水竜
こちらは連載です。第一話はこちら!
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宿にサカモトはいなかった。
ジーノは首をかしげると、宿に手続きと、書類の有無を確認しに行った。
「何かの間違いだといいけどね」
アリサが心配そうにつぶやくと、カイが言い返した。
「国が僕らの代わりに判断してくれるってんだから、逆にありがたいとも思うけどね」
言葉とは裏腹にカイの表情は険しい。
そこへジーノが帰ってきた。
「遅くなりました。初めに言います。書類はこちらに届いておりません」
ほうっと息が出た。カイも少し表情が和らいでいる。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。もうとっくに結果が出る頃合いだったのですが……少し時間がかかっているようなので、お二人がよろしければ、私が様子を見て参ります。私も少しやることがございますので、遅くなるかと思いますが……」
ジーノの言葉にアリサはまた気が重くなった。アリサは、サカモトを信じたいのだ。祖父の思いを形にするための、手掛かりになると思うから。
「見てきてもらえると助かります、ジーノ司祭」
アリサが頼むと、ジーノはすぐに踵を返して出口に向かって走って行った。
(話してくれはしないだろうな)
アリサたちがサカモトの拘束について何か思い当たる事がありそうなことを、ジーノは感じ取っていた。ただの同行者ならばサカモトが捕まった時点でサカモト本人を疑うと思うのだが、その様子もない。アリサ達の事について深く考え込みそうになってジーノは頭を振った。邪推をしても仕方がない。それより、サカモトのことだ。ジーノは朝から気になっていることがある。水竜様の事だ。水竜様はこの三人のことをいつか話したいと言っていたのだ。
水竜は人の意思決定には関わらない。お告げとして気象などの確定した事実を伝えはするが、お告げを元に考えるのは人間だ。それに人の過去を明言したことはない。
水竜は、おそらく見えすぎているのだとジーノは思っていた。一人の幸福は、その他の不幸を呼ぶかもしれない。幸福はそういった側面もあるのだから、水竜様は人の世に口出しは絶対にしないのだと。そして、今まで水竜はその一線を越えたことはない。
ジーノは混乱していた。朝に感じた小さな違和感は、今、大きく膨れ上がっている。サカモトが捕まったと聞いたとき、彼はすぐに釈放されるのだろうと思っていた。そうしたら、彼らを水竜様の元に案内しようとも。
しかし今、状況が変わってきている。もし、今ジーノが朝の水竜の頼みを他の司祭に伝えたら、サカモトはすぐに水竜の元に案内されるだろう。しかしそれは、サカモトにとっての突破口になる。
水竜様が会いたいという時点で、サカモトの疑いは薄いと考えられかねない。それが、膠着状態になるほど拮抗しているならば、水竜の会いたいという言葉一つで釈放に傾いてもおかしくはない。しかし、この事態を水竜が全く想定していなかったとは考えづらいのだ。大体、いつか会いたいといういつかとはいつなのだ。ジーノは少し水竜に対し理不尽な怒りを感じた。
ジーノは決めかねていた。
門前に立つ。
深呼吸をしてジーノは息を整えた。この部屋は、司教のみが入ることを許される議場だ。先ほどこの部屋の警護部の者に、水竜様からだと言って無理に通してもらった。
中から会議の声が聞こえて、ジーノは内心やはりと思った。どうやら司教達の間でサカモトの取り扱いが二分しているようだ。比較的若い司教はサカモトを拘束するべきだという立場の者が目立つ。
ジーノは、ここで何が問題となっているかまだ分からない。それなのに、自分の行動で何か大事なことが決まってしまうかもしれないことを、ジーノは恐れた。
それでも、私はこれが正しいと信じている。……私がこの決定をする。
ざっと音がする様だ。ジーノが扉を開くと、皆の視線が自分の注がれるのを感じた。
「何用か。ジーノ司祭」
司教の中でも最高齢、大司教が重々しく告げる。
「ここは、お主が来るような場所ではないぞ」
恫喝はしない。大司教の感情の乗らない声は、それゆえにジーノに重くのしかかる。事実として、お前はここに存在を許されない。それを的確に突き付けている。
「会議中に申し訳ありません。水竜様から、言伝があったことを失念していました」
少し、動揺が走るのを感じた。おそらく、この議場で水竜の名が出たこと自体初めてなのではないかとも思う。
「……なるほど。申してみよ」
「サカモト、アリサ、カイの三方と、いつか話してみたいと」
周りの動揺を尻目に、大司教の決断は早かった。
「わかった。ジーノ司祭、連絡ご苦労であった。往復させて悪いが、アリサさん達をお連れしておくれ」
「かしこまりました」
ジーノは深く頭を下げると、速やかに退室した。
アリサたちが連れていかれたところは、海に面した崖の上だった。
そこでは巨大な竜が、海から身を乗り出してこちらをうかがっている。顔の大きさだけで人の丈ほどはある。身体が海中に隠れて大きさが読めなかった。一方、サカモトは警備方の司祭に拘束され、のんびりついてきている。目の前でジーノが深々とお辞儀をした。
「案内ありがとう」
これを、竜の言葉だと認識するのに、アリサは少し時間を要した。何せ口が大きすぎてひゅうひゅうとした風のような音にしか聞こえないのだ。
「安心なさい、この者は、水竜の国においてはただの旅人。そう警戒することもないわ」
水竜の言葉に、司祭はお辞儀をするとジーノを残し皆立ち去った。
その様子を見届けると、水竜は穏やかな笑みを浮かべてこちらに向き直った。
「初めまして、アリサさん、カイさん。これで同行者様の拘束は解けますわ。ジーノ、皆さんを案内してくれてありがとう」
まだ名乗ってもいないのに、当たり前のように名を言い当てられた。先ほどからもそうだが、これが水竜の神秘なのだろう。何も伝えなくても、全てが伝わる。
アリサはすこし身震いした。とても強い力だ。水竜の見通す神秘というのは伊達ではない。
そこに、司祭により拘束を解かれたサカモトが歩み出た。
「初めまして水竜様。この度は助けていただきありがとうございました。ジーノ司祭もご尽力いただいたようで……助かりました」
サカモトはそう言って二方に頭を下げた。水竜は笑顔で、ジーノは会釈でそれに返した。
「水竜様、我々にお話があるとの事でしたが、何でしょうか?」
「大した用はないわ。経緯を見ている私としては、貴方が拘束されるのはかわいそうだと思って、この国の中でぐらい手助けしてあげたかったの」
「それは……とてもうれしく思います。水竜様とお話できてよかった。改めて感謝を」
水竜の言葉はサカモトに対する明らかな協力、賛同の意志表示だ。サカモトは拍子抜けしたような、ほっとした笑顔を浮かべた。
「さて、今後の話をしましょう。ジーノ、頼むわ」
水竜がそう言うと、ジーノはこちらに向き直った。
「サカモトさん、今私共が釈放に向け手続きをしておりますが、全体に告知するのは時間がかかります。このまま動くと、まだ事情を知らない警備部の方に捕まったりするかもしれません。なので申し訳ありませんが、暫く私と行動を共にしてもらうことをおすすめ致します」
「分かりました。また捕まっては堪らないですから」
「ご協力感謝いたします。話は以上です。仕事で抜けることも有るでしょうが、今後ともよろしくお願いします、皆さん」
アリサ達や水竜との話が終わると、ジーノはすぐに大司教の執務室に来ていた。先程の会議のこと事の顛末の報告が欲しいとのことだった。ジーノが一通り話終わると、大司教ははほっと息を吐いた。
「話はわかった。水竜様はつまりジーノ、お前に託したのであろう。人の世の事は人の手でとのお考えだ……。そなたには苦労をかけた」
「議場に勝手に入ってしまい、申し訳ありません」
ジーノが頭を下げると、大司教はやめてくれというように手を振った。大司教は仕事の時こそ恐ろしいが、こうして二人で話す場面になると、聖職者らしい柔和な面が前面に出てくる。
「こちらこそすまないのう。水竜様もお人が悪い。あの状態で議場に入るお主に、釘を指さないわけには行かなかった。辛いお役目ご苦労であった」
「ありがとうございます」
「さて、それではサカモトの件、そなたに任せる。ジーノよ、あの者には気をつけよ。水竜様の発言で、サカモトはリストの人物なのだと、ほとんど確信を持っている者もおる。おそらく、街中での彼らに対する視線は、相応に厳しいものになると思う」
ジーノは頷いた。言われなくても分かっていた。水竜様の『水竜の国においてはただの旅人』という言葉は、他国においては全く保証していない。彼に対する疑いを持った司祭たちから見れば、水竜様が警戒するなという言葉と共に、あれだけ限定的な言葉を用いたということは、他国においてはただの一般人とは呼べない存在であり、サカモトとリストの人物は同一人物だと断ずるものも出てくるだろう。
「承知しております」
「それと司祭、これも渡しておこう」
大司教から渡された二枚の紙を見て、ジーノは愕然とした。
片方は、今日議論となった犯罪者リストの写し、もう一方は、火竜の国の手配書の一覧のようだった。しかし、サカモトに似た人物は、水竜の国のリストの方にしか載っていない。
「これで昼の議会はあんなに長引いたのじゃよ」
大司教はため息をついた。
つまり、アリサたちに昼言った可能性の二つ目、犯罪者リストの信頼性も、あの議場では問われていたのだ。手配書の一覧が違うということは、何者かが手を加えていることになる。まさか国の治安維持の指針を揺るがす重大な事態に発展しているとは。
「……ジーノ、サカモトの件は水竜様の手前、片付きはした。しかし、サカモトの正体は未だ分からず、リストの真偽も不明瞭なままだ」
言葉を選びながら、一言一言噛み締めるように大司教は話し出した。
「気をつけよ、ジーノ。あのリストに手を出せるものが悪用すれば、善人を詳細すら分からないままに犯罪者にできるのだ。儂は、ずっと疑問を抱いていた。誰か、あれを利用している者がいるのではないかと」
大司教の言葉をジーノは聞き入った。
「ジーノ、もし、その誰かを思い至ったなら、仲間を集めよ。儂は、お主を信じている。この話を、どうかお主の頭の端に留めておいてほしい」
しんと、執務室が静かになった。
大司教はサカモトの件にその人物によるリストの悪用が関わっていると思っているのだろう。つまり、サカモトを拘束するため、何者かによる妨害が働いている……?いやしかし、それならなぜその人物は小細工するときに名前をサカモトと書かなかった。まさか、名前が分からないまま、足止めのために写真を使ったということか。拘束されれば儲けもの、されなくても一度控室に足止めができる。その上で、もしその者に内部に入れる協力者がいれば、名前まで調べることが出来てしまうかもしれない。
次は、名前と顔が分かった状態で網に掛けることができる。
なるほど、大司教が他の司教ではなく、ジーノにこの話をした訳が分かった。書類にアクセスできない自分は、その協力者である可能性が極めて低い。仲間を集めよ、か。
「留意しておきます。ご忠告、ありがとうございます」
ジーノの返答に、大司教は微笑んだ。
「それと、あのお嬢さんに説明してあげなさい。真偽は不明だが、リストが正しいならばあのお嬢さんは危険な目に合うやもしれん」
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