第八話
「夏風夏奈………………あった、これだわ」
夏風さん自分自身の墓標を指してはそう言った。
「もう一つ行きたい場所がある」夏風さんにそう言われた僕は彼女の言われるままに自転車を動かし、結果辿り着いたのは墓場だった。
梅雨時においてじめじめと湿った墓場はその持っているイメージと合い間って嫌でも気分を陰鬱にさせる。
「……やっぱり不思議なものよね、自分で自分の墓場を見るなんて。私はここにちゃんと存在している筈なのに、この墓場は私が居ない事の悠然たる証明――――云わば証拠みたいなものだもの。解が存在する筈なのに問題文が存在しない。あるいは解が存在しないのに問題文だけが存在する――――――――複雑な気分だわ。言うにつけ、不思議。いや……違うか、馬鹿らしくなってくるのよね。ドッペルゲンガーとご対面したような、そんな感じね」
「大丈夫ですよ」
僕は夏風さんの隣でまじまじと夏風さん自身の墓場を見つめ、はっきりと言う。
「僕にはあなたがちゃんと見えていますから」
「ありがと…………」
そんな言葉を交わしつつ、僕等は直に雨に打たれていた。
その後、僕等は何も言わない。
為すがままに僕等は雨にその世界を支配されていた。
そして、そんな世界が何秒か――――あるいは何分か――――あるいは何時間か経った。
時間の感覚など覚えていない。
覚える必要がそもそも無かったのだ。
既に僕の横に常識から外れた存在がいる以上、時間なんて常識を気にするのは余りにも無意味だったからだ。
あるいは無闇。
あるいは無価値。
そして価値は時、人、場所によってその姿を変動させる。
「そろそろ……ね」
僕がそんなどうでも良い事を考えていた最中、夏風さんが言葉を発す。
「私にも心残りは無い…………と思うわ。自分ではよく判らないけど、多分そう。『待っていた』ものも来たし、心待ちにしていた事も終わりを告げた。私がこの世に残る『ルール』はもう残っていない…………」
「………………………………」
僕は黙ったまま、夏風さんの墓標を見つめ、
そして矛盾に――――――――気付いた。
「……あれ?」
「…………どうしたの? ツチノコでも見つけた?」
「いつの時代の話だよ……」
「私は藤岡弘探検隊をDVDで全部見た人間よ。馬鹿にしないで」
「……あんた、またコアな知識だな、それ…………じゃなくて。違いますよ、夏風さん」
「何が?」
「この墓標、おかしいんですよ」
「墓標? 一体何がおかしいって言うのよ」
「これ、名前が――――――――――」
――――と。
僕が言い終わる前に彼女は僕の口を塞いで、物陰に引きずり込む。
「……ちょッ!? 一体何が――――」
「しっ! 静かにして。人が来るわ」
「…………それは判りましたが、何で僕達が静かにして尚且つ物陰に隠れる必要があるんですか?」
「……いや、私って一応、幽霊なんだし見られないのならその方が良いじゃない」
「何を今更……。どうせ僕以外の他の人にはあなたの姿は見えないんですし、こうして物陰に一々隠れる方が阿呆らしいですよ」
「…………ッ! もう、細かい事言わないでよ! 隠れちゃったんだから仕様が無いじゃない」
「夏風さん」
「…………何よ」
「おっちょこちょい振って今更萌えポイントを稼ごうとしても無駄ですよ?」
「……あなたは一体何を言っているのよ」
そう言って夏風さんは引いていた。
えー……。
卑怯だぜ、今更こんな事で引くなんて。
萌え、なんて今や一般に流通しまくって標準語みたくなってるじゃん。
「あなたから良からぬ事を考えている気配がガンガンにしてくるけど…………。まあ暫くは静かにはしておいてね。こんなところに隠れている間抜けな姿を見られるのはあなたも嫌でしょう?」
阿呆な事に引きずり込んだのはアンタだと思うが……。
まあ、確かにこんなところで騒いでも仕方が無いので黙っておいた。
そういうツッコミは後にしておこう。
しかして暫く物陰に息を潜めていると、遠くから傘を差しつつ歩いてくる人影が見えた。
雨に紛れてよく姿を確認する事は出来ないが、どうやら女性らしい。
歩き方とシルエットからそれは判別出来る。
彼女はゆっくりと墓地を歩いてくると、僕等の直ぐ傍に腰を降ろす――――――
つまりは夏風夏奈の墓標の前に腰を降ろした。
「……………………夏風さん、もしかして」
僕は黙ったままの彼女に向かって小声で喋りかける。
そして、
「…………お母さん」
彼女――墓参りを受けている張本人、夏風夏奈は静かに呟いた。
「……やっぱり」
先程、墓を見て僕は疑問を感じざるを得なかった。
『夏風夏奈』という言葉にのみ注目していたが故に暫く気付かなかったが、彼女の母親らしき人物の名前が墓標の何処にも刻まれてはいなかったからだ。
夏風さんが母親を相当尊敬している事から判る通り、彼女の母親は彼女を相当溺愛していた筈だ。ならば彼女の母親が亡くなった際、『夏風夏奈』と同じ墓標にその名が刻まれいないのはおかしい。
「しかし……まあ、タイミングの良いご登場だよな」
そう言って僕は息を吐く。
「お母さん、お母さん、お母さん、お母さん…………ああ、生きてた……」
そう言って彼女は目に涙を溜める。
それ程に嬉しかったのだろう。
母親が生きていた事。
更に病室に母親の姿が無い――――つまりは母親の病気が治っていた事。
それは彼女にとっていかばかりの幸福なのだろうか。
――――まあ、そんな事、僕に判る筈も無く、
僕はただ黙って彼女とその彼女の母親を交互に見つめていた。
母親は慣れた手付きで線香を上げて黙祷を捧げた後、持って来たお供え物を墓前に置き、こう言った。
「…………ごめんね、夏奈」
「…………………………え?」
そんな母親の言葉に対し、当の謝られた本人である夏風さんは驚愕をその表情に映し出す。
「…………ごめんね、夏奈。ごめんね………………ごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんね」
「…………ちょっと、お母さん。それは一体どういう――――」
「私の――――私なんかの為に、私なんかのお見舞いにくる為に死んじゃって…………本当にごめんね、夏奈」
母親のその言葉にハッとする夏風さん。
どうやら気付いたらしい。
もっと正確に言うのであれば気付いてしまったらしい。
夏風夏奈の死が彼女の母親を縛っている事に。
「私なんかのために……私を元気付けようとして何でこんな事に…………ッ! どうして……どうしてなの。ねぇ……夏奈。本当にごめんね。病弱な私を元気付けるために時間を作って私の所にお見舞いになんか来てくれて…………。毎回、病院まで行くのは大変だったでしょう?」
「違う…………ッ! 私は……私が来たかったから、私がお母さんに会いたかったからお見舞いに行っていただけ…………ッ!!」
夏風さんは彼女のお母さんに対して否定の意を唱えるが、その声が母親に届く事は、無い。
「私が入院なんてしていた所為で。私が夏奈のお見舞いを嬉しがっていた所為で。私はあの日、ベッドに横たわっていただけなのに…………そんな姿で私は――――ッ!!」
「――――そんな事は無い!!」
「そうだわ――――私が入院なんてしなければ良かったのに。私が面会謝絶になる程に病状が悪化していれば良かったのに。私だけ……私だけのうのうと回復して、元気になって、それでも…………それでも元気な姿を見せてあげたいと願ったあなたはもう何処にもいない…………」
「――――私はここにいる……。私はお母さんの元気な姿を見られて良かったと……本当にそう思っている!」
「何で私じゃないの…………。何で私――――お母さんじゃなくて夏奈なの? ねえ、神様? どういう事? どういう冗談? どういう見解? どういった理由があって私の病気と夏奈を交換したの? それが等価値だったの? そんな、訳無いじゃない。残酷過ぎるよ、神様。夏奈の命の方が私の病気――命よりももっと上に決まっている。……私の病気がもっと悪化していれば私をお見舞いする理由はあの娘には無かった。結局――――」
「――――お母さん……それ以上……。それ以上先を言わないで…………」
「私が夏奈の代わりに――――――死んでいればこんな事にはならなかったのに……」
「――――…………ああ………あああ………………あああああああ」
気付けば夏風さんからは涙と共に嗚咽が漏れ出してた。
母親が子を想うが故。
子が母親を想うが故。
こう言った結果に――――こう言った結末になってしまったのか…………。
どういう冗談だよ、これは。
笑えない。笑うことなど出来ない。
これじゃあ――――こんな結末じゃ、自信が持てないじゃないか。
ロクな事にならないじゃないか……。
「…………夏奈」
「いつまで泣いているんだよ、あんた」
そう言って、
そう言って僕は物陰から飛び出し、夏風さんの墓前に立っていた。
「………………あなたは」
夏風さんの母親は泣き腫らした目で僕を見遣る。
「生前、夏風夏奈さんにお世話になった者です」
「ちょっと! あなた、何飛び出しているのよ!」
夏風さんはそう言って僕を連れ戻そうと呼んだが、僕は無視して夏風さんの母親をその眼前に見据えた。
「そう――――――。恥ずかしいところ見せちゃったわね」
そう言って夏風さんの母親は涙を拭う。
「なあ。あんた、夏風さん――夏風夏奈さんがあんたにそんな事を本気で言って貰いたいと、そう思っているのか?」
「…………え?」
夏風さんの母親は疑問の声を上げる。
「なあ…………夏風夏奈さんが本当にあなたの為だけにお見舞いしていたと本当にそう思っているのか? そう思っているなら、教えてやる。それは間違いだ。間違っているし破綻しているんだよ、あんたの考えは。なんなら的外れ過ぎて笑えてくるぐらいだ」
「なんなのよ、あんたは…………聞くにどうやら盗み聞きしていたみたいだけど…………私の――――子を失った母親の想いがあなたに判る訳が……」
「お見舞いを何よりも楽しみにしている――――夏風夏奈さんはそう言っていたぜ?」
「…………………………ッ!!」
母親は僕の言葉に動揺を隠せない。
そして――――横を見れば夏風さんは僕の姿を黙って眺めていた。
僕は、続ける。
「子を想う母親の気持ち――――立派だよな。本当、僕には判らないよ、そんな事。でもさぁ、これだけは意志薄弱、浅学菲才の僕にも、判るよ。今、夏風夏奈さんは悲しんでいる。あなたの元気な姿に喜んで、あなたの言葉を否定して、そして――――自身の死に捉われている母親を想って、泣いているよ。こんな事は僕にでも判る。あんた、聞けば夏風夏奈さんに随分と慕われているそうじゃあないか。本当、夏風さんからはよく聞かせて貰ったものだぜ。そんな母親が今や自分の所為でこんなにも弱っている、これを見て夏風夏奈さんはどう想うか…………人間の出来ている『らしい』あんたなら判るだろう?」
「…………………………」
夏風さんの母親はもう何も言わない。
言わなかった。
泣き腫らした目で真っ直ぐ僕を見ていた。
「夏風夏奈さんは今頃こう思っている筈だぜ? 『あんなにも自信を持って私の前に居た筈のお母さんは一体何処に行ったんだろう? 私に対して自信を持って前に進む事を教えてくれたお母さんは一体何処に行ったんだろう?』ってな。あんたの姿を見たら、夏風夏奈さん、泣くどころか笑っちまうぜ? 日々見せてた笑顔であんたをからかうように、な。…………で?」
僕は夏風さんをチラリと視界に入れつつ、言った。
母親に届くように、気持ちが届くように。
真っ直ぐ――――――言ってやった。
「あんた、いつまで娘の死を引き摺ってんだ?」
「……………………そうね」
そう言って夏風さんの母親は重い――想い腰を上げる。
「……娘が――夏奈が生きていたら私にそう言ったと思うわ」
「そうでしょう? 僕には夏風夏奈さんが見えているんですよ。僕はあの人の声を直にあなたへと届けただけに過ぎないです」
「…………変な事を言うのね。でも…………何か信じちゃうわ、その冗談」
そう夏風さんの母親は笑う。
「あなた」
「……何ですか?」
「名前は…………何て言うの?」
「そうですね……」
僕は自身の名前を夏風さんの母親に対して伝えた。
「……うん、良い名前ね」
「……ありがとうございます」
「夏奈が生きていたらきっと私と同じ反応をしたでしょうね。私と夏奈は似ているからきっとそう言うに違いないわ」
「ええ、正解です。そう、言っていましたよ」
「何だ、先を越されたか」
そう言って夏風さんの母親は快活に笑う。
笑っている姿がとても似合っていて。成程、これなら夏風さんも一緒に居て楽しんだろうな、と。
そう――――思った。




