邂逅
私は栄才へ入学――高校へ進学するにあたって、家族から一人暮らしを進められた。自立心を養うための通過儀礼みたいなものだと思えと言われて。
家賃を初めとした生活費はほぼ支給されている以上、未だ脛を齧っていることはごまかせない。しかし、食費の計算や文具の補充に絡む雑費など、お金のやりくりは曖昧にできないことは、開始して二週間で実感していた。
「今日は、これくらいでいいかな?」
「十分過ぎるくらいです。ありがとうございます」
だから野菜が安いスーパーや、美味しいと評判の精肉店、よくおまけしてくれるという魚屋など、独り暮らしの身には大変ありがたい情報ばかりだった。
「いいよ、私も綺麗な友達出来て嬉しかったし。ほんとの処、綾花ちゃんはどこか近寄りがたいなぁって思ってたけど、普通に親しみやすい人で良かった」
ここで並びながら買い物をしているうちに、いつのまにか品野さんは私のことを『綾花』と呼ぶようになっていた。いつそうなったのか判然としないくらいで、それは素早く親しみを覚えてもらえたと感じている。
「確かに、みんなとはやってることが違うとは思ってます。人によってはいい歳してと鼻で笑ってるでしょうし。でも、私はこうすることに心が満たされるんです」
それを掲げて、実行することで、私を知らない人間からの評価を改めてもらってきた。
この新天地でも、私はそれを貫徹するつもりだ。
その気持ちを、控えめな笑みと共に語った。
「―――」
なぜか、品野さんは目を白黒させて後ずさった。
「……やっぱ、綾花ちゃんはずるいと思うわ。神様は不公平すぎる」
「い、いきなりどうしました?」
唐突に非難に近い言葉を受けて、私もたじろいだ。
「だって、女ですらときめきそうな顔と発言されたんだもん。私どころか、アイドルですらそんなの出来ないよ。ずるい、ずるいずるいずるい!」
「そう言われましても……」
似たようなことは何度か言われたことがある。そして毎回返答には困って、愛想笑いで返すしかなかった。今回もそうだった。
「愛想笑いも綺麗って本当にずるい。入学式から半日でファンクラブが発足したって話も疑えなくなってくるわ」
「……ファンクラブ?」
「知らなかったの?」
「はい」
初耳だった。
しかし、聞かされてから振り返って、そういえば今年は告白しにくる男子が少なかったなと思い直した。組織が出来たことで、抜け駆けを禁止する取り決めでも出来たのかもしれない。相手の気持ちを蔑ろにするつもりはないけれど、さすがに毎年数十の告白を断るのも申し訳ないし、はっきり言えば疲れる。
「知っているなら答えて欲しいのですが、健全な組織ですよね?」
しかし、すぐに別の懸念が脳裏をよぎった。あまり知らないけど、アイドルのファンクラブでは写真や映像の売買が行われるそうだから、私もそうなっているのではないだろうか。
「まだ聞いたことない」
品野さんは記憶を掘り返すためにか小首を傾げ、視線を空へ向けて考えこむと、そう答えてくれた。
「よかった」
いずれそうなるだろうけど、今はその答えが聞けてホッと出来た。
「……品野さん?」
安堵の声を呟いた後に彼女の顔を見ると、なぜか仏頂面をしていた。
「私もそんな風に、女としての魅力で一喜一憂してみたい」
「えっ?」
「私、ブスではないと自覚してるけど、告白はおろか男友達の誰からも、本気で女として意識されたことないの。性格もあるんだろうけどさぁ、やっぱ魅力がないのよ」
直接的に私を罵倒するわけではなかった。しかし、どうにも隠せない私に対する嫉妬がそこに込められていた。
「いえ、品野さんにも魅力はありま――」
「はっきり言ってみろ」
「えぇと……快活な所」
フォローしようとしたが、迫られて一番印象に残る部分を答えてしまった。それを既に把握している品野さんには、致命的に誤った解答だった。
「オンリーワンじゃなーい! なによ、特待生な上に顔完璧品性十分。美尻までしててさ!」
「ひゃっ!?」
感極まった品野さんが、勢い任せに私のお尻を叩いた。
触られたことに加えて、往来で恥ずかしい声を漏らしてしまったことも私の顔を赤くさせることに拍車をかける。
「し、品野さん、ここから離れましょう。人が集まってきてます!」
「私も、男を射殺せるオンリーワンが欲しい!」
どんどんヒートアップして、ちょっとどころではない爆弾発言を叫ぶ彼女の手を無理やり引っ張って商店街から抜け出した。
抜け出すまでの最中、私たちには絶えず人の視線があった。特に男性の。
(せっかく教えてもらったのに……)
数日はこの地域に足を運ぶのは止めておこう。居たたまれなくなる。
「えー……、嫉妬のあまり色々やらかしました。ごめん……」
「もう、いいですから」
済んだことだと水に流すつもりではある。だけど、声に疲労感が残ることは隠せなかった。
「とりあえず、人目のあるところでボディタッチは今後止めましょう」
「……なかったらしていい?」
「駄目です」
「ちょっとくらい……」
「人に求められるモラルです」
「あの柔らかさは癖になって――」
「反省してますか?」
一歩踏み込んで迫ると、彼女は顔をひきつらせながら一歩退いた。
「してるんだけどさー、素直に諦めきれなくて」
「何を言おうが認めません!」
そろそろ、肩でも極めて反省を促すべきかと思い始めた。痛み無くして成長はしないと母は言っている。
「今日は帰りましょう。日も暮れてきました」
無理やりこの話を打ち切り、品野さんの是非も聞かずに歩き出す。
後ろから「待って」や「ごめんごめん」と言う声が、追いかけてくる足音と共に聞こえてくる。
「反省しましたか?」
「したした」
「なら、いいです。この話はここで終わりにしましょう」
それからは、他愛ない話をしながら帰り道を歩き続けた。
ゆっくりとした時間だった。それでいて心地よい時間だった。
だけど、五分も歩いたところで――
「……あっ、品野さん」
「ん?」
「買うものがあったのを忘れていました。私はそれを買いに戻るので、今日はこのあたりでお別れにしましょう」
「付き合うよ?」
「そろそろ夜になりますよ。ご両親に心配させるのも躊躇するので……」
「そう? わかった。じゃあまた明日」
「はい、また明日」
品野さんは後ろを確認してから、背中を前にして歩く。私が見える間はずっと手を振ってくれた。
私も品野さんが見えるまでは手を振った。そして見えなくなると、予定していた道から外れて歩き出した。
安らぎの時間は終わり。すぐに、荒っぽい事態になるだろう。
帰路に着いているのは変わらない。理由は、彼女と何らかのアクシデントで鉢合わせしてしまうのを避けるために。
意図的に、少しずつ人気が減っていく道を選んで歩いている。
(やはり……)
感じたものは間違いじゃなかった。
(3)
背中を追いすがってきている。
(2)
静かに、しかし着々と距離を詰めている。
(1)
その魔手が、今まさに肩に置かれようとしている。
(0)
自分の中で呟いたカウントに合わせて、正面へ一歩だけ大きく踏み込む。
すぐさま身を翻して、私を掴み損ねて空を切っている手を掴んだ。
完全に不意を突いたつもりが気付かれていたことで、相手側は面喰っていた。その間に先手を打つ。
「うおっ!?」
手を掴まれた相手の一人は、空で一回転して臀部からコンクリートの地面へ落ちた。
「いってぇえ!」
出鼻を挫かれるどころか叩き返されて、相手集団はさらにたじろいだ。
そのまま追撃。
一番手前にいた相手の腕を掴み、空いた手で胸を突きながら足を払って、背中から落とす。
これで二人。これ以上は囲まれる可能性が高いので身を引く。囲まれても対応できるけれど、無用なリスクは避けたい。
「痛い目を見たいなら、どうぞかかってきてください」
一筋縄では行かないということをより深く理解させるために、敢えて挑発的な言葉を述べた。
相手は五人。如何にも、品のないことばかりしているという風貌の五人組だった。
目的は、私に乱暴する事に違いない。卑劣なことを躊躇いなく行う輩には、容赦しないつもりだ。
内二人は既に打撲で動きが鈍い。
相手が態勢を立て直す前にあと一人--半数以上をダウンさせれば、引き上げる可能性はあっただろう。しかし、やぶれかぶれの反撃が来る可能性も十分にあったので、私から引き、五人全員を投げる方針にした。
「おい、動けるか」
「すぐはキツい。足動かすとケツに響く」
「十秒待て。息整える」
恐らく、一人復帰に合わせて飛びかかってくる。そこで決着が着くだろう。
見るからに、喧嘩慣れはしていても格闘技の経験はない。そんな相手は二桁を超える回数組みふせてきた。今回もその通りにする。
意識を研ぎ澄ませて、その瞬間を待つ。
沈黙が漂う。緊張をコントロールして正視する私と、警戒心を上げて前傾姿勢で睨みつけてくる相手集団。
私と相手の間に膠着を生まれ、それが解けるのはいつかと思いながら、集中を切らさずに相手を凝視し続ける。
研ぎ澄ました集中力は、相手の一挙一動を見落とすまいと鋭敏な感覚を作る。
その鋭敏になった視界が、相手の背後に突如現れた人影を視認した。
「……え?」
思わず気の抜けた声を漏らしてしまった。
いつのまにか一人多い。私の集中をくぐり抜けて現れた。
闇にまぎれて、得体のしれない何者かが姿を現した。
特待生という点は後々明かします。
あと、胸の大きさは普通です。比較すると品野はわずかに劣る。