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立ち上がって辺りを探す様子を見せたせっちゃんが私の正面に座り直してから、くるり、と指を立てて空中に円を描く。線が光って、その場にくるりと楕円の鏡のような何かが浮かんだ。
私が映る。黒髪を染めた明るめの茶色のショート…根元が少しばかり黒く戻っている。目の色はなんと紫色で、魔族らしく狼の目をしていた。ふに、と頬に触れて確認する。スキルのおかげだろうか、赤ちゃんのようなぷるぷるの肌だ。
ーーなんて、現実逃避していたけれど、鏡に映る私は三十路を超えた私じゃなくて、高校生くらいの若々しい私だった。
「若くなってる…」
せっちゃんを見上げると、彼は不思議そうに首をかしげた。
「元の年齢は?」
「35です」
「若いな」
その反応に魔族は寿命が長いのでしょうか、と疑問を口にする。せっちゃんの答えは、肯定。世界での寿命は基本的に魔力そのものであり、魔力が衰えない限りは外見も衰えることがないそうだ。肉体的な成熟も遅く、じっくりと時間をかけて全盛期も長く、その間はある程度外見年齢をいじれるらしい。全体の寿命平均は900ほどらしいのだが、魔力の少ない早逝する魔族もいることから考えると、魔力の強い魔王様なんかは数千年と生きることもあるんだとか。
せっちゃんは?と聞けば、確か300を超えたくらいだったと思うが、どうだったか、と不思議そうな顔をした。大体の魔族は自分の年齢を正確には覚えていないらしい。
ステータスで調べればわかるようになっているからだが、そのシステムのせいで面倒だから覚えなくていいという風潮になってしまったのでは?ちなみに今の魔王様はすでに1500歳を超えているとか。
「魔王様とせっちゃんには血の繋がりがあるんですか?世襲制ではないのです?」
「違うな。魔王は生まれつき魔王と決まっている」
無論、魔王にも格はあるが。
せっちゃんの説明を聞くと、魔王というのは格と種類が少しずつ異なっているらしく、せっちゃんは神話の魔王なのだそうだ。簡単に言えば神話に予言された魔王様のうちの一人らしい。よくわからないのだが、それ以上の説明は難しいと言われた。ううん…。逆に今の魔王様は低級魔王というらしく、そこまでの力はなく、そのせいで基本的に低級魔王の統治時代に人間たちが魔王様や魔族を討伐しにやってくるため、あまり歓迎されていないそうだ。
とは言え、低級魔王の次の魔王が神話の魔王なんていう繋がりはめったに見られずーーそもそも、神話に予言された魔王が現れたのが、神話時代から2回目。つまりせっちゃんと本当に神話時代の魔王様だけ…予言という意味ではせっちゃんだけーーある意味吉兆だと言われている。
へぇーと感心しながら聞いておく。
せっちゃんが、ちなみに、と今日会った人たちの大体の年齢を教えてくれたのだが…まさかの、マリアさんが一番年上だった。次にハーレルさん、金髪イケメン、せっちゃん、最後にジオールさん。ジオールさんとせっちゃんには200歳くらいの差があると聞いてびっくりした。
「失礼します、お食事をお持ちいたしました」
静かな声はマリアさんだった。せっちゃんは空中に浮かんだままだった鏡を手を振って消して、私に食事にしようと笑う。
広げられた食事は、焼きたてだろうパンと暖かなスープという軽めに見える食事ではあるが…パンの量が尋常ではないし、種類も驚くほどに多い。ポカン、と口を開いてそれを見ていると、マリアさんがそっと教えてくれた。
終の時間はできうる限り寝ていることが好ましいため、基本的には消化にいいスープとパンが基本なのだそうだ。パン好きの私としてはじゅるり、と涎が垂れてしまいそうなほどに美味しそうな香りが広がっている。
せっちゃんとマリアさんがそんな私を見て笑う。喉に詰まらせませんように、と柔らかく笑うマリアさんに無言で頷いてから、パンに視線を向けて両手を合わせて、いただきます。
最初に手に取った丸パンは手のひらサイズで大きなものではないが、しっとりと重い。これは…期待できる、と温度を指先で確かめてから、カプリ。美味しそうに焼き色のついた外側のほんの少しだけ抵抗した部分が終われば、モチモチのふわふわの真っ白な内側。小麦の甘みだろうか、しつこくないのにもったりとした甘さが鼻にまで回って、ゆるく笑う。
そのまま咀嚼して飲み込んだ。
「美味しい」
「そうか」
笑うせっちゃんも、片手を伸ばして私と同じパンを掴んだ。大きな口でガブリ、と歯を立てる。半分くらいがその口に収まる。そしてすぐに、残りの半分も口の中に消える。ペロリ、とーーパンくずがついたのだろうかーー唇を軽くなめとる姿が、なんだかエロい。まじまじと見とれていれば、食べないのか?とさっきのパンみたいに柔らかく笑うから、なんだか恥ずかしくて、もう一口パンに歯を立てた。
このパンだけでもいい、と思えるぐらいに美味しい。大きな口を開いて、4口で食べきったので、口の端を右手の中指と、親指で順番に拭った。つぎは、どうしようか。
逡巡したのは一瞬で、チョコチップらしきものの練りこまれたクロワッサンのような生地のパンに手を伸ばす。くん、と鼻をひくつかせるように匂いを確認すれば、濃厚な甘い香り。口元を緩めながらも、はくり、とかじりつく。ほろほろと崩れていく生地に慌てて左手をお皿のように添えた。舌の上に乗ったチョコレートがジワリと甘さを伝えてくる。美味しいなあ。もう一口、とかじったところでふと、じっと見られている気がする。目をあげると、せっちゃんが私をじっとみて動きが止まっている。そんなせっちゃんの真後ろにマリアさんがいて、その肩をがっしりと抑えていた。
とりあえず、口の中の分だけ噛み切って、咀嚼。
「美味しいよ?食べないの?」
「ああ…美味しそうだ」
弧を描いた唇の隙間からチラリと舌が覗く。そこに彼自身のほっそりとした綺麗な手を近寄せ、人差し指の先を舐める。その手が、グッと私に近づいて、せっちゃんの肩を抑えていたマリアさんが、バランスを崩した。ほっそりとして見える手は、ーー近づくと大きさや無骨さも目につく男らしいものだったがーーゆっくりと私の口の端を拭って、そのまま私の舌に押し当てた。
ジワリ、と甘い味がする…チョコレートが口の端についていたらしい。
親が子供にするようなそれに恥ずかしくなって、ああ、と眉を下げた。が、せっちゃんは何も気にしていないように笑って、私と同じパンを手にとってまた大きな口でパクリ、と。
マリアさんが天を仰ぐようにして深く深くため息をついた。
小麦美味しい




