進展
「ここだな」
JRと東武線が交わる場所。つまり、線路が二つに分岐している。更にこの辺は線路を高架工事が進んでおり、線路周辺は混沌としていた。田舎の駅の代名詞に近代化工事が行われる。つまり、街が活性化するのだ。
線路があった高架下は概ね駐車場と相場が決まっているが、それを受け入れる街が出来て居ない。お萩や焼き饅頭をショーケースに入れて販売するような個人商店が軒を並べる場所に明らかに駐車場が過剰で、今後の人の流れ次第でと考えれば、自ずと出展は先送りになる。
目新しい建物と、ブリキとたんの古民家が交互に軒を連ねる。一種奇異な風景で、そのアパートはすっぽりと収まるようにあった。
「ここか・・・」
地元の二人には見覚えがあった。こんな場所にある幽霊が出そうなアパートだ。正直にアパート駐車場が見当たらない。実は裏に小道が続いており、その先にそれなりの駐車場があったのだが・・・
朽木遼平は車を止めた。
アパートはデザイナーズ物件だったのだろう。通路が露出していない。学校の校舎のように閉鎖的なつくりで日当たりは悪そうだ。
今は綺麗になっているが、元を知っている二人にはやはり、煤けた印象が払拭出来ない。
「アクセスはいいな。ここなら駅まで歩いていける。店は近いし、車ではいるには道が狭くて面倒だが・・・悪くないんじゃないか?」
「あのババァの巣に比べれば天国だよ。防音性能はそれなりに高いしな」
「やっぱりわかるのか?」
「まぁな。サッシも当時にしてはいい物使ってるし、複層ガラスだ。竣工当時は高級アパートだったんだろう。設計理念もしっかりしている」
男にはそういった経験が有った。設計理念がしっかりしているというのは、たとえば防音ガラス。これは単体で音を遮断する。だが、壁が防音構造でなければ意味が無い。効果は大幅に下がる。
「そんな馬鹿げた事があるのか?」
「有るんだ」
とうぜん、無いよりマシといった具合だが、防音ガラスはその性能をアピールする絶好のアイテムだ。そして、高い。同等の物ならどうしてもごつくなる。
それを嫌った施主が、どうにかしろというケースが多いのだ。そこで更に高級なサッシに代わる。しかし、その時点になると工事はもう始まってしまっている。
お金が工面出来ない。
そこで、壁の断熱材を抜いてつじつまを合わせるのだ。
「線路脇だからか・・・」
このアパートはそういったゴツサも前面に押し出したデザインで、図面を見れば性能重視の物件だとわかる。通常の物件ではそれほど気になる差は出ないが、この立地だと天地の差が出るだろう。多分冬場の結露も無いだろう。
壁は厚いし、廊下は風も吹き込まない。
彼にとっては願っても無い。好条件だった。
「本当にこれでいいのか?」
それは男が本当に着の身着のままで来ている点だ。これは驚く事に転居である。
バック一個分の手荷物しかない。
「いいんだ。引越し代より買った方が易く済む」
衝撃の事実だった。
「部屋は?」
「101だ。・・・ああ言ってなかったなこの建物自体が社長が買いきった。当面はこのアパートに住むのは俺一人じゃないかな?」
「本当に会社一個作らせたんだな・・・」
朽木は長い付き合いの友人ながらその突飛な行動に呆れて、溜息が一つ転がった。
「・・・いいじゃないか」
「まぁ、いいんだろうな。しかし、空室というのは何度見ても・・・あれだな」
―――実に何も無い。それでも男の以前の部屋も似た様な物で・・・そういえばネットに繋ぐ為のデンデン虫がダンボールの上に乗っていたような。
―――忘れよう。
「で、どうするんだ。買出しに行くのか?」
これでは今晩眠る事もできない。
「いや、家具は概ね買ってあるんでじき届く。布団とベットと冷蔵庫とレンジ、炊飯ジャー。それの運び込みを手伝って欲しい」
しばらくすると件の来客があった。男は今はしゃんと立っている。普段歩行も困難なのは体を支える基部間接がグラグラになっていることに起因する。
今は補助具を装備する事で力を伝達できる。歩くのが断然楽になったと言っていたが、室内に入って補助具を外すと装着部に酷い痣が出来ていた。
朽木は流石に彼にやらせるのはまずいと率先して運び込む。本来、こういったことは男の分野であったが今は事情が事情だ。
それでも、大物となれば男は協力するし、布団程度は片手で掴んで持ち込んでいく。
「コイツをロータスエリーゼに積みたかった」
・・・ドン!
二人掛りで運んでいたベットを遼平が落とす。
「言わなきゃいけないことは?」
「ごめんなさい」
ロータスエリーゼは遼平が趣味で持っている愛車だ。当然仕事用に普通車を持っているが、若い時分に無理して買った愛車を今でも大事にしている。
常識的に考えて軽より軽いスポーツカーを引越しには使わない。
ロータスエリーゼには紆余曲折はあったものの、結婚しても手放さずにいる。
「嫁より大事か?」
「・・・返答に時間をくれ」
男はまだそのときの返答を聞いていない。
「で、お前ゲーム作ってるんだってな?」
「まあな」
「しかもツインスティックの・・・」
ゴゴゴゴッゴゴゴゴゴゴ・・・
遼平は静かに闘気を放ち男がたじろぐ。
「それじゃないから!」
「でも、ツインスティックなんだろ?」
「ああ」
「ロボット物なんだろ?」
「ああ」
「それを俺に伝えなかった罪の重さに自覚はあるのか?」
「ねぇよ」
―――アア?
遼平は持ったベットをグイッと持ち上げ加重を男の側にかける。
「マテマテマテ。俺とお前じゃ勝負にならないのはわかってるだろ!」
「まぁ、お前が相手じゃな。たかが知れてる。で、進捗はどうなんだ?」
「大体おおすじは固まった。後はマップ配置で、コイツはノッツと大吟醸に頼んでる」
「大吟醸―――強いのか?」
「ああ、訊いたら二人ともルナシューターだ。俺じゃ手も足も出ない」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・
「だからっ!こっちに加重をかけんな。重いっ!」
「アア、ワルイナ」
「そう思ったら・・・万歳ヤメロッ!」
病人虐待映像。
「何やってるの?」
玄関口で女史が呆然と見ていた。状況に順応できていないようだ。
これが、アタンドットを代表するクランマスター二人という衝撃の事実さえ入って来ない。
二人にとって、悪ふざけなのか、それとも真剣に殺意なのか、その点が問題だ。
「で、この珍獣をよく雇う気になりましたね」
朽木・・・オーメルはそういった。女史がメンコン社の人間だという事は説明済みだ。
「仕方が無かったんですよ。最初はメンコン社公式プロプレイヤーの話があったんですけど・・・」
「それはこの馬鹿でなくても辞めた方がいいでしょうね。一枚岩ではないようですし・・・しかし、ゲーム開発だけでは足が出るでしょう?」
プロプレイヤー。確かに、それだけのスキルは持ち合わせているし、活躍もしている。何より認知度が桁違いだ。夜空にその戦う姿が映し出されただけでなく。ゲームPVにも登場している。それでも、いや、だからこそ、その動きに指示を出せる立場を置くのは危険極まりない。ただでさえクランマスターは、しがらみでがんじがらめだ。そこに会社の意向が加わるのは・・・利口じゃない。
そして、ゲーム開発では足が出ると言うのは当然の話だ。戮丸・次郎坊が開発しているゲームはその制作方法に異常なものはあれど、作っているものは単純極まりない。極端な話しプロのゲーム会社であれば、造作も無く作れる程度のものだ。同人だってレベルが上がっている。
説明を受けたオーメルも興味はそそられたが、言ってしまえばそれだけで、作ると言えば協力もするが、社運や人生をかけるほどの大作ではない。
不遇な名作。その程度の認識が勝ち取れれば最上だろう。
つまり、利益を全部男に還元すれば社員並みの給料に届くかもしれないという程度のものだ。アパートを買い取って、月給を保証する。個人情報の流出がらみの違約金が源泉だろうが・・・それでも割が合わない。
「ゲーム開発はバイトみたいなもんだ」
「そう、最初はそれも無かったしね。アリバイ工作みたいなものなのよ」
「そそ」
女史の同調に相槌を打つ。
しかしだ。自分だけが状況を判っていないというのはどうにも具合が悪い。
友人の就職には諸手を挙げて祝福もしよう。好きなゲーム開発というのも願ったり敵ったりだ。だが、どうにも得心が行かない。
「・・・聴いたら後戻り出来ないよ」
そう言ってコーヒーの入った紙コップを啜る。女史も示し合わせたかのように啜り『ほぅ』と一息吐き出す。
『―――計られた』
朽木遼平は全てを理解した。この男が頑なに妻の同行を拒んだのはその為だ。
妻はこの機に夏樹を紹介する腹積もりだったようだ。戮丸とシャロンは微妙に関係がズレ始めている。それに憤慨していた。
遼平は自分以上に年の差カップルには難色を示している。こいつの考えもわかる。若い人間と自分を別の世界の人間と規定しているし、遼平はコイツのダメな部分も熟知している。女のロマンス思考回路には時々付いていけないものを感じていたが・・・顔合わせくらいはとも思っていた。
思い返せばおかしな人間関係だ。知らないことになっている関係をここらで終らせるのも―――だが、この馬鹿はそれ以上に危険な事を考えていた。
この馬鹿がこういう態度を取った時に遼平が下す結論は決まっていた。
「―――聞かせろよ」
この男が悪巧みをしている時、世界はそれほど悪い結果にはならない。
止めるべき時は『覚悟を決めたときだけだ』。