3−08
グラジリオスさんに抱き上げられたままクレインス様の執務室に入った。途端に、ガッタンバッタンと想像だにしない音が響いて、悲鳴混じりのクレインス様の声が響く。
「雪白、どうしましたか」
「…お伺いしたいことがあったのですが、少し体調が悪くなってしまいまして」
グラジリオスさんに降ろしてくれるように視線を向けるが、ふるふると首を左右に振られるだけで終わる。いや、私が健康体だって知ってるでしょうに。そうは思うものの、この場には文官さんだろう人がたくさんいるために下手なことは言えない。命令ってわけにもいかないしなぁ…せっちゃんからの預かりものってことになってるから、私の命令はおかしいことになる。命令系統が混乱すると言ってもいい。せっちゃんの権力を私が恣に利用していると取られるだろうし、事実そうなってしまう。
だから、私ができるのはグラジリオスさんへお願いすることだけだ。
「グラジリオスさん、降ろしてくださいませ。婚約者様の前で他の殿方の腕の中にいるというのは、失礼ですから」
「…全ての危機から守るよう、それが、セヴィア様からの命令です」
「クレインス様は危機ではありませんよ?」
「そうは思えません」
なんでこう面倒なことになったんだろうね?助けて欲しくてナディアを見る。ナディアは今にもため息をつきたそうな顔で私たちを伺っていた様で、私の視線を受けてすぐに、こちらへと手を伸ばした。ぴとり、と私の額にひんやりとした手を当ててから、冷静沈着な声を発する。
「雪白様の顔色が良くありません、どこか休める場所を貸していただけますか」
「ああ、私の部屋がここから近い。ついてこい」
上のものとしての口調だろうか。部屋から出る前に部下たちに仕事を任せる姿は仕事のできる人と言った風情でとても格好良かった。思わずきゅん、としたけれどすぐにこの人貧乳教なんだよな、って思いなおした。執務室から出て数分の部屋がクレインス様の私室らしい。
落ち着いた色合いでクラシックにまとめられていて、過ごしやすそうな部屋だ。センスは悪くないのだろう、と判断できる。二人がけのソファーが2つあるのだが、どうしてかグラジリオスさんが離してくれないので未だに抱っこされたままだ。色々と突っ込みたい。今まで絶対に私に歩み寄らないと言いたげな態度だったのに、なぜこちらに好意的な目線を向けているのか。
…若干の嫌な予感がするのだけれど、いやきっと気のせいだ。そうやってフラグを立ててしまったら回収してしまう。今はとにかく降ろしてもらうことを優先しよう。
「グラジリオスさん、降ろしてください」
「そのような口調は不要です」
「…降ろして?」
お願いするような口調のまま、首を傾げて告げる。敬語が不要、ということはこういうことであっているのだろうか。そう思った私に、それでもグラジリオスさんは私を降ろしてはくれそうにない。もふもふな虎さんを堪能しろという思し召しだろうか、とさえ考え始めてしまいそうだ。
助けてくれそうなナディアはすでに呆れたような視線を向けてくるだけだし、クレインス様はどことなく苛立った様子で無表情にどかりと見た目からは想像できない乱暴さを見せて座っている。そんなキャラだっただろうか、と考えるが、私の中で乱暴そうな動きをするのはヴィクトール様のイメージだが、それは確かに想像でしかないのだと思い至る。
クレインス様はこういう人なのかもしれない、詳しく知らないうちに婚約者になってしまっているが、本来ならもっと対話をしてわかり合う努力をするべきなのだろうな、と痛感する。色々な意味で対話は重要だ。別に世界平和がどうのと大きなことを言うつもりは全くないが、身近な相手に対してくらいはそれくらいの労力は割いてもバチは当たるまい。
「彼女を降ろせ」
「断る」
「えっ」
クレインス様の命令に、グラジリオスさんはあっさりと拒否を示す。待って。待って。確かに次期魔王様は偉いかもしれないけど、それは丞相様に勝てるレベルなの?よくて同じくらいじゃないの?そうなるとクレインス様の命令を拒否するのは色々とまずいと思うんだ。
そもそも、私にも降ろしてくれって言われてるんだから降ろしたっていいじゃないか!と思っているのだが、やっぱり、と言いたげに米神に指を当ててため息をついたナディアが、雪白様、と私を呼んだ。視線を向ける。泣きそうな顔をしたナディアが私に告げる。
「今の彼は、おそらくですが、雪白様の騎士になっております。到着した旨をお伝えください」
「…え、っと?グラジリオスさん、ここまで連れてきてくれてありがとう。降ろしてくれる?」
「かしこまりました」
そっと私を地面に下ろしてくれたのだけれど、え、なにこれ、絶対面倒なことになってる。しかもナディアの感じからすると、私がなんかやらかした気がする。
恐る恐る、自分のステータスを確認してみる。特にあの、詳細、のあたりを。
「…!」
やはり、グラジリオスさんの部分が、奴隷から騎士になってる…!あとなんでだろうな、恋人があと1人必要っていう数値の減り方。泣きそう。思わず崩れ落ちる。騎士は恋人換算ですか…!
「もうやだ、ナディア、帰りたい」
「雪白様…」
「婚約者とか恋人とか正直どうでもいいよ、もうやだ。わけわかんない」
ボロボロと涙が溢れてくるのが止められない。ナディアに抱きついてううう、と唸りながら泣く。ここまで涙もろかった記憶はないのだが、どうしても耐えきれないのだ。見知らぬ男たちがなぜか自分の周りを固めるように近づいてきて、権力者を敵に回すことになってしまった。
ナディアが、よしよし、と私を抱きしめて慰めてくれる。グラジリオスさんとクレインス様が後ろの方で慌ててるような気がするけれど、今はどうでもいい。私が安心できるこの場所で、ただただ、嘆いていたいのだ。どうせそのうち嘆いていることさえできなくなるのだから、今だけは。
「雪白様、大丈夫ですよ。私はずっと一緒にいますからね」
「ん…ナディア、一緒」
ぎゅうぎゅうと抱きついて、ナディアの甘いいい香りに包まれた。
情緒不安定




