001 夜を走る
◇001 夜を走る
視界は定期的に揺れている。
その揺れにあわせ足音と呼吸の伴奏が聞こえる。
吐き出す息は汽車のそれのように、刺すような外気はすでにぬるく。
―――ただただ、夜を走る。
住宅街だろう。知らない町だ。自分の住んでいる知らない町だ。数え切れないほど走っても、そこはいつまでも知らない。
自分という歯車を必要としない町。
―――何も持たないほうがいい。財布も携帯もだ。
あの人は言った。自分は重量や、集中の事かと思った。
―――リズムが濁る。
何を馬鹿な―――とは思ったが・・・結論から言えば、今、メガネも外している。その言葉は理屈よりも正鵠を射抜き、今の自分の言葉でも異論は無い。
自分のリズムの残響に支配される。と言えばいいのだろうか?
ジャージは反射板や蛍光の多いものを選び、シューズも運動性能よりもソールの厚さと、暗闇で目立つものを選んだ。
そのせいだろう。ぼやけた視界は見慣れても現実感は付いてこない。
言葉に反するが携帯も財布も持っている。持ち方が違う。銃のホルスターのようなベルトで体にがっちり固定し、隙間にはスポンジを詰め込んで揺れないようにした。小銭は全て出し、札とウォレットで済ませる。
考えうる【リズムを濁すもの】を全て廃した。
心音が落ち着いたのを頃合に、体に最高速の指示を出す。
これはやってはいけないことだろう。
漠然とだが、深夜の住宅街でやってはいけないことだとおもう。
なりふり構わぬ全力疾走というものは―――
私はどこまで行っても追いつけない暗闇に飛び込んだ。
景色は寒天に閉じ込めたようなもので、その中を掻き毟りながら進む。
だが実際は景色は景色。寒天のような手ごたえも何も無い。
しかし、夢想する。後一歩・・・もう一歩速く進めば、それに追いつくと信じて・・・
恋人が事故ったと聞かされてもこんなスピードでは走らない。
なぜならこのスピードでは自分自身も曲がれない。
―――走り方なんてどうでもいい。とにかく最高速。
それだけを考えて。
―――短距離走のレベルじゃない。短距離走のスパートのレベルだ。
その速度に達した。すぐにだ。
歯を食いしばり、必死の形相で速度搾り出す。よだれが横に伸び、耳の下にたまるが気にしない。気にも出来ない。脳は二つの事で手一杯だ。
一つは『本当に速度に必要な動きか?』
人間はその持ちうる最高性能を出そうとした時、駄々を捏ねる。
手の振りはめちゃくちゃになり、足と呼吸もばらばらだ。
規則正しいフォームは高い成果を低い消費で可能にする。
―――んなこと忘れろ。
もがくような腕は本当に全速力に必要か?
その必死の形相は必要か?
歯を食いしばって速くなれば世話がない。
そんな理屈はよく聞くが、その瞬間コンマ数ミリでも速くなるなら―――
―――それをやれ。
唯それを問い続けろ。
『―――本当に速度に必要な動きか?』
もがく体はどこまでも駄々を捏ねる。
『全力を出しました』と言い訳作りに駄々を捏ねる。
―――それを見破れ。
そして、もう一つは―――
―――それが何歩続く?数えろ。
こっちは何も考えず、ただ歩数を数える。
あまりに速すぎるので脳内で数えるだけでも手一杯だ。なぜ昔の人は数字を一音にしなかったのだろうか。音を考えるより映像で数える。カウンターはリズムで廻す。口に出したら間違いなく間に合わない。
風圧・・・?外気の冷たさのせいか、涙が目じりから耳に入る。
情けない話だが、これで自分は手一杯。全身全能がフル回転している。数える事に、走ることに、見破る事に。
―――そして、心は折れる。
言い訳するにしても誰に?
あきらめた事もあったし、カクンと速度が落ちた事もある。スロットルレバーなんてものじゃない。
直角の鉤のついた紐で、それを釣っているような物。集中が途切れる瞬間、落ちるのだ。
―――今日もまた体力を使いきれなかった。
「・・・23歩か・・・」
23歩に全体力を使い切れたら、それはそれで化け物だ。漫画じゃないんだから・・・
記録23歩。
そのままジョグに移行する。こんなスピードの急停止は体に悪いと本能で判る。実際はそこまで疲れているわけではない。心臓だけが早鐘を打っているが、それを鎮めるだけの体力は有り余っている。
―――それだけでいい。数える。それだけ。忘れない。
あの人は韻を踏んで、さも簡単そうに言った。実際に簡単だ。ただ、その様子を公開されれば、社会的にダメージを食うかもしれないが、「そういうトレーニングだ」で事は済むし、そこまで暇な奴は実際に居ない。
―――それで終わり?と訊いた。
運動というには量が少なすぎる。最初に『簡単簡単』とは言っていたが簡単すぎる。どこかに罠があるのではないかといぶかしむ気持ちはよくわかるのだが、あの人はこう続けた。「飽きるまでどうぞ」と・・・
ランニングを始めよう→飽きるまでどうぞ。
これほど残酷な言葉は無い。ランニングを始めるという事は、走るのが好きではない事を意味する。そんな人間に『飽きる』というのは無制限という事だ。
―――回数は決めないほうがいい。第一、覚えた数字は次やれば間違いなく抜けるし、体力が無いとしても2・3回は余裕で記録は伸びるよ。
ごもっともな言葉だ。【心が折れる】というのは精神衛生上よくない。
少なくとも納得するまではやめたくない。そこでジョグをしながら建て直し、再チャレンジする。
止まったり、座ったりしてもいいのか?という質問には―――
―――したくなったらやめろ・・・うまくいかないから。
一見根性論に聞こえるが、それは【疲れ】のサインだという。疲れたら辞めた方がいい。「嫌いになるから」と単純明快な答えだ。
そして、「頑張んなくていい」躍起になって「十回も二十回もしても記録を忘れてしまうだろ。伸びるわけないし」
彼は体育会系特有の皮肉は一切言っていなかった。むしろ、体力が切れるまでなんて絶対にするなと厳命したほどだ。
最初は半信半疑で始めた。一番最初は疑っていただけに、ぬるい記録だった。簡単に二回三回と伸びた。距離にして500mも走ってないだろう。下手すれば100m以下だ。これはさすがに手を抜きすぎたかとも思ったが、彼の口ぶりと、伸ばす自信が薄かったのでその日はやめた。
三日続けたあたりから『駄目だ』と根を上げるようになった。記録はどんどん伸びている。一週間を過ぎるころには『無駄な動きを見破れ』という言葉の意味がわかるようになってきた。なりふり構わぬ全力疾走を一週間も続けていれば、必死さを擬態している動きというのが判ってくる。心が醒めて来るのだ。
そして距離は飛躍的に伸びた。ファーストトライより2・3回目のほうが具合がいい。ウォームアップをしてはいたが、こういう風に違いが出るのかと感心した。
―――大体、学校や部活で教えるウォームアップなんて何の役にも立ちゃしない。
ラジオ体操だって真剣にやれば全身運動だ。その運動量は千差万別。それを一回やって終わりなんて馬鹿げてる。転ばぬ先の杖程度の役に立つかもしれないが、それはウォームアップとはいえない。
だから学校が教えるべきはウォームアップが完了した肉体感覚と、そこからはじき出される成果の違いを教えてやるべきなんだが・・・専属トレーナーが必要。
もし、専属トレーナーが居ても、本人にその気が無ければ無駄に終わる。
―――好きじゃなきゃ意味がねぇって事さ。
何の気なしに彼は言った。
ではなぜそれを教えないのか?と話は移る。これも彼は簡単に言った。
―――長すぎるんだ。
一番短い短距離走でも体力配分が必要な距離。もちろん学生さんじゃ配分どころかただ必死になって終わり。全員公平にキツイ。そうだからこそ統計学的なデータとしては役に立つんだが、『スポーツはスポーツでしか役に立たない』
「実際、学校の体育の授業が役に立ったと実感した事あるか?」
体を動かしていた。という意味では役に立っているのだろうが、何かを学んだ問う言う実感は無い。
「んな事より全力運転がどのくらいで、ベストコンディションに持っていくまでにどのくらいの運動量が必要か?それがどのくらい持続するかの方が役に立つだろ。数字なんかより感覚で覚えろ」
一月がたった頃、飽きが来た。記録も頭打ちになり、距離も伸びなくなった。そして、走るのが億劫になってきた。「飽きたら辞めればいい」とは言われたが、むくむくと成長する感覚は忘れられない。
走るのが好きになり始めていた。子供のように。
そして、この財産をやりくりしていくのかと、今の走行距離を、維持の為に喜びも忘れ淡々と繰り返すのかと思うと・・・気が重くなった。
その事を正直に話した。帰ってくる言葉は予想がついたが、それはあっさり裏切られた。
―――手ェ抜きすぎ。
『はいぃっ?』
青天の霹靂に生徒は素っ頓狂な声を上げた。少なくとも先生の言葉に納得し真摯に精一杯やってきたつもりだ。
「一ヶ月も記録が伸び続ける訳がねぇだろ?」
あんまりな言葉だ。その為の努力は怠ったつもりは無い。
記録を書かれたノートを持って「こいつは価値の無い代物だ」といった。確かにそこに書かれたものは、本人以外には価値の無いものだろう。ただの歩数でしかないのだから、しかし、そこには記憶と思い出が詰まっている。決して無価値ではありえない。
◇
「―――お前はもっと捨てる勇気を持て」
一月の訓練期間を経て身体機能は飛躍的に向上した。それは心肺機能も一緒で、先生いわく大暴落する日が来るはず。
トップギアと思っていたスピードがローギア。今の自分の体にはさらに上のセカンドギアが出来上がっていると。そこにギアを入れれば記録は格段に落ちる。最速、最高という言葉を知らず知らずに裏切っていた。
記録を守るために・・・
そして、短距離走の教本を「役に立つ」といって渡していた。
家に帰って同じ本を読みふける。乾いたスポンジが水を吸うように書いてある言葉の意味が判る。正確には自分に必要な情報か否かがわかる。
そして・・・空気の壁を感じた。
大げさだろう。しかし、新しい速度帯に従来のフォームでは受け止められず、首がガクンと押し下げられる感覚。自分の脚がはじき出す速度に恐怖を覚えた。
全身に鳥肌が立ち、ひじがガクガクと震える。両肩を抱きながらジョグで情報を整理する。記録は散々なものだ。
何しろ初めて恐怖で投げ出したのだから・・・
こみ上げる笑いは表情までで押し留め、われながら奇妙な表情で岐路に着いたのを覚えている。
―――明日からは、また貪り食える。
◇
それは俺が始めて走るのが好きになった日だ。
今ではその日の最高記録だけをケータイにメモして終わりだ。
面倒だろ?
財布を持っているのはドリンクを買うためと、走った分は帰らなければいけない。今までは帰路も考えて走っていたが、距離が足りない事もしばしばある。家についてしまうのである。電車で帰ることも考慮に入れてなのだが、今、調べたところ終電が終わっていた。これには自分でも笑ってしまった。開放感を求めたが、はやる気持ちがこんなところに出たか。
その頃には市営の運動公園まで体は流されてきた。記録は32歩まで伸びた。隣には遊園地というのか児童公園というのか、があり、そこには不釣合いな大きな観覧車が見える。
予定ではここから南下し、駅を目指すはずだった。
―――電車は無い。
その日の運動量は倍に膨れ上がった。明らかにこの体はガス欠。
そんな事は余人には想像もつかないであろうスピードで流す。
―――ハンガーノックがくるな。その前に補給をしなければ・・・
ランニングでハンガーノック対策に飲食。われながらありえないなと思うが、先生に訊いたのは【体の作り方】
何でも食い、消化し、どのような状況でも体力を回復する術を身につける。
「何をどのくらい食えば走れなくなるのかを知っておけ」
という言葉にだまされて試行錯誤をしたものだが・・・これも先生お得意の嘘だった。
意外なものが伸びた。食事可能量だ。さすがにラーメンをスープまで飲んでトップギアは無理だが、ジョグぐらいなら問題ない。
それに10分もかからないだろう。消化し、栄養にとは行かないまでも、食った後の満腹感の角を落とし、万全な体制に持っていくのがだ。
酒とファミレスは避ける。酒は危険だし、さすがに汗だくだ。この時間にやっているのはコンビニ、バーガー屋、ラーメン屋。コンビにでは味気ない。きれいな料理屋は腰に根が生えてしまう。そうなると・・・ラーメンがいいな。
私は駅に進路を定めた。
頭は食い物の事でいっぱいだ。ラーメンだって塩・しょうゆ・味噌を選ばなければならない。サイドメニューに餃子もいいな。ニンニクがたっぷりだと食いでがある。ライスも鉄板だ。ライスが入ると若干揺れが収まる気がする。個人的な感想だが。
汗をたっぷりかいているので塩気が強すぎるくらいでちょうどいい。
願わくばこの時間に開いている店がまずくない事を祈るばかり、今なら大抵の店でおいしく頂ける。その自覚がある。
街は開発が進んでいないのか、古い建屋が目立つ。
―――訂正しよう。大きな工場はきれいな物が多いが、その合間。昔はお店だったという風情だ。そして、そういう場所でも飲食店は生き残っている。
普通に考えればどれも閉まっている時間だが、駅の近辺という立地にいくつか明かりが見える。
ここからが難しい。食指が沸く店構えを往々に通り過ぎてしまうからだ。
見る→悩む→決断下す→通り過ぎている。
歩を緩めればすむ事だが、結構これが出来ない。
「次は飛び込もう」というのは経験上危険。このタイミングでまずい店では膝に来る。ゆっくり走れば疲れるし、店に入る事を前提に汗が引くぐらいの運動量だ。この時期では悩めばあっという間に体温を奪われる。そうなると薄れた記憶に目星を付ける以外なくなる。
確か、この先を曲がった所にあったはず。黄色いビニル製の庇が付いた昔ながらのラーメン屋。前面はガラス製の引き戸。やっているかどうかは明かりでわかる。
私は最後のスパートをかけた。
視界には言った店先で店主と思しき人物が、暖簾に手をかけているのが見えたからだ。
◇
「映画のロケかと思ったよ」
店主が笑いながら調理を続ける。
店じまいをしようと思ったら、ジャージ姿のいかにもイケメンが怒涛の勢いで走ってきて、息を荒げて「まだ大丈夫ですか?」だ。
こんな珍妙な客は珍しい。
「いや、助かりました。ここが駄目なら途方にくれるところでしたよ」
お冷を飲み干すと、一気に汗が噴き出した。気付いていないのか前髪から汗が滴る。そして汗をお絞りで拭う。それは若い子が忌み嫌うラーメン屋での親父の習性となんら代わりが無いのに、明らかに別種のそれであった。
店内は古びたラーメン屋ではあるものの、アニメのフィギアが並ぶ。飲食店特有の油のきばみが目立たないところから店主の趣味だろう。お子さんかもしれない。どれもどこかで見た事あるキャラクターだ。中には目のやり場に困るようなスタイルのフィギアもあって、正直目にうれしい。
ラーメン屋で水着姿というのは切っても切れないものなのだろうか?と、くだらない事を考える。
「でも、トレーニング中にラーメンなんて重いものいいのかい?」
「格闘技の体作りなんで、そういった制限は無いんですよ」
「へぇ。あんたもかい。じゃチャーシューサービスしとくよ。余らせても腐るだけ・・・」
こんなやり取りがあったかい。チャーシューメンにチェンジでといいかけたが出すぎた真似かと飲み込んだ。
「あ、ありがとうございます。“も”というと・・・」
「ああ、近くに道場があってね。兄ちゃんみたいのは珍しいが大抵飲んでいくんだよ。ビールは?」
奨められたお酒は断った。説明するまでもないかと思うが、飲酒運転に近い状態になる。しかし、その理屈は理解してもらえないと口をつぐんだ。
カウンターに座り、自覚するほどに腹が減る。自覚が無かったのはそれだけ体がうまく廻っていた証拠だろう。出されたラーメンは驚くほどに普通だった。
欠点が見出せない。こういう時間帯で必然的に材料はあまり物。麺の上に具をぶちまけたものが出されても文句は言えないが、なんというか景色は三等分に分かれていた。具材、麺、チャーシュ。些細な事だがそんな当たり前がうれしい。
スープを蓮華で掬い一口。温度を、栄養を、全身が吸い取る。ここで初めて自分の疲労状況を正しく理解する。後は記憶に無い。ただ一心に食らった。食う順番を記憶する意味は無い。
一噛み一噛みが補給。この店の味は普通ではあるが、膝に来る心配はすでに霧散している。特筆してうまいといえる魚粉などとは違うが、充足感は期待以上。具の野菜炒めに肉が数切れ混じっていた。肉入り野菜炒めの残骸だろう。その肉の火がちゃんと入っていた。
歯に詰まる筋の残骸ではなく、油の乗った、噛めば肉汁があふれる肉の残骸。うれしい残骸だ。
コトリと餃子が置かれた。ちょっと遅い。だが文句を言うにあたわない。
器の底面が見えない程度にスープは残したが、麺や具材の切れ端は一つもないと断言できる。どうにもそういったものを探してしまうのは悪い癖だが―――改める気はもうとう無い。
大きく息を吐く。堪能した。想像通り期待以上。味のよしあしを語れるほど美食家ではないが、あの肉の火加減なら野菜炒めもありだろう。
お冷の残りを流し込み。一息つきたい誘惑に後ろ髪を引かれながら勘定を促す。長居しても店主に悪い。厳重に縛り付けた財布からお札を一枚引き出す。
「そういや、あんたみたいな客が居たよ」
その客はぼろぼろのジャージを着たおっさんで、汗で湿った万札でお勘定を済ませたという。で、そのおつりを受け取らず走り去ったというのだ。
「いや、食い逃げされるかと心配していたくらいだから、お釣りの置き逃げっていうのか?予想外だったよ」
―――気持ちはよくわかる。その話に笑った。
「その後にも、ひょっこり顔出して『先日、お釣りを貰いそびれたのですが覚えてらっしゃいますでしょうか!』『か!』って顔上げて、シラきってもよかったんだけど、笑ちゃちゃー負けだよな。その金でもう一杯食わせて・・・確かそいつも格闘家って言ってたな。ほらそこに写真・・・」
そこにはよくあるポーズの先生の姿があった。自分の記憶より若干若い。
「で、そのお客さんはそれからも・・・」
「いや、それっきり。面白い奴だったけどね。痴呆症なのか、またお釣りを置き忘れようとしてね」
引き止めなければ常連になったかもしれない。
「兄ちゃん、もしかして知り合い」
「ええ、まぁ」
「・・・で、こいつ強いんかい?」
正直に言えば格闘家で生計が成り立つとは思えない。格闘由来の仕事で生計を立てるものも居るだろうが、道場主とか、―――だがそれで格闘家と名乗る人は居ない。
「格闘家って名乗ったじゃないですか、テレビに出てる格闘家より弱いって事はありえません」
かなりオブラートにくるんだ言い方だ。
「ハァーーー。そんな人だったのか。サイン貰っておけばよかったかな」
その言葉に一抹の寂しさを覚えた。それは絶対に・・・訪れない。失われた人だ。
「じゃあ、兄ちゃんもサインと写真置いてってくれないか?」
店主は何かを期待したのだろう。
「私はそんなんじゃないですよ。それに格闘技も引退するんで」
「あーそりゃ残念だ。とりあえず写真だけいいかな?」
店主はこちらの言葉を信じてないのだろうか、写真をせがんだ。こちらとしてもそこまで潔癖になる気は無く。快く了承した。
そして、ひそかにお釣りの置き逃げを敢行するも見破られた。
店主は格闘技は脳に悪いと誤解しただろう。
夜道を歩く。ジョグくらいは出来るといったがその言葉に殉じる気は無い。補給したのは栄養だけではない。熱気もだ。火照った体に夜気は優しくご馳走だった。
口にした引退。これは本心だ。社会人になり、格闘技に精を出す。格闘技自体が嫌いになったわけじゃない。それを取り巻く社会、付き合いに辟易していた。上を目指してがむしゃらになっていた頃はよかったが、大人になり安定を求める空気が出来上がった。
道場では格付けが決まり、それを維持、逆転する為に大会がある。
ひどくつまらない。格の上位者が格下のおべっかを集める。そんな飲み会が・・・そんな物のために格闘技があるのが我慢できない。
彼らがまじめではないという事ではないが、出来上がったものを打ち破る・捨て去る気概はすでに無い。
先生の訓練は、限界値の上昇と持続時間、そして心身の管理。このトレーニング方法を言ったところで鼻で笑われる。「体を壊すだろう?」と端的な言葉が返ってくる。そんな凝り固まった考えに飽きが来た。
先生は「無理は絶対にするな」といった。
やっているからわかるが、野生動物のトレーニングだ。体に不具合を感じれば野生は体を休ませる。その指示を聞き逃さない訓練でもある。
それを受け入れられない空気が嫌になった。
口からスルリと言葉が出たのはいい機会だろう。やっぱり、自分は先生の考え方が好きだ。あの人の居られなかった格闘技業界に自分が合わないのはうれしくもあり・・・また、逃げ出すようで。
捨てる勇気。捨てて何を拾う?捨てたい気持ちに屈しただけか?
首筋をなぜる。
―――ここに機械を埋め込むのか。
それは格闘技との決別を意味する。ただのスポーツなら公式戦出場不可と言うだけだが、首に金属を仕込んで格闘技は考えられない。
あそこであの人が戦っているのか?
ほぼ直感でしかない。動きにあの人を見た。それは自分だけではなかったようで、モーションアクターとしての道を見つけたのかとも思った。
だが、それは否定された。アレは信じがたいことにゲームのプレイ画像だという。
ゲームというものがどういうものかは普通に知識がある。格闘ゲームは山ほどあれど、格闘=格闘ゲームになりえない。
うわさのVRMMOも肝心のプレイ動画は見つからず、小説もいくつか読んでみた。小説では体は自由に動くようだが、戦闘のような特殊アクションは機械が自動的に行っていると―――これは小説であり、現実ではない。
痛みはあるらしい。それは小説とは一線を画する情報で、ナイフで刺されたら1ダメージどころの話じゃない。のたうちまわるという。
自分としては願ったり適ったりだが、恐怖が無いわけではない。
これで、格闘人生を棒に振って楽しいゲームでした。では、目も当てられない。
冷えた体から逃げ出すように夜の町を走り出した。
自分は闇のいざないに抗えないのだろう。
◇
どうしようもない漆黒の闇の中、哄笑をあげる戦士が居た。
貪り食える喜びに―――止まる事は無い。
望みは全てかなえられた。