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第二話

 学校から――――と言うより夏風さんの居たあの古びたバス亭から帰った後、僕は久しぶりに恥も外聞も無く読書に没頭した。



 最近は好きな作者の新作だけはちゃんとチェックして買うようにしていたものの進路の心配からそれらを読まずに積み本にしていたのだが、それらを一気に消化するよう僕は本を次から次へと手にとっては読破していった。

 意外にも親は僕のそんな姿を見ても何も言わず(見捨てられたのだろうか)、静かに僕は本の世界に浸る事が出来た。


 趣味が読書なんていうのは高校生にしては少々、地味な趣味ではあったものの、久しく読まずに倦厭していた状態から一気に本を読んだ僕はやがて気付いた。


 僕は本当に本が好きなのだと。

 物語に対して貪欲で、活字に対して飢えていて、キャラクターに対して恋焦がれ、言い回しによって快感を得て。そして――――本が持つ重さ。本が持つ独特の匂い。本を読んでいるという自分自身。そういった空気が僕は好きなのだと。


 自分自身に自信が持てない奴ほど滑稽な奴はいない――――――――



「そして自分に自信を持てる奴なんて余程の偏屈者――――――か」

 僕はそう思いながらもページを進める手を止めようとはしなかった。





「……ああ、来たの。また会ったわね」

 夏風さんと会って三日目。もう既に日常になりつつある場所で彼女はそう言った。


 帰宅路の途中の古びたバス亭のベンチ。

 雨は止む事無く降り続け雨漏りしているバス亭の屋根すらも、その存在は僕の中で“いつも通り”で合った。


 僕はいつもと同様に彼女の隣に腰掛けつつ、言う。


「夏風さん。昨日、言われた通り本を沢山読んでみましたよ」

 彼女は僕の言葉に直ぐに返答を寄こす事は無く、暫く前を向いたまま間を空けると「……それで?」と前置きをしつつ、僕に訊く。



「あなたはそれで…………何か判ったの?」

「そうですね…………」

 僕は夏風さんと同様に間を開けつつ、答える。


「僕が無類の本好きと言う事が判りました」

「そう。……良い事ね」

 彼女は微笑みながらそう答えると僕の方に向き直る。



「まったく……」

「…………………………」

「高校三年生で進路も決まっていない癖に遊び呆けるなんて……」

「あんたが言ったんじゃねぇか!?」

「冗談。お約束じゃない」

「どんなお約束だよ…………」

 相変わらず読めない人だ……。

 僕はこの人に踊らされているような気さえしてきた。



「結果的に言ってあなたは本好きって事に気付けたわ。けれど次はその先を考える事が大切ね」

「その先……ですか?」

「最終的にあなたは進路を決定するべき身であることに疑いの余地は無い。本が好きだと判ったならそれを進路にするのも決して悪い選択では無いと私は思うわ」

「…………まだ、ですね。僕が選択する進路として考える事は出来ないです」

「そう。良いんじゃない? 趣味と仕事を一緒にするのは決して良い選択では無いわ。やりがいはあるでしょうし、結果仕事は楽しいでしょうけど…………、趣味と仕事が共通している者にとっての悩みは趣味を仕事にした挙句、仕事の息抜きをすべき趣味が無くなる事にある。これはこれで辛い筈だわ」

「…………夏風さん」

 僕は夏風さんの梅雨が明けるような目を見て、言う。



「どうしたの?」

「……お願いがあるんですが聞いてくれますか?」

「『お願いがあるんですが聞いてくれますか』……ね。その訊き方は良くないわ。だって私が内容を知る前にお願いを強制する訳だから。内容によって判断するのが聞き手の権利である以上、それを剥奪するのは殆ど脅迫と一緒ね」

「……すいません。そういう訊き方をしたつもりは無いんですが」

「もしあなたが言う内容がエッチなお願いだった場合、厄介じゃない」

「…………………………」

 夏風さんの言葉に僕は嘆息する。


「いや……別にそういう事を言おうとしていたんじゃ無いんですが」

「……何よ? 私が早とちりしたって言うの!?」

「何でちょっとキレ気味なんだよ……」

「成程。もっと過激なお願いをしようと……」

「違う!」

「私としては……そうね。メイド服を着るのが限界だわ」

「メイド服は着てくれんのかよ……」

 この人のメイド服ならば一度、見てみたい気もする。


 確かに恥じらい無しに淡々と着そうだな……。

 ……………………。


 …………それは、それで。



 ――――――いや、僕は一体何を考えているんだ。


「しかしまあ…………メイド服って今や萌え文化の先駆けみたいな位置づけにこそなっているんでしょうけれども、私個人から言わせて貰えばあれってメイド服じゃなくメイドに――強いては自分に対して尽くしてくれる人に萌えているんじゃないかしら。日本では元来妻が夫に対して尽くす事が常識化されていたけど、今や妻として夫に尽くす人なんて絶滅したと言っても過言では無いでしょうし…………、そう考えると案外今のメイド萌え文化っていうのは日本人の男性が女性に求めている偶像がたまたまメイドさんに当て嵌まっているだけじゃ無いかしら」

「まあそういう人も少なからずいるんでしょうね」

「お帰りなさいませ、ご主人様!」

「………………………………」

 グッと来た。


 まあこういうのは理屈じゃなくて雰囲気で楽しむものなのだろう。


「それで? 結局、あなたは何を私に訊きたかったのかしら?」

「…………勉強を教えて貰いたいんですよ」

 メイド口調から普段の口調へと戻ってしまった夏風さんに少しがっかりしながらも僕は答える。


「勉強? 私は目標無く下手に勉強するよりは進路についてもう少し考えてみるのが良いと言った筈だけど……」

「そういう事じゃあ、無いんですよ。その…………学校のテストが近いんです」

 二学期制を採用している僕達の学校は中間テストが六月も半ばのこの時期にやってくる。


 三年生のこの時期、成績は出来るだけキープして置きたい。


「中間テスト…………ね。懐かしい響きだわ」

「懐かしい? 夏風さん、外見から僕はあなたの事を高校生だとばかり思っていたんですが…………、違うんですか?」

「…………………………」

「…………夏風さん?」

「……いいえ。私は高校生では、無いわ」

 夏風さんは声のトーンを少しばかり落としてそう答える。

 僕は夏風さんの調子が下がるのを見て少しばかり躊躇ったものの好奇心がそれを凌駕し、僕はもう少しだけ深く訊く。


「では、今は何をして――――」

「別に。今はただ…………」

 夏風さんは――――――言う。


「待っている。私はただ――――待っているだけ、よ」

「………………?」

 僕は夏風さんの答えに対して首を傾げつつ、これ以上訊くのは憚られたので話題を戻す。


「まあ、そんな訳で僕に勉強を教えて貰いたいんです」

「…………あなた、今の私の話聞いてた? 私、高校生じゃ無いのよ?」

「それは判りましたが……。夏風さんなら教えられそうな気がして」

 実際、彼女は僕じゃあ及びもつかない程に『決まっている』し頭の回転も早そうに見える。それなら勉強は得意そうだと思って訊いたのだが…………果たしてやはり無理な相談だったのだろうか。


「まあ、とは言え私はちょっとした勉強ぐらいなら教える事は出来る筈よ」

「やっぱり」

 僕の考えは的を外した考えでは無かったらしい。


「学校の勉強なんてつまりは要領があれば誰でも出来るわ。誰でも出来る事を教えているからこその『学校』でしょう? つまりはやる気の問題なのよ。どっかの誰かさんは今までやる気が無かったように見えるけどね」

「…………………………」

 耐えろ、僕……。


 ここで癇癪を起こしてしまえば全てが台無しになるぞ……。


「即ち、よっぽどの馬鹿じゃない限り学校の勉強なんて簡単だわ。あなたのような馬鹿と言う事が判らない程の馬鹿ならば話は別でしょうけれど」

「怒らいでか!」

 いや、無理だろ。


 ここまで言われて怒らない程に僕の脳みそは日和見主義を地では貫けない。


「冗談」

 夏風さんは眼前で怒る僕に対してこう切り出すと、


「あなた、からかうと面白い反応してくれるんだもの。ついつい……」

「…………………………」

「ついつい馬鹿だと言う事を教えたくなってきちゃって」

「…………馬鹿だとは思われているのか」

 ショックだ。

 本好きに馬鹿はいないとばかり思って自分を必死に諌めてきたのに……。


「まあまあ」

 嘆いている僕に肩を置いて夏風さんは僕を慰めようとする。


「どうどう」

「馬扱いしてんじゃねぇ!」

 鹿が抜けてんじゃねぇか。


「そうよね。あなたを馬扱いしていたら馬が可哀相よね…………」

「……いやいや。僕への配慮が微塵にも感じられませんね」

 これが勉強を教えてもらうための代償か。

 ホント、下の人間が苦労するのは何処の世界に言っても同じ事みたいだなー。


「さて、弄るのも飽きたし…………そろそろ本題に入りましょうか」

「ここまでが本当長かったな…………」

 早速僕は判らない場所を夏風さんに聞きつつ、問題集を読み解いていった。


 バス亭のベンチなんて言ってもその幅は意外に広く、問題集を少し広げるぐらいなら訳は無かった。そこに不満があるとするならば梅雨故に湿っぽいので問題集自体が湿気でふやける事ぐらいだった。

 けれどやり辛い事に変わりは無い。


「夏風さん」

「…………はい?」

 夏風さんは僕から訊かれた問題を読み解きつつ、僕の言葉に反応する。


「中間テストまではまだ日取りがありますし…………、もうちょっと深く教えて貰いたいので良ければ明日からは僕の家でテスト勉強しませんか?」

 僕はそう言って夏風さんを誘った。

 そこに一握りもやましい気持ちが無かった事に疑いの余地は無かったが、夏風さんからは断られた。


「テスト勉強の手伝いをするのは私とて吝かでは無いけれど…………、でも勉強を私が教えるのだったら、ここ以外では出来ないわ」

「…………どうしてですか?」

 モチベーションや便利さ、効率を考えてもこのベンチで勉強するのはお世辞にも良い案だとは思えず僕は問いただす。


「どうしても、よ」

 しかし夏風さんは僕の案に一切の妥協をせず答える。


「私はここ以外であなたと会う気は無い」

「…………………………」

 夏風さんのその余りにも強固な言い分に僕は返す言葉も無く、押し黙る。



「もうすぐ…………梅雨も、明けるわね」



 そう言いつつも雨は僕等の世界から未だに姿を消す事は、無い。

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