120 誇りの意味
「闘った理由?」
「いえ、闘い続けられた理由です」
転送と言えど時間は掛かる。一度に全員を転送するには人数が多すぎるし、術者の数が足りない。旅団メンバーなどはディクセン市に立ち寄っている以上自前で転送できるが、未踏者は意外に多い。市内への侵入資格がめったな事では降りないのが原因だ。滅多にと言うのも語弊がある。冒険者の資本力と能力を持ってすれば、些細なことだ。その些細な労力を支払うことに抵抗を感じる。結果として滅多に降りないというのが現状だ。
戮丸のように行った事はあるが、宿で登録していないが多い。現にムシュフシュも同様だ。
その順番待ちで時間は掛かる。その間の質問だった。グレゴリオのディクセン入りは物議をかもし出したが、オーメル・戮丸の『問題ないだろ?』の一言に一蹴された。
戮丸は暫し考え込んだ。普段なら「めんどくさい」「恥ずかしい」で跳ね除けるが、質問者はトロルのグレゴリオだ。
剣でしか分かり合えないことがある。
だが、言葉でしか分かり合えないことも当然ある。
知りたいと言ってくれるのは嬉しい。無下にする事は出来ない。
「原風景・・・って言うのかな。当たり前の平和な風景ってあるよな。お前にもあるだろうし、俺にも当然あるんだ」
大吟醸を始めとした周りの者も静かに耳を傾ける。
「平和というのは疑問を持ちますが、言っている意味は判ります」
グレゴリオはモンスターだ。トロルにとって迫害は日常茶飯事の一部なのだ。厳密に平和とはいいづらい。
「ああ、平和は言いすぎだったな。俺達も食物連鎖は当然あるし、その被害者側の視点では当然悲劇だ。子供だって親に叱られギャンギャン泣くしとても平和とは言えないな。でもその泣き声の種類で、自分の出る幕は無いと判る。聴けばわかる」
「元気な証拠ですね。判ります」
グレゴリオはその情景を想像したのか、その醜悪な面構えを歪ませる。これが彼らのホッコリとした表情なのだろう。戮丸はその様に笑みを押さえる。
「失礼。その辺は同じだ。逆に自分に出番の有る泣き声というのは判るだろう?」
「・・・心当たりが・・・」
「人間に襲われ、消え入るような子供の悲鳴だ。幾ら放任主義とは言え未完成な同胞が消えていくのは看過出来ないと思うが、―――どうだ?」
グレゴリオの表情は更に厳しくなる。戦の面構えだ。
「・・・なるほど。そうなれば話が違いますね」
「よかったよ。俺と同じだ」
「その状況で闘ったら、お前なら勝つだろう。子供は泣き止まない。どうする」
「泣き止めと言います。それで泣き止むなら良い戦士になりますし、泣き止まないならそこで放置します」
「ハッキリしていていいね。トロルってのは、つまり泣き声から逃げると―――」
「逃げるわけじゃありません!」
「そう感情的になりなさんな。耳障りな声の聞こえない所に行くのだろう?それを俺は逃げると感じるんだ」
「私は闘う!」
「ガキ相手にか?鳴り止まない目覚ましを癇癪起こしてぶっ壊してトロルの勇は語れるのか?誇り有る戦いなのか?」
「・・・そんなものに誇りはありません・・・」
「お前さんなら間違いなく立ち去るだろう。それしか出来ないしな」
「・・・女を連れてくるのはどうでしょう?」
「やりもしない想定は意味は無いんだが、実際やった事ないだろう?そこまで場所に執着するとも思えんし、実際はどうだ?」
「部族の女が駆け寄ってあやします。私の機嫌を損ねる事がどういうことかはよく判っています」
姿勢の低いグレゴリオだが、それはあくまで戮丸に対する尊敬の念と礼儀の上の話だ。最敬礼を持って当たっている彼は支配者側の存在なのだ。
「そうそう、機嫌を損ねる事に対して、俺達自身はあまりにも無力なんだ」
「そんな事は!」
「認めろよ。女には勝てない。どんなに孤高を気取ろうとも股座に顔を突っ込むし、乳を吸い、子をなす。股座に顔を突っ込むことも乳を吸うことも生きるには意味がない。ただ欲望に従った結果だ」
「・・・それは認めますが、公に話す事ではないですよ」
「トロルの方がよっぽど判ってるとはね。失礼した。秘め事だ。俺達でも一応それぐらいの分別がある事になっている」
「だから、認めろよ。男祭りじゃ欲望は消化できない。無理にしようとしても、やはり無理がある。その程度の事なんだ」
「―――はぁ、判る気がします」
グレゴリオはまた顔を歪ませた。彼にも色欲はあるらしい。この顔は羞恥の顔なんだと戮丸は感心した。
「そこで状況を一気に飛ばす。想像してみてくれ、原風景が壊れた世界。逃げ場ない世界だ。出来ない事をやってくれる部族は居ない。消え入りそうな泣き声ばかり、いや、耳障りな泣き声も無い。残骸が転がるだけ、怒りをぶつける敵も居ない・・・」
「想像するまでもないですよ。経験があります」
グレゴリオは苦い表情をした。これは戮丸にも判る。
「その時お前はどうした?」
「復讐を誓いました」
「復讐を誓って逃げた・・・か・・・」
「・・・逃げたのかもしれませんね。今なら判る気がします。気は高ぶって何もかもが怖くない。そういう感情で自分を守って、居たたまれない場所から立ち去っ・・・逃げたんですね」
「話が通じて良かったよ。価値観が違うじゃ話にならんしな。で、お前さんは復讐を成し遂げたんだろう?それでどうよ?」
「どうと言うのは?」
「いや、満足できたのか?本当に払拭できたのか?そうは見えないがどうだ?」
「まぁ、すっきり出来る事ではありませんが、詮無きことです」
「そう、どうしようもない。けじめを付けた程度の満足感はあるが、それ以上の飢えと渇きが有る。とても等価ではない。俺にも同じ物が有る。たいした痛みは無いのに何時までも直らない痛みが、怒りが燻っている」
二人は肩を落とした。落胆と言う訳ではない。同じものを背負ってしまった。その事が重くのしかかる。と同時に、この人も・・・と言う共感がほんの少しの救いを与える。
「で・・・その痛みを拭い去ることが出来る。言ったらどうする?」
「馬鹿な!あるのですかッ!酒・・・いや、貴方ならそれは逃げだ!私も考えた。現実は変わらない!どうやって!何で!この痛みを消し去れるのですか!」
戮丸の論法は知っている。レトリックのような答えではないのだろう。この痛みがすっきりと消える手法のはずだ。
「たいした痛みではないのだろう?必死だな」
「貴方なら判るはずだ!私の誇りに消えない傷を付けた!それが我慢できる訳が無い!・・・私はこれを許せない!」
「先に行っておく。お前の傷は消えない。いい言葉だな『誇りに傷を付けた』。今度から俺も使おう。薬は俺のここにも同じ物が有る。それだけだ・・・」
「・・・そんな」
親指で自分の胸を指した戮丸と対照的にグレゴリオは落胆した。
「・・・まぁ、その消えない傷なら、付く前に消せってだけでね」
「それはあまりに・・・」
「そう馬鹿過ぎる。何事にも基点というものは存在する。俺は基点を嗅ぎ分けられるように生きてきた。それでも良くはなっていない。今回もその基点を嗅ぎつけた。別に特殊能力じゃない。誰だってあの状態が惨状を生むってわかるだろ?」
「で、誰かがやる。片付けるって思っている。・・・でもさ、そんなやつは居ないのさ。何時だって居なかった」
戮丸の黒いものがジワリと浮かぶ言葉だった。
戮丸は語る。
自分の暗部を―――
出来る事なら誰にも話したくない。自分の弱さを――
「だから俺は、そんな時に直結させるんだ。最悪の未来と―――」
「それは善では決して無い―――」
「俺自身が認めない―――」
「単純に怖いんだ。復讐なんて言葉で飾って駄々子のように暴れるしかない未来が―――」
「蛮勇でも何でもいいさ。自分の鍛えて来た物が役に立ちませんと泣き喚き当り散らし、それでも空っぽで満たされない。そんな惨めな男だ。その裁定を突きつける現実から逃げてたんだ」
戮丸の気持ちは判る。確かに復讐する自分は惨めだった。そして息を吞む。そこから死に物狂いで逃げていたのがあの姿だ。くじけた瞬間にそれをリロードするのだろう。逃げるには立ち向かうしかない―――
「俺は蛮勇でも誇りたいんだ」
「自分は強かった筈だと―――」
それは特にドスの聴いた声ではなかった。むしろ呟くようで―――
しかしそれはグレゴリオを圧倒した。
誇りとは全てを投げ捨てても残ってしまうもの。その言葉の意味を理解した。
自分の尊厳も、何もかもを投げ捨てた。誇りがあるから!
それを蛮勇だと言い切れる。何故蛮勇なのかをとくとくと語れる!
―――自分が勝てるはずが無い。理屈無く直感した。
「傍から見たらただの馬鹿だよ。―――それでもだ」
―――折れてなんか居られない。形振りなんか構っていられない。復讐鬼となった頃の自分を思い起こせばもう逃げられない。それを何かに叩きつける行為はとても下品で野蛮な行為だ。
「まだ被害にあってない人の復讐で闘った。人に言えるか?そんな事。ただの既知外だ。あの馬鹿はそれをぶちまけやがった。ぶっ殺してやりてぇが―――確かに俺の説明不足だった」
戮丸は頭を抱え込む。
「それだけ、大事な人が居たのですか?」
「いねぇよ。原風景って言ったろ?」
「原風景に欠かせない人が居たのではないですか?」
「強いて言うならシャロン・・・コイツだな」
そういって、首に回されたシャロンの手を叩く。
「人間ってのは我侭でな。こいつが何時も通り笑うには大量の人間が必要なんだ。拾ってきた子供や、ちょっかい出してきた酔っ払いのおっちゃん、何かとピント外れなおせっかいを焼くおばちゃん。さらにだ。嫌味を言うしかない能の無い婆だって、死ねばこいつは笑わなくなる・・・な。我侭だろ」
シャロンはキュッと首を絞める。それに「ギブ。ギブ」と戮丸は意味の判らない言葉を言った。降参と言う意味だろう。全員がかりで止まらなかった男は本当に女には弱かった。
「それと子供か・・・オーメルに殺された時にな。夢を見たんだ」
「・・・どんな夢ですか」
「『お父さんになって』だ。子供の中の兄妹なんだがな。流石に40近くになると父性願望があるらしい。俺もびっくりだ。正夢って訳じゃあるまいし、ただ、実際俺が養父の代わりをするのはほぼ決定事項だ。そんな言葉は・・・言ってくれねぇだろうな」
「・・・言ってくれるよ」
シャロンがささやく。子供たちは、ああ見えて戮丸によくなついている。親を失った子供たちは喜ぶだろう。必要なのはきっかけだけ。
「言わせんなよ」
戮丸は釘を刺す。シャロンは「さぁ、どうかしら」ととぼける。
「実際、俺の周りは物騒だ。家庭に入るなら気に入ったところに入ればいい。こんだけいれば何処か気に入る家もあるだろ?俺はいつでもその辺に居るし、父親としては初心者マーク以前の状態だ。俺より気のいいやつなんてごまんといる」
掌をヒラヒラとふる。父親としても相当なもんだと思うが・・・
「15でパパと呼ばれた男が何を謙遜してるんだ?」
「ああ、ハイハイ。俺は昔から老け顔ですよ。気にしてんのに」
オーメルの茶々に律儀に反応を返す戮丸。
「いいんじゃないか。嫁さん何時も背負ってる様だし」
「馬鹿いうな。ムシュムシュ。若い別嬪さん捕まえて40男の嫁さんてアホウだな。てか面識浅いだろうが失敬な!」
「なら名前を間違えるな!」
「案ずるなわざとだ。それにそういうロリコンならそこにいる!12歳年下嫁さん貰うって言って実際15年下の嫁さん貰いやがって、じつにけしからん!」
「羨ましいんだ?」
「そういうほんとの事は押さえて。シャロンさん。押さえて。この嫁さんが出来た娘でよ。俺が欲しいわ!」
「やらん!」
「知ってる!」
「どんなに欲しくても、手に入れちゃいけないものってのはあるんだよ」
「それでどうするの?」
シャロンは含めた言葉を戮丸に問いかけた。
「子供が泣いて笑って怒ってはしゃいで、そんな風にするのが俺の役目だ。そう思ってる」
「そうなの?」
「勝手に見た夢とは言え、頼まれちゃしゃーあんめーよ。その辺が落とし所だ」
「そうなんだ」
意図したものか、戮丸はするりとかわした。
「まぁ、そんな訳でこれが俺の原風景なんだ。質問の答えになったかな?」
「ご教授、有難うございました」
とグレゴリオは頭を深々と下げた。
多分、この男はもう話さない。決して話すようなことではないのだ。どんな真実も口に出した瞬間から劣化が始まる。大吟醸やノッツにも語らないだろう。奇しくもグレゴリオが敵だからこそ話した。この言葉は呪いだ。訊いてしまった以上、この男と相対する時それ以上の因果を持ちあわさなければ腕が萎える。
いつかは相対するのだろう。その時に腕が萎えない何かを持ち合わせて入れるだろうか?もし持っていたらそれはそれだけで幸いだ。もう惜しむものは何も無い。
その時にこの男は最大の壁となって立ちふさがるだろう。
その時までは―――決して闘えない呪い。
「まぁ、そんな顔をすんな。お前さんの闘い方にはおかしな点がある。おかしなってのも言いすぎだが、俺でも役に立つ事、教えられることがある。ちぃと鍛えていかねぇか?」
―――!?
グレゴリオは何を言ったのか瞬間理解できなかった。ドワーフがトロルに指南する?あり得ない。仇敵を言うのを差し置いてもプレイヤーとモンスターの間柄で・・・それは同胞に対しての背信行為だ。
「――何故?」
「さっき言ったろ?俺は蛮勇でも誇りたいんだ。いつか手合わせするだろう。しないかもしれない。その時に勝ったとして沈黙が最大の戦功というのは納得できる性質じゃないんだ」
戮丸は左右の掌を絡め、ヒラヒラと軽薄そうに舞わせ、言葉を繋ぐ。
「手管でも何でももてるだけ持っていけ、武器に戦術。見直す部分は山ほど有る。俺の性質、弱点でもいい。知って損はない。全部教える。俺に従えなんてけちな事は言わん。全てを知れ」
「――何をっ!?」
外野は色めき立つ。トロルと仲良くするのはいい。しかし―――
―――俺は蛮勇を誇るために原風景を言い訳にしている。
「逆かっ!」
ムシュフシュが叫んだ。戮丸は狂っている。
その狂気を正当化するための最大の譲歩が【原風景】なのだ。
「俺から力を引き出すのに――俺達から力を引き出すのに【原風景】の破壊が必要ならそうしろ。そこまで温いつもりも無いが―――一言で事足りる。その事を学んでいけ」
戮丸は首に回されたシャロンの両手をしっかりと握る。あたかも首輪を引きちぎらんばかりに・・・
グレゴリオが望んだ。それ以上の暗部と恥部を戮丸はさらけ出した。
―――こんな事は望んでいない。
―――愛を知った。
これが愛というものか?グレゴリオはこれ以上戮丸が削れていくのが嫌だった。狂っていくのが嫌だった。悲しみの目と笑った口元、歪で醜悪に見えるこの顔を見るのが嫌だった。
それを人は確か愛と呼ぶはずだ。
このまま戮丸がシャロンの両手を引きちぎっても、その後の結果もグレゴリオは望んでいない。
戮丸の論旨に従うなら、原風景を賭けた場でこそ、我らの決着には相応しい。その場で「たった一言」でベットされた原風景を引き摺り下ろせる。その為の会話だ。その内容を承諾されてしまった。
そのことに是非も無い。むしろ、死の王として相応しい最後だ。自分よりこのドワーフの方が死の王を冠する資格がある。
―――しかし
短い会話と剣を交え、判ってしまう。嘘と現実をない交ぜにして、語ってしまう男が嘘をついている事を―――
誇りは捨て、邪魔なものを全て廃し、全てをさらけ出して雌雄を決する。グレゴリオには・・・死の王にはこれ以上無い戦場だ。夢にも思わなかった戦場だ。
「あなたはそれでいいのですか?」
闘わずでは蛮勇は誇れない。
死では彼は終われない。
生では彼は報われない。
―――何もかもが詰んでいる。
本当にそれでいいのですか?
報われずの生が一番妥当なはず。それが人間だ。それには私が強くなるのは矛盾している。それさえも逃げと断ずるつもりか?
「無論だ。お前さんと違い俺は格闘技をしている。そこには相手を殺して誇るやつは一人も居ない。そういう世界で生きてきた。―――闘おう」
―――憎しみも
―――悲しみも涸れるまで。
―――勝利と敗北に飽きるまで
―――誰もが呆れるまで
―――誰もが最後を見送れるまで
「―――闘おう。ついて来れるかな?」
「是非もない!!!」