第2講 朝日、そして
小鳥の鳴き声が聞こえるいつも通りの朝。寝ぼけ眼を擦りつつ歯を磨き、家族で朝食を食べる。平和な朝。大学の授業を受けてからアルバイトしたり、友達と買い物をしたり、家の手伝いをしたり。
ごく平凡で恵まれた日常。ありふれていて特別な日常。それが私の人生だった。
しかし、何故かわからない。ここに来る直前の記憶がない。何をしていたのか思い出せない。辛うじて覚えているのは大きな病院の屋上の景色だけ。その景色に何か特別な思い入れでもあるのだろうか。それすら思い出せない。
ああ、でも待って。少しだけ思い出した気がする。確かその屋上で聞かれたんだ。いや、正確に言うのなら『問われた』と言うのが正しいのか。「何を」とまでは思い出せないけど、そう、とても大事な……
まるで何かが破裂したかのような衝撃音が鳴り響く。驚いて飛び起きてみれば見慣れない緑色が視界一面に広がっていた。
一瞬何が起きたのか本気で分からなかったが、そういえば昨晩謎のストリートエンターテイナー(?)に助けられてテントで寝たんだった。
この緑色はテントの色か……。夜だったからわからなかった……
じゃあ、今の音は何か芸の練習でもして失敗したんだろうか。
そう思って身体を思いきり伸ばすためにテントから出てみると、そこには昨晩の異形の怪物たちが大量に倒れ伏していた。
開いた口が塞がらない……
「き、貴様……。まさかあの同族……」
再び衝撃音。それと同時に他の異形よりちょっとだけ個性的な怪物の頭が砕け散った。それを砕いたのは他でもない例のエンターテイナーだ。彼はその体の半分はあろうかという巨大な機械を腕から取り外し、地面に投げ捨てる。
無表情の顔を私に向け、それからニッコリと笑顔になって、
「ごめんなさい。起こしてしまいましたね」
まず謝った。
実感のない光景だった。血を流すことなく倒れる異形はそれはそれはチープで、出来の悪い石像のようにも見えた。
昨日私を襲った異形があたりに散らばっているだけでも恐ろしい光景だと思う。けど、それ以上に、この異形だったものの中心に立つ彼に対し意識を向けざるを得ない。
だって辺りには他に何もない。視界を埋め尽くすだけの異形が転がっている。二十や三十どころではない。
怪我一つなくこんなことを成し遂げるなど、私の想像の範疇を超えていて現実味がない。
そんな時、転がった異形が鈍く光り始める。
「何!?」
思わずそう口にする私を見て、何か納得した様子の少年は優しい口調で説明してくれた。
「彼らは破壊されると核を凝縮するんです。そして紅い石に変化します。僕たちはこの紅い石を様々なものに利用しているんですよ」
光が小さくなっていく。最後、その中心に在ったのは人の小指程度の大きさをした紅い石だった。
「今朝から驚かせてしまってすみません。今日は国の中心部に移動しながら、可能な限り疑問にお答えしましょう」
そう言った彼からは先ほどまでの圧は見る影も無く、昨日助けてくれた時のような物腰の柔らかい少年へと変わっていた。
――――――――
何はともあれ、昨日見つけた少しの缶詰と彼が所持していた簡単なインスタント食品を朝食として平らげる。彼の種族(というか国?)は食事に繊細らしく、その国で生産されたインスタントやパック食品は保存力が優れ、味も落ちにくく、長旅などでも必須であると言われているとのこと。
聞いているとどうやら、この世界は国同士の協力体制はかなり強く、陸が続く限りならどの国にどの人種がいても不思議はないそうだ。
海を越えた先にも幾つか大陸が存在し、人が生活を営んでいることも聞いた。当然、国や大陸同士で考え方も違っていたりするが、何よりも優先すべき問題があることはどこも理解しているようだ。その“問題”こそがあの異形である。
「あれは“グレイド”と呼ばれています。その体格はおよそ成人男性と同等。体表面は硬く、基本は常に3体ほどで行動します。理由はわかりませんが、人を襲って食べます。熟練した戦士であれば特殊な装備が無くても2体程度ならなんとかできる程度ですね」
特殊な装備って……さっきの大きな機械のようなものだろうか。今はとにかく貪欲に知識を得なければ。
話を聞いて理解できた範囲でまとめておかないとならないと感じて、これ以上は流石にちょっと止めてもらった。一度に詰め込んでもいいことないし。
あと、一つ自分のことで分かったことがある。それは思っていたよりも自分が図太く順応性が高いことだ。こんな状況で慣れろだなんて実際難しいはずなんだけど、今はそんな意外な自分に感謝しておこう。
「今日はこの世界の話は一旦ここまでにしておきましょう。続きはまた明日ですね」
そろそろここを発ちましょうか、と彼は手の平をすうっと縦に空で動かす。すると突然、どこからともなく男性の声が聞こえてきた。
「おはよう。昨晩連絡がなかったから、来ると思っていたよ」
「おはようございます。昨晩は民間人を保護していました。その件のことでお話がありまして」
通話のようだが、携帯電話の類は持っていないように見える。一体どのようにして声が聞こえているのか。
「そこにいる女性がそうだね。落ち着いているようだし、状況を説明しようか」
声は明らかにこちらを認識している様子。どこから見ているのかも分からない。私は声の発生源の方向をどうにか絞ろうとあらゆる方向に耳を傾ける。
「ここですよ」
エンターテイナーが手の平を上に向けると、半透明なホログラムが出現した。そしてそこには一人の男性が映っていた。
スーツに身を包み、とても落ち着いた雰囲気を見せる特徴的な赤い目をした成人男性。
「私の名前はブレッド・アリステイル。身分はとりあえず偉い人だと考えてくれれば構いません。今貴女は彼に保護されたことはお聞きしましたが、どうやら込み入った事情がおありのようですね。私も初めてのことではありますが、帰る場所も聞いたことがない地名でしたし、彼の提案通りまずは五大国の中心部、“オリジン”の街へいらっしゃってみては如何でしょう。ここなら一般人に開放されている図書館もありますし、お話次第で様々な特別措置も考えられます。もちろん他に目的地があるのでしたらそこまで彼を護衛につけましょう。並大抵のことでは彼に膝をつかせることは考えられませんし、何よりも一人になりません」
選択権はあくまでこちらにあることを認識させつつも、メリットを提示してくる辺り、どちらかと言えばその街に来てほしいと言った意図も感じさせてくる。
一体何故だろうか。私自身が彼らのメリットになり得る何らかの素質があるとは思えないのだが。
「手を出してください」
唐突にそう言われる。ふむ。何かくれるのだろうか、などとぼんやりと考えながら言われるがまま手の平を差し出す。
その上に転がされたのは先ほど見たばかりの小指ほどの紅い石だった。
「道中使い方をお教えしますよ。どこへ行くでも目的地まで護衛せよとのお達しですからね」
お言葉に甘えざるを得ないが、多分保護や情報収集の面から見ても件の“オリジン”に向かうのが無難か。大国の中心ってくらいだし都会だろう。
まあそれは置いておいて、それも大事だけどもう一つ大事なことがある。
「私は藤嶋彩。あなたの名前を聞かせてもらえる?」
この言葉に対して少年は少しだけ間をおいて、
「……桐無セツハです。よろしくお願いします」
微笑んでから丁寧にそう答えた。
キャラクター解説 其の一
桐無セツハ
本作のヒーロー
現代で言う旅芸人のようなことをしつつ旅費を稼ぎながら旅をしていた
旅の目的を果たし中心都市であるオリジンに帰る途中で彩に軍用レーダーが反応し駆けつける
ちなみに軍から旅費は出ているので彼が自分で旅費を稼ぐ必要はない
見た目が中性的なのを利用してわざと勘違いされやすい恰好を選んでいる