073 ラストアタック9 戦闘開始
作戦・・・その言葉にグレゴリオは思案した。目下第一目標は全力戦闘だ。勝敗はさほど気にしていない。当然勝つために戦う。その点に関しては微塵の躊躇もない。しかし、その結果が敗北ならば命乞いは論外である。
そしてグレゴリオの神官としての能力に致死呪文がある。高確率・・・いや、発動すれば一人は必ず葬る力。この呪文もグレゴリオの力の一部。封じるのは本意から外れるのではないか?
その疑問が沸いたのは初めてだった。普段なら真っ先に戦力を削ぐ為に使う。しかし、今回はレベルを遥かに上回る戦闘能力に触れたい。初手で、その歯車に楔を打ち込むなら・・・見逃してやっても良い。そう思えた。
過大評価しすぎか?それとも逆か?
ノッツの口振りにも気掛かりはある。『評価値が下がる』つまり逃走も攻撃の一手として考えている。つまり、逃げ出したからといって逆上は下策。
しかし・・・だ。
更に裏をかいて・・・堂々巡りだ。
顎を指でなぞり思案にふける。当然、課題を与えて考えているうちに逃走という手も当然考えられる。しかしその様子は微塵も感じられず、議論を交わしている。むしろ、逃げ出してくれたほうが良かった。考えなくて済む。
しかし、グレゴリオは思考の円環に囚われる事はなかった。思考や作戦の重要性を理解しているものの、グレゴリオはトロールだ。単純な決着を好む。
ノッツの提案は『理解』だった。全力戦闘をする為の。それはグレゴリオの望むものであった。そこに偽りがあるのであれば興味はない。呪殺してもいいが、そこまでする必要も無いかもしれない。それぐらいには信頼している。・・・下らぬ手ならば軽蔑すればいい。それだけの事だ。
自分にとっては最低の評価だ。かくも珍しい尊敬を踏みにじってくれたのだから・・・。だが、それが人間にとってどれ程価値があるかは分からない。
人間がグレゴリオをどう評価しようと気にはならない。逆も真であろう。
だから、ここは信じてみようと思う。
彼らも全力戦闘を望むことを。
そうなると話は変わる。あのノッツの口振りでは・・・逃走に全く警戒しないのは逆に失礼。あっという間に完敗に追い込まれるかもしれない。
そうなると・・・
こちらの有象無象の軍勢の使い道が変わってくる。
今も通訳したくない程の罵詈雑言と下卑た言葉で騒ぐ、トロールとゴブリン。これから訪れる蜜月を味わうに値しない。その味わいも理解できないだろう。豚に食わせるようなものだ。
使う気は微塵もなかった。優勢なら蹂躙するし、劣勢なら逃げ出すだけのクズだ。
陣営はそれほど多くないトロールが五体にゴブリンが二十体ほど。
戦場はこの舞台地面より50cmほど高くなっている。直径30~40mの円形で、その三分の一は飾り壁が覆っている。壁の方向に逃走は無理だろう。
この広場の出口は一箇所だが通路は放射状に無数に延びている。その外に繋がる穴は以外は小部屋か別の通路と合流しており・・・『高所か・・・』
道は地面上だけではなくバルコニーのように、上にも穴が開いている。飛び道具を何かしら持っていれば、それもアドバンテージになる。しかし、その道順は知らない。・・・筈である。
なるほど。自分達に有利な地形の移動したい。それを短絡的に逃走を判断されても困る。そこで・・・。
その考えは止めよう。一旦信じると決めたのだ。その内容の詮索に囚われるほど愚かな事はない。
逃走を許さない。それも、こちら側に許された。戦術の余地。
グレゴリオはニヤリと口を歪めた。
『なるほどね。逃走を許せば・・・それもそれで勝負の形といえる』
脱出路は壁の正面の道にあり、どの穴が外に続いているかは一目瞭然だ。それで作戦は決めやすくなった。出口にトロール二体と5体のゴブリンで警護させる。残りで3チームを作り正面と左右に配置する。チームにはトロールを一体つける。
トロールだけでは脇を駆け抜けられる危険があるし、ゴブリンでは論外だ。互いに補い合って初めて足止めとして機能する。
当然グレゴリオも追走するが、足止めの壁は多いに越した事はない。
奴らには舞台上には手を出すなと言いつけておく。もっとも言って聞く様な連中ではない。邪魔をしないでくれればいい。
配置は終った。あとは自分の立ち回りを考えればいい。
不思議な事に、戦闘に作戦など考えたことは無かった。本能の赴くままに戦えばいい。だが、それは相手の出方がわからないという事実の裏返しだった。
今は違う。相手の出方がわかる。いや、想像が付く。優先されるべき攻撃対象。陥ってはいけない状態。大体の予測が付く。悔いのない戦いをするべき方法を模索する。
楽しかった。何度も何度も考える。何度も何度も虐殺の血に酔いしれる。その思考に酔っている訳ではない。
その思考がどんなに細密に組まれた物でも、絶対じゃ無いと本能が告げる。その状況に背筋が震えるほどの興奮を覚えた。
そして、その思考に修正を加える。より完璧な勝利のために。
グレゴリオの作戦は時間と共に完成度を増していった。それでも、本能はまだ甘いと告げる。完成度が増すごとに、その思考を現実に投影したいという欲求が強くなる。
待ち遠しいと時間が欲しい。
その相反する二つが同居するのだ。冷静さと凶暴さくらい平然と混ざり合う。
今の自分に勝てる者になら、この世の全てをくれてやっても構わない。当然その腕に慈悲は無い。後悔もしない。
今の時間が無限に続けばいい。
だが・・・残念なことに時間は来るのだ。その勝敗を決める時が・・・
残念だが、来るのだ!
(小便を漏らしそうですよ)
全然、残念そうに見えないというね。
◆ 楽しい楽しい殺し合い
「――と、言う事でよろしいですか?」
グレゴリオはそう言って対峙した。さすがにでかいなとノッツは見上げた。ゴブリンとトロールの配置と基本的には手を出さない旨の説明を受けた。そして、基本的というのは命令を無視する可能性も含めてという事を伝えてきた。
その表情から内心は伺えないが、流暢過ぎる言葉遣いに若干の期待を匂わせている。
(・・・予定通りといった所か・・・)
グレゴリオは期待通りの反応だ。こちらの表情は読めないだろうが、同じ理由でこちらの内心を見透かされないかひやひやだ。
出来るだけ無感動を装う。
「こちらが勝利したあとの保障は出来ないと?」
「そうなります。その時は私は死んでいますが、わが身の不徳を先に謝罪します」
驚いた。グレゴリオは負ける可能性も考慮に入れている。てっきり『そんな事があるとは思えませんが』と枕詞が着くものと思っていた。まぁ、それも予想の範囲内なのだが・・・そういう性格なのだ。正直者とはよく言ったものだ。
皮肉が無いのが実に皮肉だ。
配置が済んだ。それも手堅い配置だ。
「てっきり先の口振りから逃げるものと思ってましたよ」
「ああ、その事ですか。ご安心下さい」
「それは今からです」
ノッツの掌で【明かり】がスパークした。
口振りにも注意した。言葉に抑揚が無いように流れるように不意打ち。【明かり】は持続魔法だが持続時間を一瞬にセットすれば目くらましのような使い方も出来る光量を確保できる
四人はバラバラに走り出す。
(・・・そう来ましたか)
グレゴリオは焦らない。光を腕でカバーし目を守りながら、茨を展開する。茨は右手の内外を伝い痛みを魔剣に伝達する。
狙いは元から決まっているダイオプサイトだ。
単純に鈍足というのもあるが、絶対逃がさないといけない対象ということもある。リアクションを絶対に取らないと意味が無い。初手としてはまずまずのアクションだ。
「やはりわしか!」
ダイオプサイトは逃げていなかった。鈍足を盾に逃げる振りをしたのだ。グレゴリオから放たれた振り下ろしの衝撃波が迫るが、半歩右に避け盾で余波を防ぎながら遡上するように踏み込み、長く伸ばしたハンマーで足を刈る。
ハンマーは外れた。だが、グレゴリオの重心が少し下がった。避けたといって良いか?それを好機とマティが右肩にカイトシールドで体当たりを敢行する。体格差がありすぎた。びくともしない。だが、右手を阻害するには十分だ。そこから、首元へマティのアロンダイトの突きが延びる。
最初のは体当たりなどではなく、距離が遠すぎるから体を預けて突き刺したといっても過言ではない。
回復力に定評があるトロールとはいえ、首に風穴が開いて無事とは言えない。体をそらして避ける。
「【アクセル】!」
そのつぶやきでマティの体は異常加速し、切り抜く。それでも薄皮一枚で回避した。頚動脈を切ったかもしれないが、この程度なら気にする事は無い。回復力で補える。
マティは目の前を横切る形になる。だが、その姿を追う際に目に飛び込んだのがノッツ。そして、舞台の外に飛び出した大吟醸。
ノッツは盾から何かを引き抜き、グレゴリオの顔に振りかけた。
これがなんだかわからない、嫌悪感にグレゴリオの顔がゆがむ。左には切り抜けて背を向けているマティが居るはず。だが、危険度は正面が一番高い。
反撃するなら正面。放置していい相手ではない。その後ろでは向きを変えた大吟醸が迫る。助走を付けた?ともかくこの二人の組み合わせは危険だ。舞台と大吟醸の間にトロールが割ってはいる。
このままノッツも叩き落す。
しかし、ノッツとグレゴリオの間に立ちふさがる影があった。というよりもそこに居た。身長が低すぎたのだ。ダイオプサイトは。
しかしグレゴリオの行動は変わらない。シールドで二人を叩き落す。
しかしダイオプサイトは耐えた。防御姿勢のままノックバックするがノッツに引っかかり止る。
身長差からダイオプサイトの頭上からノッツの呪文が飛ぶ。
「【傷】!!」
『よりによって目か!!!』
取るに足りない神官系攻撃呪文。目に裂傷が走りそこがめくり上がる。先の液体のせいか。かすり傷程度の魔法でも左目に直撃は唯じゃすまない。
その目が回復までの暫しの別れを告げる際に残した絵はトロールに飛び掛る大吟醸の姿だった。
(さすがに少しは保つだろう)
そう思った矢先に頚椎に衝撃が走った。
マティだ。踵を返したマティが不意の攻撃に仰け反ったグレゴリオの延髄に切り込んだのである。当然、襟周りの鎧に阻まれるが遠慮の無い一撃は脳髄を痺れさせる。
仕切り直さねば!
そう思った刹那、大吟醸が跳んだ。背面跳びの要領でグレゴリオに襲い掛かる。
「うおおおおおおおおおおおっ!」
大吟醸の雄たけびが響く。狙いは襟元大吟醸の仕込み剣が喉元に迫る。
盾を捨てその刀身を掴む。体に食い込んだが押し込まれるよりマシだ。横にずらす。力任せに傷が広がるなどどうでもいい。危険だ。
――ゾクリ。
大吟醸の雄叫びは終わっていない。尻上がりに続いている。それだけの違和感にグレゴリオはしゃにむに跳んだ。
グレゴリオは刺さった剣を無理やりずらした。それは、鎧の襟元を開く行為だ。大吟醸の二刀目がその隙間に突き刺さる。
「ド畜生!」
その気合の一言分の隙間が明暗を分けた。
――ヤバかった。本当にヤバかった。間違いなくヤバかった。
息を荒げて地面にうつ伏せの状態で、様子を伺う。
追撃は無いようだ。四人はグレゴリオを警戒して盾を構えている。
――正確には三人。大吟醸は先の回避に巻き込まれ体を強かに打ったのであろう。ゆっくりと構えを取る。
(このまま、注意をひきつければ後ろのトロールが何かしてくれる)
その期待は徒労に終る。
「大吟醸!仕留め損ねおったな。気合ばっかりで駄目な奴じゃ!」
「まぁ良くやったよ。仕方ない。覚悟なんて出来るもんじゃ無い」
「残念だけど、そんなに上手くいくわけないよね。でも、予定通り仕込めた。次は決めてくれよ」
何を言っているのだ?
言葉は理解できる。知性はあるが、その意味がわからない。アレじゃまるで、先の攻撃で私が死ぬ可能性が―――
ゴブリンの悲鳴で思考は中断した。
本当に思考が中断したのだ。
その意味は『死んでる!』