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透輝石は慎重に鍋を運ぶ。
居場所の無いグレゴリオにお茶を一杯振舞おうというのだ。
しかし体のサイズの違いはいかんともしがたい。グレゴリオの湯のみ一杯分はダイオプサイトにはバケツ一杯分にもなる。
元々、ドワーフは男性上位の社会構造を構築する。「給仕などは男の仕事ではない」そんな台詞が当然のようにまかり通る。今の社会では考えられないかもしれないが、それでドワーフ社会は上手く回っている。
彼らからすれば今の社会風潮の方が首を傾げてしまうのだ。男も女も違う生き物なのに、何故無理に同じ事をしなければならないのか?
大吟醸に書類仕事をさせる様な物だ。そして、ノッツが突撃する。それでも何とか形にはするだろう。
しかし、それが愚かな行為なのは火を見るより明らかで、互いの為にもならない。
仕事自体の貴賎は問わない。自分に出来ない事をしてもらったら感謝する。そんなドワーフ社会だ。
つまり、ダイオプサイトは慣れないお茶汲みをグレゴリオの為にやっている。
それは彼なりの敬意の表れでもあるが・・・
遠回りな言い方はよそう。お茶と表記した物体の正体は煮立った重油だ。
鍋いっぱいの煮立った重油。流石にこれはダイオプサイトの領分と言わざる終えない。一歩間違えば大惨事になる。
「有難うございます」
いつも通り外見に似合わず礼儀正しいグレゴリオには好感が湧く。
「こんな物でいいのかの?」
いくら熱に強いドワーフでもこれを被ったら致命傷になる。
トロールの悪食は聞きしに勝る。
「いえいえ、結構な物を・・・おや、この油は上質ですね」
人間が持っていたものだ。濾過ぐらいはしてあるのだろう。と、言うよりも普段飲んでいるお茶と言う物体に興味が湧く台詞だ。
ダイオプサイトはグレゴリオの横にちょこんと座り、自分の分のお茶を持ちグレゴリオを伺う。流石にドワーフでも重油の臭いが抜けるまで飲み干す気にはならないようだ。
(おおう。焦げとる、焦げ取る)
鍋を湯飲みのように手は素手で、じゅううと耳慣れた肉を焼く音を上げる。
「では頂きます」
ゴクリ、ゴクリ、ゴクリ。
人間でもこう飲む人が居たらびっくりする飲み方で、まるでエールを呷るように飲み干すグレゴリオ。
(死ぬんじゃないのかの?)
グレゴリオの頭の穴と言う穴から煙を噴出すが、当人は「ふぅ」と満足そうだ。
そして、グレゴリオは懐から金属製の煙管を取り出し、一服を決め込む。
「いっかぁああんッ!」
ドゴォオオオン!
気化した重油に煙管が引火しグレゴリオの上半身が炎に包まれる。ダイオプサイトは慌てて飛びのくが、その熱波が全身を舐める。
「グレゴリオッ!」
「・・・はい?・・・ああ、失礼しました」
そこには美味そうにタバコを飲むグレゴリオの姿があった。
ただし、焼き立てではあったが・・・
「トロルというのは凄いな・・・」
いろんな意味で
「ええ。凄いでしょ?健康ですから」
健康は関係ないのだが・・・。グレゴリオは角質《煤》を払いながら煙管を咥え直す。これは彼らなりの入浴に等しい行為なのかもしれない。払った先から新しい皮膚がもう姿を覗かせている。
「他のトロルもそんな飲み方をするのかの?」
「いいえ、並みのトロルでは死にます。健康が足らんのです。不甲斐ない」
・・・健康って・・・
足りる物なのか?
「そうなのかの?」
「そうなのです」
二人はチョコンと座る。
それを見守る群衆。
そう、グレゴリオは世にも珍しいトロールの【死の王】なのだ。ただのトロールでも狂乱状態になる街中では見かける様な物ではない。
サイズはふた周りくらい通常のトロールより大きく、全身騎士鎧を見にまとう姿はそれでなくても衆目を集める。単純に絵画や彫像なら美々しい姿に人は集まるだろう。しかし、実際に生きているのだ。その恐怖はただ事ではすまない。
しかし、その横に平然と座るドワーフ。
その会話は御伽噺のようで、辛うじて、狂乱を抑えている。大人達は目を丸くしながら顛末を見守る。
単純に唖然としたのだ。
子供達はそれを通り越して「すげー」と興奮状態だ。
ドワーフはトロールに何か耳打ちをした。
「あー・・・コホン・・・『俺に触ると火傷するぜ』(物理)」
「・・・そりゃな」と大人たちは噴出した。子供達はグレゴリオに駆け寄る。緊張が解けたのが判るのだろう。
「あーこりゃこりゃ火傷するぞい。暫しマテ。いいかのグレゴリオ?」
「ええ構いませんよ。・・・もう大丈夫でしょう」
子供達は、グレゴリオをよじ登る。登れない子供にはダイオプサイトが手を貸す。膝の上では物足りない子供にはグレゴリオが手を貸す。子供は耳や牙を手がかりに肩の上に乗る。その様に後に続く子供達、片方の肩に三人座ってまだ余る体躯が、子供達の冒険心を満たす。
「たかーい」「スッゲー分厚い」「あったかーい」子供達は思い思いの感想を口にする。大人たちは気が気ではない。
「可愛いものですね」
「おぬしらでもそう思うのか?」
「当然ですよ。なんにせよ子供と言うのは可愛いものです」
「ふむ」
「・・・おいしそうで」
ズザァッ!
緊張が支配する。
「こりゃッ!冗談は健康だけにしておくのじゃ」
「ええこれは失言でした」
グレゴリオはそのまま頭を下げる。
肩に乗った子供達が落ちそうになるが、その足をグレゴリオの手が押さえてあって、落ちるものは居なかった。
子供達は泣きだす者や興奮して「もう一回」とねだる者、様々で、大人たちは落ち着いたのか大皿料理を運んでくる。歓待と言うわけではない。
大体こんな深夜に住民が多すぎるのは不可解に思うだろう、産業が無いディクセンでも都市機能が無い訳ではない。冒険者の来訪は彼らにとっても収穫なのだ。だから、お祭り騒ぎはオーバーなくらいに反応する。賑やかな喧騒と振る舞いは冒険者のゆるい財布の口を開くのには効果的だ。
人肉商売で辛うじて体裁を保っているのだが、その恩恵に市井の人は直接の恩恵にあずかれない。富める者の生活を維持するために飼われているといった風で。
冒険者に夜は無い。ならば深夜とは言え屋台が立ち待ちのあちこちで振舞が行われる。その家族も眠れる訳も無い。
だから酒場は空なのだ。
大皿料理の値段交渉はダイオプサイトが行う。子供達はそんな事はお構い無しに夜の街を駆け回る。
グレゴリオにとっては大皿料理も小皿に等しい。だが、グレゴリオはその振舞と料理に舌鼓を打った。
「子供や、貴方が戦士となったのであればそういう事もあるでしょう」
グレゴリオは子供の他愛も無い質問にクソまじめに答えた。その様にダイオプサイトが笑う。
グレゴリオ自信は略奪の季節は当に過ぎ去ったのだ。一廉の戦士となったら手合わせをしようと約束する。子供にはその答えが受け取れる訳も無く。表情が凍りつく。
「ならば戦士は諦めるがはよいぞ」
と端的に言って返す。男の子は売り言葉に買い言葉で何か言い返すが、笑って頭を撫でられた。
「わしでもコイツには敵わないのじゃ、無理する事も無い」
「私の片足を抉り取った御仁の言葉とは耳を疑います」
人にあらざる二人は笑いあう。その様は恐ろしくも頼もしく子供の憧憬を誘う。
・・・?
グレゴリオが虚空を見つめる。
「どうした?」
「・・・泣き声が聞こえます」
ダイオプサイトが静寂を求めて声を張る。人々は次第に声を落とす。遠くの喧騒が聞こえてくるディクセンのあちらこちらで宴席が設けられているが・・・戦士が一人、また一人と動き出すのがわかる。
ダイオプサイトも異変に気付いたが問い質すのは憚られる。
未到の静寂を破ったのは元旅団の戦士マティだった。
「・・・いい所に!大変だ!オーメルを見なかったか?」
「何があった?」と透輝石が問う。グレゴリオは沈黙を守る。いや、耳に集中しているのか、異形の相貌から思いは推し量れない。
「巨人がこっちに向かってきている。数は1。種別はクラウド。戮丸が闘ったアレだ」
「マティ」とグレゴリオが呟く。その一言に自分の失態を思い出し口を噤む。
しかし、それは時が遅かったようだ。人々は恐慌には至らないまでも、二つの流れを作り出す。
若く好奇心が旺盛な者は城壁へと向かい、闘えない者は家族を連れ安全な場所を目指す。
たかが二つと言えど間逆の人の流れ、恐慌の到来は約束されたようなものだ。
「逃げるな」
グレゴリオは落ち着いた声で言った。
「逃げるような事か?ここにいる戦士はそこまで頼りにならないのか?」
「ならば逃げるな。戦士でなくとも諍いにおいての作法というものがある。家に入り家族を守れ。怯えは弱者から容赦なく殺す。人は逃げる同胞から踏み潰される死に様を許容できるのか?」
「敵は戦士が討つ、ならば自然あなた達の敵は怯えだ。怯えるなとは言わない。身を寄せ合い嵐が去るのを待つがよかろう」
市井の人の大半は家路へと急いだ。だが、中には我が意を得たりと城壁を目指す者もいる・・・
「戦いは見世物ではない」
「切って捨てられる覚悟の無い者は去るがよかろう」
流石に【死の王】に言われては反論する気にもなれず、すごすごと家路に着いた。
「助かった。有難うグレゴリオ」
マティは安堵の息をつき謝辞を述べる。
「いや・・・」
「泣き声と言ったな」
「ええ、聞き覚えのある・・・いや・・・泣いた事のある・・・」
グレゴリオは目を臥す。
「原風景を奪われた者の泣き声です」
グォオオオオオオ――――
風鳴りのような巨人の声がマティと透輝石の耳にも聞こえた。
知らなければ・・・
胸を掻き毟られるような思いをしなかったのだろうか?