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明日から厨房で働くことが決まった。けれど、昼食としてお弁当を持って行かせることを考えると、朝食後には渡せるようにしておかなくてはいけないのだろう。
…つまり?早起きが必要ってことだ。
今は何時頃なのだろうか?不思議に思ってジオールさんに聞いてみる。
「今は…ああ、もうこんな時間か」
「?」
こんな時間、と言うほど遅いのだろうか。窓からはまだ明るい光が差しているのに。不思議に思っている私にマリアさんが説明してくれる。リレントはーー四季の代わりにーー朝期・昼期・夕期・夜期と言う4つの時期があり、朝期と夕期がだいたい60日ずつくらい、昼期と夜期がだいたい180日ずつの480日で1年。今は昼期なので、お昼のような明るさがずっと続くそうだ。
ベッドの天蓋はそのお昼のような明るさを防ぐ魔法がかかっているので、寝る時は必ず下ろすように、と言われた。なるほど、と頷いておく。だが、それなら一体どうやって時間を知るのか、と聞いてみれば、腕時計らしきものを手渡された。地球のものに比べると数字が少なくて10まで。今はだいたい2のあたりを示していた。
「一日は40時間。今はもう終の2時になっているから、もう仕事は終わりにしないとな」
「終の?」
「始の10時間、続の20時間、終の10時間で一日。基本的に働くのは続の時間内だけだ。俺たち料理人はその限りじゃないけどな」
にっと明るく笑うジオールさんは私の手から見せてくれた時計を手首に戻した。素敵な時計ですね、と話を振れば、10時間区切りで文字盤の色が変わる高級腕時計だと返された。
マリアさんが後で教師を手配しておきます、と私に言う。お願いしますと頭を下げて本当にありがたいなぁとただ感謝の念を抱く。同時に、手間をかけて申し訳ないとも思うのだが、無表情のままマリアさんはお気になさらず、とだけ告げた。
明日は何時にくればいいのか、と言う問いかけにはマリアさんが私がお呼びいたしますのでご心配なく、と静かに頭をさげる。わかりました、と素直に頷いた。
区切りのついたところで、厨房から食堂に戻ると禍々しい気を発しているせっちゃんがいた。恐ろしい。他の魔族たちも遠巻きにしか見ていないし、遠巻きにしてるにも関わらず怯えたようにふるふるしている。どっちにも近寄りたくない。
が、せっちゃんの方は私に気がついた瞬間、パアアアァァッと禍々しい気を消した。なにそれおもちゃか。って言うかなんども言うけどせっちゃんワイルド系イケメンなんだよ。私の中ではもっとクールに冷たくあってほしい。いや想像とイメージの押し付けだから別にそうする必要はないんだけどね。
「せっちゃん、待っててくれてありがとうございます」
「気にするな」
ニコニコと笑うその顔にひくりと頬を引きつらせてから、彼の目の前へと歩み寄る。初対面の相手にこんなに執着されたことないから恐怖しか感じなくて、いっそのこと笑える。
すっくと立ち上がった美丈夫が私に手を差し出す。…ふと思ったんだけど、私が初めての友達ってなると、私が友達の距離感を教えなくちゃいけないってこと?マストではないかもしれないけど、でも、最初の経験が基準になるのは事実だし…え、マジで?
助けを求めようとマリアさんの方へ視線を向け…られない、だと…?!せっちゃんの大きな掌が私の視界を遮り、そのまま彼自身へと誘導する。なんどやっても同じことになっているので、これは諦めるしかないだろう。はあ、とため息をひとつ、へらりと力のない笑みを浮かべてその手を取った。
「とりあえず…部屋に戻りましょうか」
軽く手を引けば、嬉しそうに目を細めて、ああ、と頷くせっちゃん。頭を動かすとツノが重そうだ、と思ったままを口にする。パチリ、と瞬いたせっちゃんが気がついたように、ツノに触る。
「え…えっ?」
「これなら、気にならないだろう?」
「や、気になるって言うか重そうだったって言うか」
頑張ってつけていたエセ敬語すら飛び去っていくような衝撃。大きな3本のツノは、小さくなって、可愛らしくポコポコと隆起するだけになっていた。え、ツノって小さくなるものなの?私の理解ができないこの状況に、マリアさんがはあ、と大きくため息をついたのが聞こえた。こわい。なに、怒られるの?ビクビクと肩を震わせてマリアさんを振り返る。
目が合った瞬間、彼女がなんとも言い難い表情をした。え、なになに、私は一体何をしたの。三十路になって久しいが、心細さからかジワリと目頭が熱くなった、が、こんなところで泣くような精神はしていないはずだとぎゅっと目をつぶってから、パッと開く。
「行きましょう」
マリアさんの促す声に頷いて、今度はせっちゃんに腕を引かれるようにして3階へと向かう。そのまませっちゃんの部屋に連れてこられて、先ほど座った座り心地の良いソファーに案内された。食事を用意しようというせっちゃんにマリアさんが頷いて、そのまま部屋を出て行った。
せっちゃんがまじまじと私の顔を見つめる。その顔に、私は勇気を振り絞って聞くことにした。
「あの、私、何か失礼なことをしましたか…?」
「どうしてそう思う?」
「…そう、感じたと言いますか」
眉を下げてーー多分非常に情けない顔になっているだろうが、気にしている余裕はないーー視線を泳がせる。マリアさんのことを出すのは、悪口みたいで憚られるのだ。ただ、自分でどうにかできることならば、すぐには無理かもしれないが、直せるよう努力するから、と思ってしまうのも事実で。軽く唇を噛んだまま俯く。
近寄って、隣に座ったせっちゃんが、ぐい、と私の顔を上げさせる。じっと見つめられるその金色の瞳に吸い込まれそうな感覚。
「大丈夫だ。マリアがため息をつくのは私の行動に対するものでしかない」
別にマリアさんとは言ってない。言ってないんだから!と心のどこかで言い訳をして、金色の中に写る情けない顔の自分を見る…随分と幼く見える。これは、今まで見てこなかった鏡を見るべきかもしれないぞ。
大丈夫、と言われたところで気休めにしかならないのは、本質がマリアさんに嫌われたくないという私の気持ちであることと、嫌われてもおかしくないのだと自覚しているからだろう。だって、突然自分の主人がわけのわからない存在を連れてきて、友達になりたいとか言い始めるんだよ?簡単になんて受け入れられないに決まってるじゃないか。
だから、そういう難しいことには蓋をして、私はへらり、と笑った。
「せっちゃん、鏡ありませんか?」
文字盤の色が変わる高級腕時計




