124 涙の理由
『・・・気持ち悪い』
女史はそう呟いた。
今は画像演算を停止させている。送られてくるのは座標データと各種パラメーター膨大な量のソレの中から彼らの会話を拾って聴いている。
プローブをガルドに設定すれば、彼の見ている景色と音声が拾えるがソレはマナー違反だ。自分の聞いている音と映像が筒抜けなのは誰だって当然嫌う。当人の許可が無ければやっていはいけない行為なのだ。
ガルドは眉を顰める。
女史は彼らの動向を追ってはいたが、それだけでは仕事にならない。言うなれば何窓も開いて動画を見ている状態だ。彼女にしてみれば路上で号泣する大人に遭遇したようなものだ。
何故というよりも嫌悪感が先にたつ。
彼女の仕事は不具合の発見であって、プレイヤーのメンタルコントロールではない。それも不具合の発見自体は彼女の仕事ではない。不具合の理由、因果の理解による再発防止がシステムエンジニアとしての彼女の仕事だ。
『ガルド・・・教えてくれない?私はそんな風に設計はしてないけど?』
『無茶を言ってくれるな。魂が生きること望まなくなったのに生かし続けることは出来ない』
『・・・ちょチョット待って?そんなことがあるの?』
『我々をなんだと思っているんだ?』
―――命だ。
女史の居る会社メンコン社は電脳世界に命を発見した。第一次揺籃計画の際の被験者が見た夢の残滓。電脳世界で万能を与えられた被害者達の世界の住人が命に見えた。要は主役の居なくなった夢がそのまま続いていた。その世界の住人は変わらず、営みを続けた。世界は歴史を刻んだ。それも一つの世界ではない。無数の世界だ。
宇宙創成の爆発にも似たそれは今も続いている。何処かで被験者が生きているのかは判らない。演算処理を他に移管したのか?いや、演算処理を一部でも外部に依存していれば、エコーのようにオリジナルが無くても世界は拡大を続ける。
ガルドはそのあまたの世界の歴史の中。更に一地方の英雄神に過ぎない。不可逆な事も当然ある。
死後も、その姿は様々な住人の中に響いた。これも世界のエコーに似ている。強烈過ぎた生き様。人々はその姿を夢想する。その全てはガルドというタグに収まれ無類の力を持つが・・・
『生き返らせる事は出来ないの?』
『不可能だ。騙す事は出来るがしたくない』
幾ら神でも死者は蘇らない。生に執着してくれれば・・・まだ、残響は消えていない。
『魂が摩滅してしまった。代替品を用意するか?』
代替品とは、別の命を創造し、消えてしまった者のコピーとして生きる使命を与えるか?と言う事だ。それでも消える事を選んだ者のコピーだ。不具合は生じる。少年は死んでしまった。コピーである以上、死ぬ事までを含めなければ嘘になる。模倣者の苦悩を与えたくは無い。
『死に至る責を慰める為だけに無為な命を創造するか?と訊いているんだ』
『・・・そんなっ!』
そんな決断は迫られても応えられない。
『人が一人死んだんだ。受け止めるんだな』
『こんな死に方をした子供が他にも居るの?』
万能の恐ろしさ。
エレナ、トビー、アーサー、リングイネ、ジャック、ジョン、フランツ、エリザ、フレデリカ、アンリ、アナ、シャーロット、パブロ、ラルフ、ペーター、ミヒャエル、ロスヴァイセ、フリオ、カナ、ハリエット、グレタ、アーロン、アラスタ、へスター、ヒルダ、イザベル、ジェイド、ジャニス、ジョアン、グロリア、アキ、アクセリ、アンッシ、ヘルマンニ・・・
『こ、こんなに・・・』
『重複した名前は削除。サービス開始後で、同じ枯死のみ、人に限定してソートした』
『みんな子供なの・・・』
『子供とは限らないが概ね・・・な。年齢を重ねる程執着は強くなる。むしろ、齢を重ねた者の人生を思うと胸が痛くなる』
ガルドはタバコに火をつけ、大きく紫煙吐き出した。
『こいつらに幸せは無かった』
『そんなッ!』
『俺にはその事実を否定するほうが冒涜に思えるが?』
女史の言葉は無い。世界の邂逅は犯さざる行為なのか?
『何処も同じだ。ここも、そちらも、あちらも、こちらも、知らなかった。知ろうともしなかった。そうやって人は生きている』
『それでも許される事ではないわ』
『誰が許さないんだろうな?少なくとも戮丸は許さないだろう。だから走った。その事をノッツは理解した。戮丸さえ理解していない事まで・・・』
『・・・なんなの?』
『あいつは嗅ぎつけていたんだ。助ける方法を、夢という形でな』
あの夢を見た時点で駆けつければ間に合った。抱きしめて・・・それだけで子供の命は救えた。それは間違いない。ただ、それはあの廃村での闘いを全て見捨てることに違いない。あの場に戮丸が居なければ収拾のつかない悲劇が・・・しかし、それは覚悟済みの事だった。
覚悟済みの人間が死ぬだけだった。その覚悟が幾ら薄っぺらなものでも口にしてしまった。その中にノッツも居た。
じゃあ、子供はどうだ?身体も心もボロボロにされ、それを救われた。笑いもしたのだろう。子供の身体にはつらい旅だったのだろう。信じられる人は出来た。シャロンと戮丸だ。大きな町に着いた。拒まれた。
大人たちは思い思いの不満を募らせる。未来に保証が無いのは全員が同じだ。その事を延々と言語化し悲嘆にくれる。戮丸を罵る声も聞こえる。訊きたくない。毛布に包まった。その温度に夢を見て。
―――子供はその命を終えた。
『彼は頭がいいよ。同じ命と認識しているし、現状を打開しようと必死だ。だから、理解してしまう。殺される者の痛みと、生きられない者の悲嘆を。その上で、戮丸を弾劾せずに居られない自分と戦って負けた。しかも彼は戦場に居た。自分達を見捨てるべきだったなんてのは嘘だ。本人は欺けない。戮丸が立ち去ったと知れば恨むだろう、憎むだろう。絶望的な敗北、あくまで今のノッツだから言える「見捨てるべきだった」そんな理屈が通らない事は本人が重々承知だ。そんな言葉が毀れたんだ』
―――泣きもするだろう。
◆ 無慈悲な答え
ケヒャッ、ケヒャッと戮丸の口から嗤い声が毀れる。
笑い声という言うより・・・なんだ。ブレーキのスキール音のように止まらない。
―――壊れた。
それが居合わせたものの共通認識だった。ディグニスが廃村で上げた笑い声に似てるが・・・横隔膜が痙攣して奏でる音は耳障りで、似て非なるものだった。
「本物は・・・キツイな・・・」
ムシュフシュがこぼすしながら、銀を庇うように立つ。ノッツはヨロヨロと離れるが、危険域から出なかった。いつもは軽口を叩く大吟醸も黙って戦闘態勢を取り、ダイオプサイト、マティ、グレゴリオもそれに習う。
戮丸には狂う権利がある。八つ当たりで死ぬ覚悟くらいは彼らにもあるのだ。正直な話し勝ち目は無い。それでも・・・
「憂さ晴らし・・・」
憂さ晴らしに成ればいいが・・・。レビンの言葉はグレゴリオに遮られた。優しさに狂った男だ。正気に戻って欲しいが、抱えるには辛過ぎる。
一人超然と立つオーメルだけが違った。
「うちのフロントマンを安く見てもらっては困るな」
この男はそれが出来ない。だから苦しむ。危ぶむ視線も感じるが、戮丸の首は一度背後から跳ばしている。恐れるものは何も無い。
「悲劇のヒーローは不細工なお前には似合わない」
―――!?
オーメルの口から暴言が飛び出た。戮丸が原風景を守るためにどれだけの痛みに耐え、身体を引きずって闘ったかオーメルが知らない訳も無い。顔の美醜で語れる事ではない。
「・・・だったな。早々に落ち着け、子供達が帰ってきて―――」
「戮ま―――ヒッ!」
子供が帰ってくるには早すぎる時間だが、そこには女王ヘルガ・ディクセンと女騎士リーゼを連れた子供達だった。
「いかん、今はまずいッ!」
―――子供達の目に映ったのは亡者のような光を目に宿し、口から泡を噴きながら嘲笑を上げる戮丸の姿だった。
子を喰らう鬼の姿のようなそれは―――
「何て顔してんだいッ!」
割って入ったのは宿の女将だったおばさんだ。戮丸に無理難題を頼み込んだ人物である。
「―――ああ、怖かったね。戮丸、顔洗って出直しておいで!もう大丈夫だよ。あっちで暖かいものを飲もうね」
おばさんが力いっぱいの抱擁を与えると、子供達は思い出したように泣き声を上げた。泣きじゃくる。しがみ付く。それを、大人はうんうんと頷きながら受け入れる。そして、手を引かれ、抱えられ、連れられて行く。
その姿に戮丸は手を伸ばす、横隔膜の痙攣は治まらず、その動きに覇気は無い。
その手を、ノッツがゆっくりと下ろさせる。
―――あれが答えだったんだ。