3−09
少しばかり取り乱してしまった。あの白い空間から出たとき以来ではないだろうか。はずかしい、と片手で顔を覆うが、彼らにはそんなこと無意味らしい。心配そうに周りをウロウロされていっそのこと笑える。が、ナディアがピシャリとーー言葉遣いはとても丁寧で、言い方も柔らかかったが、副音声が聞こえてきそうな雰囲気でーー言いきかせたために、彼らは動きを止めた。
しばらくナディアに慰めてもらってから、この部屋で帰ることが決まったのだということにしようと決めた。これ以上外に出るのも面倒だし、そうしよう。うん、それがいい。
「クレインス様、お願いがあります」
「はい、なんでしょうか?」
「私は、砦に帰りたいです。この間城下に出たり、城内で他の貴族の方と会うと体調が悪くなるので、もうこれ以上この城にいたくないです」
「それほどまでに、ですか?」
「だから、典医様の仕度が整い次第、ここから帰りますが、その間一切部屋から出ません」
「…そうですか」
言いながらやっと心得たというような顔をしたクレインス様に、最初の発言は唐突すぎたか、と反省する。が、それ以上のうまいやり方が見当たらないので、クレインス様になれてもらおう。
「こちらには残っていただけないのですね」
少しだけ眉を下げて、悲しそうに言われる。それだけなのだけれど、ひどく悲しそうに、寂しそうに見えるのは美人だからだろう。本当に綺麗な人だ。憂いを帯びた表情が一枚の絵画として成り立っていてもおかしくはない。毛先一つ一つまで、指先の角度でさえも整えられたように一つの美を作り上げているのだから、どれだけ規格外の美人なのかがわかるだろうか。女の人だったら絶対傾国の美女になってた。今も正直傾国の美人だとは思う。男でも女でも、彼の美しさに貢いでいる相手は絶対にいる。
クレインス様自身、自分の美貌を武器にしているはずだし、私との関わりで有利になるためなら、容赦無くその武器を使ってくるだろうということは想像に難くない。だから、と言い訳をしてこちらもずるいことをすることに決めた。
「ごめんなさい。でも、たまには会いにきてくれますか?クレイ様」
申し訳ない気持ちを入れながらも甘えを滲ませて笑う。媚びるのと、甘えるのは苦手だが、できないわけではない。必要ならば行動するのは人生を痛みなく生き抜く上で重要な手段だ。
目を見開いたクレインス様はすぐにとろけたような笑みを浮かべて、私の手を取った。特別な愛称なのかはわからないが、何度かそう呼んでくれと言われているのだから、呼んで欲しいのだろう。流石にそれくらいは読み取れる。何回か拒否したけど、むしろ拒否したからこそ、今回の呼び方には意味があるというもので。
まあ特に何があったわけでもないところで突然呼んだので、彼には媚びられてるという自覚が生まれる。私に取って彼は切り捨てる必要がなく、むしろ仲間に引き入れておきたいのだと伝わるはずだ。そうすれば、これから暫くは私がこちらにいなくても切り捨てられることはないので、貴族の皆様へと目を配ってくれるだろう。
「もちろんです。それなら、そうですね、此方でできなかったデートもそちらに私がお邪魔したときにでも」
慌てたような勢いのいいことばを聞きとめて、面倒だな、とは思うものの、それくらいは私だってするべきだろう。愛想をつかされてしまって困るのは私なのだから、引き止める努力はするべきだ。
はい、と目を細めてその手をぎゅっと握って見上げる。それにしても此方の人たちは非常に背が高い。もう少し小さくても問題はないんじゃないか、と思うのだけれど。いや、種族的に魔族と獣人が大きいだけか。
飛んでいきそうな思考回路を引っ張り寄せて、高い位置にある顔をじっと見つめる。本当に整っているな、としみじみ自分自身との釣り合わなさを覚えながらも、ここは譲れないところだと思い直す。彼の力が必要なのだ。権力を使う部分もあるだろうが、クレイ様が貧乳教であるからこそ、私が素直に頼ることができる相手でもある。
「楽しみにしてます。それから、お部屋に篭っている間、時間が空いてしまうのですが」
「本をお貸ししますよ。時間が空けばお邪魔させていただいても?」
「はい。お待ちしておりますね」
暇が潰せるなら大歓迎だ、とキラキラした目を向けておく。虚を衝かれたようなクレイ様だったが、すぐにゆったりと微笑む。憂いを帯びたような表情と仕草も様になっていたが、微笑んだ表情はそれはそれで絵になる。慈愛に満ちた笑みでもないのに、宗教画として教会に飾ってあってもおかしくないくらいの神々しさを感じさせる。余談だが、私にとって、初老の紳士はどちらかというと慈愛の印象が強い。
ほぅ、と思わずため息をついてしまうほどに綺麗なクレイ様は私が握っている手と反対の手のひらを私の頬に当てた。するり、と柔らかな動きで押し当てるように撫でてくるその動きに逆らうことなく、目を細める。ジワリ、と当てられている部分から小さく熱が伝わってくる。じわりじわりと私の体に入り込んでくるその熱量は、魔力だ。魔力交換は確かにせっちゃんとヴィクトール様ともしている。婚約者ならしても咎められることはないだろう。
そう判断して、ぎゅっと握っていた手を口元へ持ってくる。その指先にちゅ、と小さく口付けて、魔力を送る。爪がまるで水を載せているように磨かれていて、伸びすぎないよう削られて整えられているのを見て、美しさのためにも手を尽くしているのだな、と目を細めた。美貌は、やはり、彼にとっての武器の一つだ。
不自然にならないようにそっと離れて、では戻りますね、とナディアを見た。心得たと頷いたナディアは、私に手を差し出してくれたのだが、私と彼女の間に入ったのは、グラジリオスさん。瞳にはどことなく強い光と意志が見え隠れしていて、それでも、私にそれを正確に読み取るすべはない。と、なれば想像するしかないのだが、私の貧困な想像力では、答えはこれしか見当たらない。
「部屋まで連れて行ってくれますか、グラジリオスさん」
「そのような言葉は不要です」
「…部屋まで連れて行って?」
「かしこまりました、失礼いたします」
「ありがとう」
契約しようぜ、お前権力担当な!




