49話 教師
新章スタートです!
「クジェーヌ閣下、お久しぶりです。」
そう言ってにっこり可愛らしく笑みを浮かべたのはまだ幼い少年。その前に座すのは灰色の髭をさする老人。
クジェーヌ・ソルベール宰相の執務室である。その部屋は所々意匠が凝られているもののシンプルだ。クジェーヌが使用する大机と椅子、その両隣に本棚。それ以外は書類の山やペン以外見当たらない。
しかし、それで問題はないのだ。この部屋に入り用がある者は補佐官ばかりであり、補佐官は立てないディーを除いて立って報告するのだから。
「ディール、上手くやれているようじゃな。」
「そうでしょうか…?まだまだ足りないと実感するばかりですが…」
今回の監査においてシュリルディールは終始オセロの補助だった。それはディー自身も理解しているし、その理由も分かっている。
「足りないのは当たり前じゃよ。ディールはまだ入って間もないのだからの。」
深い青の瞳が優しく細められる。まるで孫とお爺さんかのような雰囲気が少しの間2人の間に流れる。
クジェーヌは子供だからというのは言い訳にしない。そう思っていたとしてもディーの前で表には出さない。官吏登用試験に合格し、幾許か根回しや地位は関係あるものの自らの力でちゃんとその官位を手に入れ、仕事をする官人であることは変わりないのだから。
「ところで。」
ディーが礼を述べた後、クジェーヌはそう言って愉快そうな色に塗られた瞳を隠すことなくディーを見つめた。
ディーの比較的穏やかであった内心に途端に焦りが生まれる。
オセロから言われていたのだ。クジェーヌが怖いのは真剣な表情や困惑してる時ではなく面白がっている時だ、と。そして、その時はどうせ逃げられないから覚悟しておいた方が良い、とも。
クジェーヌがヤムハーン国に行っていていなかったためか、オセロはクジェーヌの情報を色々ディーに垂れ流していた。オセロは結構ディーに甘い。自分が末っ子だからかディーに初めてできた弟のように接している気がする。
とは言え、オセロが流す情報は補佐官として知っておいた方が良い情報であったり、忠告であるからそこまでの公私混同はしないのだろう。そうでなければ宰相の補佐官など務まらないのかもしれないが。
ただ、面白がっている時は怖いと言われても何の対策も取りようがない。何を言われるか予想はするものの情報が少なすぎて正解に辿り着けるはずもない。
精々できることは何を言われてもいいように心を落ち着けることくらいだ。
そう頭の隅で思考しながら、しかし一言一句聞き漏らさない覚悟で目の前の人物から目を離すことはしない。
していない。
「教師になってみないかの?」
していなかったが、
これは予想外すぎだ。
何を言われるか当たりを付けていた時、候補にすら入れていなかった。
「ど、どういう意味でしょうか?」
声が上ずったせいでただでさえ高い子供の声は更に高くなっていた。少し何を言われても動揺しないぞ、という気持ちでいたものの、ディーの表情や態度はガッツリ動揺を表していた。
だが、頭の中だけは比較的冷静に思考を続けていられたのはオセロからの助言のお陰だろうか。
誰に、何を教えるのか、そもそも何故僕なのか。様々な疑問が浮かび上がり答えの候補が同時にいくつも頭の中を占めていく。
「フェリスリアン王子、彼の教師として殿下に様々な事を教えてもらいたいのじゃ。」
流石にディーの表情は固まった。
一応候補の1つに入ってはいた。いや、というよりかは、宰相が話を持って来た時点で王族か高位貴族に候補は限定されていた。
だが、流石に同い年の子供だとは思わなかった。
年上に教えるのも相手の不満を買うだろうが、普通はまだ物事をキチンと理解できない子供に物事を教える役割を同い年の子供に任せるなんて思うわけがないだろう。
「は、え?殿下のですか?僕は教師などしたことありませんよ?」
ディーの頭を占めるのは意味が分からない、それだけだ。
同い年云々という理由もある。あるが、それ以上にフェリスリアン王子は第1王子で貴族派の旗頭的存在であるルドウィレン王子の対抗馬として国王派の重要人物だ。
何度も言うが、フェリスリアン王子はディーと同じ4歳。その教育には何よりも力を入れるべき国家の課題のはずである。
いくら頭が良いとは言え、こんな子供に頼むような事柄ではない。ないはずなのだ。
「少々問題があっての。殿下が教師を嫌がるのじゃよ。」
「嫌がる…ですか。」
「そのお陰でますます殿下は部屋から出る気配がないのじゃ。」
うちの王子様は4歳児にして既に引きこもりらしい。以前抱いた泣き虫という印象よりも悪化している。
前に会った印象は弱々しくて子供らしい子供だったが、それに引きこもりと教師嫌いの要素が加わってグレードアップしたのだろうか。
「今までの教師に問題があったのでしょうか?」
「うむ…こんな事はあまり言いたくないのだがの。初めに付けた教師が中々に熱血で馬が合わなかったのじゃよ。これは仕方がないからと、教師を変えたらとある貴族の息がかかった者で散々な目に合わせられたらしくての。」
誰も聞く人などいないだろうに声を若干潜めて言ったのはクジェーヌ自身の後悔の表れだろう。
更にクジェーヌが言うことには、教師がとある貴族の息がかかったものであり、殿下にキツく乱暴に当たっていたことに気付いてから教師を3度ほど変えたが、最後の教師など顔を合わせることなく1ヶ月が過ぎ辞めていった、という。
何だそれ、この国教師不足かよ。と思っても仕方のない現状だ。何せ国王自ら動いてこの結果なのだから。
ちなみにとある貴族とは貴族派筆頭の家のことで間違いないだろう。ボカしているがそれ以外考えられない。
「つまり、同じ子供ならば会うこともでき、教えることもできるだろう…と?」
「その通りじゃな。」
眉を寄せて沈痛な面持ちを浮かべるクジェーヌにディーは頭を抱えたい気持ちに陥った。
(初めの面白そうな表情って本当何?!怖いというより困るんだけど!?)
ディーの思考が脱線したのも仕方がない。今までの登用試験だとか監査等よりもかなり責任重大すぎるのだ。
「…僕には教師の経験はありませんし、僕自身誰かに教わったこともありません。それでも宜しいのでしょうか?」
そう尋ねるが、この話を持ちかけられた時点で答えは分かっていた。
「勿論じゃよ。代わりにここ、総部省での仕事
は週に2日に減らし、殿下の教育に関してはシュリルディール、お主に一任する。できるかの?」
「はい、やらせていただきます。僕が教師と言っても信じられないでしょうし、警戒を抱かせては元も子もないですから手っ取り早く友人になって近づくことにしようと思います。」
やらせていただくとしか言えない。おそらくここに来るまでに色々な人が悩んで考えたのだろうから。
もう道は作られている。それ以外の道を通りたくはあるが、後々困る事態になるのは避けたい。後々困る事態になって誰が一番困るかと言ったら、このまま王と宰相の思惑通り行くと確実にシュリルディールなのだ。
「ふむ。ディールには友人という関係を利用させてばかりで悪いの。」
確かにこれで2回目だ。ただ前回と異なるのは実を伴うこと。
「殿下とは教師でなくとも友人となり親しくなっていたはずでしょうから。友人になる目的が1つ増えただけで、今回は利用とまではいかないでしょう。」
「殿下とディールはこれから長く深くこの国を支えていくことになるやもしれぬ。その点も含めて頼むの。」
「はい。」
頷いたもののディーの内心は不安だらけだ。
4歳児なんて前世では周りに何人もいたがそれはお姉さんとして接していた。しかし、今回は中身はどうであれ同い年なのだ。年上らしく接する今までのやり方では駄目だろう。だからと言って同年代と接する態度で接せるはずもない。
(さて、どうするかな。)
などと軽く口の中で呟いてみるが、答えが出なさすぎて困る。今まで…死ぬかもしれないと思った2年前より困っている。
その困惑を察したのだろう。クジェーヌが口を開いた。
「教える内容は礼儀マナーは最低限で構わぬ。それは第2王妃様が教えていくそうじゃからの。問題は性格じゃな。王族らしいとは言わぬがある程度外に出るようになってほしいのお。
基本的に教師は学園に入学してから上位の成績を保つことのできるだけの学力を有することを目標にするのじゃが、それはディールと関わることにより慣れてから本職の教師を付ければ済む話じゃ。」
つまり、ディーは純粋な教師ではなく、性格を改善させて次の教師へスムーズに引き渡せる段階まで持っていく人員なのだ。
それならばある程度は楽に取り組めるかもしれない。
先程から宰相の手のひらの上で転がされている感しかないが、最初に動揺を隠せなかった時点で諦めた。分かっていてもどうしようもないのだ。
初めに面白がっていたことからも、途中で見せた沈痛な面持ちは嘘とまではいかないが絶対に演技が入っているだろうし、他にも端々で見せた表情や言動は明らかにこちらを面白がるものが混じっている。
そうでなければ、初めに教師になってほしいなどと言葉少なめな言い方で情報を小出しにしない。
人身掌握が上手いとは聞いたことがあるが、人を思い通りに反応させる、つまり動かすのも同様に上手いのだろう。
そんな人物がこの国の宰相で嬉しいと思う。思うが、動かされていると分かっていても動かされないという選択肢がない現状のディーにとってあまり面白いことではない。
ディーの中のクジェーヌへの印象は今までと今回で完全に食えない狸爺で固まっていた。
今までも何だかんだとクジェーヌの思い通りにディーは動いています。動かされています。
次回の更新は7月29日21時です。




