104 起動
皮肉な事に、戮丸はどいた訳ではない。
オーガの群れに斬りかかったのだ。アトパを併用した高速移動で。しかし、それに反応できたのはノッツを除いた全員だ。
0アワーまでのカウントはあった。老人の様子を注意深く観察していれば出来て当然のこと。
進路に割り込んだのはグレゴリオだった。その身に用いる最速の移動で戮丸を迎え撃つ。
―――が、
―――コトリ。
これは彼の感じた主観であるが、アトパの恩恵で現実はさほど差異が無い。
衝撃に備えるように腕を少し前に伸ばしてしまった。その手を戮丸に捕らえられ、瞬間的に投げられた。それも投げ飛ばすようなものではなく。グレゴリオの視界はパンしたように空を映す。
理解が追いつかない。
現状を理解するよりも圧倒的な力量差を理解してしまう。
柔道の試合ではないのだ。コイツには絶対に敵わないと苦汁を舐める暇は無い。
―――が、痛みすら感じない見事な投げだ。
その瞬間に、標的を切り替えたムシュも流石だろう。しかし仇になる。
―――また一枚のカードが弾けた。
今度はムシュフシュに対するショルダーチャージ。その為にグレゴリオを投げた。足場に利用する為に。
奇襲を掛けたつもりで奇襲されたムシュフシュは吹き飛ぶ。しかし、先の完全な奇襲ではない。防げないまでも勢いを殺して踏みとどまる事は出来る。彼も一度体験しているのだ。建物を突き破るまで反応できない愚はもう犯さない。
しかしその軌道上にマティがいた。身体を開いて勢いを殺すが、マティを避けている余裕は無い。
【アクセル!】
踏みとどまるムシュフシュの四肢をかわしす。一度の開放に二回行動可能にする虎の子の【アクセル】を使ってしまった。しかも飛び込みに一回、回避に一回。
神回避ではあったが、それでマティの行動ターンは終了だ。攻撃までつなげなかった。
―――マズイッ!
戮丸の前で無防備な身体を晒すマティ。
そこに飛び込んだのが大吟醸だ。その剣戟に反応して小盾で受け流す。
どちらにしろそうするより他になかったが――
戮丸の剣は【重の剣】だった。受け流しているはずなのに、いやそれがよかったのか。
彼の盾は剣を回転展開できるギミックがある。それ故に、盾、剣、腕とスペースのある作りだが――圧砕された。
受け流しは成功していてそれだ。腕に強烈な痛みを感じて一歩下がる。
ここで一歩の判断が出来たのは彼が非凡な証だろう。
ギミックを挟んであるから脆いのだが、元々攻撃を受け止める為に作られた盾を吹き飛ばす威力。全力で飛び退りたくなる。
いまだ、マティの苦境は変わらない。だが、今度は防御が間に合った。シールドで戮丸の蹴りを受ける。素の蹴りだ。これだって普通に喰らってただで済む代物じゃない。
ここからなら反撃に――
――甘い。
戮丸は蹴りの反動で身体を浮かし、腰の回転で軸足を叩き込んだ。これも素の蹴りなのだが、孤塁抜きと言うのか?防御の芯を正確に射抜いた。初撃の蹴りはガードを固定させるための下処理だった。
しかもショルダーチャージ、斬撃、蹴りに刺突蹴り。一連の流れだ。アレだけの時間を練りこんだカードの破壊力は、素でもマティを吹き飛ばすには十分な威力があった。マンガでは防御を粉砕する技だが、防御ごと人を動かすには理にかなった行動。
マティも吹き飛ばされたとは、言え防御には成功した。バランスをとって踏みとどまる。
今度、窮地に立ったのは大吟醸。
いや、良かったのか?
全神経をつぎ込み細く剣を突きこむ。致死の一撃に届かないがそのレベルで無いとかすりもしない。
しかし、狙いすぎたのか?いや、誘導されていたのだ。狙った場所は空虚な洞となって大吟醸の剣を飲み込む。
その回転の動きに戮丸の肘が大吟醸の顎先を捉えた。
首を伸び上げ必死に回避したがそれが仇になった。顎先、俗に言うチン掠めた。しかし、回避行動を取らなかったとしても同じ場所を射抜いただろう。
――マズイッ!
この戦場のど真ん中で大吟醸の体は、油圧が抜けたように動かなくなる。
脳が揺らされ、意識よりも体のリンクが断ち切られた。
そこに間に合わせたのがムシュフシュとグレゴリオ。しかしその剣閃は大吟醸を避けている。大吟醸ごと両断しても当てる自信は無い。今は戮丸の自由を削がなくては。
しかし、その削いでなおのスペースを使いこなせるのが戮丸だった。
焦りがあった。グレゴリオとムシュの攻撃は同時に調整された。【軽の剣】一太刀で弾き返す。二人は慣れないゼロG攻撃によろけながらも、その威力を手首で逃がした。
ここで想定外の功労者はグレゴリオだ。弾かれたのであれば防御姿勢がとりたいのが人情。しかし、弾かれながらもシールド防御を放棄し、大吟醸に【覚醒】をかける。
アレだけノッツが有用性を示した【覚醒】だ。瞬間的に反応できた。
この場で大吟醸がアクティブになる性質の悪さはグレゴリオは良く知っている。
「ノッツ、遅いぞ!」
本来なら反応してるのはノッツだ。それを可能にして見せていた。このグレゴリオの声に『無茶言うな』と思いながらも、その恩恵を受けてきていたムシュフシュは何もいえなかった。
次のアクションに同時に入れるのはマティと大吟醸なのだが――
ここでマティは一歩遅らせた。それは、大吟醸なら何かしてくれるその信頼感。確かに戮丸に比べ未熟かもしれないが、ここで大吟醸の持ち味の空間を、圧迫してまで攻撃に転じるより、ここは任せてサポートに入った方がいい。
この拮抗を一歩進める力はマティには無い。【アクセル】はあるが使ってしまった。【アクセル】が残っていたとしても判断は同じ。
そんな生ぬるいものではない。標的を見極められない者にトリガーを引く資格はない。バズーカやマシンガンならそれでも標的を吹き飛ばすかもしれない。ただ。標的なら――動かぬ的なら――
――クソッ
その判断は逃げかもしれない。だが、この高速戦闘の場でその判断に準じられたのは資質の一つだ。マティは決して認めないだろうが。
維持といっても楽ではない。最悪、最低一本は戮丸の攻撃を凌がなければならない。
序盤過ぎるがここが勝負所だ。
大吟醸への【覚醒】は戮丸にとっても想定外の事だった。
大吟醸は再度突き込む。彼の考えうる最高のポイント。狙い済ませる時間は全く無い。ただ本能が告げる場所に剣を指し込む。今度は体の回転で逃がさないように体ごと包み込むように。
想定外の行動ではあったが、戮丸に対処出来ない事ではなかった。
大吟醸は良くやった。
あの状況ではかわせない。
――それは腕が身体に付いていればの話である。
そこまで密着した状況に剣で剣を弾くには無理がある。
――が、剣の腹で腕を切り落とすくらいは造作も無い。
「ぐぅあああ!ぁあぁあぁぁぁぁぁあぁああふぅうううう!」
片腕を失った大吟醸はよろめきながら距離を取る。
腕一本肩口から焼き切られたのだ。その痛みは想像を絶っする。
痛みが身体に充満する。
排泄しなければ、掻き出さなくてはそんな本能が命ずるのか絶叫をあげ、肺の中の空気を吐き出す。
肺に新鮮な空気を取り込み、吐き出せば、痛みが排泄できるような気がした。
―――しかし、それは錯覚でしかない。
当然、追撃は入るがマティ、グレゴリオ、ムシュフシュの順のサポートに阻まれる。当然、三人同時に吹き飛ばすことも出来るが、その為には組み立てが必要だった。
それを狂わせたのはマティの任意のタイミングの乱入だった。
本来この三人に襲われて戮丸が勝てる訳が無いのだ。その理屈を狂わせているのはPS。そこまで万能ではなかったし、建て直しの時間は必要だ。現時点で大吟醸の脅威は無いに等しい。変態的な突破力も武器あっての話で、それを全て失った彼は優先順位はかなり低い。
むしろ、苦悶に震える大吟醸を利用したほうがいい。彼らは無視できない。
戦力の一角を欠いた。その事実は重く圧し掛かる。
―――失敗した。その事実が彼らの戦意を支えた。
ノッツは打ちひしがれていた。耳に飛び込む衝撃的なオーガたちの言葉。正確にはそこから類推される事実こそが衝撃的で――
しかし、現状は反応が遅れた。いや、遅れている。『今!』と思った瞬間には現状は次のシーンに流れており追いつかない。
全神経を注ぎ込み闘わなくてはならないシーンで、この遅滞は致命的過ぎた。
打ちひしがれている暇は無い。
しかし、衝撃的な事実は無視できるものではなく。
判断を間違えた。
情に流された。
―――と思いながらも、自罰的な時間は無いんだと自分に言い聞かせる。
「ノッツや・・・」
いつの間にか自分の護衛に回ってくれたダイオプサイトが声をかけてきた。
あの高速戦闘にダイオプサイトは向いていない。せめて踏ん張りが利く状態であれば話は違ってくるのだが・・・その事は当の本人も承知の上らしい。
それに、ここも戮丸の射程内だ。適材適所の配置といえなくも無い。
「大吟醸・・・」
「ああ、回復・・・いや、【四肢再生】をお願いします」
大吟醸は苦悶の表情を浮かべている。腕を切り落とされたのだ。痛みは相当な物で、通常ならノッツの呪文が飛んで止血まではおこなえる。最低限痛みの緩和の効果は見込めるが、現状なら四肢再生の方がいい。ノッツ自身は持っていないが【旅団】メンバーにはいるはずだ。
「やったの!」
「何やったの!?」
大吟醸の動きは完全に不発に終った。
ノッツにはそう見た。
―――しかし、オプ爺には別に見えたらしい。
「ぁぁッぁアァあああああぁぁぁぁ――フーッフーッフゥッ・・・これなんだ?」
ノッツが見せた物は戮丸がポケットに仕舞い込んだアトラスパームだった。
「「「『でかしたっ!』」」」
値千金のファインプレー。大吟醸は剣で必殺の攻撃を繰り出しながら、完全に死んだはずの開いた手で掠め取ったのだ。
ポケットに仕舞い込む様子は全員が見ていた。手を突っ込み中の物を引っこ抜けばいい。
しかし、戦闘中に相手の、しかも戮丸のポケットをまさぐるのは自殺行為だ。発想自体が頭おかしい。
少なくとも戮丸の脅威を知るシバルリの人間の発想ではない。
俄然前線の三人の勢いは増す。いかに戮丸と言えど他人の操るアトラスパームの効果を打ち消すのは至難の業だ。それでも憶えるだろう。しかし、それまで何回の攻撃は生きる?
アトラスパームが曲者な事は重々承知の上でも、面子の中で最高に芸達者な大吟醸の手に有る事にこそ意味がある。
正直に言えば策は無い。ただ、これからの大吟醸の活躍でたてればいい。過度の期待は禁物ではあるが、こちらにユニークアイテムが渡ったのはでかい。
大吟醸は旅団のメンバーから剣を受け取る。愛剣は戮丸の近くに落ちている。回収は危険だ。借り受けた剣は仮設ではあるが大吟醸の愛剣よりランクが上の物だ。惜しげも無く貸してくれた。
「行くぜ!」
――ボフッ
大吟醸の体はさほど距離を飛ばず着陸する。考えてみれば当然の事で重量遮断中の体は発泡スチロールのような物。空気抵抗であっという間に失速する。戮丸のように機動するには手を放し、重量を回復させないといけないのだ。移動速度が重量増加に左右されないのがこの曲者の原理だ。
「難しいな。もう一回」
彼にそう言わせるのであれば本当に難しいのだろう。今度は失速しないように手を放す事を心がけ、しゃがみ込み――
―――大吟醸の肉体は斜め上方に射出された。
「ぬぅおほぉおおおおぉぉぉぉぉぉぉ・・・・・・・」
大吟醸の間抜けな声が木霊して――
――消えた。
彼は星になったのよ・・・