39話 もさっと
「さっき帳簿付けてる人は副院長ともう1人いると言ったけれど、この人についても調べたい。それと、他にもう1人、調べたい人がいる。」
シュリルディールがそう告げた瞬間、オセロッティアヌの眉がピクリと動いた。その後、この後の仕事量が頭に浮かんだのか僅かに青ざめる。
内心で謝罪しつつディーは言葉を続ける。
「ベリルアグローシュ曰く、帳簿のつけ方を教えてる人がいるらしい。僕達は会ってないけれど。名前はカルフルートールー・ヴァテギョン。」
そう言ったディーはニヤリとした笑みを浮かべる。それを見聞きしたオセロッティアヌは目を閉じ頭の中で記憶を辿る。10秒程考え込んだ後、同じ様なニヤリとした笑みを浮かべた。
「それはそれは…」
とオセロが呟いた声には確かに愉悦が含まれている。
カルフルートールー・ヴァテギョンは決して有名な人物ではない。貴族でも貴族の子でもないから貴族名鑑に載ってもいない。
それでも2人がカルフルートールーを知っていたのは貴族名鑑が理由だ。その貴族名鑑は書庫に置かれているような普通の物とは異なる。
2人の頭の中に入っている貴族名鑑は総部省大臣・補佐官専用であり、そこには数代前までなら平民落ちした人の名やその子孫の名もあるし、貴族に仕える人の名も流石に全員ではないが学園出身者に関してはほぼ記されている。
通常の貴族名鑑には系譜と地位、生年、見た目、行った施策等が記されているが、専用の貴族名鑑には名前と地位、生年の他には記されていない。
それでも記されている人の量が量だけにもの凄く分厚く、字も小さい。総部省補佐官になって最初に覚える課題がこの分厚い物を覚えることだ。つまり、それを覚えられない人物は総部省大臣も、その補佐官もできないことになる。
「偽名は使わなかったんだなあ…」
「バレないと思ったんじゃない?貴族とは言え財部省の1官人の祖父の代に平民落ちした再従兄弟なんて。名字も元の家から2回変わってるし。記録上では記されない全く関係のない人間であって孤児院の職員ではないから。」
カルフルートールーの存在はクノートルダム孤児院で働いてる職員か、院にいる子供達、護衛を担当している冒険者ならば知っている可能性が高い。そこから聞ければ知ることができるが、そうでなければ運が良くなければほぼ知ることはできない。地味に書類仕事の国にとって証拠も取りづらい嫌なやり方だ。
「あの家は子沢山だからそれだけ平民落ちも多いからね。見た目は分かる?」
「いや、流石にそこまでは聞き出せなかったよ。ベリルアグローシュも1回しか会ったことない、しかもすれ違っただけみたいで。分かるのはもさっとした男ってだけだね。」
「もさっと?」
「もさっと。」
真顔で聞いてきたオセロの言葉をディーは真顔で反芻する。ベリルアグローシュに尋ねてももさっと以上の答えは返ってこなかったのだ。聞かれても困る。
「ふーん…まあ、成人男性自体少ないからすぐ分かるかな。基本孤児院にいなそうだから足取りは追ってもらうとして、もう1人は?」
「院長だよ。」
「…院長は基本孤児院に寄り付いていないらしいし、関わってなさそうだけど。」
「共犯者として関わっているかは分からない。けど、ベリルアグローシュは院長に会ったことないそうだよ。見かけたこともないって。先輩もここ数年見かけていないらしいよ。」
「…ここ数年ねえ…それはきな臭いね。こっちでも調べるけど情報部も使うか。」
ここ数年…詳細は聞けなかったが、それは少額であってもクノートルダム孤児院の帳簿と実際の補助金額の差が出てきた頃と大方被る。本当に被っているかどうかはディー達で流石に調べるには難しい部類に入る。
そして本当に被っていた場合は不正とほぼ同時期にいなくなった院長ということになり、何らかの形で関わっていると見て良いだろう。
「情報部ってこの間の帳簿とか入手した人達?」
「そうそう。ウチの省の中でも大臣補佐クラス以上じゃないと知らないよ。だからディールも他の人には言わないようにね。
いるんだろうなという噂はあるけど誰かとか存在自体をちゃんと認識して使えるのは陛下とクジェーヌ様とその補佐官の僕達、あとは騎士団長…ディールのお父上だね…も知ってるはず。それ以外は分からないなあ。」
「分かった。どうやって頼むの?」
「基本はクジェーヌ様に許可と申請をお願いするよ。証拠に残るような書類はダメだからね。」
「なるほど。でもクジェーヌ様って今…」
ディーはうんうんと頷いていた頭をふと傾げた。その言葉である事実に気付いたオセロは声を上げる。
「あー!そうだった!トッレムと一緒にヤムハーン国にいるじゃん!」
「その場合は…?」
「陛下かな…」
「…なるほど…」
情報部を動かせるのは陛下を宰相のクジェーヌだけだ。それ以外は存在を知っているし細かい指示は出せるが、この2人に嘆願して情報部を使わせてもらうことが限界となっている。
マクベスが現在、国内にいないクジェーヌの代わりに宰相代行を務めているが、情報部を動かす権限までは委譲されていない。
「じゃあ、マクベス経由で陛下に…」
「いや、情報部に関しては動かして欲しい本人が直接陛下かクジェーヌ様に口頭で詳細や理由を伝える必要がある。クノートルダム孤児院とビゲッケン孤児院に行った時の帳簿についても僕自身がクジェーヌ様に伝えたし。」
面倒だと思う反面、不正防止にもなるし、口頭ということは情報部の存在の証拠を残さないことに繋がる。
(ケイはほぼ確実に情報部。僕の監視にしてはケイが情報部たと気付けるきっかけが多すぎる。僕は思ってた以上に信用…いや、信頼されてるのか。)
ケインリー自身からこの総部省部屋には入らないことは伝えられている。だからこの場で聞くことはできないが、はなから聞くつもりもない。
「なるべく早めに動いて欲しいし、王城に着いたらすぐ陛下の所に行ってね。」
「2人で行くからね?」
他人事のように告げたディールを逃すまいと、すぐさまオセロが声を上げた。ディーはキョトンとした顔で小さく首をかしげる。
「オセロだけで十分でしょ?」
(ディール絶対分かってて言ってるでしょ!)
オセロは内心でそう呟いた。純真な子供のように振舞ってはいるが、今まで共に行動してきてディーが普通とは異なる事くらい理解しているし、まるで同い年みたいだと思ったこともある。
そんなに陛下に謁見したくないのか、伯父に当たるはずだけれど…と思考を巡らせながらもそれを感じさせない様に無難に返答をする。
「いや、ベリルアグローシュから聞いたのはディールなんだからディールがいなくてどうするの。」
「へぇ、そこまで詳細に話す必要があるんだ。」
「まあ…そうだね。」
僅かにオセロは視線をずらす。
確かに詳細に話す必要はある。しかし、大抵は役なしの執政官が調査するため、聞いた本人がいない場合が多い。当然クジェーヌや王に情報部使用の嘆願をする時に一執政官が入れるはずもなく、大臣補佐官が代弁するのだから。
◆◆◆◆◆◆
扉の前に立つ2人の騎士に礼をしてから、オセロは扉のノッカーを2回押し付ける。コンコンと小気味良い音が響いた。中にいた騎士が確認してから扉を軽く開け、一言二言話した後、扉が開けられる。
ようやく部屋の中に入ったオセロとディーは簡易版の臣下の礼を取った。
「失礼致します。総部省大臣補佐官オセロッティアヌ・ルベキリニージュです。」
「同じくシュリルディール・ディスクコードです。」
顔を上げるとディーと王の隣に立つ大柄な男と視線がバッチリと合った。その顔がパアッと輝く。ディーは苦笑いだ。
「ディー、よく来たね!問題はないか?辛くないか?」
「大丈夫です。そんなに何度も確認しなくても大丈夫ですよ?」
「毎日でも足りないに決まってるじゃないか!」
ディーは予想通りのその言葉にそっと視線を落とした。ルドルフェリドがそんな親子の姿を見て笑いをこぼした後、
「とりあえずフォルは落ち着け。込み入った話もある故、団長以外の騎士は退室して良い。」
と告げたその言葉に一礼した騎士達が背筋を伸ばしたまま部屋の外へと出て行く。王の守護を任されているだけあって真面目そうな騎士達だ。そのトップは今デレデレした表情をしているけれど。
そんな表情の騎士団長と明らかに呆れの混じる微笑みを浮かべているディーを見てオセロは悟った。
(だからディールは来たくなかったんだなあ…)
今回のタイトルはピッタリのものが思い付かず目に留まった単語にしました。
次回の更新は1週間空いて4月15日21時です。
これから7月に入るまで隔週更新です。




