097 人を傷付けるという事
オーメル・タラントにも予想外の事はおきる。
事実、予想外の事象のオンパレードなのだが、ソレはあくまで想定の範囲内。リカバーが効く範囲から逸脱していない。
オーメルのリカバー範囲は異常に広い。
逸脱していたとしても、その自体を一種の環境とみなし、其処から発展応用へと繋げる。今回の一連の流れでも、どれがオーメルにとってのアクシデントであったかは、本人以外知らぬ事。
その利を知っているので本心はめったに露にしない。
―――シャロンの監禁は完全に想定外であった。
ちょっと考えれば彼なら十二分に想定できた。場合によっては彼が率先して監禁指示を出すケースだ。
―――戮丸は怒るだろう。
戮丸が怒りそうな指示をオーメルが出す。
ソレは彼らの中で市民権を得たようなお決まりの構図だった。
間違っているとか正しいとか・・・そんな事ではもめない。自分も大人なら彼も大人だ。仕方が無いと説けば・・・いつも軍配が上がるのはオーメルだった。
もちろん戮丸の怒りが判らない訳ではない。ちゃんと理解できているのだ。それゆえに妥協点を探した。戮丸が納得できない事にオーメル自身も納得できるはずがなかった。
そういう役回りだと本当に理解していた。
そう思っていた。
それが酷薄な理解だと―――
―――たった今理解した。
状況を必死で説明するクラン員。
それが必死であればあるほど〈弁明〉に聞こえた。
―――しどろもどろに報告する彼は知らない。
シャロンがオーメルの身内である事、その心身に大きな傷を負っている事。
そのシャロンに自分を殺させてまで仕掛けた戮丸のペテン。
あんな事でトラウマが治る訳がないのだ。
だからアイツは暗示の上掛けをした。
《大丈夫》その一言を伝えるために、命をかけた。
このゲーム上ではただのワンキル。
しかし、奴の状態を考えれば本当に死ぬ事もありえた。
―――冗談ではない。彼が命をかけた後、食事を届けたのはオーメル・・・朽木遼平本人だ。
―――ハンバーガーを差し入れた。
奴の事だから薄々感づいていると思うが、シャロンと接点が無い事になっている。奴がそう接するのであれば、こちらが明かす事も無い。だから、全く気の利かないハンバーガーを選んだ。
悔しい事に、どんなに探して二千円を超える物は無く。
たったそれだけの量も奴は食えない。
そして、包装は容赦なく金額を告げる。
比較的高級バーガーを・・・やめた。
『それが一番上手くいく方法』と知っている。
馬鹿の癖に妙に勘が鋭く頭が回る。
その人生経験にはかなわない。
奴は自分の不幸自慢が好きだった。
不幸自慢で笑いを取るのが好きだった。
――しかし限度を越えた。
どう訊いても笑える話ではなくなったのだ。
―――奴の人生がだ。
その事をつげたら。奴は消えた。
音信不通とか拒絶とかではない。
呆れるほど自然に見事に居なくなった。
自分の不幸話を笑わない奴とは、つるめないと居なくなったのならいい。
―――まだいい。
訊いた訳ではない。
――だが知っている。
嗤われる事すら出来ない出来損ないの友人―――《自分》を奴は消した。
――そういう男だ。
奴は文句を言いながらハンバーガーを口にした。
隠したバケツには、スプラッター映画でしか見たことの無い量の汚物。
馬鹿な演技だ。健康な頃ならぺろりと平らげた。その感覚で口に放り込んで咽た。そんな演技のつもりだろう。本気でそれでとおると思っているのか?
――バケツの中身は真っ赤じゃないか!
奴は案の定、咽た。
全身を痙攣させ、流しにすがり付いて吐いた。
その嘔吐物も真っ赤で、明らかに口に放り込んだ量より多い。
ガクガクと足を震わせ言った言葉は
「最近の○○○の品質低下は度し難い」
「全くだな」
「旨いけどな」
そう言って奴は残りを口に放り込んだ。
―――筋金入りの馬鹿だ。
そんな筋金入りの馬鹿がやった、ゴリ押しのペテンなど全く効果など無い。ある訳が無いのだ。
つまり、シャロンは全く治っていない。強烈な暗示で誤魔化しているだけだ。
―――彼女が治療に適任の訳がない。
その事を知らずに監禁した男の弁明をオーメルは聞いていた。
アイツは馬鹿を演じきった。
私が根を上げるわけには行かない。
沸々と殺意が沸いてくる。
―――気が狂いそうだ。
奇しくも奴がそう弱音をこぼした事を思い出す。
『ばあさんが死んだんだ。良い人だったよ。身内のお世辞抜きで、元気な時はいつも人の話をニコニコ聞いてさ。そんな人だった。不慮の死って訳じゃない。寝たきりだったんだ。生命維持装置も切ろうかで揉めてさ。―――切った訳じゃない。天寿を全うした』
――――
『俺も好きだったよ。皆好きだった。強面のおじさんまで泣いていたんだ。皆泣いていたよ。―――俺以外―――』
―――思い出したくも無い。
『嘘泣きならできるよ。涙を流すだけなら。たださ、父方の祖母。こっちは嫌われてたな。絵にかいたような意地悪ばあさんで、口を開けば文句ばっかり言っていた。死んだって聞かされて、慌てて葬式に行ったんだ。そしたら、喧嘩ばっかりしていた親父達が泣き崩れて、準備も何もしていないんだ。外は雨が降っててさ、お隣さんたちが喪服で立ってるんだ。―――近所づきあいが悪いのは知ってたけどよ。『―――葬儀は断った』ガキの喧嘩じゃねぇんだ。体面がたたずに、しかたなしに立っているにしたって―――こっち側が区切りをつけてやらなきゃ―――だろ?』
『慌てて、挨拶に行ってさ。『―――話は聞いてる』って言ってくれたけど―――引き出物?香典?なんて言うんだっけ?葬式とかで渡すもの。そんな物なんて無いんだ。ただ、葬儀業者が置いていった塩が有ったんで渡してさ―――失礼だったかな?その分頭を下げて来たから―――俺は上手く出来ないからホントの事を全部説明してさ。―――帰ってもらったよ』
『そんで実家に帰ったら母親が『裏切り者』って―――』
―――あいつの気持ちは判った。
が、母親の気持ちも判らなくは無い。
―――あいつの家庭は不仲で、離婚していた。
『まぁ、そっちのばあさんが死んだときも涙は出なかった。まぁ比較するのも失礼なくらいで―――そんなもんかって。たださ、そっちのばあさん家には俺達、孫の写真がかかっててさ――ガキの頃の――その写真を毎日ばあさんが拝んでたのは知ってたんだ。毎朝な』
『母方のばあさんは好きだった筈なんだ』
『嘘泣きだけは吐き気がしたんで止めた』
――だから、一晩中見てた。
―――ばあさんの死に顔を。
――――何時になったら涙が出るのかって。
―――――それだけが知りたくて。
そしたら、その強面のおじさんが偉く気に入ったみたいでさ。
違うんだよ。俺は自分が泣けるかを知りたかった。
それだけなんだ。
ほら、夜勤で工場の検査業やってるだろ?
そっちは12時間だぜ?何てこと無いんだ。
精々8時間。
一万円いかない労働だ。
惜しくは無いね。
実質ロハだしな。
財布の中身が減るなら考えたかも知れねぇな。
―――最低確定ハハハ。
――壊れちまったのかな?
―――気が狂いそうだハハハ。
それを嗤えなくなったオーメル。
―――全部、知って居なくなった。
言ってしまえばたいしたことの無い顛末で、それ位の出来事は普通に転がっている。
ただ、奴には覿面に効いた。
この年だ祖母どころか親を失う者も多い。その辺で相続問題、介護問題は普通に頭を悩ませる。嘆いたところで同意するものも居ないだろう。
―――ただ――
―――最愛の祖母の死に顔を一晩中見つめ続ける。
―――言葉にならない。
◆ 終末の悪魔は救いなのかもしれない。
「―――仕方なかったんです。これが最善だったんです」
〈弁明〉は続く。
最善?戮丸だったら患者に恨まれようが憎まれようが構わず治療した。ソレは彼にもできるのだ。――オーメルにも――。
単純に患者の敵意と叫びに耐えられなくて、シャロンに丸投げしただけじゃないのか。
いつも私が戮丸にしているように。
それにはちゃんと理由がある。
【助ける側が悪人であってはならない】
ソレは戮丸の行動と矛盾する。
だが実際どうだ?警察を利用することが悪であったとしたら?
―――様々な不利益が生じる。
それを判っているから戮丸はオーメルに理解を求めない。そして、オーメルも――
奴は勝手に突っ込む。
しかし、ちゃんと正義の受け皿が必要になる。
それがオーメルの役どころだ。
警察利用すること。
助けを求めること。
助けること。
助かること。
―――それらが悪であってはならないのだ。
今も廊下にシャロンの泣き声が響く。
―――ズン
空気が重さを増した。
鉛のような冷気――
燭台に照らされた廊下に人影が見える。
「―――すまない。ガルドが出た―――」
これは銀たちに向けた通話だ。
反応から意味は通じたらしい。
あの戮丸が保険をかけなかった訳が無いのだ。