055 荒野戦7 下らない物になった男の下らない一手
遅くなりました。
女史の足元で男は落ちていた。不思議な光景である。アンカー・・・基点が男に設定してあるので、女史との相対速度はゼロ。世界のほうが上方に吹っ飛んでいる。高所からの落下する様を女史は1mという砂被りで鑑賞してることになる。
頼んだわけでもないし、見たいものでもない。
時間にして数秒、しかし酷く長く感じた。戮丸の随所を観察できのだから。
親に見捨てられた子犬のような表情。遠慮がちに伸ばした手。残った腕はグシャグシャに折れ、それを守るはずの手甲は肉を食むようにひん曲がって、風に揺れている。腰にぶら提げていた手弩は腿に深々と刺さり・・・逆にそのおかげで走れたのか・・・
終焉は来た。
遠慮がちに伸ばした手は、そんな様を叱るかのように衝撃に叩き落される。
手弩が爆ぜた。肉を撒き散らしながら。
その背でも同様・・・それ以上の音がした。腰の鞘が爆ぜたのであろう。
柔らかいとはいえ荒野。当然、石も・・・固いものは無数にある。
背・肩・首・後頭部の順で地面に叩きつけられる。
眼球と言うものは大きいものだ。その直径は目の横方向の長さより有る。
そんな当たり前のことを・・・そうでなければ眼球は楕円形・ラグビーボール状になってしまう・・・まざまざと見せ付けられた。まぶたは真円を描き赤で縁取りされた。中で神経と言う紐で繋がっているのだ。零れ落ちることは無い。ただ、血がにじんだ。
紙風船はどうだろう?
押せば潰れる。叩けば爆ぜる。当然だな、穴が開いているにもかかわらず・・・それが摂理だ。人体は当然ただでは爆ぜない。口腔と言うでかい穴が開いていても内容物は出ない。詰まるのだ。ゲェッと・・・
50cmくらいだろうか?彼の者の体は跳ねた。
正常だった部分は、その一瞬で駆逐された。
女史が思ったのは、哀れみでもなんでもない。ただ、グロテクスなものを・・・汚らわしいもの見てしまった。そんな感情。
十代の男女・・・いや、そうでなくても・・・人の死の瞬間の光景などは、目を背けたくなる汚物に相違なかった。
込みあがる嘔吐感に堪えられたのは、慣れていたというよりガルドが察して距離を再設定しなおしたことのほうが要因が大きい。
離れていく景色。入れ違いに殺到するオーガの群れ。
戮丸が駆け寄った時点で均衡は崩れていた。既に巨人勢はガタガタでオーガを圧するそれは無い。
元々、この荒野で最強の勢力はオーガ勢だとガルドは言った。数が圧倒的である。ただ、個としては最弱。いかに荒野の覇権を握っても個自身が死んでしまっては意味が無い。だから、戮丸はこのバランスを刺激してやればよかったと。
それは、ほぼ成功していた。薬煙を浴びたオーガと正常なオーガどちらの行動も伝播する。様子を見たいと思えば突っ込んでいくし、戦況が有利と見れば戦闘をやめてしまう。この薬だけで事は済むのだが、きっかけが足りなかった。竜は空に逃げられるし、巨人は薬付けオーガを一掃するポテンシャルを持っている。
戮丸は目的を達していた。女史達からの視点では飛竜の一匹は群れに突っ込んだ。オーガたちの洗礼は免れ得ない。奥の手のブレスは荒野に炎塔を灯した。肺に空気を取り込むためにもたげた首を振り下ろせなかったのである。柔らかいのど元を晒せば当然と言えば当然。
巨人は腕を地面に縫い付けるかのように潰され、飛竜は下敷きになっている。命綱を奪い合うかのようにもがき殺しあう、そこにもオーガたちが殺到してきている。一息つけば当たり前に助かる。そんな、当たり前なことがここには無かったし、誰もがそれを脇に置いた。
二人目と二体目脱落。
残りの脅威は片目である。それも時期に片付くだろう。戦端は開かれてしまった。オーガも巨人も殺戮をやめられない。
結果は見えた。
今、片目が存命中なのは、それ以上の脅威を始末している・・・それだけの理由だった。
今、飛んだのは足首だろうか?
動物の四肢は切断されると良く飛ぶものだ。
「もう移動しない?」
オーガたちのビートマ○アに見飽きたのか女史はそういった。当の戮丸は国道でよく見かける犬猫の成れの果てといった風である。ガルドはそういわれてコンソールを操作した。
結果、戮丸までの距離は縮まり、無様な姿が見やすくなった。女史はそのグロさに口を押さえ抗議した。ガルドはその戯言に耳を貸さない。
この女は何を勘違いしているのだろうか?
―――まだ終っていない。
移動もクソも、この映像は戮丸にアンカーを設定して再現されている。つまり死ねば、映像も戮丸を追うように跳ぶ。第一、死んだプレイヤーは消える。消えていないのは生きているからだ。
信じがたい事だが、あの状態で戮丸は避けている。当然無傷のわけが無い。生存に必要な器官をかばっている。身もだえや痙攣に見えた回避行動。それがどれだけ危険な行為か、当然戮丸も判っている。シャロン殺した戮丸が忘れる訳が無い。
トリックはこうだ。腕が切り取られる。斬られた腕は死んだ器官になる。そこにいくら攻撃を加えても戮丸のHP自体はもう下がらない。狂乱の巨人はそのことに気がつかない。もちろん、デメリットも有る。
刳り貫かれた眼球は映像を結んだ。つまりだ、痛覚は生きている。
想像してみて欲しい。国道脇でオブジェになった犬猫が実は生きていて、その痛覚のみが延々と脳に送り込まれる。自然界では発生しないレベルの激痛。その痛みから逃れるには逆の行動を取ればいい。出来ないとは言わせない。可動域を殆ど失った体で延命を続けている。それは奇跡的な集中力のなせる業。巨人は殺すために加撃を加えているのだから・・・
・・・何故?
理由は考えられた。
まず第一に戦士としてのプライド。体に刻み込んだ技術が死ぬことを許さない。その可能性は無い。彼は何度も死んでいる。それにそんな近視眼的な戦士ではない。
第二に自殺志願者。なら彼はその首を自分で切り落とす。すなわちこれも無い。
第三に観測。ほぼこれだろう。彼は自分が目的を達していることに気づいていない。それを確認しないでこの地を去ることは出来ない。消えてしまえばもう一度観測しにここに戻ってくることになる。時間は貴重だ。刻限は決まっていないが、時間経過に比例して危険度は跳ね上がる。
大規模な組織のバックアップもなし・・・それを取り付けるまでの時間は一秒たりとも無駄には出来ない。
彼の中で天秤がつりあっている事が驚嘆に値する。プレイヤーにかかる負荷も見たことの無い次元に突入している。精神が崩壊以前に、器が保つのか?
戦士だったガルドが呆れるほどの戦場がそこにあった。
彼の不幸はガルドは管理AIではなく、戦場を全うした戦士が管理者としてそこにいることだろうか?
強制ログアウトが正解なのは判る。しかし、生死の選択権は依然戮丸が握っている。彼は戦っている。ここまで戦える戦士はガルドの記憶にも少ない。データ生命体と言われても生があり、死がある世界の住人だった。その世界で命をかけた戦闘は星の数ほど合った。
久々に見る戦士の決断に水がさせるはずが無かった。
それでも、管理者としてガルドの態度は怠慢と言えるかもしれない。普段の彼ならばそれらを踏まえた上で決断できる。ゆえに管理者を務めている。彼は判断を間違っている。苛烈な人生に研磨された戦士の誇りを、その重みを理解したうえでドブに放り込める。散々してきた。
この両手が砕けて消えればいいと幾千の夜越えてきた。
ガルドは期待してしまった。
第四の選択狙っていると・・・
第四の選択。勝利。それは酷く無価値で、だってそうだろう?もう目的は達せられた。動く器官の方が少ない。命を懸けられるようなことではない。報酬は無い。褒める者は居ない。むしろ罵られるだろう。何故?
これ以上の勝利はガルドでも思いつかない。奇跡?そんな物は訪れない。それは知っている。現状より1mmでもよくできるのなら・・・
いや、進めるのなら・・・それは見てみたい。
◆
巨人にぶら提げられた。
痛みは限界を超えていた。思考だけは高速に回転していた。要約すれば【痛い】という意味を延々と綴り続けているのだが、ただ、車のホイールが高速回転した時に一定回転数に達した時、ユックリと逆転しているように見える。これは人間に認識できる動画速度による現象なのだが・・・秒間24枚だったか?それに近い現象が戮丸にも起きた。痛みと隔絶した幼稚な思考回路。半覚醒状態と言ったほうが近いか?
彼の思考が原稿用紙に書き綴られた文字としよう。そこには恐ろしいスピードで痛いと塗りつぶされていく。ただ、その原稿用紙に一語だけ意味ある言葉が刻まれた。原稿用紙は塗りつぶされていく、その速度は速すぎるから意味ある言葉は文章となり、思考を形成していく。
だから、記憶やその他もろもろはあやふやで、半覚醒状態と評した。
(・・・足が・・・飛んでった・・・)
右か左かそれすらわからない。その半覚醒状態の精神も大半は回避に費やした。
見事なまでにジリ貧である。そんな中、―――つまり、痛覚から切り離された状態でも全身が総毛立つ思いもする。
太ももが・・・大抵の人がそうであるように人体で一番が頑丈な骨だ。折れた経験あるものも稀で大抵は股関節部分・・・弱い部分がやられる。細くなっている部分に加重が集中するためだ。だから・・・こう・・・折れる際はポキッと・・・それ相応に手ごたえのような物があるものだ。そう思っていた。
サクッ
今、焼き菓子のように食われた。
こんな時は幼稚な精神まで吹き飛ぶ。痛みで飽和し、これ以上はない。限界だ。そう思っても、あっさり地獄の底は開き落とされる。全て投げ捨てたと思っても、また・・・まだ・・・奪われる。
泣き言や命乞いの言葉は原稿用紙に埋め尽くされ【痛い】を表現する語彙でしかない。
誇り?風が吹いたので飛んでいきました。
もう何処にもありません。
許してください。
しかし、神は人語を解さない。
―――みんなが待ってる―――
女の声が耳元でした。
気がした。
指を指した気がした。
その先に子供たちが居るような気がした。
目を凝らせば、そこには少女が居た股から血を流して、微笑んで、目から白い涙を流して、妊婦のようにお腹を抱え抱えているのは臓物だった。
何のことは無い。見てきたものがフラッシュバックしてるだけだ。意味は無い。
首の無い男の子。人でなしと罵る母親。人のいない部屋で人ではなくなった父親。イメージも追加された。意味は無い。思いのほかモンスターが居ない。もっとえぐいものは見てきたはずなんだが?
―――全部見てきた。
その一言に戮丸の意識は集約された。
口腔は・・・上の部分・・・骨にあたる部分。骨は喉までは続いていない。鼻と合流しているから、つまり喉チンコの手前で穴がある。穴と言っても皮膚・肉は有る。そこは急所と言っていい。ただ、普通は拳が入らない。口にだ。戮丸・・・成人男子の手は大きすぎる。
だから、知識の奥にしまっておいた。何でこんな事を?・・・ああ、奴らの最後に使ったか・・・効果は抜群だった。子供の身柄全部差し出してきた。まあ、そうなるな。手は汚れた。どろどろに。あんな状態でも皮膚を食い破るぐらいに噛み付けるものなのか。瓦も氷柱砕ける手だ。どろどろだ。
子供もどろどろなのにこの手でどうやって抱くのだろう?汚いと罵って欲しいのに何故なくのか?すすり泣くのか?涙を拭くにはそれは汚いんだ。血まみれだ。血まみれなら綺麗なものか?イカ臭い。最低だ。子供もイカ臭かった最悪だ。それでも一番汚い手は俺のなんだよ。
原稿用紙は怒りに書き換えられていく。
女が子供を抱きしめた。ああよかった。助かるよ。この手は汚いし一杯なんだ。
・・・何で?
何でこんな事を考えた?
ああ、俺の手を食いたいのか・・・いいよ。だけど残念だったな。戮丸は中指を突き立てた。
悲鳴が上がった。子供の声に似ている。
戮丸は放り出された。喉奥に中指を突きたてられたのだ。ゴムまりのようにバウンドした。人間と言うには拙い姿で。
オーガ達は警戒した。片目はゴミ虫が生きていることに気がついた。もう一度持ち上げる。不思議な生き物がまだ生きているのが不思議と言った体だ。
ぶどうの房を加減抜きに握ったようにゴミ虫の肉体はぶちゅぶちゅと潰れ。細切れにされた切込みを入れられたそれは、すり潰され致命的に駄目になった。
片目は不思議そうに覗き込む。オーガ達は不思議そうに見送る。
火柱が上がった。飛竜が逝った。もう一匹も逝くだろう。オーガ達が群がっている。遊具で遊ぶ子供のようで微笑ましい。巨人も居る。もうお疲れのようだ。
片目と目が合った。何でお前だけ元気なんだよ?子供が元気なら大人はグロッキーなもんだぜ。おかしいな?ああそうだ。いい物があるんだ。腹に刺さってる。これをやろう。アレ取れないな。中指しかないじゃないかこれじゃしょうがない。思いっきり刺せば抜けるかな?
戮丸は腹に腕を差し込む。腹にナイフが刺さり、ナイフが腕に刺さる。深々と・・・
勢いよく抜き放った。ナイフが抜けるかもしれない。しかし、腹から腕は抜け、ナイフから腕は抜け、血液は弧を描きオーガたちを蹴散らそうとした片目の視界を奪う。これを血刀と呼ぶの厨二が過ぎるだろうか?
片目はバランスを崩すにとどまり踏みとどまった。
戮丸は何かを確認したのか満足そうににっこりと微笑んで・・・
「これでしまいだ」
戮丸の体から無数の剣が生えた。
当然、そんな物は生える訳も無い。背中越しに貫き戮丸を片目の顔面に縫い付けた。
投げたのはオーガ達。
片目は崩れ落ちた。戮丸はその衝撃で弾かれた。
逆さの視界。そこにオーガが一匹現れた。信じられない。泣きそうな顔に見えた。その手には先ほど投擲した剣が握られていた。回収してきたんだろう。
戮丸だけには判っていた。
子供をあやす微笑を浮かべ、謝罪を表す言葉をしようと口を開けば墨のような血が毀れた。
戮丸は絶命した。
やっとくたばりました。
あーしぶといゴミ虫でした。
校正はまだです。っていうかここの校正って・・・あとで悩もう。
まだ、前座この章は長くなるな。
種明かしはおいおいガルドがやってくれます。
・・・まだ現実時間に帰れてないorz