103 ゆりかごの子守唄
―――水底のようだ。
―――音もある。光もある。風もある。命もある。
―――それでもそう感じてしまうのは《ある》という意味が、どうしようもなく希薄だからだろう。
誰も彼もが知っていながら、想像すらしない水底からの景色。
崩壊と共にたち上がった砂煙は徐々に収まりつつある。
――カランッ
瓦礫の崩れる音が木霊した。
風の音がやけに強い。
戮丸は全く動いていない。
本来は矛盾している行為。
バーサーク中の「停止」は出来ないはずだ。
その理由は薄々、皆、感づいている。彼の「停止」は「戦闘行為」なのだろう。
遅延という言葉がある。
肉食獣が獣を襲う際に本当に獰猛な形相を作るのだろうか?
獰猛な形相や咆哮はいわば威嚇である。
言ってしまえば非戦行為だ。
そんな疑問が見る者の脳裏に立ち上がる。
上がってしまう。
それは・・・どうしようもなく本物だったから。
動きは無い・・・だが物理的に崩れた面貌から黒い血だけが時間が止まっていない事を教えてくれた。
トプットプッと音が聞こえそうなぐらいに。
足元で老人が彼の足にしな垂れ掛かっている。
安堵の地を見つけたようなその様は・・・
死体になった老人の・・・贈り物だ。
その贈り物は時間制限つきのようだ。安定を欠いている。
―――程なく崩れる。
「スリップダメージだな・・・」
やはりあったか。とムシュフシュは一人ごちながらそろりと立ち上がる。
バーサークは時間経過と共にHPが失われる。それは能力のペナルティと言うよりも救済策の側面が大きい。放って置けばいずれ死ぬ。それは誰にでも出来るし一番害は無い。
「アレは・・・やっぱ痛いよな・・・」
「愚問だな。顔がペースト状になっているんだ・・・」
マティは眉を顰めた。バーサークの特徴は痛覚無視だが、それも認識できていないだけではないか?と言う疑問が過ぎる。
麻酔のようなものであれば問題は無いが、彼の動きは酷く・・・シャープだ。
痛覚を完全になくした者の鈍感さが無い。多分、痛みは感じているんだ。
ただ脳がそれを記号として認識している。極端に神経を集中しているような状態。多分本体へのバックファイヤは相当なものだろう。
ノッツは銃の形を作って突き出した両手を戮丸に向ける。
その銃口は震えていた。
勇気が無い。そんな事はわかっている。
今すぐ逃げ出したい。
良く声が出せるな。素直に感心した。
『良く声が出せるわね』
『沈黙にネを上げただけだ。吼えないだけ評価は出来るが・・・』
低いトーンの女史の疑問にガルドは普通に答えた。
『おっかなびっくりって言うところね。じゃあ、貴方ならどうするの』
『いや、どうもしない。強いて言えば戮丸と同じ事をする。こんな風にな』
ガルドの仕草でプログラムが起動した。それは、戦場のシミュレートだろう。
半透明なそれは複雑に絡み合い実際の戦闘と言われても寸分の違いは無い。
『ちなみにノッツのがこれだ』
ムシュたちの行動は矢印で表記された。その三分の一は老人へと向かっている。
『これ無理じゃない』
『それは戮丸のを見てるから言える事だ。無茶言ってやんなさんな』
グレゴリオから矢印は出ていなかったし、枯山水やトロールたちもだ。
それに、これこそ見てるから言える事だが、マティとムシュフシュが衝突する。それを避ければマティがグレゴリオとマッチアップする。
ダメなパターンだ。
『それでも感づいて口にはしていない。そこは評価してやろう。上出来な部類だし、実際はそうはならん』
『圧倒的に戮丸が上?』
『いや、そこまで差がない。戮丸に出来るのはノッツにはアクシデントに見える未来が予測できる程度のものさ。・・・ただ』
『・・・ただ』
『爺が眠るまで待っててやろうや』
刻限は迫る。その秒読みのように戮丸の動作予測線は収縮し、カードへと姿を変えた。一枚一枚とカードへと変貌する。このカードが存在する空間こそ展開するトリガーなのだと言うことがわかる。
些細な違い――変化ではあるが、視線の動きに連動し回遊する魚のようにカードが動いた。その動きに牽制の意味があるとガルドは語った。
「無駄話はその辺で――」
ムシュには意外なことにグレゴリオが声を発した。
「グレゴリオ――戮丸相手に大技は逃げだぞ」
大吟醸の声にハッとしたようにムシュとグレゴリオは武器を短く持ち替えた。
『――どういうこと?』
『グレゴリオの持つ魔剣バラキはそのダメージを飛ばせる。お前らの言う超必殺技って所だな。まともに喰らえば、戮丸はおろかムシュフシュだってただじゃすまない』
何しろ一度使用したマティが使っただけで瀕死になった代物だ。
『撃ちたくなるのさ。取り敢えずな。目隠しくらいにはなる気がして――。それだって悪くない。ただ、それが通用するタマか?グレゴリオクラスなら軽い牽制でも引っかかれば致命打だよ』
――それに大吟醸にとっても都合は悪い。老人の死体は跡形も無く消し飛ぶだろう。
グレゴリオは心の弱い部分を見透かされた。
以前に話しに聞いていた戮丸某は紛れも無いモンスターだった。モンスターであるグレゴリオに言われるのは癪だろうが・・・
「評価レベルは幾つですか?」
心の動揺を察したマティが訊いてきた。これがマティにとっても初見のはず気になる所だ。
「言い訳になるようで言いづらいのですが・・・測定不能です」
諦めに似たため息が毀れる。―――ああ、死ぬんだって。
『あっちゃー。そうきたか。そうだよね。そうなっちゃうよね。参ったな。――ガルド適当に更新できない?』
『断る。自分の届かない理屈で動くものに、適当な評価など冒涜だ』
『―――だよねぇ』
『――まして――何でもない』
ガルドは苛立たしげに黙りこんだ。
(おこっちゃったかな?今のは不味かったなぁ)
女史はガルドを見上げた。こうしてフランクに話してくれているからよく忘れかけるが、彼は武人だ。戮丸が体験したよりシビアな戦場を生き抜いてきた。彼の思うことは女史程度には理解の埒外だろう。
「評価レベル?」
「か・彼らには見えるんです。その人の戦技を含めた実力が何レベル相当なのかが・・・」
「ちなみに、大吟醸が30レベルオーバーだそうですよ」
「それで酷い目にあったよな」
ムシュは横目で大吟醸を見る。確か15レベル前後だったはずだ。
悔しいが確かに30レベルのプレイヤー以上の働きを見せている。
評価が低いんじゃないかとも思ったが、そうじゃない。
うちの面々が30レベルのアバターを使いこなせていないだけだろう。
確かに同じレベルでもピンキリだ。このゲームではないがFPS等では戦歴に応じて階級が上がる。ただ、それは数字上の評価に過ぎない。ある一定のスコア稼ぎをやりすぎて、初心者狩りに勤しむ者も多い。サブアカウントが嫌われる理由の一端だ。
それは無頼を気取るムシュを始めとした枯山水が、最も嫌う行為でもあった。
(――まいったな。認識を改めなくては――しかし、今は!)
「朗報じゃねぇか!大吟醸が30ならマティも同じくらいだろう!これだけあればいける!」
―――虚勢である。だが効果はあった。
枯山水と旅団の面々から期待を含んだ動揺の声が上がる。
最もレベルの高いムシュが弱気になることは許されない。
グレゴリオはここにいたって理解に苦しむ。大吟醸が人間側はわかる。このムシュもそうだろう。しかし彼らの主は戮丸だったはず。その戮丸が足並みを異にしている。かと言って戮丸がオーガ側ではない。オーガ・人間・戮丸の三つ巴の戦場だ。
「―――大吟醸。もしかして、また、拗れているのか?」
大吟醸はあふれ出しそうな怒気を噛み殺し、苦しそうに「そうだよ」と言った。
グレゴリオは人間は大変だなと思った。
だが、これだけの戦士と闘える機会はそう無い。
―――むしろ無いと断言してもいい。
大吟醸の言葉なら多少の事は譲歩してもいいのだが・・・どう考えても【多少の譲歩】ではありえなかった。
正直に言えば、腕が鈍ったかとも思った。大吟醸たちに加え、銀にムシュフシュ。賢者ノッツの采配をして思えば、この程度かと拍子抜けするぐらいだ。
ノッツの采配は【敵ながら天晴れ】と手放しに誉めそやしていいレベルだ。しかし、その賢者は苦渋の表情を浮かべている。色々事情があるのだろう。
グレゴリオは知らなかった。このパーティが即席だと言うことを。
それでも彼は思ってしまう。
―――この程度ではないだろう?
―――5
「――なぁ戮丸」
泣き出しそうなか細い声でノッツは言った。視界の端の催促が煩い。開いたスクロールの上を指でなぞると、カーソルが現れる。
―――4
「――僕らはそのおじいさんを助けたいだけなんだ」
グレゴリオは耳を傾けた。確かに戮丸は異常だ。他の面々もその試みには興味があった。バーサーク中の状態は既知の状態ではあったが、微妙にニュアンスが違った。その違いにいち早く気付いたのがノッツだ。
―――3
「あんたは何時だって闘っていた。僕らよりも何倍も――一人で――」
そう、いつも自分らの不理解を承知の上で戦っていた。自分らの理解のはるか上で戦っていた。彼の必死を今になって―――理解できるとは言わない。
理解したからこそ言えないのだ。
―――2
「あんたは凄いよ。何でそんなに人の我侭を許せるんだ?何でそんなに不理解の上で戦えるんだ?」
事情は聞いた。彼の計画は完結していた。完全に防げていた筈だ。それを―――
カーソルは今、沈黙しているが、消えているわけではない。明滅が消えている。強烈な嫌な予感と焦燥に駆られる。
もし新たな問題が発生したとして今それを背負うべきか?しかし、藁にも縋る思いは否めない。
―――1
「―――僕らにも手伝わせてくれ。それじゃダメなんだ。その人は助けられるんだ。このままじゃダメなんだ」
瞬間理解した。何故、彼があの時、自分の腕を貫いたのか?
それは理解して欲しいから――
そうしないと理解できないことを知っているから――
そのために時間がかかる事を知っているから――
それを待てる人だから――
――それが夢物語だと知ってるから――
――僕はそこに至ったよ!
「だから、どいてくれ!」
―――0
―――老人が眠りについた。
ノッツの願いは叶う。魂を売るかのようにカーソルを押した。
それこそは【今背負うべきではない苦悩】を背負い込むことになる。
ノッツの願いは何時だって皮肉な形で叶うのだ。
―――言葉なんて通じやしない。