何でも屋
……本当に、ここ?
汚いと言うよりは朽廃しきっていると言う方が正確だ。絶対ゴキブリがいる。でも、チラシにあった住所は確かにこのビル。
私はボロいビルには不似合いな、そこだけ不自然に立派できれいな扉のインターホンに手を伸ばした。
「どうなさいました? そんなに綺麗な服でこの様な所へ」
悪さが見つかった時みたいに、キュッと胃が縮む。
恐る恐る振り返るとそこには、男が一人静かに微笑みを湛えて佇んでいた。シンプルだが、一目で高級品だと分かる真っ黒なスーツを着た親切そうな人だ。年齢はよく分からない。中年位にも見えるし、高校生位にも見える。強いて言えば、中年のお兄さん。ともかく、このビルには似合ってない。この扉みたいに。
一瞬、自分が訪ねようとした人かと思った。だが、その考えはすぐに却下する。
私が探している人はきっと、すごく凶悪な顔つきでだらしない格好をしたヤクザっぽい人で、目の前にいる様な、参観日に来てくれたら友達に自慢出来そうな格好いいお父さん面した人じゃない。
……はず。
「あのっ」
我ながら情けない声だ。その上、何故だか鳥肌が立ってる。
「ここ、何でも屋…ですよね?」
「そうですよ」
「じゃっ、じゃあ、ここの人いつならいるか知ってませんか?」
実は、ここに来たのは今回で五回目。
その度にインターホンを押し、誰も出ては来なかった。
「今、帰って来ていますよ」
……何日振りだろう、こんな優しい笑顔が自分に向けられるのって。なんだか、すごく感動。
「ありがとうございます」
色んな意味を込めてお礼を言うと中年のお兄さんはにっこり笑って、それではと少し頭を下げた。
──あ、行っちゃう。久しぶりに見つけた、私に優しい人。次はいつ優しい人に会えるんだろう。そもそも、次があるのか。
ガチャ─────え…?─────パタン
立派な扉が開き、閉じた。
まさか。…あの人?
私はインターホンを押した。ドアノブがすっと下がる。
初めての展開。
扉が静かに開き、住人が姿を現した。近くの大通りからクラクションが聞こえる。
「ようこそ、何でも屋へ」
「御名前をどうぞ」
「あ、私、東城美千子といいます」
私は今、中年のお兄さんと向き合って革張りの立派なソファーに腰掛けている。
目の前にはショートケーキとコーヒー。ケーキにはしつこくない上品な甘さの生クリームがしっとりふわふわのスポンジにたっぷりと塗られ、甘酸っぱい真っ赤なイチゴが乗っている。優雅な仕草で中年のお兄さんが淹れてくれた素敵な香りが立ち上るコーヒーは深い味わいで、プロでもこの味を出せる人はそういないんじゃないだろうか。
完璧。
全てが私好み。
でも、そんなにも美味しいものが喉を通らない。
「では、東城さん。ご用件を承っても宜しいでしょうか?」
「その………」
実際に言い出すのは、かなり勇気がいる。
俯いてためらっていると、
「何方を殺害すれば宜しいですか?」
─────!?
顔を上げると、相変わらずの穏やかな笑み。背筋がすぅっと寒くなる。
「な…なんで分かったんですか……?」
「長年この仕事をしているもので。大概は分かりますよ、例え相手が豚でも」
豚って。私の事…じゃ、ないよね? 感じいい笑い方だし。
「再度御訊ねしますが、何方を?」
あぁ、そうだ。あの女。
いつも群を作って、その中心で私をいじめ抜く事だけを生き甲斐にしてる、あの女。
クス クス クス クス
キャハハハッ
あぁ、まただ。奴らがやって来た。
「ねぇ、東城さん。知ってるぅ?」
甘ったるい声であいつが話し掛けてくるのを無視して、私は書類の整理を続けた。
「水死体ってぇ、水で膨れてブヨブヨって話を彼氏に聞いたんだけどぉ」
クスクスッ
「それで疑問に思った事があってぇ」
そう…今日はこういうパターンなんだ。
「毎日何時間位水中で暮らしてるのぉ、美千子ちゃん」
「佐藤真穂」
恨みを込めて呟いた。
「サ…トウ………マ……ホ……」
中年のお兄さんは古ぼけた手帳にメモを取った。それをクルッと裏返して私に見せる。
「これで合ってます?」
私は頷いた。教えてもないのに、しっかり佐藤真穂になってる。
「では、佐藤さんに関する情報を戴けますか?」
「情報?」
「はい。年齢、住所、電話番号、趣味、容姿、家族構成等、出来るだけ詳しく」
あいつの事なんか知りたくもなかったからほとんど分からない。私が知ってるのは、
「たぶん二十六、七歳です。私と同期なんで。まだ独身ですけど同棲してるかも知れません。おしどり夫婦の三姉妹の末っ子らしいです」
意外と知ってた。中年のお兄さんの手帳にメモが増えていく。
「外見については、写真持って来ました」
私はハンドバッグから八年前の社員旅行の写真を出した。あいつは取り巻きに囲まれて、憎たらしく幸せそうに笑ってる。私は隅の方で申し訳なさそうに縮こまってる。
その自分を親指で隠して中年のお兄さんに写真を差し出した。
「こいつです」
「あぁ、はい。分かりました」
中年のお兄さんは、私が指差した顔を見て頷いた。
「保坂商事の社員さんですね?」
「そうです」
私は写真を片付けた。
「他に分かる事は無いんですけど、調べて来た方が良いですか?」
「いえ。十分ですよ」
中年のお兄さんは微笑んだ。
「ご希望の死因はございますか?」
これが、一番重要。
「水死で」
中年のお兄さんの表情が少し曇る。
「水死ですか…」
「…あの、何か問題でも?」
言いながら、違和感を感じた。殺人の依頼をしている今のこの状況自体が問題だ。
でも。
この六年間、私はずっと我慢してきた。限界だ。私が犯罪に走るのはあいつのせい。全てはあいつの責任。あいつはあいつの責任において死ぬ。
自業自得。私は何も悪くない。いい気味だ。
そう、自分を正当化してみた。
「水死は、少し面倒なので。其れだけですから、御心配には及びません。料金の話ですが、」
こういう所はかなり金が掛かると何かの小説で読んだ。成功率によっても左右されると。
と、いうことは、だ。きっと色んな犯罪に手を染めたであろうこの人が、逃げも隠れもせずこうして居るからには成功率はかなり高く、しかも少し面倒な事を頼んでいるらしい。相当の金額になるはずだ。
取り敢えず、コツコツ貯めた百万円を持って来たけど、足りなかったらどうしよう。
「五万円になります」
「……は?」
「五万円になります」
「いやあの聞こえなかったとかじゃなくって、本当にその値段?」
「他の所よりは安いつもりですが」
「いやあのそうじゃなくって、本当にそれだけ?」
中年のお兄さんは何かを思い出した様だ。
「嗚呼、良く御気付きで。経費として千円御預かり致します。勿論、残金は御返し致しますので」
いやあのそうじゃなくって、
「何か問題でも?」
「いえっ滅相もございませんっ」
何だろう? 口調は変わらないのに、ただならぬ圧力を感じた。
「佐藤さんの死が報道された際、私がそちらへ御伺い致します。そうですね…十日後位でしょう。御支払いはその時に」
「分かりました」
私は財布から千円札を出した。
「では、御預かり致します。十日後を御待ち下さい」 それから私は中年のお兄さんに玄関まで見送られた。
「それじゃ、よろしくお願いします。えっと…」
そういえば、相手の名前を知らない。
「えぇっと…誰さん?」
中年のお兄さんは柔らかに微笑した。
「名など、有っても邪魔ですから。呼ばれたくない相手に名を呼ばれるのは、貴方も不快を感じるでしょう?例えば、佐藤さんに美千子ちゃんと呼ばれる様に」
扉が静かに閉まり、住人は微笑んだまま姿を消した。
次の日、佐藤は会社に来なかった。取り巻き達は目に見えてうろたえている。
耳に入った情報を組み立てると、実家の母親が危篤で会社を辞めて帰省した、という事らしい。一方的に事情を説明するメールを取り巻きに送りつけた後は何の連絡も取れないそうだ。
個人に依存するからこうなる。いい気味だ。
─────でも。
あの人は失敗した。佐藤がこんな急に帰郷するなんて思わなかっただろう。
…運の良い奴。悔しい事に。
でも、あいつがいないなら我慢出来る。統率者が居なくなったのだから。
これで私も独りじゃなくなる。
翌日の昼休み。
佐藤が消えても昼食に誘ってくれる人はなく、私はいつも通り独りで弁当を食べていた。
「東城さん」
あぁ、やっと。
待ちに待ったランチのお誘い!
待ちに待った孤独からの解放!!
自分に出来る最上の笑顔で振り向いた。
「共食いして、良心が痛まない?」
最上の笑顔が凍り付く。
声を掛けてきた女は仲間の元へ、満足げに戻って行った。
自分が危うい所で必死に保っていた何かが静かに崩れた。
生姜焼きの上に後から後から涙がこぼれる。
私が一体何をしたって言うんだろう。
再び、いつもの生活が始まった。いつも通り会社に行き、いつも通り嫌な思いをして、いつも通り自棄食いする。
会社を辞めたい。この悪循環を断ち切りたい。
それでも辞めないのは新しい仕事を見つける自信が無いからだ。親はもうこの世には居ない。頼れる様な親戚も居ない。独りで生きていかなきゃいけない。
───もう、死んでしまおうか。
ふと頭をよぎったその考えは甘美に心に染み渡った。否定する理由は私に無かった。
何で今までそうしてなかったんだろう。
今まで何を頑張ってたんだろう。
そうだ。自殺しよう。
そう決めたら、すぅっと心が軽くなった。
生きる気力が出てきた。
死ぬ為に。
真夜中、私は会社の屋上に上がった。
フェンスを乗り越え、靴を綺麗に揃え、全て──会社での嫌がらせ、親戚への謝罪、何でも屋を雇った事──を書いた遺書の端をそっと靴に踏ませる。
空を仰ぐと綺麗な満月。
綺麗な物の下で死ねる自分を幸せだと慰めてみた。
私は大きく深呼吸して空に足を踏み出す。
「東城さん」
誰? 私の幸せを邪魔するのは。
「困りますね。其の様な物を遺されては」
ゆっくり振り向くと、中年のお兄さんが優美な動きでフェンスを乗り越えていた。動作の美しさに思わず見惚れる。
中年のお兄さんは遺書を取り上げた。
「其れに、まだ料金を戴いて居りません」
遺書を広げて中に目を通す。
「全く。困った方ですね。こんな事を書かれては私の存在が世に知られてしまうではありませんか。宣伝など、無用です」
ため息をつきながら文面を指ですっとなぞり、畳んだ遺書を私に手渡した。
広げると、何でも屋に関する情報が完全に消えていた。それでいて、文章に不自然な所は無い。
「御自分で命を断たれる前に、貴女にはなさるべき事が御有りでは御座いませんか?」
中年のお兄さんはいつの間にか持っていたラジオのスイッチを入れた。
「只今入ったニュースをお伝えします。東京湾で身元不明の若い女性の遺体が発見されました。足首に石の付いたロープが結ばれており、警察は殺人事件として捜査を進める方針です」
そこでスイッチは切られた。
「佐藤さんです」
今日は……
「…十日目」
日付を思い出した。中年のお兄さんに会ってからちょうど、十日目。何でも屋は有能だった。
でも……
「でも、佐藤は実家に帰ったんじゃあ?」
「帰省前に御亡くなりです」
「佐藤のお母さんは?」
中年のお兄さんはちょっと肩を竦めた。
「さぁ? 私は母君を危篤にしただけですから。快復なさっているかもしれませんし、御亡くなりかもしれません」
なんでそんな事。
「私は佐藤真穂の事しか頼んでないっ…」
「しかし、佐藤さん以外の方に手を出すなとも、契約内容に御座いません」
「でもなんで!!」
「私の主義に従った迄です」
中年のお兄さんはにっこりと言った。
「面倒な事は極力避けると言う」
「佐藤のお母さん危篤にする方がよっぽど面倒じゃないっ」
「では、」
私の意見に質問形式の回答がなされる。
「少しの手間、其れも自分には造作も無い事をせず、群がってくる煩い小蝿共を掃う手間を生み出すか、其れを回避するか。貴方ならどちらを選択なさいますか?」
もちろん、私なら回避を選ぶ。
でもこの場合の回避とは佐藤のお母さんを危篤にする事。それをしてなんになるのか。
「疑問符に満ちた御顔をしていらっしゃいますね」
中年のお兄さんは微苦笑を浮かべる。
「其の疑問、解決して差し上げましょう」
トゥルルル トゥルルル トゥルルガチャッ
「はい、佐藤です」
「真穂か? 俺だ」
「お父さん? 珍しいね、あたしに電話なんて。いつもお母さんなのに」
「その母さんなんだが…」
「なにかあったの?」
「…スーパーで倒れた」
「倒れた!? それで容態は?」
「それが、かなり危険な状態だと…。手は尽くしますが、覚悟はしておいて下さいと言われた。とにかく、早く帰ってこい」
「うん、わかった。お父さん達駆け落ちだからお墓の話もしなきゃいけないしね」
「縁起でも無いこと言うな! なんだお前は。母さんに死んで欲しいのかっ!?」
「そんな訳無いでしょ!! でも親が子供より先に死ぬのは当然の事じゃない」
「お前なんだその言い草は。父さんはお前をそんな風に育てた覚えはないぞ」
「そんな風って何よ!? 当たり前の事を言って何が悪いの」
「お前はもっとデリカシーというものを考えろっ親をなんだと思ってるんだ!」
「もういいわよ。デリカシーの無い娘は遠くでお母さんの長寿を祈っとくからっ」
「あっおいっ真穂っ」
ガチャン
「この後佐藤さんは旅支度をし、会社に辞職する旨を連絡されました」
中年のお兄さんはテープレコーダーの電源を切った。
「そして、」
「あなたに殺された…」
「其の通りです」
でも、
「このやり取りに何の意味が?」
中年のお兄さんは片眉を少し持ち上げた。
「此所まで説明して差し上げてもまだ御理解戴けませんか」
口調は相変わらず穏やかだが、どことなく馬鹿にされている気がする。
「佐藤さんの行動が不明になります。何をしようが、誰に会おうが、何をされようが。知る事が出来るのは佐藤さん本人、私、其れから貴方、依頼者です。其れに、遺体が適度な状態に成るのにも時間が必要ですし」
中年のお兄さんは柔らかに微笑み、一枚の写真を取り出した。
女の、ブヨブヨの、蒼白い、水死体。
「貴方の望んでいた物でしょう?」
違う。
違う、違う、違う。
違う違う違う違う違う違う違うっ
私の望みは佐藤が目の前から居なくなる事、
───ホントウニ?
友達がいる普通の生活、
───アレガイナクテモカワラナイネ?
私はきれいな人間、
───ホンキデオモッテルノ?
こんな汚いものを見せないでっ
───ジブンヲチョクシシタクナイカラ?
「さて、」
中年のお兄さんは、尻餅をついたわたしの腕を引っ張って立ち上がらせた。
「少し、御喋りが過ぎましたね。手持ちの御金が無い様でしたら、東城さんの御宅へ参りましょう。御亡くなりになるのは其れからにして下さると、大変助かります」
私はのろのろと頷いて、フェンスに手を掛けた。
「其方より此方の方が、楽、且つ、速いですよ」
見ると、下を指差している。明らかに屋上の範囲外。
この人……私の家を何だと思ってるんだろう?
中年のお兄さんは困惑している私の手を取り、屋上の縁まで導いた。さすが、五階建て。ここから落ちたらきっと死ぬ。その時はきっとグチャグチャだ。
「大丈夫です、死にはしません。痛みも無い筈です」
飛び降りようとしていたのが不思議だ。何でこんな怖い事しようとしてたんだろう。ついさっきまで、あんなに飛び降りたくて仕方なかったのに。空に踏み出す一歩がひどく重い。
固まってしまった私を見て、中年のお兄さんは小さなため息を吐いた。
「大丈夫と言って居りますのに…。其れほど迄に私を信頼出来ませんか?」
「でもこれ絶対死ぬっ…」
「私、此れでも結構忙しいのですよ」
中年のお兄さんはトンッと軽く私の背中を押した。
足の裏から、確かな固い感触が消える。
「ぎゃああああああ」
無理無理無理これ死ぬってッ
「ああああああああ」
すごいスピード乗ってるしッ
「ああああああああ」
死ぬッ!!
私はドスンと、お尻から落ちた。
「到着致しました」
後ろからの声に振り返ると中年のお兄さんがこっちを見下ろしている。
今のは一体……?
地面にぶつかったはずなのに、グチャグチャなはずなのに、確かに落下したのに、
「何でここに?」
マンションの七階、私の部屋の前。
「料金を戴きに参りました」
何事も無かったかのようにそう言い、其れから私に手を差し出す。
「申し訳ございません。想定外の重量で目算が狂いました。御怪我は御座いませんか?」
「あ…いえ、無いです」
私は中年のお兄さんの手を借りて立ち上がった。相手が少しよろけたのは、多分気のせい。
「五万円に成ります。其れから、此れ。お預かりした千円の残りです」
中年のお兄さんは封筒を取りだし、レシートと残金を確認させて私に手渡す。
「ちょっと待ってて下さい」
私は家に入り、引き出しの財布から五万円を抜いて玄関に走った。
「お世話になりました」
この人は、私の頼んだ事を完全にこなしてくれた。結果がどうであれ、私の為にしてくれたのだ。この人に非はない。その上、自殺を思い留まらさせてくれさえした。
「此れが、私の仕事ですから」
中年のお兄さんは五万円を受け取った。
「領収書は如何致しますか?」
「要りません」
中年のお兄さんは内ポケットにお金をしまい、一歩下がる。
「其れでは又、機会が御座いましたら」
そう言って完璧なお辞儀をすると、踵を返して歩き出した。
……行っちゃう。なんだか不気味で不思議、でも唯一私に親切な人。
この人を逃したら次は無い。
「あの、」
肉付きが良すぎて水死体の様にぶよぶよになった女に声を掛けられて黒スーツの男は立ち止まり、それから振り返った。
「未だ何か御用が御有りですか?」
男の口許には小さな笑みが浮かんでいる。
「何でも屋なんでしょう?何でも売ってるんでしょう?」
「勿論。貴方も御存知の通りです。盗み、慈善事業、殺し、平和活動。宝石、動物、国、心。何でも致しますし、何でも売りますよ、有料で」
女はしばらくためらった後、言った。
「私、あなたを買います」
男は笑みを絶やさない。笑みの質も変わらない。
「貴方に其れだけの金額を用意する能力が御有りで?」
女はがくりと膝を突いた。ゆさゆさ贅肉が揺れる。
「どうしろって言うの…!?」
膨れた手で顔を覆って泣き出した。どこか遠くで犬が激しく吠えている。
「誰か友達になってくれたっていいじゃない…悪いことなんてしてないのに…何でみんな私の事嫌うの…?」
「御友人なら、販売致して居りますよ」
女は涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げた。
「本当っ?」
「勿論。相応の代金は戴きますが」
男は女の必死な顔を覗き込む様にして微笑む。
「必ずや、貴方に相応しい御友人を提供致しましょう」
「早くっお金ならあるから! 早く連れて来てよ!!」
男は、女にすがり付かれてよろけた体を壁で支えた。
「御注文は、如何程?」
「百万円で買えるだけっ」
「承りました。只今御用意致しますので、御離し戴けますか?」
言われて女は男から離れた。
「では、少々御待ち下さい」
男はマンションの手すりを背面飛びで飛び越え、
「きれいなフォーム…。ってここ七階!」
女は慌てて手すりに駆け寄り、下を見た。予想した物は無い。
「御待たせ致しました」
背後からの声。
振り返ったそこには、大きな豚を二頭連れた男がいた。
「御注文の品を御持ちしました」
唖然とする女に、豚の繋がったリードを持たせる。
「何よこれ…?」
「御注文の『友達』です」
「馬鹿にしないでよッ!!」
女はリードを男に投げ付けた。
「あなた私を何だと思ってるの!? 豚!? どうせ私はデブよ!! でもこれでも人間なのッ!!」
「同じ哺乳類じゃありませんか。貴殿方がその様に分類したのでしょう? その傲慢に何時か足元を掬われる事を私は楽しみにしていますよ」
男は心底楽し気な笑みを浮かべる。
「其れはさておき。料金ですが、」
「こんなの渡されて払うわけ無いでしょ!!」
「貴方は契約なさいました。そして、真名をも明かしておられます」
薄く笑って言った。
「東城美千子さん、料金の百万円を御支払い下さい」
途端、女は無表情になる。そのままぎこちない動きで玄関の鍵を開け、部屋へと入って行った。
しばらくして出てきた時、その手には封筒が握られていた。それを男に手渡す。
「空ですね」
中を確認して男は言った。
「どういう事です?」
「使っちゃった…」
女は糸が切れたようにへたり込む。
「死ぬ前に美味しい物たくさん食べようと思って、全部、使っちゃった」
「では何時か、百万円分の手伝いをして戴きます」
「何で私が! 絶対にそんな事しないからっ」
「豚を嫌うのは貴方の自由ですが、」
男はクスッと笑った。
「とても良くお似合いですよ? そうやって並んでいらっしゃると三匹の子豚…失礼、養豚の様です」
女は傍にあった消火器を掴み、男に殴りかかった。
「!?」
消火器は男に当たったと見えた刹那、消滅。
「御久し振りの御友人方と、御幸せに」
男はそう言い残し、夜の闇へ姿を消した。
『何でも屋』をお読み頂きありがとうございました。この話の本当の主人公である何でも屋さんは、怪しさに満ちた生き物です。正体は謎です。性別もあるのか分かりません。産みの親が分からなくてどうするんだ、と言われると痛い物がありますが…。怪しい奴を書きたかったと言う事で、何とぞご勘弁を。感想、評価など頂けると嬉しいです。甘口辛口大歓迎です!最後になりますが、もし東城美千子さんや佐藤真穂さん、保坂商事さんと言う会社や人がいらっしゃいましたら、ごめんなさい。言うまでも無いとは思いますが、全く無関係です。