1話 病弱の理由
雲一つないよく晴れた空の下、
大きな門の前で一人の十代半ばの少年が馬車から降りて伸びをした。
3ヶ月ぶりの光景に気分を弾ませながら門をくぐる。
「兄様!」
その声とパタパタという足音に横を見ると、まだ三歳ほどの小さな子供が時折転びそうになりながら走り寄ってくるのが目に映った。
「ディー!走って大丈夫なのか!?」
アレクフォルドは慌てて駆け寄るとその子供を抱き上げた。
「今日は大丈夫みたいです!アレク兄様お帰りなさい!」
にっこり笑って兄の頭にギュッと抱きつく。兄は弟の身体を支えていない左手でその頭を撫でる。見る者全てが思わずほっこりしてしまう光景だろう。アレクは身体を少し離した弟の顔を見る。
「ただいま。今日は顔色も良さそうだな。」
「兄様が帰ってくるって言ってたから頑張ったの!」
そう言ってパァッと花が開くように笑顔になった顔を見てアレクは思わず呟く。
「ディーは着々と美少女になってるなあ。」
ディーことシュリルディールはれっきとした男子ではあるものの、女の子と言われても違和感のない…いや、男と言われた方が違和感のある容姿だった。サラサラとした銀髪は肩の辺りで切り揃えられ、長い睫毛は空色の瞳を縁取りパッチリと開き桜色の唇は不機嫌そうに尖っている。
「むぅ…僕は男の子です。」
「ごめんごめん。そうだな。ディーは男の子だな。」
アレクはむくれる弟の頭を撫でて宥めながら家へと足を向けた。
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「アレク帰ったのね。お帰りなさい。」
「お母様、アレクフォルド只今帰りました。」
家に入るとアレクとディーの母シュリアンナが出迎える。他に類を見ない程の美貌を持つ母が柔らかに微笑んでいた。
「随分と大きく逞しくなったのね。フォルセウスの若い時にそっくりよ。」
「ほぼ毎日模擬戦してましたから。父様にはまだまだ及びませんけどね。」
アレクフォルドはそう言って指で頰をかく。それを見たシュリアンナは悪戯そうな笑みを浮かべる。
「アレクは剣術大会で優勝したそうね。フォルセウスは貴方の年の時はまだ優勝なんてしてなかったのだからアレクの方が強くなるかもしれないわね。」
「ご存知でしたか。父様以上になれると嬉しいのですが…」
「もちろん知っているに決まっているでしょう。直接見には行けなかったけれど…」
「ディーを置いて見に来ていたら怒りましたよ。」
「アレクならそう言うと思って行かなかったのよ。ディーは相変わらず貴方の事に一番懐いているのね。ずるいわ。」
あの後楽しそうに最近起こった事を兄に報告したディーはアレクの腕の中で寝入ってしまっていた。
「今日はディーは調子が良いみたいですね。」
「ええ、ここ1ヶ月程ベッドから出られてなかったから安心したわ。」
その言葉に眉を少し寄せる。
「そうですか…」
良くなってきていると思っていたが、どうやら今日が特別なだけで全体的に悪化しているようだった。
「アレク、ディーをベッドに連れて行ってくれる?その後私の部屋に来て頂戴。」
固く変化した声音に身体が少し縮こまる。
「分かりました。」
そう返した声も先ほどとは違い、固く掠れていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ここに座って頂戴。」
シュリルディールをベッド寝かしつけた後、母の部屋に入り、言われた通りに席につく。
母は口を開けて閉じることを何度か繰り返して中々話出そうとしない。
「母様…?」
「あーごめんなさいね。話というのはね…その…」
「…何か…あったのですか?」
「ディーがね…いえ、ディーの病気が分かったの。」
「本当ですか!?」
「ディーの身体が弱くて病気にかかりやすい理由は元々の体質と思っていたのだけど、それがどうやら違うようなの。」
「それなら…」
(その病気を治せれば病気にかかりやすい体質が改善するんじゃ…)
そう希望を見つけた気がした。そう、気がしただけだった。次の瞬間簡単に打ち壊されるほどの幻想だったのだから。
「その病気は…魔力過多症なの。」
魔力過多症とはその名の通り、魔力が身体の許容量を大幅に超えていることにより身体のあちこちに異常が起こり、重い場合は身体を動かすことも出来なくなる病だ。
魔力は5歳頃までは皆同じ量だと言われている。そこからの増加量が人によって異なる。これは生来決められているものであり変更の仕様がないが、その増加量が歳と共に増えていく身体の許容量を超えてある程度経った時に魔力過多症となる。
このような事情から魔力の増える時期とされている5歳から20歳までに罹る者が主であり、3歳で罹るなど聞いたことは無い。
「ま、魔力過多症なら魔力を使うか封じればいいんじゃ…?」
母はその言葉に首を振った。
「もう出来る限り封じてるのよ。それでも足りないの。ディーは普通の人よりかなり早くから魔力が増えているの。魔力が多すぎて使いきれないほどに。」
10代後半頃に魔力過多症になった者は20歳を超え、魔力量の増加が止まり、許容量が増えていくにつれて治ることが多い。そのような者は人より魔力が多い為魔法師として大成する。
しかし、それ以前に罹った者は許容量が間に合わず死に至る。
13歳で罹った者が辛うじて生き延びた例は聞いたことがあるが、それ以前では一例もない。つまり20歳になる前に死に至るのだ。
「ディーは永く生きられないのですか…?」
母はグッと唇を噛んだ後、口を開いた。
「シャラン医師が余命はたった一年だって…まだあんなに小さいのに…まだ何もしてあげれてないのに…」
嗚咽を漏らす母にかける言葉が見つからない。アレク自身呆然と何も考えられなかった。頭の中を疑問や認めたくない言葉が駆け巡る。駆け巡っては消えていく。
この部屋はアレクに話す為に使用人を遠ざけていた。
辺りは嗚咽で音が聞きづらかった。
比較的耳が良く気配察知能力の高いアレクはそれどころではなかった。
だから、二人の話をドアの向こうで聞いている人がいるとは誰も気づかなかった。
その人影はそっとその場を離れ、少し先の部屋に入っていった。入った瞬間大きな声にビクッと身体を強張らせる。
「ディー様!どちらに行ってらしたんですか!いらっしゃらないから部屋中探し回ったんですよ〜」
そう言ってホッとした顔を見せるメイド服を着た女性にディーは慌ててにっこり微笑む。
「サニア、ごめんね。今日は調子が良いから大丈夫だよ。」
(今日だけかもしれないけどね…)
「でもちょっと疲れちゃったから寝ようかな。」
「分かりました。必要な物はございますか?」
「んー特にないかな。」
毛布をそっと掛けた後、サニアは退室する。
「では、ご用がありましたらお呼びくださいね。」
足音が十分に遠ざかっていった所でディーはベッドから身体を起こし頭を抱える。今すぐ叫び出したかった。
(病弱な身体とは思ってたけど!余命1年って!!転生したのに4年で終わるとか酷くない!!!?)
そんな言葉を口に出す訳にはいかず、
「あー…」
口から漏れたのは気が抜けたような声だけだった。
シュリルディール・ディスクコード。3歳。少し青みがかった銀髪に空色の瞳の可愛らしい容姿。
ミリース国王家特有の銀髪を受け継ぐ理由は母にある。母は現王、ルドルフェリド王の妹姫シュリアンナ。ちなみに現在30歳。彼女の髪も銀髪の為、シュリルディールにも銀髪が遺伝したのだ。父は母より1歳年上で騎士団長を務めるフォルセウス・ディスクコード公爵。兄弟はアレクフォルドただ一人。
両親ともやっとできた二人目の子供を可愛がり、兄も歳が11程離れた弟を溺愛していた。
そんな恵まれた家系に生まれたシュリルディールだったが、身体が弱くベッドから出られる日の方が少ない、常に何かしらの風邪を引いている子供だった。
そんなシュリルディールには誰にも言ってはいないが前世の、しかも別の世界の記憶があった。それを思い出したのは2歳の頃。高熱に生死を彷徨っていた時にふと頭に蘇ったように浮かんできたのだ。
前世は地球という惑星の日本という国に住んでいた少し不幸で少し頭の良い18歳の女子高生だった。平和な日本で若くして死ぬというのは珍しいが、死んだ時の記憶だけがぽっかりと空いていた。18歳のあの時に死んだということは分かっている。あの時というのが靄がかかったように不鮮明で思い出せないだけで。それ以外の記憶は明瞭に思い出せる。本郷美奈という名前と知識と境遇。
思い出した時、性転換してることも含め当然戸惑ったものの、魔法と剣の世界に転生というラノベ的展開に胸を熱くさせた。
だが、今では笑うしかない。何せ剣も魔法も使う間もなく死ぬのだから。
(やっぱり人生そんな上手くいかないよねー)
色々通り越して諦めに似た境地に達する。
「人生そんなもの。諦めるしかない。」
そう呟く。だが、その両目からは涙が溢れてこぼれ落ちていた。
美奈は今の生活が好きだった。親も兄も使用人達も優しく愛してくれていたから。
前世では幼い頃になくしてしまって微かにしか覚えていない親の愛情を再び感じられたことが嬉しかった。前世では兄弟は沢山いた。だが、血の繋がった兄弟は一人もいなかった。おそらく憧れていたのかもしれない。この世界に来て正真正銘の兄がいて幸せだった。
だが、今は泣いている母の声と呆然としていた兄の顔が頭によぎる。死んだらもっと悲しませるのだろうか。
でもどうしようもない。前世の記憶があったって何の役にも立たない。これが前世にもあった病気なら何とかなったのかもしれない。
だが、魔力なんて概念自体がなかったのだ。
「無理だよ…」
ディーは毛布に顔を埋めて涙を拭うと横になって目を閉じた。胸の内は諦めと絶望で埋め尽くされていた。
毎週日曜21時頃更新予定です。
8/7見やすくする為にさらに改行しました。
数字がおかしいと思って変えたらそれがおかしかったです。夜中に変更するべきじゃないですね…