8話 伯父・歴史
途中に出てくる多くの数字は読み飛ばしても大丈夫です。
「シュリルディール。約1週間ぶりだね。書庫はどうかな?」
日も傾き始め、窓から差し込む光によって少しだけ赤く染まりつつある白い大理石でできた床。少し先に見回りの2人の衛兵が遠くへと歩いていく以外は目に入る人影はなかった。
そんな書庫に行った帰り道、シュリルディールは突然かけられた声にハッとして振り向く。
そこにはルドルフェリド王の姿があった。
シュリルディールは気配に聡い方ではない。そのような訓練は前世も今世も受けておらず荒事とはほぼ無縁の世界で生きてきているのだ。慌てて車椅子ごと後ろを向き頭を下げる。
「陛下、気づくのに遅れて申し訳ありません。未知の事柄を知ることは楽しく、毎日通っております。」
前回の謁見の際は少しばかり子供らしさを見せたが、これからはそれをこの王に対してはほぼ捨てる事に決めていた。
おそらくドルチェを付けたのは属性の開発者という理由だけではない。自己が既に確立されているような全く3歳児らしくないシュリルディールのありように疑問を抱いた為だろう。
両親も厳しい訳でもなくどうして子供らしくない子供が生まれたのか、不思議に思ったのだろう。しかも王城に通うことを許可したことで、血筋と相まって将来この国の中枢に関わるかもしれない可能性が高まったのだ。
ルドルフェリド王は情報戦に優れている。後々の為にもシュリルディールについて調べることはドルチェが付く前から想像できていた。思っていたより分かりやすくて驚いたが。
そして、それに対してディーは絶対的な記憶力を見せた。
あまり良い思い出のない能力であるが、ドルチェにカメラアイがあることを伝えたのは、もう無意識的に使っているため隠す方が面倒であるという理由と、何度も書庫を周ってもらうのは申し訳ないという理由。
そして
何よりも、普通ではない頭脳はシュリルディールが3歳児らしくない理由に見えるだろうから。
「そんなに畏まらなくていいよ。公的な場以外では伯父さんと呼んでほしいな。」
そう言って優しく笑う顔を思わずじっと見つめる。
(何が理由で…?)
3歳児らしくない理由を見せたのだから気にすることもないはずだろうに。何か間違えたのかと内心冷や汗をかく。
「え、えっと…ルドルフェリド伯父様…?」
とりあえず子供らしく首を傾げて困惑した顔で要望に応える。
「そうそう。」
楽しそうにそう言いながら頭を撫でるルドルフェリドの優しい手付きに目を細める。
非常に微笑ましい光景となっていることだろう。
ディーの頭の中を除けば。
決して可愛らしい思考ではなかった。
(これは…どういうこと?私が子供らしくないことの理由が伝わってない?
…いや、それはない。あれから一週間経ってる。
それに、これだけ友好的に接していることから聞いているはず。
……理由が分かったから気にする点がなくなって自然体で接することができるようになった…で?何故ここにいる?)
見た目のほんわかさとは真逆にディーは頭を必死に動かしていた。とりあえず冷静になって伝えなければならない事を口に出す。
「書庫で魔法を使えるようにして下さったことと、ドルチェさんを補佐に付けて下さったこと本当にありがとうございます。失念していたので助かりました。」
「役に立ったのなら良かったよ。シュリルディールは書庫で魔法の本を読んでいるのかい?」
(本の内容については報告を受けてないのか?)
一瞬ディーの表情が訝しげなものに変化する。しかし、すぐに何事もなかったかのように少し微笑みを残した真顔に戻る。この一瞬の変化を見逃す程、ルドルフェリドは伊達に若くして王として君臨し続けていない。
先代王はルドルフェリドの母、シュリアッシリア王。彼女はルドルフェリドが14歳、シュリアンナが11歳の時に、彼らの弟が産まれる予定だったが36歳と医療も発達しておらず、治癒魔法などもないこの世界では危険な高齢出産となった為に、子共々亡くなってしまったのだ。婿養子の形で王家に入ったルドルフェリドの父は現在52歳。現フェニキア伯爵家の当主の叔父であり、武人であるが、現在では高齢のため引退し、地方で隠居生活を送っている。噂では毎日剣を振って未だに鍛えているそうだ。
こうして、突然の崩御によりまだ政治の場に慣れていないルドルフェリドは手探り状態で時に失敗しながらも今まで17、8年治めてきた。優秀な宰相はいたが、彼一人でやれることは限られている。しかも、彼は当時、何の偶然か家の問題が勃発しその対応に追われていた。国を優先してくれてはいたものの、万全とは言えなかった。
7年ほど前にようやく万事軌道に乗ったが、その努力は相当なものであったことは想像に難くない。しかも一番仲の良い貴族がフォルセウスなのだ。だから当時力のなかった王は私的に信用できる平民を登用し治めていた。公的に影響が大きいとは言えない為に、現在、貴族の一部の力が強くなったことは仕方がないことだと言えるだろう。
表情の変化に気付かれたと思っていないディーはカマかけの線も考えつつ素直に答える。
「まだ魔法の本は読んでませんね。風土や歴史を知りたいなと思っていたのでそちらを先に読んでいます。」
(属性を開発したから魔法の本を読んで更に色々開発してほしいって暗に言ってるのかな?……何となくそんな感じはしないんだよなあ…)
「ディールは勉強熱心なんだね。チラッと耳にしたのだけれどディーは記憶力が良いようだしね。」
(あ、やっぱりドルチェさんから報告を受けているね。)
ディーはルドルフェリドが自分に会いにここに来たと確信している。
ここ1週間は同じ時間に退室しているし道も同じだ。しかも、この道はあまり人が通らない。そこに陛下が偶然来てディーに偶然会うなど考えられなかった。
友好的に接せるようになったから会いに行くなんて、それだけの理由だなんてあり得ない。別の理由があるはずだった。思い当たる節がないのだ。わざわざ王自身が来る理由が。それが先程からシュリルディールの頭を悩ませている問題だった。
わざわざ会いに来た理由が思い浮かばないディーは、鋭い視線を困惑した表情で隠しながら真意を探る。
「そうですね…人より少し覚えるのが得意なだけですよ。」
「いや、少しじゃないからな。普通は見ただけで覚えられるのは1列くらいが限度だから。」
普通は40冊も位置と題名を一目で暗記するのは無理だ。陛下も大概普通ではない。
「そうなのですか?」
そんな事は初めて聞いたとばかりに無知を装う。ここは徹底しなければせっかくカメラアイのことを伝えた意味がない。
シュリルディール今までごく僅かの人としか接してこなかったのだ。自分の記憶力が普通ではないことを完全に理解しているのはおかしい。
とは言え、逆にある程度は分かっていてもおかしくはない。全く分かっていないというのも怪しいからだ。ディー自身の基準となりそうな家族は三人とも記憶力が優れているタイプではないのだから。
その為、一定程度の無知を装わなければ、3歳児らしくない理由が他にあるのではないかと勘ぐられる要因になりかねない。記憶力と周囲との比較による理解力は別物だ。
それはどうやら成功したようで、ルドルフェリドは気にした様子もなく普通を語る。その普通がどこかズレているのはルドルフェリド自身を基準にしているからか、それともわざとか。
(本当にこれが理由かを探りにきた…?最終確認みたいなものだろうか…?)
シュリルディールは悩んだ末にそう結論付けた。
しかし、それは違う。
そもそもいくら普通ではないとは言え未だ幼い子供であるし、血筋・家系的にそこまで徹底的に調査する対象ではない。いくらルドルフェリド王が今まで多くの人を調査により見極めてきたとは言え、だ。簡潔に言うと、親友を信頼しているのだ。
子供らしくない様子が気になったから少し調べただけであって、それらしき理由が見つかった今では、かなり大人びた甥っ子としか見ていない。
今回会いに来たのは、将来国を担えるだけの力の片鱗を見せたディーが、現状どれだけ対貴族王族のやり取りができるのか、これからどう教育していくか、今から始めてもいいか。その見極めだった。
まだ3歳なのに早いと思うかもしれないが、シュリルディールは普通ではないのだ。そのような教育をしっかり受ける間も無く即位したルドルフェリドは周囲には早めに教育を施すことを考えていた。
(この子の片鱗は見えやすい…いくら遠ざけようとしても限度はある。いつ巻き込まれてもおかしくない。)
書庫とは言え、ほぼ毎日王城へ通っているのだ。本当にいつ政争に巻き込まれてもおかしくなかった。
だから幼い内は政争から遠ざけようとするだけでなく、遠ざけられなかった時の為に手を打っておこうと考えたのだ。
そして、今から手を打っても大丈夫かの見極めは、ドルチェが自分が派遣した監視だと気づいていることが分かった時点で、
つまり、
ディーの表情が変化した一瞬に大方終わっていたのだ。
そんな陛下の思惑に気づく程にはシュリルディールはまだ場慣れしていなかった。
まだ拙い所はあれど、やれると判断を下したルドルフェリド王はクジェーヌ宰相に匂わせていた件を頼むことを決めて執務室へと戻っていった。
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日が一番高くに上がり、燦々と照りつける中、そんな日差しも入らない窓のない書庫で幼い子供が必死に本の文字を目で追っていた。
言わずもがなシュリルディールである。
その空色の瞳は真剣そのもので子供が読むものとは思えないほど分厚い本をめくっては目で追うことを繰り返している。そのめくる速さは子供とは思えないくらいに速く異常である。
その目がふと一点で止まる。めくろうとページにかけた手が固まる。何か気になることでも書いてあったように見えるが、その目はすでに文字を視界に入れていない。
思わずディーは手で額を覆った。
そして、一つため息をつく。
(あー…何でもっと早く気づかなかった…)
ふと、気づいてしまった。
その気づいたことが今まで目に見えていたのに目に入っていなくて愕然とする。
シュリルディールは後悔をしていた。
シュリルディールは現在、地理と歴史の本を片っ端から読んでいる。
地理と歴史について、今の所分かったことを大まかに言うと、ミリース国のあるラピス大陸の他に暗黒大陸と呼ばれる大陸があり、他には小さな島が点々としている。
ラピス大陸にはミリース国の他に、大陸一の軍事大国カディア国、伝統のある文化の国のヤムハーン国、この二つはミリース国に接している。とは言え、カディア国とミリース国は北に位置する魔の氷獄と呼ばれる山脈でのみ接している為、行き来は間のヤムハーン国を通らなければ難しい。
他にカディア国やヤムハーン国の向こう側にあるのが工業鉱業のメニライズ国、宗教国家神聖アルヴァ国、神秘の国と呼ばれるミラ国である。ミラ国は内陸国でありながら鎖国状態であり、情報が中々入ってこない。非常に小さな国のようでミリース国の王都と同じくらいの大きさしかないようだ。
ラピス大陸ではヤムハーン国が初めに起こり、その後分裂し、現在の状態になった。
ミリース国は圧迫され生きていくことすら困難になりかけていた民の為に立ち上がった、とある剣士が作った国である。とある剣士については不明な点が多く、ただ強かったことだけは詳細に描かれていた。
その剣士に協力したのが当時のヤムハーン国の辺境伯であったミリース家である。剣士はミリース家の令嬢と結婚し、一番初めの王となった。その剣士の髪が珍しい銀髪であったことから銀髪が王家の髪と認識されるようになった。
このミリース国の建国は前神歴362年だ。前神歴は神歴0年を基準として遡っていく、地球の紀元前と似たようなものだ。つまり今は209年であるから、362+209=571年の歴史があることになる。
先程の内容の後半部はミリース国建国記だ。この建国記は人気が高く、建国記についてだけでも書庫に十何冊も本がある。初代王について様々な憶測が飛び交っているのだ。もちろんその前にヤムハーン国があったのだからそちらの歴史も合わせるとなると、歴史を本格的に学ぼうとしたらその量はとんでもない。
そう、とんでもないのだ。
だから歴史の本を片っ端から読んでいたシュリルディールはため息をついた。
全てを読むことなど無理だった。
本を読むのは嫌いじゃない。むしろ大好きだ。だから書庫に通っている。だが、量が多すぎるのだ。
この王城の地下二階から二階まである書庫にある本の数は22000冊程と言われる。
地下一階から二階までは、8段の棚の一列約40冊、それが地下一階はA〜Jの10棚、一階はA〜Z、AA〜ADの30棚、二階はA〜Yの25棚で、計65棚ある。
つまり、65棚×8段×40冊=20800冊。残る1200冊程が地下二階に保存されているのだろう。
この中で歴史に関する棚は15棚分。4800冊程ある計算になる。一日3冊ずつ読んで一年1080冊。
ちなみに、この世界は一年360日で12ヶ月ある。1ヶ月ぴったり30日である。
だから歴史の本を片っ端から読んではいたが、全て読むのは難しい。というか無理だ。歴史だけに絞って読むのなら良いが、ディーにはそれ以外にも読みたい本が沢山あるのだから。
このミリース王国には571年の歴史がある。加えてこの国の歴史だけを知りたいわけではない。周辺国の歴史も知ろうとしたら…まあ、そう簡単に読める量ではない。
そう分かってはいたのだけれど、ふと計算してその量に愕然としたのだ。
それに気づいたのが歴史について読み始めて10日後の今日。
どうやら多くの本を読めることになって浮かれていたらしいと思い再びため息をつく。
前世では本を読める時間は限られていた。本を買う余裕などなかったし図書館もバイト三昧であまり行けなかった。
書庫への許可を願ったのは、確かにカマかけの面もあったが、通っていることから分かるように本を読みたいというディー本人の願いもかなり影響していたのだ。
ふうと一息吐いて気を引き締める。
歴史の大まかなところは初めの3日で読んだ。だから特に知りたい箇所を明日から読むとして、今日はこれを読んでしまおうと決める。一通り読んだら、次は魔物について読んでみようと思いながら。
ちなみに、ディスクコード家は公爵家ですが本の数はそれほどありません。代々騎士団長を務める脳筋家系のせいです。
次回の更新は9月10日21時です。
今回までは淡々と進んできました。次回は母暴走回です。