101 銀の最後
「空気読めよっ!」
たまらず、大吟醸は吼えた。
最低最悪のタイミングで、敵にして友人のグレゴリオの登場。
確かにシバルリ行きを薦めたのは大吟醸たちだ。
ディグニスの猟友会はオーガたちを集めながらこの村に来た。
むしろ合流は遅すぎるぐらいだ。ただ、アレでグレゴリオは話がわかる。
最初から合流してたら、廃村同然のこの村への襲撃を考えただろう。
いや、カイティングで誘導していた者を捕らえ八つ裂きにしていたかもしれない。
―――ノッツは思った。
グレゴリオは今、合流したのだ。烏合の衆でしかなかったオーガの群れは、指揮官を得た。
ダークロードと言うグレゴリオのクラスにはそれだけの意味があり、危険だ。
チャージを陽動とした背面挟撃。
難しい判断でも戦術でもない、ありふれた戦術・・・
しかし、文句の付けようが無い正解だ。
では、銀の行動は無為であったか?
答えは否だ。
敵にフルチャージを許す形になったが、枯山水の盾の壁が間に合った。
衝撃は拮抗した。
ここばかりは枯山水の恐ろしさと言うに他にない。
津波のような十重二十重の突撃を、たった1ラインで押さえている。
彼らには慣れた戦場なのだ。
残りのメンバーは、その1ラインの数少ない利点である隙間から攻撃を開始した。一刻も早く推進力を奪わなければならない。
盾組みが保っている事自体が奇跡。
慣れた動きで着実にダメージを与えていく。
針の穴を通す様な攻撃でだ。大吟醸とマティも当然続く。
隙間探しに少しもたつくものの、攻撃は直死攻撃。それで無くとも人手が足らない。
オーガが一体倒れる毎に前進後進を繰り返し、ラインは崩さない。
少しでもラインが崩れれば即決壊に繋がる。
彼らは監視しているのだ。敵と己自身はもちろん、周りの仲間の様子さえも・・・
当然視界は無いに等しい。
それでも目に入っている足の数や息遣い、盾越しの手応え、互い互いに合図は発している。
一見、押し合いの気勢で片付けてしまうようなクズ情報を、しっかり受信しているのだ。
それ故に一個の生命のように機能する。
ムシュは逃げ出したくなるいつもの圧力を感じながらも指示を飛ばす。
エンジンはフル回転で思考もフル回転だ。
言うは易いが、そうそう出来る行為ではない。
戮丸に意識を向ける。
―――切り結んでやがる。
アトラスパームの説明は受けた。理解している。トロールの技量に驚きを隠せない。
切り結ぶたびに弾き戻されるが、戻る程度で済ませている。戮丸の攻撃を正しく流しているのだ。
一方戮丸も驚異的だ。いや、切り結ぶ状態になっている事態が異常なのだ。
グレゴリオは引き戻されるが、それは助走距離とショートチャージを連発する。
本来こんな事を考えていられる状態ではないのだが・・・
―――戮丸が押されている。
じりじりとこっちに下がってきているのだ。
正気であればこれより頼もしい壁は無いのだが・・・背筋が寒い。
マティは壁面攻撃に参加しながら焦れていた。
グレゴリオと戮丸の戦いに介入できない。
決死の覚悟は間違いなく無駄に終る。
実際にグレゴリオと闘った経験があるから―――
目を伏せて飛び込みたい。勇を示したい。
ただ、小学生でもわかる。やら無ければいけない事が、甘く誘う。
目線が大吟醸を探す。
大吟醸は攻撃を繰り出しながら目線は地を這う。
―――探しているのだ。要救助者を―――
「行け!大吟醸っ、チャンスだ!!」
無心で叫んでいた。その言葉にマティは恥じた。
――愕然とした。
―――目の前が真っ暗になった。
――――俺はここまでッ!!!
一番危険な仕事を人に投げてしまった。
それを拭うようにマティは【アクセル】に火を入れた。
―――せめて倍は動け―――
羞恥の叫びは他のものには天恵となった。
最大攻撃力の銀が上空支援を索敵に切り替えた。確かに今ほどのチャンスは無い。
こうなっては戮丸を殺してもいい。選びたくないその目が出てきた。
―――どこだ!
だが選びたくないのだ。
銀は見てきた。生き残るために一人闘ってきた戮丸を、あの不理解は胸を焼く。
巨人退治だって・・・この戮丸のあの姿だ。
信じられない激戦だったのだろう。
―――何も言わなかった。
その結末は唯一の理解者に首を刎ねられる。
銀は正義など鼻で笑う性分だ。子供の玩具を語るように。それでも――
―――アレは無い。
しかし現実は無常だった。
戮丸にグレゴリオ、しかも民家一軒を倒壊させた戦場で、死体を見つけるのは銀の目を持ってしても不可能と感じさせた。
しかし、本当に無常なのか?
グレゴリオは初めて攻勢に出た。チャージの応酬は実は攻撃までには至っていない。
全て戮丸の斬撃に受けを余儀無くされた。
そうでなければ空のかなたに放り投げられているのだからしょうがない。
斬撃は小さく。当てる事だけを考えた。しかし、最高でなくてはならない。
賢者が従い、兵が憧れる。
その言葉に全くの偽りは無かった。
―――手の感触が応と答える。
―――足の震えが応と答える。
―――何より目が・・・
Lv『計測不能』
居ても立ってもいられなかった。
溢れる膂力を押し込んだ。
力任せに振るいたい。
その誘惑が後ろ髪を引く。
それは最高か?
――否!断じて否!!
この一撃に命が乗せられれば!
そんな事は出来ない。命を乗せて攻撃などはマンガの中だけだ。
そんな技法は無い。
一回振っただけで本人が絶命してしまうものなんて無い。
――まだ!!!
彼らも人類もそこに至ってない。
そんな妄念の一撃には――あまりに一途な一撃には速さが宿った。
戮丸は剣を斜めに構え受け止める。
彼の剣に触れたが最後、速さも力も霧散する。
それでも打ち抜けと放った一撃に代償は求められる。
踏み込みは地面を踏み抜けと打ち込まれる。
その強力を大地に打ち込み代償として剣閃は速さを得た。
――バキッ!
踏み抜かれた死体は海老反りに頭を上げる。
『居たっ!』
大吟醸と銀が同時に叫ぶ。
と同時に飛び込む。何も考えてはいやしない。
死神が何を守るために闘っていたかも・・・
グレゴリオは一歩引いた。
戮丸は足を狙って剣閃を放ったのだから当然かわす。
大吟醸は身体を捻り防御してしまう。
戮丸の攻撃をだ。
大吟醸の体はビー玉のように弾け飛んだ。
悲惨なのは銀だった。
彼は全身全霊を持って飛び込んだ。
そして三人を切り落とす軌道は銀を殺してはくれなかった。
左肺を両断し背骨を掠めた。
銀は激痛に襲われる絶叫を上げるがそれが最悪だった。
思い切り息を吸い込んでしまった。
銀は溺れた。
左肺から逆流した血を右肺に思いっきり吸い込んでしまったのだ。
――失敗した。
銀は飛ばされなかった。
斬られたからである。
それでも転がる。
いや、のたうっているのかもしれない。
背骨を損傷していて、四肢に重度の痺れを感じる。
「ノッツ回復じゃ!」
その声にノッツは反応できなかった。
銀は痛みを抑えるように深く細い震える息を吐くが、それは健常な肺に血液を流し込む行為に相違なかった。
―――タ・タスケテ
ノッツが呆然とこちらを見ているのが目に入る。その表情で理解してしまった。
震える指で短剣を取り出す。
崩れた正座をするようにしゃがみ込み切っ先を胸に当てる。
チクリと痛みを感じた時点で腕に力が入らない。
それでも押し込む。
心の臓を貫けば楽になれる。
それだけが銀にできる貢献。
ボタボタと涙が溢れる。
呼吸するたびに溺れる。
コツンとした感触。―――骨だ。
少しポイントをずらす。
自分の命を絶つのだ。
簡単な力では死ねない。生命は守られている。それは進化の過程で得た能力。
血も涙も漉し出すかのように崩れこみ、心の臓を貫いた。
―――銀は光に帰った。
その様を誰もが見守れたわけじゃない。
特にムシュフシュは――
戮丸の手によって強制的にスイッチされた。
圧力は消え眼前にオーガロードが現れる。
「こっちとやれってかッ!」
ムシュとグレゴリオの巨体が衝突する。
「どけ!人間!」「寝言!」
グレゴリオとムシュの打ち合いは互角。