くで見ているからね」


 そこで一樹は言葉を切った。

 あいかわらず、愛歌は無言のままで、続きを喋れと目で訴えている。

一樹はその要求に応えた。


「父は長いあいだ海外にいて、だから、この家にはずっと俺と二葉しか住んでいないんだよ。最初に言ったとおり、俺にとっての二葉は、最も大切な家族なんだ」

「……私の知っている二葉さんは、ただの傲慢なひねくれ者ですよ」


 なるほど。

 愛歌は二葉の知り合いで、たぶんクラスメイトなのだろう。

一樹は鋭く言った。


「そう見えるなら、それは黒崎さんが馬鹿だからさ。二葉は根は素直だし、優しいやつだよ」

「馬鹿なのは先輩のほうですよ。二葉さんは卑怯者。ただピアノができるだけの子です。すぐにあの子の本性がわかりますよ」

「どうして黒崎さんがそんなに二葉の悪口を言うのかは知らないけど、二葉は成績もよくて運動もできる優等生で、性格も良いし、学校でも人気者のはずだよ。俺にとっては自慢の従妹だよ」

「それに『二葉は可愛い美少女』だとでも付け加えますか?」

「そうだね。たしかに二葉は美少女だ。魅力的な女の子だよ。俺の目からみても、可愛いと思う」


 愛歌はため息をついた。


「あきれた。心底あきれました。それ、二葉さんに直接、言ってあげたらどうです? 二葉は自慢の従妹で、大切な家族で、守ってあげるべき可愛い女の子だって」

「言うわけないよ。そんな恥ずかしいこと。だいいち、俺は二葉に嫌われているし」

「あなたたちって本当によく似てますね。先輩は二葉さんと同じことを言ってます」


 どういう意味だろう?

 にっこりと愛歌は笑った。その笑顔はとても綺麗だったが、なにか不自然だった。

 愛歌は何か企んでいる。

 一樹が口を開く前に、愛歌はぽんぽんと扉を手の甲で叩いた。


「ところで、私がどうやってここに入ってきたかわかります?」

「さあ。さっきから疑問には思っていたけどね」

「答えは一つしかないと思いませんか?」


 愛歌の言葉の意味を考え、一樹は気づいた。

 次の瞬間、一樹の服の袖を、誰かがっぎゅっとつかんだ。

 後ろを振り向くと、そこには二葉がいた。


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