朝会
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第二章、水竜の国
一、朝会
「最後に、今日の北西方向近域は一日快晴。風もあり、とても良い日和だろうとの仰せでした。本日のお告げは以上です。それでは皆様、今日の説法に……」
司祭の言葉も最後まで聞かず、皆一斉に働きだす。水竜のお告げを聞き、今後の漁の予定を話し合う漁師。遠くの街に出掛けようと勇んで自分の船に指示を始める商人。船の出港を聞きつけ荷物を纏めようと宿に駆ける旅人。
漁港でありこの大陸きっての交通の要所でもあるこの水竜の国の朝は忙しなく、騒がしい。
そんな皆の後ろ姿を眺めて、今まさに説法をしている司祭ジーノは内心ため息をついた。この時間はジーノの上司である司教達も朝に届いた積み荷の検閲や、入国審査の仕事で忙しい。司祭であるジーノの話を聞く余裕のある者など、引退した老人達や子供達ぐらいのものだ。
説法が終わると、希望者の意見交換会。これの取り纏めをもって、朝会関係の仕事はおしまいとなる。
この朝会こそが、司祭の最初の仕事だ。そうした日々の積み重ねの中で国民と関わり、国のことを知り、国に自分のことを知ってもらう。国民の声を直接聞ける大事なお役目だと言われるが、実態はこんなものだ。説法など聞いてくれる国民はそう多くはないし、その後の意見交換会だって、井戸端会議に花を咲かせるご老人方の御守りのようなものである。
「お疲れですね、ジーノ」
耳元で声がした。穏やかな風を思わせるその声が言葉を紡ぐたび、シュウシュウと吐息が耳に当たり、背中がぞわぞわする。
「水竜様」
ジーノはこの手のいたずらは慣れている。
振り返ると、巨大な竜が眼前に広がる。竜種において最大を誇るその体躯は、年季から来る荘厳さに満ちている。非常に美しい竜だ。ジーノはいつだってその体に見惚れてしまう。そう、この竜こそが、この国の唯一にして絶対の象徴、水竜である。
「ジーノは鉄面皮ですね……。前の司祭は話しかけるだけで随分驚いてくれたのに」
その威厳に似合わず、水竜はジーノへのいたずらの失敗を嘆いた。
「私も最初は驚きましたけどね。司祭着任当初は毎朝お告げの時にしか話す事が出来ない、神聖な存在だと思っていましたから。しかし、最近はほぼ毎日いらっしゃる」
残念そうな水竜をジーノは意にも介さない。
「今日はどうしましたか? また変わった積み荷でも?」
「ふふふ。今日港に来る人達のなかに、面白い方々がいますよ。風竜の国からの旅人です」
「珍しい。あの国にも旅人がいるのですか」
風竜の国と水竜の国は、距離としてはそこまで離れている訳ではないのだが、風竜の国民をジーノは見たことがなかった。とはいえ、ただの買い物なら風竜の国に向かう商船で事足りるので、元からこの国に特別に来る必要はないのだ。ただ、それでも全く旅人が出てこない国は珍しい。
「風竜とその国民、火竜の国の方という組み合わせでして。ふふ。変なトリオでした」
「それでは、技師の方なのでしょう。しかし、あの国が……。国内で何かあったのかと疑ってしまうくらいです」
水竜も頷き、楽しそうにクスクスと笑う。こういった噂話や詮索が好きなのだ。
「本当に人間は飽きないわ。あの三人ともいつかお話ししてみたいものね」
心から楽しそうに水竜は言う。
すべてを見通すと謳われる水竜だが、このように妙に俗っぽいところがある。本当にこの世のすべてが分かるなら、人の営みの何がそんなに楽しいのかと昔ジーノが聞いたことがある。
「過去の出来事はすべてわかるわ。それに、天候とかの未来のこともその気になりさえすればね。だけど、意思を持つ者の未来までは分からない。だから、私は人の決定には口を出さないことにしてるの。行動の最善なんて、いつだって考えるしかないのよ。そりゃあ私はすべての人の過去が分かるんですから、考える材料が多い分有利ではあるでしょうけど。でも、後から恨まれても面白くないじゃない」
お告げとして事実を伝えることはあっても、人の意思決定には関わらない。この竜らしい、一線引いた答えだった。しかし、水竜のその一見冷ややかな回答に、昔のジーノはなんとなく救われた気がした。人は人の未来を選べるのだと、この水竜が肯定してくれている様で……。
「ねえジーノ」
ジーノが思い出に耽っていると、水竜が唐突に話しかけてきた。
「……何ですか?」
「ジーノ、貴方が将来偉くなって忙しくなっても、どうか少しくらいは私のお話も聞いてくださいね」
「どうしましたか、いきなり」
ジーノが様子を窺うと、水竜は遠くに目を凝らすような仕草をしていた。大きな目に青い光が瞬く。水竜のこの様子をジーノはよく知っている。何せ毎朝見ているのだから……。これは、景色を見ているのではない。そっと水竜が話を続けた。
「他の司教の皆さんも最初こそ私の相手をしてくれたけど、立場が上がり、忙しくなってくると私とそんなに話してくれなくなるの。でも、ジーノはそうならないように。これは、いわゆる祈りなのかしら」
唄うように水竜は話す。現在過去、そのすべてを見通す水竜が、今何を見て、何を言っているのか、ジーノにはわからない。神と讃えられるこの竜を理解することなど人間にはできないのであろうと、最近のジーノは悟っていた。
「分かりました。貴方の望むままに」
偉大な竜の祈りに対し、ジーノは最大の敬意をもって答えた。
「サカモトさん! ……ずいぶん久々ですね」
水竜の国に着いて久々に船室から出てきたサカモトに、アリサは思わず皮肉を放った。
風竜の国のなかでは顔を見せていたサカモトは、水竜の国が近づいてからは準備があるとか言って船の仕事の手伝いもせずに自分の船室に引きこもってしまっていたのだ。お陰でアリサは船員達に随分白い目をされた。
それに、水竜の国にはいる前にアリサはサカモトに水竜の国の事を聞いておきたかったのに、サカモトが全く出てこないので殆ど何も聞けなかった。
「悪かったよ、アリサ君。どうにも時間がかかってしまって……ほら、この国は最初に入国審査があるんだ」
サカモトが誤魔化すように船の前の列を指差した。そんなサカモトが指差した方には目もくれず、アリサはジトッとサカモトを睨んだ。
「知ってますよ。最終的にあんまりだからって言って、船の皆が手続きを教えてくれましたから」
「はっはっは。アリサ君は人望があるなぁ」
頼りの誤魔化しが効かずに、サカモトは乾いた笑い声をあげた。
「あれは可哀想だった。アリサがあんたの代わりに二倍仕事しようとして、やんわり断られるってのを繰り返してたんだ。僕は何度あんたを引きずり出してやろうと思ったか」
カイに追撃され、サカモトはこれでは堪らないと思ったのだろう。話の方向性を変えた。
「さて諸君、折角水竜の国に来たんだ、この国の話を聞きたくはないかね? 周囲を観察しながら話さないか?」
サカモトを非難しながらも周囲の様子に興味津々だったアリサはその言葉にむっつりと頷いた。
アリサ達が着いた波止場には多くの船が停泊していた。中にはアリサが想像すらしたことが無かったほどの大きな船もある。
振りかえって見返すと、先程アリサたちが乗っていた商船が大型な船の間に挟まれて、肩身が狭そうに停泊しているのが見えた。風竜の国ではとても大きいと思っていたアリサたちの商船は、この国では実はかなり小さいものの部類だったのだ。
そして、その多くの船からは、様々な国の商人や、船員達が商人用の出入り口へ商品を運び出していた。
どれもアリサには見たことがない物ばかりだ。隣でカイも品をよく見ようと首を長くしている。
アクアブルーの布や、極彩飾の絨毯。見たこともない食材や果物。よく見るとその中にアリサたちの船から出たものであろう革製品も見つかり、アリサは少し嬉しくなった。
「うちの市場も中々のものだと思っていたけど、世の中こんなに物があるんだな」
カイは感慨深そうに呟いた。
「ここは大陸きっての交通の要所だからね。この大陸中の殆ど全ての商品がここに集まると言われている。その理由は勿論、この国が海に面した港である事もあるが……竜の神秘のお陰とも言われている」
「水竜の神秘?」
アリサが尋ねるとサカモトが頷いて補足した。
「そう。未来を見通すという水竜様の神秘だ。これで一週間先までの天気、嵐の予報、ひいては船旅の危険度まで読み取るという。そのお陰でこの国の船は他国と比べて極端に遭難、沈没が少ない。船旅の安全度が圧倒的に高いのだから、この国と交易している国は出来るだけ水竜の国に交易を任せるようになる。話を聞き付けた他の国からも頼まれる。……とまぁ、こう言った成り立ちで大陸の交易ほぼ全てを担った大国だ」
サカモトがそこまで解説をしたとき、前のカウンターからどうぞという声がした。とうとう入国審査の番が来たのだ。白いローブを来た役人にサカモトが入国の目的などを伝えると、役人は頷いて出口の方を指差した。
「よっしゃ! 入国審査も終わったし、アリサ! 早速市場に行こうぜ!! 大陸全土の果物、食い尽くしてやろうぜ!」
カイが元気良く市場に向かって飛び出し、アリサもそれを追って駆け出そうとした。
「おっと」
後ろにいたサカモトの言葉に、アリサは何かぶつけでもしたのかと後ろを振り返った。
「被疑者確保! 連行します!!」
振り替えると、サカモトは白い鎧を着込んだ兵士に両腕をがっしりと捕まえていた。
「どうやら捕まってしまったみたいだ」
はっはっはとサカモトはいつものように笑う。あまりに普段通りのサカモトに、アリサとカイは少しあっけにとられた。周囲の人も何事かとこちらを注目し初めている。
「この二人も連行しますか?」
兵士が先程検問をした役人に尋ねた。
「うーむ、リストにはないからな、無関係だとは思うが……」
役人がアリサをじっと見つめた。
「なんだよ! サカモトは知らないけど、アリサも僕も、この国に来たことすらないんだぞ! 捕まる謂れはないね!」
カイが抗議の声を挙げた。カイは相変わらず言葉が悪い。このままだと業務妨害などの難癖をつけられて捕まりかねないと、アリサはあわてた。
「カイ、落ち着いて。お役人さん、私達今この国に初めて来たばかりなのですが、何かこちらの国では法に触れることでもしたのでしょうか?」
アリサが尋ねるのにも答えず、役人は険しい顔でアリサとカイを交互に観察している。
「その子の言うことは本当ですよ」
周りの野次馬の中から声がした。役人はそちらを見ると、少し声を和らげた。
「風竜の国の商人の者か」
声の主は先程の船の商人だった。
「ええ。その子はあの国では有名な技師のお孫さんです。いつも私はその子のために商品を卸していましたから……。私の知る限り、その子が他国に出たことはありません」
その言葉を聞いて役人は少し考え込んだ様子だったが、やがてアリサに向き直った。
「大変失礼致しました、アリサさん、カイさん。商人の方もご協力感謝致します」
アリサは驚いた。こんなにあっさりと話を聞いてくれると思わなかった。
「いえ、疑いが晴れて嬉しいです。でも、サカモトさんはやはり難しいのですね」
「まだ疑惑の段階ではあります。我々が間違えていたと分かったら、すぐにでも解放されるでしょう」
穏やかだが、有無を言わさぬその口調に、アリサは納得するしかない。と、そこにサカモトが割って入った。
「ミスター、彼女達が問題ないならば、私から少し話をしてもいいでしょうか? 彼女ら、外国に出たのも始めてです。このままだときっと困ってしまう」
サカモトが話すと、隣の兵士が黙れとばかりにきつく締め上げる。サカモトは少し顔をしかめたが、それでもと話続ける。
「頼みます、この国の事をなにも知らない彼女らを、私が案内する約束だったのです。地図も渡していないものですから」
役人はそれを聞くと少しため息をついた。
「地図は私が彼等に渡す。また、その旨了解した。彼女らのことは心配ない。私たちから手配する。これでいいか?」
役人の言葉にサカモトは感謝を述べた。今度はおとなしく兵に引き連れられて行った。
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