59話 突然の申し出
シュリルディールとフェリスリアンが使用していた中庭は、木々が殆ど葉が枯れ落ち、寂しげな印象をもたらしている。
その木々に所々変わった凹みが出来ているのはちょっとした練習の名残だ。とりわけ珍しい木々という訳でもないらしいから少し凹んでいるくらいは別に咎められることはないだろう。
ちょっとした練習とはもちろん魔法の練習のことである。リアンの水魔法はあれから格段に進化し、木々を凹ませるくらいになっていた。
よって、次の段階へと進もうと考えていたのだが、ディーは無詠唱魔法の水属性と光属性、詠唱魔法の火属性と雷属性のどちらを先に教えるか悩んでいた。
火と雷属性の危険性や教え方は一通り学んではいたが、どうしても王子に教えるとなると躊躇してしまうのだ。勉強から入らねばならないという問題もあるから余計に。
「兄様今頑張ってるし邪魔したくないからなぁ…」
勉強が得意ではなく、火と雷どちらも使えるアレクフォルドは現在王都にいない。
アレクは少し前に学園を卒業していた。
シュカイルゼン王立学園には卒業式はないが、代わりに卒業パーティーが開かれる。見た目はさながら小規模の舞踏会だ。
参加できる者はその年に卒業する生徒のみであり、通常の舞踏会よりは様々なルールやマナーが簡略化されている。
例えば、舞踏会は基本的にパートナーと共に入場し、一曲目は何らかの事情がない限りは必ずそのパートナーと踊る。しかし、卒業パーティーではその年の卒業生が毎回男女平等な人数であるはずもなく、その少ない人数の中で家柄等の問題も多々発生するため、ペア入場の必要はないと決められている。もちろん同年代の婚約者同士の場合は通常の舞踏会と変わらず入場することが多い。
他に、卒業パーティーは特に平民の人達は踊る必要がないとされており、立食形式ではあるが、普通はマナー違反と言われる食事を特に楽しむ行為も良しとされている。
つまり、卒業生にとって卒業パーティーは型に捉われることなく楽しめる最後の舞踏会なのだ。
ディーはアレクから聞いただけに過ぎないが楽しかったことはよく伝わってきた。表情から楽しかっただけではなかったことは察せられたが、弟に愚痴をこぼすことはしなかった。
アレクと同年代にルドウィレン第1王子がいるせいだと予想はつくが、何があったかまでの推測は付かない。まあ、楽しかったと言っているのだからそこまでのことをされたわけではなかったのだろう。
そのような話をした日がアレクとディーが最後に会話した時だった。もちろん出立前に言葉は交わしたが、一方的にこの時はこうしろああしろといった助言と、心配だ別れたくないといった泣き言を言われたのが大半だったのだ。
だから卒業パーティーの話をした時に、アレクの時は魔法の覚え方はどうであったか聞いておけば良かった、とディーは後悔したが、残念ながら間に合わないし、手紙で聞くにはいかんせん今までのアレクからの手紙から考えても不安があった。
(うん、無詠唱を先に覚えてもらおう。)
そう無難に結論付けてからディーは目の前の本に意識を戻す。
現在、シュリルディールは王城内の書庫にいた。リアンの教師は毎日やるものではない。ついでにその関係で総部省大臣補佐官もディーが任されている日数は現在非常に少なくなっていた。
今日はそのどちらの予定も入っていない休日だった。だからディーは書庫に来て本を読んでいるのだ。
この歳から仕事ばかりで将来が楽しみになる程だが、ディーの予定が比較的詰まっているのはディーが体調を崩しやすいことに1つの要因がある。
体調を崩さないように調整はされているものの、崩したら一週間ほど休むことになることが殆どだ。その休みの間を調節しやすくするためにはどうしても前々から余裕を持って予定を入れておく必要があるのだ。
『魔法の危険性』と表紙に書かれた本も半ばに差し掛かろうとしていた時、ふと名前が呼ばれた気がして扉の方に視線を向ける。
そこには王宮侍女専用のメイド服を着た侍女が1人と書庫を管理する管理人の1人が何かを話し合っている姿があった。
すぐそばに居たケインリーもそちらに意識を向けていたようだが、小さくディール様と耳元で囁く。
「ケイ、どうした?」
「どうやらそこの侍女の支えている方がディール様にお会いしたいと申しているようです。」
ケインリーの耳が良いのは知っていたが、全て向こうの会話が聞こえていたらしい。
「その方ってどなたか分かる?」
王宮侍女のメイド服ということは王妃、若しくはその子供だ。
ペリポロネシス第1側妃ならば見かけた事のある侍女を使いに出すだろうから違う。リアンの侍女は全員把握しているからリアンでもない。ヴァロア第2側妃ならこの書庫ではなく、かなりの期間を設けた上でディスクコード家に使いを出す手順を踏むだろう。
すごく嫌な予感しかしない。
「発言からは分かりませんでしたが、あの侍女は…のまだ新しい侍女と記憶してます。」
ディーの口からホッとした息が漏れる。
「ケイ、彼女の元に連れて行ってくれる?」
「はい、かしこまりました。」
ケイが車椅子を押し、侍女と管理人の元へと進んでいく。それに気付いた管理人は一度礼をしてからその場を離れ、侍女は慌てた様子で口を開け閉めしている。
「貴女のご主人様が僕に会いたいそうですね。」
「は、はい。大変申し訳ございませんが、今すぐお会いしたいとの仰せでございまして…」
「ええ、そうだと思いました。大丈夫ですよ。どうぞ案内お願いします。」
「あ、ありがとうございます!」
勢いよく頭を下げてからご案内致しますという声と共に歩き始めた侍女の後を追いケインリーも車椅子を押す。
(おそらく新人の侍女を使者にした理由は2つある。)
新人だからまだ顔が割れていないこと。こちらに付いている者なら誰が主人か分かるだろうと言っているのだ。その通りにケインリーは誰の侍女か分かったわけだが。
そこまでする理由と、今すぐ会うという異例の対応と書庫に呼びに来た理由は合致する。どうやら余程慎重な性格らしい。ここまで徹底的にやらなければ突っつかれるのかもしれない。
(うげ…そうだとしたら何をするにも大変だな…)
同情の念が込み上げる。
何をするにも人目を気にする必要があるのは王族貴族なら当たり前だ。それでもここまでではない。
ディーも前世の記憶があるからか常に誰かがいて、行動1つ起こすにもどう見られるかを考える必要がある生活は少し窮屈だ。しかし、この侍女の主人よりはマシだろう。
微妙で不安定な立場だからこその慎重さ。そして、それはある意味聡明さの証明でもある。
聡明という噂は間違っていないらしい。
「こちらでございます。」
おそらく裏道と呼ばれる類の道を通って着いた先にあったのは1つの扉。この城の中では決して大きく立派な部類には入らず、ここに思い描いている人物がいるとは思いづらい場所。
これが何かの罠ならケインリーが何とかしてくれるだろう。そんな想いで開いていく扉を見つめる。
「どうぞお入り下さいな。」
中から聞こえてきたのは芯の通った、しかし、柔らかな高い声。
「失礼致します。」
部屋は紺を基調としたソファと白のテーブル、他は何も、窓すらない殺風景な部屋だった。
その1つだけあるソファに座っているのは目当ての人物。
会ったのも拝見したのも初めてだ。それでも誰かはすぐに分かる。
「突然ごめんなさいな。来て下さって感謝致しますわ。」
フワッと微笑んだ表情が最近よく会い親しい人とよく似ている。微笑みを浮かべながらも鋭さを感じる瞳は彼女の母とよく似ている。
何よりディー自身にどこか似ている。
「いえ、僕もお会いしたいと思っておりましたから。」
「ふふ、そう言って頂けると嬉しいですわ。」
向かい合った2人が揃って似たような微笑みを浮かべる。愛想笑い、作り笑いであるはずだが、そうとは見せないスキルは2人とも見事だ。
扉が完全に閉まったことを目の端で確認したディーは柔らかく揃えられた右手を左胸に当てゆったりと頭を下げる。
「お初にお目にかかります。シュリルディール・ディスクコードと申します、アーネスシス王女殿下。」
それを受けた王女は嬉しそうに笑みを深める。
第1王女アーネスシス殿下はペリポロネシス妃の娘であり、聡明という噂だ。
幼い頃から非常に優秀で単体で見たら全会一致で皇太子となるだろうと言われる程だ。後ろ盾や性別がネックではあるのだが。
確かアレク兄様とは2歳差でメリーお姉様…メランコリア・ロマネスクと同い年だった気がする。
そんな彼女に会いたいと思っていたことは嘘ではない。だからディーは突然の申し出にもかかわらず来たのだ。
それは予見されていて、申し出をした本人は突然でも来るという確信があった。
ニケーアネスク正妃などだと最悪だった。貴族派と喋りで負ける自信があるわけではないが、なるべく会いたいとは思わない。ケインリーが誰の侍女かと述べた時に思わず安堵の息を漏らした理由はそこにある。
だからと言ってそこまでアーネスシス王女について情報を持っているわけでもなく、どんな思惑で呼ばれたのかも分からないため、気を抜いて話すことは到底できないが。
今一度気を引き締めてから、シュリルディールはゆっくりと頭を上げた。
新キャラです!次の章かその次辺りで重要人物になると思います。
次回は10月7日21時です。




