098 美女と閃きと・・・
「どうぞ」
アリューシャ・バーフォートの涼やかな声が響いた。
ここはシバルリ村に拵えた部屋の一室。
その村の出自から場違いな・・・いや、既に場違いではない。
村の全てはドワーフの技術の粋を集めた物になっている。
離宮といって差し支えの無い様相を呈していた。
アリューシャはその一室を執務室として貰っている。
オーベルジュの要人で伯爵位を持つ彼女にとっては当然の計らいというものだった。
それでなくてもエイドヴァン最大の商都【バイネイセン】の主にして、歌姫でも有る彼女の事を考えれば、ささやか過ぎるほどである。本来ならお屋敷一個用意してもまだ足りないのだ。
涼やかな初春の風が白いレースのカーテンを揺らし、大理石を基調とした白い部屋に彼女は素晴らしく似合っていた。
招き入れられた人物は驚きを隠せない。
精霊雨のリーダー。エルフのナハト・ムジーク。彼はアリューシャとは旧知の仲である。俗に言えば敵、味方の間柄だ。
いや、今のアリューシャこそ彼の良く知っているアリューシャだった。
氷の貴婦人、氷堂の歌姫。それがアリューシャの二つ名である。
完璧な貴婦人。人は皆そう彼女を評し、憧れを一身に背負って立つに相応しい。
その顔にはいつも穏やかで儚げな微笑を浮かべ、そのアイスブルーの瞳は全てを知っているかのようにたゆたう。
「エルフですら見惚れる美貌」
ナハトは以前そう評した。当然皮肉だ。だが事実だ。
上手い皮肉だと内心自負していたが、すげなく流された。
表向きはナハトのクライアントの敵であるのだが、やはり実情は異なった。
事実、クライアントはこのアリューシャを憎からず思っている。
当人はロミオとジュリエットの気分だろうが、なかなかどうして、一筋縄では終えない。
両家の敵対構造が彼らにとって好ましい状態なのだろう。そこに暗黙のルールがしかれる。そのルールに従って二人は資産の奪い合いを延々と続けている。
・・・魔女め・・・
ナハトは内心そう思った。このアリューシャの態度の豹変でもそうだ。
たったこれだけの行為でクラン内の評価は揺れに揺れた。
奪い合いと言うのこちらの主観であって、彼女の掌で踊らされているだけではないか?
そんな疑念が浮かぶ。
「お掛けくださいな」
アリューシャはナハトに席を勧めた。進められたソファーには先客が居た。
先客は口元から紅茶を置き立ち上がり、名乗った。
男は黒髪で切れ長の目。涼やかな美貌の持ち主で名前にも聞き覚えがあった。
カリフ・ステインバック。漁火の翁に使える騎士でNPCだ。
しかし名前に聞き覚えがあったのはそんな事ではない。
チートキャラ、PK。そんな通り名が付いている。
プレイヤーを害するような性格ではないものの、レベルと強さがかみ合わないのだ。
30レベル人間の戦士。この条件で50レベルのプレイヤーを下す。
物事がわかっていない若造共がぎゃんぎゃん喚いていたが・・・シバルリにきて確信した。
単純に戦い方が上手いのだ。そのことをプレイヤー達に伝える気は無い。今度は神とか剣聖とか持て囃すだけだ。
この状況はナハトにとっても非常に遺憾な状況だ。アリューシャのシバルリとの連携も気になるところに、カリフを擁したとなれば戦力バランスは一気に傾く。
ナハト自身カリフに勝てるとは断言できない。当然戮丸もだ。
「あの。そろそろ私達が呼ばれた“用件”に話を移してもいいのでは?」
意外な事を口にしたのはカリフだった。
まだ、アリューシャとの繋がりは無いらしい。
「そろそろパイが焼けた頃ですよ。よろしかったら召し上がってくださいな」
そう言ってアリューシャは呼び鈴を鳴らした。
はぐらかされた形になった男二人は眉根を寄せ合う。
カシャンッ!
「・・・隊長」
銀盆を落としたミシャラダが、入り口に居た。
―――隊長?
どうやら私達二人のどちらかの顔に驚いて運んできたパイを床に落としたらしい。
当然ナハトには心当たりが無い。となるとカリフなのだが、彼にも心当たりが無いようだ。
「あらあら、今、片付けますのでもう少しお待ちくださいな」
そう言ってアリューシャはミシャラダを伴い退出した。
残された男二人。所在無く待つことになる。
「・・・美人が苦手な訳ではないのですが・・・」
切り出したのはカリフだった。
「彼女の前では逃げ出したくて背中がむずむずしますね」
聞く者が聞けば『自慢か』と突っ込みたくなるような台詞をカリフはサラリといった。
「同感です。そして貴方の直感は正しい」
「と言いますと?」
「私はバシュマー家に縁のあるものなので・・・長いんですよ腐れ縁が」
ほうとカリフは納得した。仮にも騎士だ。そういった世情にも明るい。
アリューシャの美貌に全く興味が無いナハトは、同じ匂いをカリフに感じた。
少なくとも垂らし込まれた感はなさそうだ。
「バーフォート家に仕官ですか?」
「いえ武者修行です。仕官でしたらバイネイセンに赴くでしょう?私はシバルリに興味があるのです」
「確かに貴方がバイネイセン入りしたとなれば、ただ事ではなくなる。・・・しかし貴方ほどの方でもですか?」
「そうですね。鍛錬のほどは・・・こういってはなんですが、幼稚の域を出ていませんが・・・」
「・・・何を見越した鍛錬かは伺われる。で、どう見ます?」
「なかなか返答に困る質問をされますね。いいでしょう。私の私見では単純に生存率の上昇と見ています。ここの指導者に二心は無いでしょう」
それはナハトも同意見だった。
しかし、アリューシャとカリフの態度に釣られ、口調がおかしくなっている。リアルでは社会人なのでTPOに応じた口調に変わるのだが・・・調子が狂う。
ナハトはアリューシャに召還されれば基本的に断れない。
心情的には触れたくないと思うのだが、そんなものとは関係なく断れないのが、皮肉な話だ。
―――話がある。そんな言葉だけでほいほい顔を出さなければいけない。
「なんて呼ばれたんだ?」
ナハトは口調を意識的に治しながら話しかけた。
「なんて?・・・ああ、そう言う事ですか。私は仕事の依頼だと伺いましたが?」
「仕事・・・俺に?」
「そうですね。私のみなら・・・ある話だと思いますが・・・」
二人は首を傾げて冷めた紅茶を啜った。
◆ ヤバイのが出た。
『ガルドが出た』
その一言は大吟醸たちに致命打を喰らわせた。
何が起こっているのかが理解できない。
戮丸は絶頂で無敵だし、その唯一の対抗できるオーメルがガルドと交戦中。
そうなると気になるのがガルドの強さ。
「勝てるわけねぇだろ?あんな化け物(戮丸談)」
ボクラハナニカワルイコトデモシマシタカ?
若干2名。有罪確定な人間も居るがそんな事は都合よく忘れてしまった。
ただ、その結果、心太方式で行動を開始した。
戦況は刻々と変化している。
戮丸は刻々とパワーアップしている。正直、戮丸は見たくない。
使い方は違うが正視に堪えない。本当に見たくない。
―――ので、その苦行はノッツに任せた。
赤の旅団の応援部隊が前線に到着した。
魔法使いは後衛に控えているが回復役は上がってきている。銀の腕は治療された。
だが最前線で戦える回復役は居なかった。回復ポイントは前線より少し下がったところに設けられ、負傷したらそこに飛び込む。高レベル回復魔法の【フィールドヒール】に敵を巻き込むわけにはいかないのだ。
ノッツほどの前線回復役に特化したプレイヤーが居ないのだ。
ノッツは戮丸の動きを観察しながら回復魔法を飛ばした。
目立った戦いぶりではないが、前線メンバーは内心驚愕を隠せなかった。
本来なら敵の仕分けも彼の領分だがその作業を監視に差し替えた。
その代役を務めたのがムシュフシュだ。ダイオプサイトはノッツの護衛に徹した。
大吟醸とマティは両翼を勤めた。彼らもこの戦場は戦いやすかった。何しろ怪獣が二匹も居るのだ。隙あらば命を掠め取るのは造作も無かったし、その間の首の回収を行うゆとりも十分にあった。
それでも、目を見張る活躍をしたのは銀だった。
端的に身体能力ではトップだ。
「パワフルな次郎坊」それが彼らの感想である。
何を使っているのか判らないが、アトラスパームを使った戮丸並みの機動力、陰に隠れてからの大鎌の連携に狙撃。
この戦場で大吟醸とマティがキル数で追いつかないのだ。
その機動力から時々戮丸のエリアに飛び込みそうになるのをノッツの制止の声が引き止める。そのたびに急制動をかけ、跳び退る。しかしその着地までの間に弓矢の三正射が入るのだ。恐れ入る。
正直、傍目にはこのメンツなら戮丸も轢き殺せるのでは?と思いは浮かぶが、全員の必死の形相から、そういうものなのだと理解せざる終えなかった。
そういった勢いは波及する。
【枯山水】を中核としたメンバーは鼓舞を飛ばす。
何しろ銀は【サンドクラウン】の主力の一角だ。上級職でディクセンを一任されている。閉塞感に満たされていると何度も書いたが、その彼らに大手クランの最大戦力の一端に触れたのだ。いやがうえにもテンションは跳ね上がる。
プレイヤーをランク分けするなら、オーメルたちと比肩するポジションに居る。
「バックスタブとの併用だな。確かゲームじゃ2倍固定。であの大鎌範囲確保か!頭いいな今度やろう」
「で、その今度ってのはいつくるんだよ!」
「今度って言うのは今さ!」
「どあほう!」
レビンの一括が飛ぶ。ハイエンドプレイヤーの動きを見よう見真似で出来るはずもない。
第一、オーガの群れにシーフが叫びながら飛び込むのは自殺行為以外の何者でもない。
当然、隠れていないのでバックスタブの恩恵は受けられない。
それでもだ。その戦場で15レベルの大吟醸も戦っているのだ。
キル数ランキングなら当然戮丸はトップ。時点は銀。その下にマティ、大吟醸と続く。ムシュフシュはかなり高ランクに位置するが、キルを取りにいけない。アシスト総ダメージ量では戮丸すら追い抜く勢いだが、キル数ではどうしても一格落ちる。マティが大吟醸の上に居るのはダメージでも殺しているうえに、アクセルを要所要所で開放していることが大きい。
と言うよりも新米ペーペーの戦士が、アクセルもちの戦士に追随してる時点で異常なのだ。
そこはそれ。彼らもゲーマーの端くれだ。しかも重度の。
見よう見まねでも、いち早く自分の動きに取り込むものも居る。
追いついたレビンも叱責を飛ばしながらも手探りを始めた。
スキルアップのためにパーティを危険にさらすのは本末転倒だが・・・
濃厚な手ごたえに叱責を飛ばしつつも、敵は足りるのか?
何て不謹慎な事を考えずには居られなかった。
◆ 作戦参謀は頭が痛い
ノッツの焦燥は極地に達していた。
大吟醸の告白はノッツの心を雄弁に語っていた。
ノッツ自体、感じてはいても形にならない思い。
〈綺麗じゃない〉その思い。そしてその期待・・・
その全てを打ち砕く戮丸の動き。
「相変わらず暖かみが有るの親ビンは・・・」
ダイオプサイトの言葉だった。ダイオプサイトが言うならその通りだろうが、ノッツには漠然としか感じない。
戮丸は相手の行動を阻害する戦い方はしない。やろうと思えば出来るのだ。
彼ほどの技量の持ち主なら、何もさせてもらえない状態で相手を料理できるのだが、手解きと言う事も有ってか相手の能力を最大限に出させる癖がある。
それはノッツにも感じられるが、今の戮丸には錯覚程度にしか感じられない。緻密に編まれた組機細工のような戦いぶり・・・
「どこが?隙があったら教えてくれよ」
力ない降参の声だった。意図したものではない。毀れた。
だが、それが意外な言葉を連れて来た。
「違う違う。そうじゃない。お前にはわからんか?親ビンあいつらを何度も使おうとしてるぞい」
――はい?
「ほらまたしくじった。親ビンのお膳立てが――」
―――!
アハ体験というものだろうか。
ノッツの目には一つの仮定を元に崩れる砂の逆再生のように組み上がっていく。戮丸のロジックが判る。それが判ると戮丸の状態が見えてくる。