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闘い続ける二人に、巨人が悲しげな声を上げる。
それを振り払うようにグレゴリオは吼える。
そして改めて咆哮を上げる。
野獣の咆哮。ありったけの何かを吐き出すように吼え猛る。
しかし、戮丸は何処吹く風というかのように剣を振り、一歩また一歩とグレゴリオに歩み寄る。
ギン!
二人の剣が交錯する。
乱撃の応酬。足を止めての斬り合い。合数はもう既に数え切れない。
それはベルセルクガングを発症した戮丸とかわしたような生ぬるい物ではない。どこがどうとはいえないが、斬るたびに弾くたびに背筋が寒くなる。
不壊の大剣である魔剣バラキが剃刀のように頼りない。ほんの少しでも気を抜けば不壊もどこへやら切り裂かれそうだ。現に、刃が食い込む柔らかい感触は何度もあった。
それは盾も同様で、柔らかいバルサ材で刃の嵐に対抗しているようなモノだ。
ガッ!
戮丸が鋭く短く吼えた。ダイオプサイトが吼えたように、そこにあったはずの気迫や何かを全て吹き飛ばす。ダイオプサイトが陳腐なコピー品に思えるほどの何か。
魂消た。
そうとしか思えない。そう書くしかないのだ。文字通り、そこにあった気迫や空気が一辺に吹き飛んだ。
・・・が、グレゴリオには二度目だ。
陳腐なコピー品でも二度目。
本能が赴くままに剣を振るう。
魔剣バラキが燐光を纏い、ヤバイ何かを迎撃する。
――――!
戮丸の音さえも断ち切る剣線をグレゴリオは弾いた。
魔剣バラキより溢れ出たエネルギーの奔流が、剣を押し返した。
グレゴリオの全身から血が噴出す。バラキは代償を求めた。望んだ結果ではない。ただ一生懸命になりすぎて溢れた。結果は良いが望む物ではない。それでもバラキは代償にグレゴリオの肉を食む。
―――膝を付きたい。
自分の神経を抜き出し遠慮なく金鑢に擦り付けている戦いで不意に代償を求められた。膝どころか全身を投げ出したいほどの疲労感。
そんな要求をグレゴリオは無視した。
血を飲み込む。人食の嗜好は無いがその一滴はグレゴリオにあまたの物を与えた。
普段の彼なら震えたはずだ。
喜びに・・・
邂逅に・・・
それさえも忘れた。
一欠けらの思考さえもくべる戦場。喜びに乗ればこの身は土に返る。
走り過ぎないように、
失速しないように、
そして・・・
悟られないように!
詠唱を咀嚼する。
【霊魂放逐】神聖魔法は神の決定だ。
神聖魔法は魔法というよりも決定した事象をたたきつける。現出させるに等しい。
神の子の身分では抗う手段は無い。
相手が死ぬ。
それだけの呪文だ。自分には不要な呪文だと思っていた。戦いに対しての冒涜に思える。その考えは今も変わらない。手応えが無いのだ。
今は不思議だ。
圧倒的に優位なはずの武器も魔法も体格もまるで役に立たない。
そんな相手に見えた。
使わないほうが冒涜に思う。
全力を使わないのは思い上がりも甚だしい。
手ごたえはある。神経を張り巡らしそれを悟られないように、力を溜める行為ですらダメなのだ。呪文の声を脈拍や呼吸にまぎれさせる。
平静を擬態しなければ・・・この男は消える。
決戦を悟られてはいけない。
平静は隙を意味する。
そんな冒涜は許される訳もない。全身全霊をかけた自分を擬態しなければいけない。
擬態を続けながら致死の呪いを編む。
目線は戮丸の隙をうかがう。
足は、自分の運足に無駄が無いかを疑う。
手はそこでいいのかと問う。
思考は戦いを組み立てる。
詠唱が終るまでの時間稼ぎ・・・そんな小細工は見抜かれる。
グレゴリオはグレゴリオなりに戮丸を圧倒できる戦いを組み立てる。この状況なら私はそれをしたはずだ。
刻限は迫る。焦ってはいけない。
全ては完璧に擬態しなければいけない。
そしてそれは完璧だった。
ならば・・・
貴方は消えていますよね?
戮丸は虚空に消えていた。
・・・涙が出そうなほどの強敵との邂逅。
詠唱を咬みながら消えた戮丸を追う。
タッ・・・タッ・・・
音だけが、グレゴリオを纏う。アトラスパームだろう。その身が触れるほどの距離であれば、無しでも彼は逃げ切れる。アトラスパームの高速機動が剣の届かない距離でそれを可能にしている。
バラキを振るう。
今度は【はしゃぐなよ】と祈りながら、虚空に滑り込ませる。
・・・キン。
小さく響く。
戮丸が邪魔だから退かしたのだ。
それは快哉を上げたいほどの出来事。だがそれに酔う事は許されない。
滅多やたらに振り回したい。
だがそれでは幼すぎる。
裏返しだ。右から気配がする。その気配を追ってはいけない。追った場合の裏側に剣をそっと忍ばせる。
・・・キン。
小さく響く。
喜びで失禁しそうになる。ずっと続けていたい。だが・・・
それに浸ってはいけない。
グレゴリオは裏返しにしているだけだ。戮丸にはさらに変拍子を入れられる。
一方的な信頼に付き合ってもらっているのだ。
だが、グレゴリオには能力が無い。真贋を見抜く目と技量が無い。
ただ信じているだけ・・・
タッ・・・タッ・・・タッ・・タッ・タッ・タッタッ・・・
戮丸は速度を上げた。
キン、カッ、カキン、キンキンカキン!
「・・・すげぇ・・・闘ってる」
未だ戮丸の姿は見えず。
しかし、盲目とは思えないほどに二人は合数を重ね合わせ積み上げる。
グレゴリオも只管に裏を算出してそこに剣を置く、振ってはダメだ。振ったら次が間に合わない。
おかしな事だがグレゴリオの全幅の信頼で戦闘は継続している。
グレゴリオは戮丸が付き合ってくれていると思った。
だが、現実は違う。
戮丸は徹底して裏から攻める。しかし表は視界が覆っているのだ。視界に入れば魔法戦が始まる。それは完全に致死の世界。そこには行けない。先の戦いなら触れるほどのクロスレンジ、視界に入った瞬間に首を曲げさせる、詠唱を出来ない状態に出来る・・・
10mの距離で視界から消えるスピードがいか程ものか?入ったが最後逃げ切れない。戮丸は首の回転速度と予測で消えているのだ。足がかりが欲しい。だが、そこにはバラキがある。
退かす。斬ったら首が追いつく。
超速のストップ・アンド・ゴー。体が保たない。アトラスパームでなければブラックアウト・レッドアウトどころでは済まず、内臓が捻れて死に至る。
奇しくも天秤は均衡を示していた。
―――見えない相手に魔法を当てる方法も実はある。
真名を唱える。それは、自分の名前ではない。オブジェクトNoの様な物だ。それを唱えれば魔法の範囲内なら確実に当たる。アドレス指定をしているようなモノで、本人にすら真名は判らない。それを決定する習慣自体がこの世界に無いのだ。
グレゴリオも神に仕え、初めて授かった。システム解析が出来れば判るかもしれない。だが、魔法の領域。世界を構築する四番目の側面。エンジニアでもそこまで解析できるかは謎だ。
だが、グレゴリオには確信があった。
出鱈目な手法だ。子供の屁理屈に近い。
その出鱈目な手法で神聖魔法・・・神の決定を行使するのだ。その対価は・・・
もうどうでもいい。
思い付いてしまった。それが試せるのであれば・・・
死んでも惜しくは無い。
「・・・我、汝を罷免する。汝の名は・・・」
「・・・【蛮王!】」
グレゴリオは戮丸の真名を名付けたのだ。
グレゴリをの掌から光が天に昇る。
呪文が受理された!アカウントごと人を消し去る凶悪魔法が受理されてしまった。
「【霊魂放逐】!!!!」
「んなッ!詐欺だッ!」
オーメルの口から似合わない言葉が毀れる。
慌てて斬りかかった戮丸の体が三重にブレる。その影はゴムのように引き剥がされる。
「ががががががぁああ」
苦痛があるのだろう。心臓を引き抜かれるようなものなのかもしれない。
苦悶に打ち震える。戮丸は何かを掴み自分の中に戻そうとする。だがそれは虚空をすべり空しくもだえるだけだ。
「そこかッ!覚悟ッ!!!」
グレゴリオの魔剣バラキのノッた剣戟を辛うじて戮丸は剣で防ぐ。
場所は中空。身体を捻って無理やり受けた。
戮丸の身体はゴムまりのように跳ね・・・
バシャッ・・・
引き剥がされそうになった何かが、紐でも切れたかのように戮丸の中に戻り、その衝撃で体が爆ぜる。水風船が手に戻った瞬間割れたように。
血まみれで大地に横たわる戮丸。グレゴリオも剣と膝を付き荒い息をしている。