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第四話

 夏風夏奈の母親は重い病に罹って入院していたそうだ。



 大の母親好きだった夏風夏奈は四月一日、度々行っているお見舞いに今日も出掛けようと思い立ち、悠々とした足取りで出かけた。


 一人娘だった夏風夏奈は女で一つで育ててくれた母親を尊敬していたし、大好きだった。

 父親が居なくて寂しいとかそんな事を思った事は無い。母親がそれを補う余りある愛情を持ってして、育ててくれたからだ。



 だからと言って甘やかされて育っていた訳では、無い。



 時には叱り。

 時には励まし。

 時には泣き。



 そんな風に一人の娘である夏風夏奈を母親は責任を持って、そして深く可愛がっていた。


 そんな母親に会えるのだ。否が応にも足取りは軽くなる。

 服装は普段より少しだけ気合を入れてお粧しをした。


 膝より少しだけ上に丈を合わせたピンク色のスカートと白いシャツ。


 母親には似合っていないとからかわれるかも知れない。はたまた可愛いと褒めて貰えるかも知れない。だが夏風夏奈にとってはそのどちらでも良かった。一緒に笑っていられる話題が欲しかったのだ。


 母親の症状は未だ回復の兆しを見せない。夏風夏奈はそんな母親に少しでも笑っていてくれたら良いな、とそう思い、そして自身も明るく振舞う気で……いや、それ以上に母親と話せるという事に彼女は嬉しさを覚えて、そんな気持ちを持って彼女は病院へ通じるバスを古びたバス亭で待っていた。


 母親は私が来たらどんな顔をするだろう。

 笑ってくれるだろうか。


 嬉しがってくれるだろうか。


 ――――と、そんな事を考えつつバスを待っていた。



 彼女自身、もうすぐ高校三年生。もう少しすれば母親のところへも気軽に行けなくなる。春休みが終わらない内に出来る限り彼女は母親の元へと通い詰める気でいた。


 更に言えば今年からは大事な受験勉強がある。

 進路は実の所――――悩んでいた。


 彼女自身、進路は大学を希望していたが母親がこんな状態なのに自身は平然と大学になど行って良いものなのかどうか、と。


 この日――四月一日より三日前、夏風夏奈は母親にこのような心情を打ち明けると、母親は「あなたは本当に心優しい娘ね」と言った後にこう言った。


「進路について悩んでいるのであれば、考えて考えてそれでいて自信の持てる結論を持ちなさい。只、惰性で決めた事にロクな事は無いわよ」

 母親はそう言って、夏風夏奈の頭を撫でた。


 古びたバス亭で彼女は――――――決意する。

 今日、私は自信の持てる進路が決まった事を母親に伝えよう、と。


 大学へ行って勉強を続けたい――――その事を伝えよう、と。

 それは彼女が考え抜いた結論であり、また自信の持てる結論でもある。


 それ以外にも話す事は沢山ある。


 今、現在母親がいなくなった事で送っている一人だけでの生活の事。学校の友達と遊びに行った事。服の事だって母親と話したい事の一つだ。


 彼女は微笑みながらその事を考え――――――

 そして、


 彼女は眼前に猛スピードで迫るバスを視界に捉えていた。




「……で、気付いたらここに居たわ」

「……………………ここって」

「バス亭よ。この古びたバス亭。何で私がこんな所にいるのか、はたまた私が何をしているのかは判らないわ。こっちが訊きたいくらいよ。私が判っているのは私がこのバス亭から離れる事が出来ない事。私が唯一しなきゃいけない事は来るべきであるバスを待つ事。そして私が――――――――死んでいる事。この三つよ」

「……死んでいる、のか」

 僕はただただ魂の抜けたかのように項垂れながらもそう呟く。


「ええ。眼前にバスが猛スピードで迫ってきていたんだもの、そりゃあ死ぬでしょう。それに気付いたらにここに居たし、これが死んでいるんじゃなくて一体何だって言うのよ。催眠術って線はあるかも知れないけど、どうやら私の姿はあなたにしか見えていないようだし、その線は無いわね。もしそうだとしたら生涯、最高のドッキリだと思って笑い転げてやったのに」

「…………それで」

「……それでって?」

 僕の言葉に夏風夏奈は言葉を返す。


「お前、どうするんだよ」

「言ったでしょう? それとも忘れちゃったの? まったく…………ノミ並の知能をしているわね、あなたは」

「………………………………」

 こんな時ぐらい歯に衣着を着せる努力ぐらいしろよ。

 反論しづらいじゃん。



「私は待っているのよ。バスをただただ待ち続けているの」



「……………………でも」

 でもバスはもう来ない。


 絶対に――――来ない。



 バスは既に廃線化が決定している。

 彼女のお陰で――――彼女の所為で――――彼女の為に。


 彼女を想ってやった事が結果的に彼女を苦しめる事になっている。


 なんて――――皮肉だ。


「私はもう待っている事しか出来ない。それが二度と来ないものだったとしても――――それでも私は待ち続けなければならない」

 彼女は徹頭徹尾、最後まで淡々と自身の状況を述べた。


 まるで他人事かのように。




 僕等の世界を包んでいる雨はその姿を消そうとはしなかった。

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