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―――戮丸は動かなくなった。
ムシュフシュに担がれ、ぐったりとしている。周りの者が死んだのではないかと心配するがそうではないらしい。
「腰が抜けただけだ。心配するな・・・」
手をパタパタと力なく叩かせそういう。
「おいっ、どうすればいい?」
訊いたのはオーメル。顔には焦りが隠せていない。他の面々も意外に思いながらも『今までが今までだ。しょうがない』と釈然としない物を感じた。
「とりあえず、ログアウトゲートに放り込んでくれ、アバターが消えるかもしれないがそのときはそのときだ。最悪【次郎坊】でログインする」
「【霊魂放逐】の影響?僕には【異常なし】って出てるんだけど・・・ノイズが酷くて」
―――バグってやがる。オーメルは戮丸の状況がより深刻な状態だと気付くが、それを隠している事にも気付いた。
ノッツの賢者として芽生えた能力【診察】その全容はわかっていないが、現時点で状態異常を診断できる能力を持つ。
「・・・ああ、カレンダーめくってねぇや・・・」
「今言う事か?大将。動くな持ちづらい」
「はは、ちげぇねぇ。日捲りは俺には・・・あわねぇや」
オーメルは冷水を背筋に流し込まれた気がした。
彼の家に日捲りカレンダーなどない。粗忽者の彼がそんなマメな事をやる訳がないのだ。ならば現状報告と考えるのが妥当。そして、ノッツの診断では異常なし。つまり、システム的には異常はない。となると―――
―――覚醒している。
その可能性がある。最悪を大きく通り越している。二重世界の感覚共有それがいか程の事かは判らない。ただ、戮丸がこれだけグロッキーになっているのは異常だ。その辛さは相当な物だろう。この男はナイフで刺されてても自己申告するまで廻りに気付かせない。その前科がある。
今すぐケーブルを引っこ抜くべきだ。ゲームの任意切断は異常事態ではありながら、その対処はされる。その結果報告も受けている。長くプレイをしていれば、家のものがケーブルが引っこ抜く自体に遭遇ぐらいはするのだ。
みれば戮丸の片手は首筋に当ててある。それぐらいは想定済みなんだろう。
―――しない理由はこのゲームへの不信感を募らせたくないという戮丸の意思だろう。
オーメルは【浮遊】を【カラドボルグ】のチャンバーに移し戮丸にかける。
ならば選択の余地はない。
「そんな金のかかる事しなくたって」
「いいや、人命救助が優先だ。それに彼は売ってくれるよ。ストレージには大量に溜め込んでいるようだし・・・」
「ああ、補充ね。人の弱みに付け込む所・・・そういうところが嫌いだ」
「ムシュフシュ。善意だよ、あくまで善意。その善意にはライトニング10本ぐらい売ってくれるさ」
「ずいぶんと高くつく善意ね・・・まぁ、10倍になっても提供できるけど・・・」
「おい、銀。何でそんな事を知っているんだ?」
「・・・それは“善意”?」
「お前ら・・・善意さんに謝れ・・・」
戮丸の最後の力を振り絞った突っ込みにオーメルは乗る事にして笑った。
そこからも、決着に納得いかないプレイヤーに足止めされたりしたが、それでも
何とか帰途には着いた。
その陳情は様々で、戦支度をして集まったのに見てただけという不満が大勢を占めたが、中には『巨人可哀想』とか『敵は掃討しろ』など愚にもつかないものまでもが占めた。オーメルが強権を発動してそれを治めた。
巨人とグレゴリオは去った。グレゴリオに説得される形になった巨人は不承不承従う。
朝日の中立ち去る巨人は何度も振り向いた。
その顔はどこか迷子のようだった。
その後
戮丸の復帰は現実時間で三日を擁した。ゲーム内では10日間だ。その間にも問題は山積みだった。
まず、入団。【錆びた9番】のメンバーはムシュフシュ、銀、シャロン、大吟醸、ノッツ、マティ、ダイオプサイトとなった。
問題は【凶王の試練場】メンバーには通知だけが来た、という点だ。
劇的な何かを期待していたのか酷くガッカリしていた。
入団の勧誘が来たのに断った人物もいる。レビンだ。必要を感じなかったというのが本人の弁だ。
そして、シバルリに残留したメンバーに勧誘はおろか、入団を断られたという経緯がある。
スレイ、オックスがそれに猛反発した。
残留も強要ではない。「留守の面倒を頼む」程度の事だった。実質スレイ達にはさほど期待はしていない。本命は【旅団】だ。実際、シバルリの外に出ることもできない初心者プレイヤーに何かを頼むのは酷な話だ。
ただ、二人は重く捉えすぎてしまった。他のメンバーは今までと変わらない現状維持ということに納得していた。枯山水からも入団希望者は出たが、条件を聞くとそのまま引き下がった。
実質、戦技研究とダンジョン探索の成果は広く開示する9番のやり方に所属のメリットを見出せなかったというのが大きい。
【旅団】の戦技供与という問題は【バトル倶楽部】というギルドが発足してそれに応える。ギルドマスターはノッツだ。戮丸・大吟醸も所属している。シバルリに出入りする戦士系プレイヤーのほとんどが所属することになる。主に行われるのは戦技供与とマッチメイク。戦技開発は個々、少人数で行われる。その辺の筆頭は大吟醸と戮丸だ。その報告を受け、下の者が伝播させる仕組みだ。
当然戦技開発には人気が集まるが、やっている事が変人の域に突入している。延々と一日中小石を蹴ってたりするのだ。
実際には、たとえば戮丸がやって見せた、小石に強烈なバックスピンを与えて手の中に小石を給弾する技術。その発展、応用を考えるのだ。
大抵の人間は「そうぞうとちがかった」と後にする。
その完成した技術自体は供給されているし、石を自在に投げられる状態にする価値が見出せないプレイヤーには大道芸の域を出ない。
アレは、アトラスパームがあってこその驚異的な威力を発揮するのだ。
ギルマスがノッツになった経緯は開発に手一杯で、供給管理には戦士外の人間が良かろうという判断だ。
戮丸は謎のギルド【かいつい】を立ち上げた。
その詳細は不明「彼女居ないが連れがいる件について」と訳の判らない言葉だけが公表されている。
その面々は超戦闘集団で戮丸・大吟醸に【精霊雨】クランマスターのナハト、NPCからは漁火の騎士カリフも参戦している。
この面々が遠慮無しの超絶バトルを繰り返す。最近では暴れるのはナハトの役目で他の面々が協力して押さえにかかる。知っているメンバーには悪夢に近い。最も弱いのは大吟醸だ。それでも、チャンスを生かせる性格で喰らいついている。さらに、暴れる役にも立候補しているのだ。
大吟醸が路肩で全身から煙を上げて剣を杖に休む姿は、誰もが一度は見かける光景だ。
バリバリの戦闘集団だが、マティ・オーメル・ムシュフシュが参戦していないのも謎だ。
誰とも無く【壊槌】と呼ばれた。壊槌戦は見ごたえがある。被害は最小限に押さえるように振舞うが、何よりもアトラスパームを持つ戮丸がサポートに廻るのだ。特に大吟醸は遠慮なく飛ばされる。カリフも極端に身が軽い。さらにライトニングレベルならダースでばら撒くナハト。
さらに不思議と暴れる役にデバフはかけない。暴れるだけ暴れさせてそれを上回る暴力で鎮める形だ。純戦士系の人間には【眠り】や【麻痺】が覿面に効くが、基本的に禁則事項らしい。仮に跳んでも解除魔法が即座に回復させる。逆にナハトに【沈黙】がきくのだがこれもダメらしい。
つまり暴れる側はフルポテンシャルを発揮する。
他の所属メンバーもかなりの使い手ぞろいだ。
戦闘が終ると、反省会が所構わず開かれる。武器の変更や立ち回りなど熱の篭った議論だ。
高速移動中の戮丸にマジックミサイルの雨が突き刺さった時は歓声が上がった。
何せ戮丸は超高速移動をするので必中であるはずの魔法を機動力で回避するのだ。大量のミサイルを引きずり回し、障害物に被弾させ、時には術者を倒してしまう。唱えれば当たるという物ではない。
そんな戦闘にもメンバーは満足していない。
【バトル倶楽部】でも【かいつい】メンバーは一目置かれている。シバルリに三日でも滞在すれば、あんな頭のいかれたヤツらとは闘いたくないと思うだろう。
当然、憧れもあるが、嘯く事は出来ない。【バトル倶楽部】で申請すればいつでもメンバーとの対戦は可能なのだ。壊槌=レベル何それ美味しいの?の公式が成立する。
最底辺で大吟醸だ。【突然死】が炸裂する。相手が苦痛に顔をゆがめると「未熟で済まない」と頭を下げられる。戮丸はその上の【無痛死】を操る。
憧れで終る壁だ。
チクリと痛みを感じると終っている。中には終ったことすら気付けない輩もいる。
ノッツがすかさず蘇生するのだ。
「【突然死】くらい欲しいよな」
「―――PSだよ」
「ピーエス?どこでドロップするの?」
そんな言葉は酒場で聴かれるがお定まりのトークだ。
賭けも頻繁に行われる。【バトル倶楽部】では勝敗をブックメーカーがオッズを設定して行われる。ただし、演武台《お立ち台》を使ったオープンバトルに限られる。そして、壊槌戦も賭けの対象だ。壊槌戦に至っては終戦までにかかった時間が賭けの対象だ。
暴れる役が勝ち残る事は想定されていない。
賭けは【バトル倶楽部】が管理している。【かいつい】は関係が無いのだ。
ただ、ナハトが打ち立てた1時間29分35秒は伝説となっている。
戮丸が留守で、次郎坊でエントリーしたのもあるが、そこまでの踏ん張りと次郎坊の迎撃、さらに戮丸の撃墜、さらに再エントリーした次郎坊のバックスタブでナハトの首が落ちた。
相性、時の運もあるがそれだけでは語れない強さを見せ付けた。
【かいつい】にはノッツも所属しているが、壊槌戦は外部支援を禁じていない。
異例の一時間越えにナハトはシバルリ全員と戦ったのだ。
今でもエルフの中ではナハトの魔王のような強さは語り草になっている。
ただ、その後、戮丸が珍しく小一時間ほど説教したのは謎だ。
【かいつい】と【バトル倶楽部】不思議な共生をしている。【バトル倶楽部】のような組織は程なく格付けが済んで落ち着いた安定期を迎えるが、その度に壊槌戦が起こり活気を取り戻す。
アリーナの活性化を促す部署というのが大勢の見方だ。
ただ、戦闘集団というのも謎である。暴走後は暴走役を囲んで必ず宴席が設けられる。それは部外秘とされているが、暴走役を宥めているように見える。
実に謎だ。
他にもシャロンの住処に戮丸は神社を作った。
神殿、教会の類はあるが、それは神社だった。石段を登った先に大きな木と社。それは現在の神社ではない。戮丸がイメージだけを伝えてドワーフが自由な発想で作ったものだ。
「神社みたいだ」
訪れるプレイヤーの感想は皆一様だった。
神社といえば神を祭っているところ。その神は?と聴かれたらGMと応える。
実際のところはちょっとした公園だ。当初の目的は、気楽に来れる公園であり、人の混雑が起こりにくい立地とされている。どこもかしこもイベント会場のような混雑では住民が参ってしまう。
実際に、そんなものが必要なのかと問われれば首を傾げたくもなるが、シャロンは喫茶店のような感じに運用するつもりのようだ。
ただ、賽銭箱と鐘はちゃんと用意されている。硬貨を放り込みお願い事をすると叶うかもしれないらしい。一応名目上はGMを祭っている。社は当然ご存知の通り基本は無人だ。不可視属性をつけたGMに失礼の無いようにと作られた。つまり、GM、開発用のエリアだ。その面倒はプレイヤーが見る。居心地がよければGMも居つくだろうし、プレイヤーの思惑には乗らないと近寄らないかもしれない。
プレイヤーには判らない。ならば、用意するのも有りだろうと作った物だ。
当然、そういったGMコールは実際にある。ガルドに報告してもいい。無駄だろうとの意見もあるが「まあ許せ」と掛け合うつもりも無いようだ。
実際神社の客入りは狙ったようにまぁまぁでNPCの散歩コースだったり、子供が遊びに着たりと結構来客は多い。雰囲気はいいのだ。
戮丸の帰還により壁外開発も進みつつある。シバルリは半地下の構造で、その周りをぐるりと城壁で覆われている。その壁の外にいけるのは10レベル以上のプレイヤーで、転送されてからたどり着いた者でなくてはならない。畑の開墾や牧場、治水などやることは山積みだ。食糧も肥沃とは言いがたいが育たない訳じゃない。問題は出没するモンスターだ。護衛や山狩りなども行われた。
街道敷設は旅団が先行してやっていたが、こちらの要望が有ると無いとでは話が違う。
難民の移住により一時的にパンク状態になったが、都市開発に根ざして、かなりの住民が収容できるようにと、そして、農業に携わる者用にコロニーを設置した。その際に測量や方向性で喧々囂々の議論が繰り広げられたが、その間にドワーフたちが基部を作ってしまった。
やはりこういったものは経験が物を言うのだなと感心してしまう。おかげで停滞しがちな素人集団による開発は上々滑り出しを迎えた。
そんなスケジュール過密状態に、ベテランプレイヤーの流入も甚だしい。プレイヤー同士の衝突とそこにも格差があって、新人とベテラン。ベテランにも独力で生き残れる者から、10レベルに到達して初心者部屋を弾き出された者。生活基盤が出来て観光に訪れた者、虚空に映されたあの映像に引かれて来たもの。その中にも大まかに二種類いる。戮丸の桁外れの戦闘に感動して訪れた者と生意気だと思った者。始末に終えないのがチートだと決め付けて補填を要求する者まで出る。
当然戮丸にそんな義務は無い。
【旅団】といってもそれで安心は出来ない。
マティがポリスラインディクセン支部の所長に任命された。それはオーメルの強い要望であったし、戮丸がバックアップに当たると事実上、ディクセン支部は【錆びた九番】の支配下に入る。そういう構造を望んだのだ。
「あのぅ。間に合っていますから」
「遠慮するな25レベルの俺が戦闘を指揮してやるといってるんだ」
マティにとって25レベルなどは敵ではない。15レベルの大吟醸の方がよほど怖い。しかし、旅団時代の先輩格に当たるポッピー。言いたくないが負ける気もしないのだが、何を根拠にか強気で出てくる。
「あのポッピー先輩(何でこんな名前なんだ?)申し訳無いのですが、戦闘班にはムシュフシュや戮丸がいます。その先輩が指揮するには・・・」
「だぁかぁら!それを俺が指揮する完・璧!」
自己完結しているポッピーにマティはほとほと困り果てた。まだ自分の地位を使いこなすには経験が足らない。
実際退団を余儀なくされたマティは【旅団】負い目が有る。泣き付くのは気が引ける。
「どうした?」
ムシュフシュが見かねて声をかけた。
しかし、ポッピーは経験を盾に食い下がる。ムシュフシュにしろ捕縛経験が無いのは確かだ。しかし、ムシュフシュにはその重要性が判らない。話し合いが成立しないのだ。
「だから、万引き犯を何人捕まえようが関係ないんだ。指揮できる根拠はなんだ?」
「シミュレーションゲームは得意だ」
「話になんねぇ。ガチで“お立ち台”に上がれ!てめぇの実力がどの程度か教えてやる」
「レベル上位者が下位者を嬲るのは卑怯だと思わないのか?」
「思わないな。うちの大将は今レベル9だぞ?」
「だからさ。そんなチーターの支配を監視するために俺が必要なんだ!」
ムシュフシュは額を押さえる。確かに戮丸の戦闘能力は異常だ。それがチートではないとわかっていてもいきなりすぎる強さが理解できないのは確かだ。ただ、論旨は破綻している。
「なら僕でどう?」そういったのはノッツだった。ノッツの実力を考えればいい勝負まで持っていけるとムシュフシュは引き下がった。演武台には場外が設定されている。そのこともプラスの要因だ。
ポッピーはノッツのレベルを見て、「いいだろう」と快諾する。
「僕は僧侶だから回復魔法だけは使っていいよね?」
「ああ、当然だ。即死魔法や補助魔法は無しだぞ」
「ご指導お願いしまーす」
【錆びた九番】の面々はプルプルと震えていた。まともに戦闘になるとふんだのは魔法禁止での話だ。ノッツに回復魔法の使用を許したら・・・
「俺でも戦いたくないぞ」と大吟醸。「時騙しは高いんだよな、物がない」「僧侶様と戦うなんて私にはとてもとても・・・」
結果は語るべくも無い。この騒動でマティはノッツに借りを作る事になる。
「ノッツも腕上げたなぁ」と安心の見物をしながらムシュフシュが呟いた。
「戦闘班長アイツでいいんじゃないか?」と戮丸。
その後、戮丸がオーメルを引っ張ってきて正式にマティに謝罪させた。
マティは終始引きつった笑顔のままだった。
そんな騒動もあってか大吟醸は元より、ノッツの名も売れた。何よりも補助職、回復職の認識しかなかった僧侶陣にはノッツの存在は晴天の霹靂だった。
攻撃を全てかわしメイスのフックで振り回し続けるノッツに切れたポッピーが「僧侶なら魔法を使え!」と言わせたのだ。その後、自在にポッピーを切り刻むノッツ。頚動脈を吹き飛ばしてやれば結果はすぐ出るのにわざわざ上瞼や小指の腹を切り飛ばし・・・圧勝である。
「ホント賢者らしくなったな」
「やめてくれよ」
「賢者なんて呼ぶんじゃねえ・・・か?」
「僕僧侶。そんなハッタリの利いた呼び方は無いよ」
「そうか?教皇・・・なんか違うな大僧正」
「なんか爺さんって感じ?強そう?じゃないよな」
「確か称号で仏ってのが合ったな・・・」
「まじか?」
「死んでどうする?」
「・・・大魔司教」
「―――そ・れ・だ!」
「ち、ちょ、まっ・・・戮丸!相変わらずの無駄知識は押さえて」
大魔司教ノッツ爆誕の瞬間である。
「大魔司教・・・恐るべし」
「凄いな大魔司教」
「そんな感じの闘い方だったな大魔司教」
「聴いただけで参ってしまいそうな名前だ」
「・・・ガリウス。か・・・」
「って最後の誰?よく判らないけど物騒な事言ったの?」
戮丸が親指を立てるとオーメルがニヤリと笑った。
どこにでも湧くな・・・このハイエンドプレーヤー。
◆エピローグ
「よっ!久しぶり」
シバルリのパン屋【ビックベア】では午後の焼き上がりの良い臭いが立ち込める。空腹が目覚める思いだ。声をかけられたスレイはまばらな客席を縫って歩きカウンターに腰掛ける。
「パンを一つ下さい」
「俺のは不味いぞ?」
そういったのは戮丸ではなく次郎坊だった。
「いいんですよ」とパンを受け取りちぎって口に放り込む。まずいと言うよりも美味くないといった感で、好んで食いたい物ではない。それもどうやら食パンだ形状は兎も角、言うなればプレーンなんだ。「これを付けると喰える物になるぞ」と小ビンを次郎坊が出す。中身はバターだ。
美味くはないが焼き立てとバターがあいまって食欲を誘うものに変わる。
「で、どうだった?」と次郎坊が訊く。スレイも上級者の仲間入りをしたのだ。ソロで飛んで、シバルリに到着したのが早すぎる。それが、冒険がうまくいってなかった証拠なのだが・・・
「ダメでした。身内ばかりでパーティを組んでいたツケが出まして、早々に魔法で飛んできましたよ」
「そっか・・・他の連中ももう着いているぞ。お前で最後だ」
「嘘でしょう?早々にドロップアウトしてきたと思ったのに・・・」
次郎の意外な言葉にスレイは驚く。
「まぁ、そんなもんさね。オックスはあの性格だから馬が合わないととことんダメだ。というよりも、腐っちまう。女の子二人は念の為速攻でこっちに来た。冒険するなら信頼できるホームタウンでって所だな。ウォルフは何処でもやってられたんだろうが、【バトル倶楽部】恋しさに勧誘を振り切ってきた。お前さんくらいだよ何とかやってみようと挑戦したのは・・・」
そう言って、用意した二つのコーヒーのうち自分のほうを口に運ぶ。
「僕らはダメなんでしょうか?」
コーヒーカップのすれる音が妙に大きく響いた。
「何が・・・いいんだか・・・」
「え?」
「いや・・・だからさ。何をどうしたいのかって事さ。俺みたいに難民と厄介ごとを引き連れて戻ってくるのがいいのか?それとも旅団あたりに滑り込んで出世するのがいいのか?ってことさ」
スレイはその言葉に動揺した。『何かを成し遂げたいと』強烈には思っていたが、それがなんだったのかと問われれば答えが出てこない。
「それじゃダメにしかないなりようがない。おれはお前なら旅団あたりで出世すれば上手く行くと思うよ。でもさ、それは現状把握ではじき出したもんでお前の気持ちが入っていない。上手くいくだけでそれがいいとは限らない」
「僕は【錆びた九番】に入りたい・・・」
「入って何がしたいんだ?大学じゃねぇぞ。入って安心はリアルの世界ならある話だが、ここじゃどこにいたって安心だ」
生活音が沈黙を奏でる。言葉がない。
「これ以上虐めてもしようがないな。―――俺は出来るよ。一個一個クエストを用意してほどほどに危険でほどほどにやりがいがある事を用意できる。うぬぼれ抜きでな。マスター経験が無駄に豊富なんだ。それぐらいのコントロールは出来る」
次郎の言う事はわかる。スレイにもマスター経験はある。マスターはある程度プレイヤーを誘導しなければいけない。お話が始まらない。そして、そのプレイでほどほどに満足させる自信があるのだろう。
「ただそれだけだ。俺の言う事は全てになるだろう。そして気づくんだ自分が望んだ場所じゃないって事にな。正直うちは危険なことに足を突っ込んでる。それを正しいと思ってくれるだろう。でもな、人間はそれほど強くないんだ。正しい、悪いじゃ命ははれない。自分なんて無いんだよ。ただ居心地のいい場所を選んできたんだから」
次郎は優しい声で暴論を諭す。
「自分を渇望するのさ、今のお前のようにな。それ自体は結構な事だ。だけどな。俺の言葉の裏返しがお前の意思じゃない。そうだろ?反抗期ってヤツだ。いい年した男に言うのはアレなんだがな。俺は人徳に乏しい人間だ、ほぼ間違いなくそうなる。絆なんて鎖で縛れる性格じゃないんだよ。スマンな」
次郎の言葉は判る気がする。確かに自分を押さえてきた、でもそのうちに自分を見失った。戮丸はスレイの入団を断ったのはそれが良くないと思ったからだ。それでも漠然と入団を求める自分がいる。戮丸に反発しているから自分を感じている訳じゃない。でも、そうなりかけている。
「絆で縛れる人って・・・」
「元来絆ってのはいいもんだ。普通の人ならプラスに働いてリカバーできるんだが。極端なのはオーメルだな。あいつは基本がしっかりしてるから・・・」
「それで、旅団を薦めたんですか?」
「いや、それを抜きにして相性いいと思うよ。学校の用事や先生の心象はいい方だろ?お前さんは・・・学校ってのは適度に放置主義なんだ。残酷な事もある。成績の張り出しなんて今でもやっているのかねぇ。それで自殺したなんてのはマンガじゃよくある話だ。実際やってれば人が死ぬか・・・結局はそこか・・・そんな騒ぎが起こるまで辞める事は無い。そういうもんだろ?マンガで理由に使われるくらい人を傷つけながらな」
「次郎はその辺どう思ってる?」
「話がそれたな。自分の意思でやってることに順位が張り出されてもあまり気にしないもんさ。ゲームのスコアなんかそうだろ?ただ、やらされている事に順位を出されるとキツイヤツにはキツイな。まぁでも社会にでればそれが収入に直結するから文句ばっかりは言ってられない」
あい変わらずしっかりした意見だ。
「おまえさんはそっちは得意だろ?」
そういわれると確かにそうだ。
次郎は真逆の性格だ。落ち毀れたノッツを放っておけないかった。おまえの価値は他にあると冒険に引っ張り出した。結果、それは正しかったし、今じゃいっぱしのプレイヤーとして軌道にのっている。何よりも表情が違う。
「俺とお前さんの相性が悪いんだ。それでも強烈にこれがやりたいって意志があればどうにでもできるが、それが見つかってない。こればっかりは俺が用意してやることは出来ない。見つかるまでって言うならうちより旅団がいい。うちの連中はまっしぐらに突っ走るからな。お前さんには逆にきつかろう」
次郎はタバコに火をつける。多分ガルドからせしめたのだろう。
「旅団にいったほうがいいですかね?」
「う~ん。旅団もアレだからな。ポッピーなんて馬鹿を飼ってるくらいだから・・・結構あっちも病んでる。シバルリで足場を固めてもいいんじゃないか?まさか全員まっしぐらで帰ってくるとは思わなかったよ」
「はははっ、僕も最後だとは思いませんでしたよ。一位は誰です?」
「ウォルフだよ。汗だくで帰ってきた。何でも空手の師匠が入ってくるとかで―――アイツは今乗ってるよ」
「ええ、本当に楽しそうで、羨ましいくらいです」
「その次はオックスだ。悪態つきながら帰ってきたよ」
「目に浮かぶようです」
「その次が女の子組みだ。戦士僧侶は安定するねぇ。何戦か冒険もしてきたらしい。送ってくれた人に礼を言っていた。ほどほどに冒険してきたんだろ」
「巴はリアルでも一人旅に出ますし、各地のお祭りめぐりとか好きなんですよ。トロイは同人イベントとかに良く行きますし実際結構社交的です」
「・・・腐っているのかね」
「致命傷レベルで・・・」
Oh・・・
確か戮丸も・・・これ以上は本人の名誉のために言わないでおこう。主に戮丸に悪い。
「まあ、お前が最後という事は悪あがきしてきたんだろ?」
「お察しの通りです。昔の初心者部屋より酷かった。マシなパーティでも・・・レベルが低いとしか言いようが無くて・・・」
「わかる気がするよ。でも、たちの悪いのに捕まらなくて良かったよ」
「その辺は警戒してましたし、何よりもサンプルにあっているので」
サンプルとはディグニスの事だ。大吟醸たちとはそこそこに連絡を取り合っている。
計画には乗ってやる事にした戮丸の交渉を見させてもらった。
「ところで、次郎は?」
戮丸は酷く時間がかかったが帰還を済ませている。次郎も一旦外に出ていれば・・・
「おれは日帰り。コネを最大限に使ってな」
魔法使いを頼って、【転移】で飛ばしてもらう。旅団に強力なコネを持つ次郎坊には造作もないことだった。
「遊んでくると思いましたよ」
「やる事あったしな・・・」
そういって次郎はスクロールを出すとその紙面をココンと叩いた。雑談用チャットルームに入れという仕草だ。仮設ギルドに入るとギルドチャットに変更する。
口元を押さえ、これで機密性はかなり確保できる。
「まだ誰にも言ってない。ここだけの話なんだがな・・・」
「やる事ってその事ですか・・・」
「ちょっと王様になってきた」
「はい!?」
次郎坊のスクロールには身分の欄にロイヤルと明記されていた。
「ど、どういうことですか?」
「大体予測はつくだろ?そういうことだよ」
ディクセンの顛末はスレイも聞き及んでいる。半崩壊状態というよりも完全に崩壊しているものの看板だけが立っているという現状。現実の見えていない女騎士リーゼを言葉巧みに丸め込み、回復不可能な現状。そして、旅団の処罰。
空っぽになったディクセンで戮丸は『次郎坊という盗賊を頼れ』と言い残した。
お人よし振りにはいい加減あきれるが、実際、最後の最後で救済処置を用意したのだ。
後は待てばいいのだが・・・
「・・・予想通り、もめてたよ」
「正気ですか?」
スレイは頭が痛くなった。人間ここまで愚かになれるものか?
「で、どうしたんです?」
「まとめて掻っ攫ってきた。要人誘拐だな。盗人の鏡だろ?」
―――僕の知ってる要人誘拐と何か違う・・・
「未だに旅団はその事に気づいていない」
次郎坊は底意地の悪い笑みを見せる。
次郎坊が奪ってきたのは正確には【王権】で、二人はその後の問題を回避するために攫って来たと言うのだ。これで戮丸の言った最終勧告は成立する。最終勧告に従わなかったから奪われた。そういうことだ。
「それで、【ロイヤル】ですか・・・破天荒にもほどがあるんじゃ」
「日本だって何度も有ったろ?南北朝時代とか」
言われてみれば確かにそうだ。ただ、失敗に終ったが・・・
「このゲームならいけるとふんでやってみた。結果はどうなるかな?わかんね」
次郎坊の無責任な言葉を考えてみるが想像するが・・・はっきり言って判らない。歴史的事実が少なすぎる。直感的に上手く行かないと思うがでも、巨大クランには大きなパイプを持っている。貴族連がどう動くか判らないが、静観するより他にないだろう。
大体このシバルリだって中立勢力として立ち上げた。それを静観してもらおうとディクセンに訪れ、ディクセンその物を傘下に入れてしまった。やっている事がどれも滅茶苦茶であべこべだ。
政治として考えれば、他の勢力は掌返しを余儀なくされた。現状で何かしらの利権を求めるのであればだ。掌を返されると揉めるのは想像に難くないが、【掌を返した】という事実と【巨大クランへのパイプ】が生きて来る。闘える―――というよりも交渉のテーブルにつける。
「・・・お、面白い事になってますね」
「だろう?」
「これで、【錆びた9番】は中原を手に入れた・・・」
「何言ってやがる?俺は無所属だぞ?」
「・・・あっ・・・あーーー!!!」
なんだその反則は!次郎坊はPCつまり不死。看板だけの国にはもってこいだ。そして身動きが出来なくても建前上中立勢力の戮丸率いる【錆びた9番】。次郎坊には守るものが何も無い。むしろ、その事が不死という利点を最大限に発揮する。
掟破りのダブルスタンダード。
「やってみたくない国作り?」
「え、あ、でも良いんですか?僕なんかで!」
「国民ゼロだぞ?」
スレイは頭をテーブルに叩き付けたい衝動に駆られた。ここにいる難民。そう難民だ。これだけの国民を抱えながらゼロと言い切れる出鱈目。国民を好きな時に好きなだけ銀行に預金できる能力を・・・どんな偉人だって『そりゃ詐欺だ』と言うに決まっている。
滅茶苦茶すぎる。こんな話は物語には山ほどある。権利を奪われた孤独な王と一癖ある武装集団。大抵はその間に不和を画策されるが、同一人物という詐欺。
何をどうすればいいか全く判らないが、何でも出来そうな気がする。
正直、凄すぎて気持ち悪い。
天衣無縫な振る舞いが、一つ一つパズルのピースのようにはまっていく快感。
「―――これからどうするつもりですか?」
「さぁ?」
そういって肩を竦めた。この状態で何もしないというのも敵対勢力からしたら脅威だ。
「たださ、スレイ・・・お前さんはやること出来たんじゃないか?」
「そうですね。まずディクセンに行ってルート確保して、残存居留地の調査。ディクセンの詳細な地形・・・地図の作成・・・」
「ダンジョン周りも欲しいな。無数にある場所によっては地下道になっているところもあるだろう?」
「やらなきゃいけないことが山積みですね」
「やらなきゃいけないことなんて何もないさ。有るのはやればそれに価値がつくものばかりだ」
スレイはふと気付く。
いま、何も持っていない。その事を嘆いていた。だが、今この瞬間、状況が変わった。
何も持っていないことが武器になる。
あれほど望んだクラン入りも、入ってないからこそできることがある。
次郎坊も、戮丸も言った。
≪目標を持てと≫
それは自分で見つけなくてはいけないもの。だからこそ見えなかった。
探せば探すほど見失い泥沼に嵌る。
今眼前に果てしない数の目標がうず高く積み上げられた。その数を数える事すら不可能なほど。
その一つ一つは与えられた物かもしれない。ただ、その瓦礫の山は跪きたくなるほど高い。
今目指す物を手に入れた。それが何かといわれても言い表す言葉を持たない。
そんな感覚しかない。淡く不確定な物だが、それは確実にその手にあった。
「ちょっとディクセン行って来ます」
「待てって」
「―――はい?」
「一人で行く気か?お前には仲間がいるだろう?」
―――戻っているぞ。
「行って来ます」
スレイはそう一音一音確かめるように声に出していった。
次郎坊は『いてらー』と手をヒラヒラとふってカウンターのスクロールを仕舞いにかかる。
「次郎さん!」
「ん?」
「このギルド残しておいてはくれませんか?」
それは内緒話用の仮設ギルド。スレイにとっては今日の日の記念に申し出た物だった。
次郎坊は暫し考え込む。
「じゃあ、ギルマスはお前の方がいいだろう。それらしい名前もつけてな。“上手く使えよ”」
―――その一言で十分だった。
バンッ!!
その時、店の入り口が大きな音を立てて開かれた。その乱暴な人は意外な事にシャロンだった。肩で息をして、目には剣呑な光を湛えている。
「戮丸か、次郎・・・いる?」
そのあまりの勢いに店内の全員が次郎坊を指差す。
次郎坊の手からコーヒーカップがポロリと落ちる。大きな音を立てて割れたはずのそれが不思議と誰も気に留めなかった。
カツ、カツ、カツ
「次郎坊・・・怒らないから言って。女王様に何したの?」
今のシャロンが怒ってないというのが詐欺な件について。
「な、なにって・・・?」
「どうしてああなってるのよ!ハネムーンの新婦を蜂蜜で煮込んだってああはならないわよ!」
「―――美味そうだな」
シャロンは次郎坊の襟首を掴み上げる。
「ブレイクブレイク!俺は何もしていない!」
「嘘!」
「じゃあ何で訊いた!?」
「本当のことを教えて!」
本当も何もそれが真実。しかしどうあってもシャロンは納得する気配がない。
実際、次郎坊と女王ヘルガの間で王権を譲り受ける代わりに、子種を提供する話になっている。王家の血筋を残さなければならないのと、王族に連ならせなければいけないらしい。
だが、次郎坊はまだそれを実行していない。
つまり次郎坊の言っている事は全くの真実で、実際何か有ったところでシャロンに遠慮する事はないのだ。
「・・・肩甲骨はがし?」
スパン!スパン!!スパン!!!
シャロンの往復ビンタが炸裂する。それも→みて←みて、また→をみる。タイプの物で語存知
スパン!スパン!!スパン!!!
・・・もうワンセット。
「やっぱりそんなHな事を・・・」
「肩甲骨はがしはHじゃない!誓って!」
普通のマッサージです。ただ、念入りにしないと出来ない類のマッサージで肩こりが良く取れます。何しろ掌の半分以上が肩甲骨の下にめり込みますので出来る人と対象が限られます。
「シャロンもしてみる?」
(―――次郎さんそれ地雷!)
「誤魔化さないで!この浮気者!」
「えぇぇえええええ!!!!?」
顎が抜け落ちるほど驚く次郎坊。
周りの人間にとっては次郎坊のリアクションの方が意外で・・・
次郎坊は必死で周りを見回す。
救いなど何処にも落ちてはいない。
「まずいって!シャロンさん、ほんとメイスはまずい!戮丸じゃないんだから!」
「光になれー!!!」
シャロンは戮丸に倣った慣用句をきっちり実践出来る良い子でした。
シャロンのメイスが次郎坊の顔面を捉え、右眼下の骨をスナック感覚で砕き・・・
次郎坊は文字通り光に帰った。
その日、シバルリの城壁で夕日を体育座り見つめる次郎坊が見受けられた。
その肩を『わかる』と叩く大吟醸。
次郎坊の死んだ目は死んだ魚の目に変わった。
次郎坊と戮丸共に仲良く9レベルになった平和な一日でした。