115 狂った果実
あまり強い人間ではなかった。才能に恵まれたとは言えない。腕力には自信があったが、喧嘩でも勝てない相手には普通に勝てなかった。特に自分より線の細い兄には絶対に勝てなかった。
――子供のころ
先ず、柔道を習った。体格は良かったが、運動神経は悪い。ボクシングか空手が良かったが、親の猛反対と学校に部活が無かったことから、柔道を習った。ドンくさい男の勝手なイメージで・・・向いていると。
実情は違う。柔道に要求されるのは瞬発力と器用さ反射神経。ボクシングは格闘スポーツでは珍しくタフネス、特に体の頑丈さが武器になる。
実際は最悪の相性の格闘技から始まった。
腕力があっても技が綺麗でなければ意味が無い。体が頑丈でも一本を取られれば負け。喧嘩なら負けない相手に勝てない。生まれ持っての武器が全て取り上げられた状態。
彼は逃げた。他の格闘技に。その事が彼の人生を決定付けたことを知らずに。
親の手前、柔道を止めずにボクシングを習った。ムエタイが良かったが体の硬さから敬遠したし、ジムの絶対数が少なかった。
ボクシングは比較的上手くいったが、相変わらず喧嘩なら負けない相手に負ける事は有った。
彼にとって格闘技は縛りの付いたダンスに成り下がっていた。
ルールが無いほうが強い。彼は技術の恩恵もなしに持ち前の肉体だけで戦っていたのだ。
それでも身に付くものはある。ボクシングの試合のさなか、柔道なら負けないと思うことが増えてきた。柔道でもそうだ。それは言い訳であることは理解していた。それでも彼の逃避行は続いた。
芽が出始めたのは中学を卒業する頃。それだけ格闘技をやっていれば普通に強かったのだが、彼の格闘観が少しづつ変わってきた。俯瞰で自分を見つめられるようになった。
ボクシングで投げを使えば使えば当然反則だが、柔道の投げのステップインを利用したボディブロー。変則的では有るが部活程度のレベルでは効果は大きかった。
彼の闘い方は少しづつ変則化し、異質なものになっていた。
しかし、ソレはすぐに壁にぶつかった。その次の手が無いのだ。普通であればこの時点でどれかに決め、本来の流れへと帰るのだが彼は止めなかった。理解が出来ない訳じゃない。いや深く理解してしまったからこそ戻れなかった。
ルールは守った。一つ一つの技が腐って落ちた。その度に逃避行を続け、自分の技がガラクタになっていくのを知って、判って身に着けた。
その頃はゲームの再現など、一発芸として研鑽を積んだ。既に、学ぶものは格闘技の枠を超え奇行といえる領域へと至っていた。
技のひとつが袋小路に嵌る度に、本流への尊敬の念は深まった。
格闘技を止めた時期も有った。
止めたとたんに耐えられなくなった。他人の挑発に『自分はコイツより強い筈だ』と思ってしまうこと。実にみっともない。
そのみっともない思いに埋もれ、本当に思うだけの人間になってしまう事に耐えられなかった。
格闘技に復帰してソレは如実に感じた。イメージと現実にズレがある。
麻薬のように格闘技を続けた。
不思議なことが起こった。俯瞰で見れるようになっているのは知っていたが、袋小路に嵌って腐って落ちたはずの技が復活していた。その先に進めるようになっていた。その頃になって、アドバイスをくれた人たちの言葉の本当の意味が理解できた。
歩ける人間が歩くアドバイスをしているのに似ている。出来るようになれば『なんだそんなことか』と思えるが、それでは身に付かない。自分は非常に勘所が悪いのだと理解した。
あの頃の自分に技の説明をするには【歩けなくなった経験のあるの人間の言葉】が必要だったのだと理解した。そんな贅沢は望むべくも無い。
彼の中で本流の技が育つ、育つごとにガラクタの山は加速度的に高くなっていった。そして、本流へは帰れないと深く知ることになった。
彼はその時に持つ自分の最大戦闘力の肥大化に腐心した。もう既に学業を終えていた。本流に拘る必要性は無い。
限界を超えて強くなった。が、それを計れる場所が無いことに気がついた。
それは格闘技を止めたのと同義だった。
かと言って、今更喧嘩へ戻るのは違うと思った。
彼は延命を計った。自分の中の本流だけを抜き出し、大会に出場した。
ズレを押さえるためだけに。
その頃になると達観して、勝った負けたを柔らかく受け止められるようになった。
むしろ、耐えられないのはその周りの人間だった。
彼の戦いぶりは酷く異質。しかし強い。本流に絞れと期待する声も有ったが、ソレは受け入れられなかった。既に仮想敵を人間から現象へと切り替えていたからだ。
受け入れられなかった人々は拒絶した。裏切られたと思ったのだろう。尊敬の念を抱いているといっても、焼け石に水だ。
それでも彼は求めれた。
彼の最強を。
仮想敵である現象に。
徒党を組んだ暴走族。落石。妊娠させて逃げた男。嗤う警察。その求めに答えた。
勝っていいものではない。だが、勝ってしまった。社会的地位や信頼は見る間に消し飛んだ。
元々あるのか?と思えもしたが、なくなってみると酷いものだ。
そして・・・
もう終ったと思った。事故は肉体と社会的地位に致命を負わせ、命だけを残していった。
枯れる様に死ぬのだろう。それは酷く当たり前のことのように思えた。事実、廻りは一様にその事実を繰り返す。
「死に場所を探しているのか?」
―――当たり前な事を訊くなよ。生まれ落ちれば皆そうだろう?
「・・・まさか」
現象こそが敵。闘うすべは心得ている。その湿気た面は止めろ。
ああ、思い出せない。俺は何故戦っているのだろう。
止めるすべは無い。理性と感情はどっかにいった。
ソレなのになぜ目の前のこいつは生きている。
俺が倒せない?
何でまだ生きている?
こいつは知っている。何故か・・・勝った記憶がない。
まさか、俺が放置しているはずが無い。
その記憶が確かなら、俺はここまで苦しまなかった。
ここまで狂わなかった。
俺の中の物騒なものをぶつけていいのか?
留めるブレーキは夜逃げした。
開放をを告げる歓喜の咆哮。
―――ああこの戦いの後は終ればいい。
神様居るのなら、それ位の優しさを・・・
・・・あんたは敵だったな。
◆ 終焉は突然に
「戮丸!」
「おやシャロン?」
そこに居た全員が突っ伏した。
その声は自然すぎた。街中で知己にあったかのように、ごく自然に挨拶をするようで。
当のオーメルでさえ自分の剣戟を無理やりに止め為、爆炎けぶる地にヘッドスライディングを決めた。
「お前な!あっさりしすぎなんだよ!」
大吟醸が吼える。
「幾らなんでも効き過ぎだろ?普通は呼びかけ続けて・・・もういいよ」
ノッツが泣き言を喚く。
「いいから!消せ消せ!ソレと回復!もう死なすな!」
ムシュフシュの怒号が飛び散る。
実際、顔面が解けた戮丸が炎の海で自前の大剣を棍のように操り、十数合打ち合っていたのだ。シャロンの到着に気付いた一同はどうやって、戮丸の前にシャロンを連れて行くか議論をしていた最中だった。
その際に盾役はグレゴリオをムシュフシュだった。二人の顔は勇士は真っ青な覚悟を決めていた。
戮丸の停止は奇妙な時間をもたらした。
戦闘は終った。
それは全員の共有認識なのだが、現状は全く変わっていない。オーガは殆ど健在で、こちらの戦力は整った。
さあ、仕切りなおしだ。と言われても単純に気分じゃない。
「あと一人居るんだ!」
観劇してしまったノッツは叫ぶ。オーガたちを牽制しながら捜索は続く。
襲うには絶好の機会なのだが、グレゴリオがノッツの言葉を通訳し、事情を説明した。
オーガ達は攻撃されたから反撃した。その単純な思考回路で戦っていた。身内を守るため、復讐は二の次だが理解は出来た。それを是としたのは概ね半数、残り半数はこの戦力じゃ死ぬだけで、生存闘争と言う観点からありえないと判断した。
さとい者はグレゴリオに問うた。今回の顛末のカラクリを。
事情を説明されたオーガ達は微妙な表情をした。彼らの顔で人間から見て微妙と判るのだから凄いのだろう。
ディグニスの引渡しを要求されたが、それは断った。プレイヤーの生態についてのカラクリ、つまり、死んだら転移され生き返る。オーガの手法では温すぎるのだ。しかし、回復されたディグニスは武器を奪われオーガに一旦預けられた。殺さないように注意書きをつけられて。
その際に僧侶団が立候補した。もし死んだ際に賢者の見せた技法の練習にと、はらわたが煮えくり返っているのは旅団も一緒だ。
奇妙な友情に似た何かが形成された。
「ちょっと待ってくれ!あと一人居るんだ」
ノッツは繰り返す。それを戮丸が仕草で呼ぶ。
戮丸はヨタヨタと残った建物に向かう、大きな木箱が軒先に合った。丁度人一人入れるような大きさだ。
「ミッション終了だ」
そう言って木箱を持ち上げた。そこには怯えた老人が一人、罪悪感に打ちひしがれていた。顔はグシャグシャで、目玉が溶け落ちるのでは?と思うほどに泣いていた。
「人的被害はゼロだ」
夜の帳が落ちた空を見上げ戮丸が呟いた。