2−16
パンだ!チーズがとろりとかかっているものがあれば、ベーコンと一緒に焼いてあるものもある。甘そうなチョコレートの入った菓子パンもあるし、クロワッサンに至っては当然といった風情で机の中央を陣取っている。バケットを斜め切りしたフレンチトーストは見るからに柔らかそうだ。見ているだけで涎が出てくる。
だが、ふわふわの中身に、カリカリの外側、もったりとした甘さと口中に広がる小麦の柔らかい風味。私の一番好きな、丸パンは端っこの方でこっそりとバスケットに隠れている。サイズはよく砦で出てくるサイズだ。せっちゃんの手を引いて、丸パンの前へと向かった。
食べていいのだろうか?なんならこのバスケットの中の丸パンは全て食べきれる。意思を込めてせっちゃんを見れば、呆れたように笑って、片手を私の頭に乗せた。反対の手は用意されているおしぼりで拭ってから丸パンを掴んで、口に運ぶ。いつかと同じように二口でペロリと食べきった。なんだか私の取り分が減った気がして、つい眉が寄るが、食べてもいいという答えだろうと判断する。たとえダメだと言われても食べたい。
「いただきます」
いそいそと手を拭いてから、小さく呟く。一つ掴んで、かぶりつく。まふっ、という情けない音がして、深呼吸。小麦の香りが鼻から抜けていくのがたまらなく幸せだ。噛み切ると同時に幸せな食感に頰が緩む。しっとりもちもちの食感を楽しみながら、何度か咀嚼する。嚥下してから、せっちゃんを見上げる。
「美味しい」
「ああ…そうだな」
言いながら、もう一つ口に入れるせっちゃん。大きな口での消費は単純計算で私の倍の速度だ。まずい、本気で私の取り分が減る。慌てて自分の手の中にある丸パンを口に運ぶ。が、美味しさにやはりしばらく動きが止まってしまう。いくらでも食べられそうだし、まだまだたくさんあるのは知っているけれど、味わいたいのだ。
しばらく無心で丸パンを消費していたのだが、私がいくつも食べないうちに何故か丸パンに人気が出たのかたくさんの人が丸パンを持っていってしまった。最終的に私のお腹に入ったのはたった3つだ。他の人の分も残したとしても、私の計算では倍以上食べられたはずなのに。
「他のパンを食べるか?」
「…いい」
首を左右に振って断ると、せっちゃんがため息をひとつ。小さめの一口かじった後の丸パンの、かじっていない側を千切り取るように分ける。おおよそ元の半分くらいの、せっちゃんが口をつけていない部分を、そのまま私の唇に押し当てた。素直に口を開ける。全部は口に入りきらないので、素直にかじり取る。
美味しい。諦めていたからなのか、さっきのものより美味しく感じる。溶けきった顔をしているだろうとは思うが、ほっぺが落ちるとはこのことか、と実感している。思わず手を頬に当ててしまう。せっちゃんが満足そうに笑って、最初にちぎった部分と私がかじり取った残りを一緒くたにしてその大きな口に押し込んだのには若干殺意が湧いた。けれど、分けてくれた丸パンの味を思い出して、美味しいのだから仕方ないと考え直した。
「聞いてもいい?」
「なんだ」
「お料理に何もついていないけど、つけてもいいの?」
「つける…?」
「こうやって」
適当にチーズの乗ったパンを手にとって、ふわり、と魔力を纏わせる。同時に愛妻弁当スキルとオタクスキルを使い、チーズの乗ったパンに簡単に幸運値上昇の付与をする。そのまませっちゃんにはい、と差し出すと、彼は驚いたような顔をしてまじまじとパンを見つめた。
怖い顔で私を見ると、まっすぐと質問をぶつけてくる。
「何を、した?」
「愛妻弁当とオタクを使えばできるよ」
「…その二つを併せ持つ存在は少ない、が、付与すること自体は咎められることはない」
じゃあ、典医様のあれもセーフなのか。そう考えると、愛妻弁当スキルとオタクスキルを持っていれば大抵の場合、狙った相手はオトせるのかもしれない。相手がいないから私は使う予定がないのがちょっと残念な気もする。美女ハーレムとか作れるのに。
思考を飛ばしていると、せっちゃんが差し出したままだったチーズのパンにかぶりつく。がぶり、とまるで肉食獣が勢いよく獲物にかじりつくように。私まで食べられるのでは、と感じてしまう勢いに手を引こうとしたが、手首をガッチリと掴まれてしまえば何もできない。食らいつく瞬間は肉食なのに、どうしてそれ以降は上品なのだろうか、不思議すぎる。しみじみと様子を見ていると、もう一口と迫る。私の指に触れないようにパンを持って行ったせっちゃんは、咀嚼仕切ってもなぜか私の手首を掴んだままだ。
離して欲しい、という意思表示のために何度か手首を引き寄せるように動かす。が、動く気配がない。ふ、とせっちゃんがさっきまでパンを持っていた私の指先にそっと唇を押し当てた。すぐに離れて、丁寧な動作でおしぼりで拭ってくれる。…え、何今の。
理解ができないまま、首を傾げて、せっちゃんを見上げる。いつか見た気がする顔で、私を掴んでいない方の指を使って、彼自身の整った唇をなぞってみせる。これは何か見せつけられている気がするが、非常に色気のある動作だ。つい心臓が高鳴る。なんていうか、乙女ゲームのスチルにありそう。
「そこまでだ」
「私たちの婚約者を揶揄わないでもらえますか?」
真顔のヴィクトール様とにっこりと笑うクレインス様。二人の、きっとわざとだろう大きめの声は一瞬にして会場を舐めるように広がった。ざわざわとした声が響いている。
これは、まずいのではないだろうか。よく考えてもみて欲しい。将軍ヴィクトール様だけならまだしも、丞相クレインス様も合わせて婚約者。次期魔王のせっちゃんとファーストダンスを踊る。犬猿の仲に割って入っても咎められることはない。
さて、ここで問題だ。この4人に共通することは?いずれも、魔族の頂点であり、権力者だ。そこに入り込んだ一人の小娘。向かう先は破滅しか見えない。
現に女性たちからの視線が恐ろしく鋭く変わっている。あっ…詰んだ(確信)。これからの未来が暗い。むしろ真っ黒、烏貝よりも真っ黒。いつか勉強した一文を引用してしまうくらい、私は現実逃避を始めた。
パンの魅力




