凶行の理由
クラスメイトが猫を殺していた。
見ていて気分の良いものではない。場所は繁華街の外れ。薄暗い路地裏だ。
いますぐこの場から逃げ出すか。それとも警察に通報するか。一樹は少しためらった後、スマートフォンを取り出し、カメラを使った。その音に気づいたのか、セーラー服の少女がこちらを振り返る。
白川知香。それが彼女の名前だ。
綺麗なミディアムの髪に、大きな瞳。小柄で目立たないけれど、かなりかわいい。そして、そんな知香が、猫の死体を手にもっている。
一樹を見て、知香は凍りついた。
「やあ、白川さん」
一樹はなるべく愛想よく、クラスメイトに声をかけた。
知香は、うつむいていた。
「ええと……藤村くん?」
「下の名前もわかる?」
「ご、ごめんなさい」
いまは十二月。
知香と話したことは一度もなかった。半年前から同じクラスにいるはずなのに。
「藤村一樹。まあ、覚えていなくても仕方がないよ。それより、いまは何時?」
「午後九時二十八分、だと思う」
知香は腕時計を確認しながら言った。わざわざ時計を確認するなんて、真面目な性格だな、と一樹は思う。
「この時間にこのあたりを一人で歩くのは危ないよ」
「あー……うん」
「猫を殺すような危ない人間も出歩いているし」
知香が怯えたように後ずさる。
その手から、猫の頭部がぽとりと落ちた。
連続猫殺し。ここ最近、市内ではちょっとした騒ぎになっていた。先月末から、猫の生首があちらこちらで見つかっている。
「白川さんが猫殺しの犯人だったとはね」
「あの、わたしを、どうするの?」
「どうするって?」
「さっき、藤村くん、写真をとってた」
「だから?」
「その、それを……」
「俺が写真を使って脅迫する。そう思った?」
こくこく、と知香はうなずいた。そう思われても仕方ない。この写真を表に出せば、たぶん、知香は高校を退学になる。というより、警察沙汰だ。
「脅迫するつもりはないよ」
「ほんとに?」
「もちろん。ただし、条件がある」
「な、なに?」
「今後は猫を殺したりするのはやめてほしい」
「それは……約束できないよ」
「また、動物を殺す?」
知香は目を伏せた。その後ろに猫の死体が二つ。セーラー服には、少しだけ返り血がついていた。
一樹はため息をついた。
「まず、この場を離れよう」
「え?」
「ほかの誰かが来たら、厄介だ」
だが、知香は動かなかった。
クラスメイトにばれたショックで、呆然としているのか?
仕方なく、一樹は知香の手をとった。温かい。
「急ごう。なにか忘れ物はない?」
「ない……と思う」
ざっと現場を見回しても、あるのはゴミ箱と、猫の死体とその血だけだった。
一樹は黙って歩き出した。
おどおどとした様子で、知香が一樹についてくる。
「あの……藤村くん」
「どうかした?」
「怒らないの?」
「怒る? 俺が?」
「だって……わたし、悪いことをしていたから」
「まあ、法律違反だろうけど。でも、俺には関係のないことだから」
「関係……ない?」
「殺されたのが俺の飼い猫だったら、話は別だけどね」
よく知らない同級生が、町中で犯罪行為を働いていた。
それだけだ。
ただ、興味はある。どうして知香は猫を殺していたのか。
一樹は尋ねてみることにした。
「理由がわからなければ、悪いかどうかは判断できないよ。白川さんは、どうし
て猫を殺したりしたの?」
「答えないと……いけない?」
「もちろん」
「嫌だって言ったら?」
「なら、写真を使うしかない」
「やっぱり、わたしのことを脅すの?」
知香は悲しそうに一樹を見つめた。そんな目で見られると、こちらが悪いことをしているような気分になる。
いつのまにか、二人は繁華街の中心部近くに来ていた。
「白川さん」
知香がびくりと肩を震わせた。そんなに怯えなくてもいいのに。
「そろそろ俺の手を離してくれない?」
「え?」
「周りの建物も、こんな感じだし」
知香はきょろきょろと周りを見回し、それから顔を赤くした。出来損ないの城みたいな建物が、いくつか建っている。
いわゆる、ラブホテルだ。
知香は一樹の手を離したけれど、頬は赤いままだった。
「わたしに……なにか、するつもり?」
「なにかって、どんなこと?」
「ひどいこと」
知香が上目遣いに一樹の目を覗き込む。
一樹は考え込んだ。たしかに知香を脅迫することだって可能だ。
さて、どうするか。
結局、一樹は一番、無難な答えを選んだ。
「何もしないよ。金を巻き上げたりとか、そういうことはしない」
「嘘つき」
「本当だ。俺の頼みは二つだけ。猫を殺すな。そして、どうして猫を殺しているかを教えろ」
知香は何も言わず、首を横に降った。
どちらの頼みも聞けない。
そういうことだろう。
不思議なのは、後者の質問に答えないことだ。口からでまかせを言えばいいのに。ともかく、知香が猫を殺す理由は、知られては困るようなものなのだ。それに、弱い動物を殺すことを楽しんでいた、というわけではないらしい。
一樹はもう少しだけ、粘ってみる気になった。
「理由だけでも教えてくれないかな?」
「嫌」
「なら、白川さんが猫を殺していることを、他の人にも言わないといけない」
「……ほかのことなら、何でもするから」
「三回回ってワンと鳴くとか、そういうことでも?」
「もっと恥ずかしいことでもする。だから、言わないで……ください」
知香の声は、消え入るようだった。どうしてこんな子が猫を殺していたのか?可愛いし、真面目で、そして気弱に見える。
一樹は少し考えてから言った。
「わかった。猫殺しの件は秘密にするよ。理由も聞かない。代わりにやってほしいことがある」
「なに?」
「かなり『ひどいこと』だよ」
「ひ、ひどいこと?」
「今度、ジュースでも奢ってよ」
「ふぇ?」
「白川さんから百五十円ぐらいの金を巻き上げる。『ひどいこと』だと思わない?」
知香は困ったような顔で黙ってしまった。
つまらない冗談を言ってしまった。
ちょっと恥ずかしい。
そもそも、意味が伝わっていないのか。
「うーん」
うなる一樹に、知香がおずおずと尋ねる。
「あの……どういうこと?」
「脅迫なんてしないってことだよ」
「なにも、しないの?」
「しない、しない。最初からそう言ってるのに。ただ、写真は消さないよ」
写真は護身用になる。相手は危険人物だ。それは間違いない。
保険をかけておいた方がいいだろう。
「もちろん写真を悪用したりはしない。それでいい?」
「うん」
「合意成立だ。ほら、駅についたから、早く帰ったほうがいいよ」
「ええと、あの、藤村くん。その……ありがとう」
「どういたしまして」
「でも……ジュースは、ちゃんと奢るから。別の日に」
べつに本当にジュースを奢ってほしかったわけではないんだけれど。でも、断る理由はない。
一樹は言った。
「オレンジジュース以外で頼むよ。苦手なんだ」