79話 マナー
「日常生活上ではそれらが不可能な場面もございますので形骸化しているマナーです。
しかし、今回行われるような正式な誕生パーティー等ではそれらのマナーをきっちり守る必要がございます。」
王都内の貴族街、その中でも王城に近い土地に建つディスクコード邸。
その一室で10名ほどの生徒が前に立つ1人の話に耳を傾けていた。
ディスクコード家特有の黒く動きやすさを重視されたメイド服を身に纏い、シルバーの片眼鏡を頻繁にかけ直す初老の女性は、ディスクコード家メイド副長である。
ルールやマナーに厳しく、シュリルディールが言葉遣いや王都でのマナーを学んだのも多くはこの人からであった。
さて、この場に何故10名も生徒がいるのか。
それは人員の少なさと多忙さに原因がある。
2名はディスクコード家の長男と次男。残りの8名はディスクコード邸に仕えてまだ日の浅い、若しくはパーティーの経験のない若い使用人。
通常なら共にこうして講義を受けることはないが、先述した通り時間と人材の少なさにより、当主が許可したのだ。
ディスクコード家の、他の家と比べて貴族位に執着があるわけでなく、何事も気にしない性格がここで発揮された結果、このような異例の形でのマナー講義となったのだ。
「位が自分より高い方に自ら声をかけてはいけません。声を掛けられた場合のみ返答して下さい。」
確かに日常生活上でこれを常に守るのは難しいだろう。
昔は徹底的に守られていたこともあったそうだが、王城の至る所で業務が滞ったこと等から正式なパーティーの場でのみ適用されるようになったマナーだ。
そしてこれを聞いてから明らかに安堵した顔付きになったのはアレクフォルドだ。
ディスクコード公爵次期当主であるアレクより位が高い者は少ない。王族、他公爵家当主程度だ。同位は他公爵家の次期当主達だ。
声を自分から掛けなければ、彼等以外と話す機会はないと考えているのだ。
アレクの安堵に気づいたのは隣に座るディーだけではなく、メイド副長リトラもであった。
「アレク様、もしや主役の貴方様が声を掛ける必要がないとお思いでおられるのですか?」
「お、思わない!」
アレクは考えるより先に口から言葉が飛び出たように見える。
リトラはそれを分かっているのか分かっていないのか……恐らく、分かってアレクに微笑みかけた。
「よろしいですわ。
アレク様は主役であり、此度のパーティーに参加する方々をアレク様ご自身が招待した、ということになります。
アレク様は出席いただいた貴族様方全員に誰1人の漏れもなく声を掛け挨拶せねばなりませんよ。」
実際に誰を招待するかを選定したのはフォルセウスと家令のハラルド達だが、建前上は主役のアレクが招待したことになるため、全員に声を掛けるのは必須なのだろう。
マナーは本に載っているが載っていないマナーも当然ある。逆に載っていたマナーは今は無くなっていたり、変更されていたり、なんてこともある。
漏れなく声を掛けるのは何処にも載っていなかったはずだ。
当たり前すぎて載っていなかったのか、変更されたのか…
そんなことをつらつらと考えていたディーは名前を呼ばれた声にハッと意識を浮上させた。
「ディール様」
「は、はい」
目力が強い。
眼鏡をかけているため、一応レンズ越しであるはずなのに何か突き刺さりそうな鋭さがある。
「ディール様は成人なされておりませんから伯爵位を持つ者だけでなく子爵位を持つ者も上位となられます。」
通常なら公爵家次期当主以外の者は伯爵位を貰う為、伯爵家当主と同等の地位となる。
しかし、16歳の成人しているかしていないか、6歳になっているかいないか、というものは大きく、今のディーでは男爵家当主程度の位なのだ。
後にほぼ確実に伯爵家当主となることや血筋から、実際の男爵と同様に見られることや、扱われることは決してないが。
「…多くの方に声を掛けられる、ということでしょうか?」
「ええ、その通りでございます。加えて言質を取らせるように誘導してくる意地の悪い方もいらっしゃるでしょうから後ほど練習致しましょう。」
「練習…」
意地の悪さは体験してみるのが手っ取り早いというやつか。
パンパンと手を二回叩く高い音が部屋に響き渡る。
「はい、それでは一旦休憩とします。アレク様とディール様は休憩後再開し、他の者は各自仕事に就くように。」
その声が終わると同時にディーは勢いよく抱きつかれた。
すりすりと頬を合わせてくるのは何故なのか。
「兄様…どう…」
「ディー…!学校が終わったと思ったら領地で勉強で、それが終わったと思ったらマナーの勉強なんだ…
癒してくれ…」
弟の前で格好つける余裕もないのだろう。アレクは悲壮感漂う声と表情でディーの頭や背、腕を何かを確かめるような、吸収するような手付きで撫で続ける。
「兄様お疲れ様です。次も僕と一緒に学びますし一緒に頑張りましょう…?」
苦しくなく重くもない絶妙な力加減で抱き締められているため、ディーは以前のように変な声が出ることもなく、腕を動かすこともできる。
アレクのハグは上手くなっていっているようだ。その事を内心嬉しく感じながら、ディーはアレクの金色の頭をゆっくりと撫でる。
「ディーとなら頑張るー!」
そう言って笑みを浮かべたアレクの切り替えの早さに笑みが零れる。
勉強に疲れていることは変わりないが、いつもの調子を取り戻すだけの気力は回復したようだ。
しかし、無情にも休憩時間はそこで終了する。
「さて、実践に移りますよ。アレク様、ディール様。」
リトラに、はい。と返答しながら、終わったら、酷く疲れているだろうアレクをめいいっぱい甘やかそうと心に決めたのだった。
次回の更新は3月24日21時です。
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