spiral~one~9
「下りていいよ」
と言われ、下りた場所はホームセンター。
「買い物?」
「あぁ、たくさん買うものがあるんだ」
早足で大きなカートを取りに行くお兄ちゃんに、まだ首をかしげて付いていく。
「ほら、早く来いって」
伊東さんがあたしの横に来て、歩調を合わせてくれてる。それは、嫌じゃなかった。一緒に歩くだけなのに、くすぐったくて嬉しく思えた。
初めてきた場所。広いんだな。
「迷いそう」と呟くと、二人が笑う。
「大丈夫。ちゃんとそばから離れないから」
迷子にならないっていうための言葉なんだろうと思うのに、意味を履き違えたくなる。
過剰反応しちゃってるのかな、一人の生活が本当に嫌だったんだって気づかされる。
「はい、コレ」
横にいた伊東さんから、可愛い飾りのついたカギを手渡される。
「なんですか、コレ」
少し高く掲げてブラブラさせていると、お兄ちゃんが同じくカギをブラブラさせていた。
「え?」
驚くと、「俺とお揃いだぞ」と笑う。
意味がわからない。伊東さんがお兄ちゃんの横に立ち、お兄ちゃんの肩にポンと手を置く。
「マナちゃん」
「はい」
不思議に思って見ていると、「ナオと、一緒に暮さないかい」と伊東さんが言いだす。
「は?」
「そうそう。俺と一緒に暮らそうぜ。マナ」
上手く愛想笑いも出来ない。
「冗談、だ……よね」
男の子と同居? そんなのありえない。
「冗談でこんな話、出来っかよ」
笑ってた二人は真面目な顔つきになって、もう一度ハッキリ言った。
「俺と暮らそう、マナ」
「ナオと暮らしてみて。マナちゃん」
って。
一歩後ずさる。
「……あたし、何かしたの?」
さっきまであった安心感が薄れていく。
自殺しかかったところを助けてくれたってだけで、信じかけてた。安心してた。きっとパパやママより。
何かの罰?
お兄ちゃんと一緒に暮らすって、急すぎる。
「何もしてないよ、マナちゃんは」
「じゃ、どうして?」
ホームセンターの通路で固まったままのあたし。
「あっちにレストコーナーあるから、そこで少し話してもいいかな」
あたしの混乱にも伊東さんの笑顔は変わらないまま。
先に歩いていく二人に遅れて、レストコーナーに向かった。お兄ちゃんが手招きしてる。
行っていいのか、まだ迷ってた。
まっ白い備え付けのベンチに腰かけて、二人の話を聞く。
ちょっと距離を置いて座ったのに、お兄ちゃんがすぐに距離を詰めてくる。
「や……っ」
話をちゃんと聞くまでは怖い。
「ナオ」
静かに伊東さんが名を呼ぶと、「悪かったよ」といいながら、すこし距離を置いてくれた。
「あのね、マナちゃん」
切り出したのは伊東さん。
「マナちゃん、この後、あの部屋に戻ろうとしたの?」
不意に聞かれて、さっきまでのことを思い出す。
少し躊躇ってから、首を左右に振る。
「じゃあ、逃げてどこに行こうとしてたの」
その質問にも首を振った。実際親戚の居場所も知らないから、どこにも助けを求められない。
学校で友達もいないから、相談も出来ない。そう考えると、ママに置いていかれるまでもなく、あたしは常に独りだったんだなって苦笑いをした。
「女の子が。ましてや、縁あって家族になった子が、たった一人でどこかにいるのかと思うと、気が気じゃないよ」
伊東さんがあたしをみながら、ゆっくりと話してくれる。
「……」
「僕ね、香代さんの携帯を見てしまったんだ。マナちゃんに送られたメールをね」
ドクンと心臓が大きく脈打つ。脳裏に焼き付いて離れない、あのメール画面。
不要よと書かれただけの短いメール。
「着信があってね。お客さんからだから名前を見てほしいと言われて、香代さんの携帯を操作してたんだ。そうして閉じようと思った携帯をね、どうしてか閉じられなかった」
「……はい」
「マナちゃんとちゃんと話せなくなってただろ? 親子なんだから、何か連絡してるのかなって思ったんだ。一緒に暮らしていなくても、多少はってどこかで思ってたんだ。僕は」
「……はい」
必要な時以外、そんなものなかった。思い出すと胸が痛い。
「まさかってね。これでも僕が守りたいと思った女性だったから」
そういう伊東さんが、すこし辛そうに見えた。
「香代さんと守りたいと思った。彼女の抱えてるものを軽くしてあげたいと」
(ママが抱えてるもの?)
「でもね、マナちゃんを守りたいと思うのもあるんだ。だって……僕の子供だから」
伊東さんがそこまで話したところで、お兄ちゃんが口をはさむ。
「で、お前を守るのに俺が力を貸そうって」
「……お兄ちゃん?」
首をかしげながらみつめると、うんうんと頷く。
「オヤジはオヤジで店のこともあるし、新しい母さんのこともある。全部は無理だからな」
「悪かったな、全部出来ない親で」
苦笑いでお兄ちゃんに話す伊東さんは、どこか嬉しそうにも見える。
「俺はさっきオヤジが言ってた、新しい母さんが抱えてるってーのはよく知らねぇ。それに子供がなにか出来るとも思ってない」
「……うん」
そうだ、ママが何を抱えてるのかあたしも知らないんだ。
「あの、ママが抱えてるものって?」
伊東さんに聞いても柔らかく微笑むだけで、「今は言えないんだ」しかいってくれない。
これ以上は聞けないってことかな、あたしのママのことなのに。
「あの場所に帰すわけにはいかない。香代さんには新しい住所は教えない。今通ってる学校も、受験直前だけど転校しよう。事実上、僕はマナちゃんの父親だ。手続きは僕がする」
リアルな話が、伊東さんの口から語られていく。
「もう一人でいるのは止めよう。ナオもこっちの学校に転校させるから」
その言葉を聞いて、自分のために誰かが犠牲になるのは嫌って思った瞬間、勝手に体が動いてた。
「ダメ!」
ベンチから立ち上がって、伊東さんに向かって叫んでた。
「マナ……ちゃん?」
「だって、お兄ちゃんまで転校だなんて」
高校っていうことは、自分で行きたくて行った学校だよね。
あたしのせいで行けなくなるなんてダメだ。
「いいんだって、学校くらい」
焦るあたしとは対照的に、お兄ちゃんは淡々とそういった。
「勉強はどこででも出来る。いいじゃん、別によ。家族なんだし」
今のあたしには、言っちゃダメな言葉まで。
「違うよ。だって、あたしはママに新しい家族って言われてないんだし」
認められていない関係。それを勝手に進めたら、きっともっと怒られる。
「僕が認める。それだけでいい。香代さんには時間が必要なんだ」
「時間って……どれだけ離れていれば、ママに認めてもらえるの? あたし」
寂しかった思いがこぼれていく。
「ママは一人で新しい家族を作ろうとした。それは事実でしょ?」
あたしは要らない。だから置いて行った。
「だから、不要だってあたしに……あん、な、メールして」
上手くしゃべれない。
「ママに許可されてないこと、勝手に出来ない」
首にそっと触れる。あの感触がまだここにあるようだ。
(また……あんなことされたら)
呼吸が乱れてくる。
殺される。次は消すって言ってたママ。
「嫌! いい、あの場所に帰るから」
差し出された手を、素直に掴めたらきっと楽。
「このままでいい。関わらなくていい。そうしたら、ママに叱られることも、嫌われることも、これ以上はないでしょ?」
ママもあたしが下手なことをしなきゃ怒らないはず。
「波風を立てないで。いいの! このまま独りで」
そう言った刹那、頭の中でいろんな声がする。
本当にいいの? 寂しいんでしょ? っていう声。
ママにいつかは好かれるよきっと、なんて慰めめいた誘惑の声。
楽な方に行けば誰だっていいに越したことがない。
「いいの!」
それでも楽したいと思った瞬間に、ママがやってきそうで怖いんだ。
恐怖感の方が勝ってしまったら、それ以外を選べない。
レストコーナーから逃げようとすると、すぐに腕が引っ張られた。
「マナ」
「お兄ちゃん、離して」
何度も掴まれた手。温かな手だ。
「お前、何かされたのか?」
その言葉に反射的に首を抑えた。
「……首? なんかあるのか」
今までとは違うまなざし。
話したことがバレるのが怖い。殺されかけた事実は、誰にも言っちゃダメだもん。
「何もない!」
言えば言うほど、疑われるっていうことをあたしは知らなかった。
「俺らから逃げるな、マナ」
「逃げてなんか」
そういい、手を振り払おうとしたのに、そこにかぶせるように、
「今、お前が逃げてないって言いきれるのか!」
睨むようにしてそう言われる。
「一人で抱えるな。……独りに、なんなよ」
そうはいわれても、脳裏に焼きついて離れないあの時のママ。
「何があった? なぁ、マナ」
触れると首に心臓があるんじゃないかと思うほどに、そこだけが脈打つ感覚。
「ない! “言えない”!」
俯き、お兄ちゃんを見ないようにする。
「最初から信用しろだなんて言わねぇよ。ゆっくりでいい。お前のこと教えろよ。俺らのこと、知ろうとしてほしいんだって」
そう言った。