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グレゴリオは大きな身体を小さく畳み肉薄する。
ヘビー級ボクサーがそうするようにだ。その速度はあまりに速い。実際、戮丸や大吟醸のような速さではない。戦車が乗用車を牛蒡抜きにするような速さだ。そのエネルギー総量を思えば鳥肌が立つ。
ズガガガッ!
盾によるジャブの応酬にそれで近すぎる敵を主砲のレンジに追い出す。そのジャブも、ボクシング経験の無いグレゴリオは自由だ。ただ押し出すような突き放しから、ジャブ、フック、アッパー、バスターと動きとしては滅茶苦茶な動きではあるが、最適な距離と最適な方法で敵を運ぶ。
雪崩のような轢殺。
グレゴリオの多段攻撃のような突進をムシュフシュは大きくスタンスを取って受け止める。
受け止める事に関しては枯山水のお家芸だ。多段突進だろうがなんだろうが、受け止める。それが出来なければ猟友会など成立しない。一見、力任せのようにも、見えるがれっきとしたテクニック。必要とあれば巨人の突進でさえ止めるのだ。体格に頼った動きではどうにもならない。
それを運ぶグレゴリオ。勝敗は決したかのように見えたが・・・
猟友会の頚木から解き放たれたムシュフシュの動きは想定を凌駕した。
―――消えたのだ。
戮丸のように、視界から消えて見せた超スピード。背後で地をカンナで削り上げるような音。その正体は【アクセル】。枯山水リーダーとしては使えない技。しかし、ムシュフシュに出来ない道理はない。旅団と同郷でハイエンドレベルのプレイヤー。持っていないと思うのは怠慢でしかない。
シールドから、剣に切り替える隙を捉えられた。彼らレベルの一瞬の隙は戮丸、大吟醸のワンテンポに等しい。だが、彼らはそれらと切り結んでいたのだ。造作も無い。
身体を小さく畳んでいたのが功を奏した。
回転して受け止める。それでも、振り返ったら盾に当たったというのが近い。グレゴリオはまたも主導権を奪われる。
それでも、隙があった。ムシュフシュも同じようにラッシュから攻撃に転じると思ってしまった。
―――それは大罪に等しい怠慢だ。
「―――【ハイアクセル】」
アクセル系上位スキル。アクセルとは別スキルなので二連発できる。それだけでも破格なのだが・・・アクセルには硬化時間倍率を上げた【ダブル】【トリプル】とあるが、それとも別系列のスキル。
【アクセル】と【ダブルアクセル】間に存在すると考えるのが妥当だろう。だが、それはあくまで序列の話。
【ハイアクセル】単純に強化されたアクセル。強化されたのは速度・出力。
効果時間は一瞬。大抵の人間は制御できない。大吟醸のように宙に打ち出されるのがオチだ。
巨体の斬撃を纏った砲弾。
ムシュフシュの命を狩る為に温存されたバラキが吼える。
一瞬の空中戦。大質量の衝突により浮かび上がった戦闘。その間に二人は互いに奪い合う。剣や斧そんな括りも二人には無い。貪り、喰らいあう。二人の衝撃で弾き飛ばされていないのが証拠だ。
引っ掛け、戦斧を叩き込む。その勢いに乗ってバラキを捩じ込む。掴んだ腕をもげろとねじる。
結果双方大小さまざまな傷を負うことになる。ただ、グレゴリオの肩から脇腹にかけての切り傷は、醜い渓谷で―――様々という括りには収まらない。
ムシュフシュは大きく息を吸うために、穢れた息を大きく吐き出す。
新鮮な空気は活力を与えるが、新鮮な傷にも力を与える。右膝の鎧の隙間からぴゅうと血が出る。斬撃の傷なら良かった。だが、【ハイアクセル】の代償。アクセル系で自分にダメージを負う事は無い。人間の規格内ならばという話だ。
ムシュフシュの身体は薬物増筋の影響で人体とは懸け離れている。さらに、【ハイアクセル】。耐えられるレベルではないエネルギーに当然のように膝が耐えかねたのだ。
痛みは元より、内部から壊れたものの表層への露呈。
痛みは相当なもの、その桁外れの痛みはムシュフシュの損害状況に他ならない。
戮丸戦で使えなかった理由はこれだ。たたでさえ重量級ファイターの寿命は膝の寿命といわれる。回復力が異常なグレゴリオならばいざ知らず、ムシュフシュにも致命的な爆弾だ。
タイヤを替えるように足を切り飛ばし新品に換える。治療魔法でもある程度は治せるが、根治は難しい。既にサービス開始から三度、足を取り替えた。今の足だって数ヶ月は持つはずだ。ムシュフシュだって自分の体の腑分けはしたくない。その重量から、自分で引っこ抜くしかないのだ。
―――今は戮丸がいる。足ぐらい斬り飛ばすのは造作もない。
だが・・・、痛みや小理屈はどうでもいい。足の寿命を立った一戦でゼロにされたことが悔しい。
そこまで支払ってだ。グレゴリオがまだ生きている。
戮丸やオーメルに噛み付いたのはこういう現実の裏返しだ。
その自信はもう見る影も無い。
だが、グレゴリオもそっち側だとは認められない。
認めたくない。
足の交換とあるが、死んでも全身新品になる。足の交換が必要になるほど生き抜いてきた。それが矜持となり疼く。
戮丸は正真正銘の格闘家だ。驚愕では足らないほどだが、その半面そうでなければと喜ぶ自分がいる。格闘技の深奥が一般人の常識を懸け離れた物であったことが嬉しい。
オーメルも同様だ。アレだけの大組織を運営し、常識外れの知力特化型戦士。侮りはあったが、アレだけの戦闘カンの持ち主だ。むしろ、そうであったことに安堵の息を吐きたい気分だ。
二人はディスプレイの向こう側の存在だ。単純に凄いと感心できる。だがグレゴリオは違う。
同じ土俵、重量級・・・まだ手が届く。
守勢にたったグレゴリオは強かった。
先の戮丸戦で見せたあの動きをもう物にしている。剣を振るのではない。移動させて滑り込ませる。肉体の表面に見えないレールが敷かれたようにバラキが移動する。不壊の大剣は戦斧の攻撃にワンクッション与え、当然力負けするが、グレゴリオの肉体が裏支えしてガードを完遂する。
力負けとは言うが、剣の長手方向の移動は速い。気の抜けた攻撃などそれだけで弾き返す。
そして想定外だが、このままではヤバイ。
そう思ったのはグレゴリオではなくムシュフシュだ。
力み無く滑り込ませる剣は意外なほど頑強で、それを攻撃に転化し始めたからだ。
つまり二人の闘い方はパワーオーバーだった。武器を移動させその経緯に敵を巻き込めば十全に攻撃として通用する。途切れることの無い動きがこれほど力を持つとは二人にとっても衝撃の事実だった。
ムシュフシュの全力攻撃も力負けするが、抜けないのだ。
苛立ちと焦り、【アクセル】を混ぜるが、グレゴリオも今までの必死さが無く防ぐ。戮丸のスピードさえ追いついたのだ。【アクセル】を混ぜても・・・押し返すのがやっとだ。
今のバラキは止まらない列車だ。そのエネルギーを斬撃に応用されたら、ムシュフシュはひとたまりも無い。
同じことをムシュフシュにはやる勇気が無い。武器の不得手もあったが、物にしていない。その辺が現代日本人であるプレイヤーと野生のモンスターの違いだろう。
格闘ゲームで超必殺技の存在と出し方を知って、即座に実戦投入できないのと一緒だ。今までの信頼を裏切れない。
やはり、【アクセル】【ハイアクセル】のコンボで仕留め切れなかったのが痛い。
グレゴリオの胸に刻まれた渓谷は、醜い肉芽の山脈となっている。意識の手が次の武器を求める。
「―――それまで。勝者ムシュフシュ」
その声は呟くような戮丸の声だった。
二人には青天の霹靂だった。敗北を告げられたグレゴリオは元より、勝者であるムシュフシュも合点がいかない。動きを止めたのは他ならない戮丸の裁定だからだ。
「納得いきません!」
そりゃそうだ。実際逆の立場でも俺もそういうだろう。
戮丸から授かった新しい戦技、それがかみ合い始めて戦況を弾き返しつつあった。戦況どうこうよりも、最高に面白い時間を止められたのだ。
「今は飲んでおけ。勝敗は戦闘をやめるための言い訳に過ぎんよ。酷く無価値だ」
やはり、考え方が違いすぎる。
「―――ですが!!!」
いかに無価値でも、金より惜しい無価値だ。
「お前さんは俺に勝った―――。再戦を考えれば転がり込んだ勝者より納得のいかない敗者の方がいいんじゃないか?」
―――再戦?
それは考えていなかった。確かに技を覚えて馴染む時間は欲しい。それは双方同じ事。ムシュフシュが恐れたようにグレゴリオには次の段階がある。当然それを弾き返す用意はあったが、それは不連続の断崖が阻む。それでもグレゴリオに勝てる保障は何処にも無いのだが―――
―――それさえも見越しての裁定か。
―――いや。
俺は勝てない。勝ってはいけない。元々要求されるのは技術で圧倒して負けを認めさせることしかムシュフシュには許されていない。そうでなければここに立った意味が無い。
つまり、もう一段進んだステージでグレゴリオを殺せるが、勝利するには技術不足という目算かっ!
「私が貴方に勝った?ありえない!あんなものは勝利じゃない!」
「なら丁度良かろう。納得いかない勝利と敗北。二つあわせて経験として飲んでくれ」
そう言って、戮丸は巨人を差す。巨人の表情が全てを教えてくれた。
「それとノッツ。再戦の時はお前はあっち側だ。好きだろうセコンド」
いきなりの指名に驚いたが―――
「―――ああ、そう言う事!」
ノッツは納得する。今の状態だと勝敗が決しても二人の飢えを満たす結果にはたどり着かない。この状況自体が詰んでいるんだ。自分がグレゴリオについた事によって一番重要な条件が外された。
ムシュフシュにグレゴリオの殺害許可が下りたのだ。この条件で初めて対等な勝負が出来る。
「強力すぎるんじゃないですか?」
グレゴリオはノッツを高く買っている。魔法支援は元より、その知恵だけでも強力な武器になる。
事実、敵わないはずの戦闘をいい勝負まで持っていったのはノッツの手柄だ。
そのことは本人に否定された。
「あっちにはアレがついてるんだ。それに君は負けたんだよ?わかる?」
「貴方にはわかりますか?」
「予測はつくよ。出来るかどうかは運次第だけど、色んな意味で最悪の展開だ」
「―――というと」
ノッツは大吟醸を差す。
「最低限それは確実にやってくる。でも不完全燃焼だろ?」
「それでもやってみなくては―――」
「僕が納得いかない!ふざけるな!もっと君は闘える!戮丸との剣戟は憶えてるだろ?君はそれが出来たんだ。それをやってくれ。馬鹿の出たとこ勝負な結末なんて見飽きてるんだ!」
むちゃくちゃな理論であるが、ストンと何かが通って落ちた。遠くで大吟醸が落ち込んでいる。結構ショックだったらしい。
「君には課題が山積みなんだ。それにムシュフシュの大きくスタンスを取るのはフェンシング経験があるんじゃないかと僕は思う」
「ふぇんしんぐ?ですか」
「多分ね。戮丸がああいったのはその辺だろう」
「それがあると、どうだというのですか?」
「絶・対に勝てない。保障していい。対策は僕が考えるけど、剣で受けるスタイルは辞めたほうがいいと思う。君はボクシングスタイルそれもインファイターだ。あの動きを攻撃に特化してシールドで大きく防ぐんだ。相性は最悪だけどインに踏み込めればそれは逆転する。武器・魔法なんでもありの戦いだ。僕はいけると思うよ」
興奮気味にノッツは語る。
「スパーリングパートナーも必要だ。巨人じゃ大きすぎるし、トロルじゃ足らない。オーガクラスを鍛えれば練習台になる。ミノタウロスに知り合い居ない?―――国民を増やさなきゃ。それに国民に対しての説明義務もだ。勝負が終るたびに暴動が起きたら話にならない。スピード対策には大吟醸とマティの二枚重ね。オプ爺も必要かな。ああもう足らない物ばかりだ!」
「あそこの暴走が賢者がのたまってますが?」
「ノッツ抜きでアレをもう一回?冗談だろ・・・」
「一回ではスマンの・・・遺言かいとこ」
「面白そうだな?おれも入れてくれ」
「レビン・・・死ぬ。マジで死ぬ。ハンパネェーンだから・・・」
「マジ?」
「何見てたんですか?あのバラキだって一回使っただけでHP7割持っていかれたんですよ」
「耐えたのか?たいした・・・使ったって・・・え?」
「喰らったらミンチですよ。ミンチで済めばいい。貴方も使ってみればいいんだ。身体の内からグシャグシャ食われる感触・・・ああ、もうやだ」
大吟醸とマティは真っ青な顔で、ダイオプサイトにいたっては耳を押さえて蹲っている。
「あ、ああ、お疲れ。頑張って」
遅まきながら危険を感知したが、三本の手がレビンを止めた。
「なあ、戮丸よ。・・・いいのか?」
「なんだムシュ」
戮丸は朝焼けを呆けた顔で見ている。レビンの悲鳴が遠くで聞こえる。
「この辺のモンスターのレベルが跳ね上がるぞ?」
「そのためのネル・・・枯山水だろう?願ったり叶ったりじゃないのか?」
「おいおい。まあいい。・・・治安が乱れるだろう?」
「そんな事は無いんじゃないか?奴さんの闘う目的は腹が減った訳じゃないだろうし、順当に考えれば、スコア、経験点稼ぎだろ。ならそこに妥協点が見出せる。村人殺すより、なじみの冒険者と殺し合いの方が張り合いあるだろ?多分、実入りもそっちの方がいいはずだ」
「ふむん」
戮丸はそこまで想定していたのだ。モンスターが何をしたいのか?実際、FPSもMOBを倒すコンテンツよりなじみのチーム戦の方が燃える。実際枯山水はその色が強い。
「色々変わるな・・・」
多分組織戦もガラリと変わる。今までの戦いに飽きた訳じゃないが閉塞感が無かった訳じゃない。ついてこれない者は増えるだろう。別次元の戦闘へと変容する。むしろ、今までの方がおかしかったのかもしれない。変化する戦場。変わりたがらなかったプレイヤー。
「びびった?」
「正直な・・・でもいいのかもしれない。それよりグレゴリオ戦だ。強化する余地があるのか?」
「無いと思ってるほうがおかしい。お前さんも試したい事だって幾つかくらいはあるだろ?」
「それで勝てる保障があるのか?」
「・・・勝てる保障?そんな物は何時だって無い。贅沢すぎだ・・・お前さん次第といっておこう」
「そうか」
「グレゴリオ」
「ん?」
「腰抜けた。宿まで連れて行って・・・」
・・・・・・・・・台無しだ。
「お姫様抱っこはかんべんな」
・・・台無しだ。