spiral~one~6
暗い場所から明るい場所へ。明るさにまだ目が慣れない。
数歩歩いたところで、やっと目を開けられた。
「お腹空いただろ」
目の前にいたのは、伊東さんと知らない男の子で。
「どうして」
慌てて二つの手を同時に振り払う。
「なんで?」
そして、叫んだ。
「なんでいるの?」
迎えに来た人。他人。再婚したっていっても、あたしは家族じゃない。他人が迎えに来たんだ。
関わりを避けていただけに、どうしていいのかわからなくなる。
「伊東さんなんて、他人じゃない! それに」
男の子を横目で見る。
「……他人、ばっかり。他人しか、いないじゃ……ない」
涙が目の幅に溢れだした。手の甲で拭っても拭っても、いつまでも溢れて止まらない涙。
やっぱり来てほしいってどこかで思ってたんだ。願ってたんだ。
もしかしたらって縋りたかったあたしが、愚かだったんだよ。
どうしようもないほどに、ママに依存してたことに気づいた。ここが限界だった、きっと。
不要だっていっておきながら、後悔して探してくれるなんて夢みたいなこと。あるはずない。あるんだったら、もっと早い段階であった。
ママの言葉通り、あたしは不要な子なんだよ。
「あたしなんか、ほっといていいのに! 要らない子なのに」
廊下でペタンと腰を落とし、手のひらで顔を覆った。指の隙間から止めどなくこぼれていく涙。太ももに大きなシミが出来ていく。
声をあげて子供みたいに泣ければ、どんなにスッキリするだろう。一人でいるうちに、静かに泣く泣き方を身につけてしまっていた。
それに、大きな声で泣いたところで、一番気づいてほしい人には届かない。
フッと影が出来て、目の前に膝をつき、伊東さんが微笑んでいた。
「ちょっと止血しようか」
まだ滲んでいた、手首の血。ポケットからハンカチを出し、巻き始めた。
「?」
何かぎこちなくて、その困った表情に涙がすこしずつ引っ込んでいく。
「なんか、上手くいかないな」
巻いてくれるものの、血が止まる気配がない。
「貸せって。俺の方が上手いから」
そういったかと思うと、簡単に止血してくれた。
「ほら、こうやってここを絞めるんだっての」
「あー」
和やかに談笑する二人の姿が、胸を締めつけるだけ。苦しささえ感じる。
胸を抑えていると、心配げに覗きこむ二人。その姿から目をそむけた。
「独りにして……よかったのに」
呟けたのは、そんな言葉だった。本音なのかわかんない。なのに、勝手に出てきちゃった。
すべての感覚がマヒしてる感じ。混乱するしか出来ないでいた。
「そんなこと出来ないよ」
伊東さんはそういったかと思うと、フワリと絵本で見たことがある抱き方で抱きあげた。
「え? え?」
あんなの絵本の中だけだって思ってたのやら、優しさに戸惑うばかり。
「あの、ちょっと……その、下ろして」
至近距離に伊東さんの顔。身を捩ると、伊東さんの腕に力がこもったのがわかる。
「危ないよ? もうすぐ階段だし、動いたら落ちちゃうけど」
その言葉に体が固まった。
「マナちゃんは優しいね。僕が一緒に落ちちゃうって思ってくれたのかな?」
そういいながら、本当にあたしを抱きかかえながら階段を下りていく。何段もある、長い階段を。
後ろからさっきの男の子が付いてきている。二つの足音が階段に響いてる。とても静かだ。
その静寂を、男の子が破った。
「あー、腹減った」
って。
「それじゃ何か食べに行くか」
「外食? うっわ、ラッキー。何食おう、俺」
楽しげな会話にどんな顔をしていいのかわからずに、視線を落とす。
「マナちゃんは、何か食べたいものあるかい?」
不意に聞かれたものの、食べたい物を聞かれたなんて初めて。
ママはとにかく出したものを食べなさいだったし。それ以前に、
「あたしは、いいです」
一緒に食べていい立場って気がしなかった。そう感じた二人の空気。
「いいです、じゃないよ。美味しいものは、みんなで食べた方が楽しいんだから。わかったかな?」
きっとね、遠い昔だったらそれが当たり前だって知ってた。
パパがいてママがいて、あたしとアキがいて。
どんな食事だって、みんながいるというだけで笑顔になれた。
あの頃の食事は特別だった。
最近の自分の食事風景を思えば、尚のこと。そんな当たり前は、あたしには二度と訪れないと諦めてたから。
「おそば、ハンバーグ。んー、迷うなぁ」
「だったらいっそのこと、バイキングとかに行きゃあいいじゃん」
「あー」
二人の会話を聞いてたら、なんでだろ。また涙が滲んできて、勝手に体が動いてた。
「お父さ……ん」
伊東さんの首に腕を回し、ギュッと抱きついた。涙があたしと伊東さんの服を一緒に濡らしていく。
「……うん。一緒にご飯食べに行こうね。まずはそれからだよ」
「ごめ、な……さ」
声が出ない。言葉にならない。切ない。苦しいよ。
「うん、いいよ」
優しい声が胸に入り込む。温かくて、安心できる声。
「オヤジ、カギよこせよ」
その言葉に、伊東さんの鎖骨あたりにくっつけてた顔を上げる。
「息子だよ。マナちゃんのお兄ちゃん」
「え」
一階に下り、暗がりに走ってく人影が叫んだ。
「カギ開けたぞ」
「あの人が、あたしの」
「そう、お兄ちゃん。マナちゃんは妹になったんだよ」
ジャリジャリと石を鳴らしながら、車へと近づく。後部座席に、そっとあたしを下ろしてくれる。
「いっぱい食べて、痩せちゃった分、取り戻そうね」
頭を優しく撫でられて、どんな顔をしていいのかわからない。暗くてよかったって思った。
暗い道を抜け、しばらく走ると光が一気に視界に入りこむ。さっき非常階段からみた景色の中に、今いるんだって気づく。
流れていく車の川。人がたくさん歩いてる。途中にママの勤務先の店が見えて、顔を伏せる。
(もうあの生活に戻りたくない。でもどうしたらいいのかなんて)
先の見えない不安が頭を支配していく。
と同時に思ったのは「独りは嫌だ」ということ。
ゆっくりと車が停まる。
「さぁ、着いたよ」
窓からのぞくと、光が溢れだす店が見える。中にはたくさんの人。
緊張して、唾を飲み込む。
(本当のいいのかな、一緒に行っても)
それと、自分とは違って楽しそうな雰囲気の場所なのも緊張の原因だった。
「行くぞ」の声に、ドアに置いてる自分の手をみる。
袖にはまだ血の跡。服にもところどころ血がシミになってる。
「あたし、やっぱり」
こんな恰好じゃいけないからと言いかけた時、助手席から大きな塊が飛んでくる。
「うぶっ」
顔に当たって、変な声が出た。
「マナ」
男の子があたしの名前を呼ぶ。
「それ、着ろ」
よくみると服だ。大きめのパーカー。
「袖まくってけば、着れないこともないだろ?結構長いから、下の方も隠れるし」
着ろと言われても、いちいち「いいの?」って気持ちになる。
黙ってパーカーとにらめっこしてると、手の上からその重みが消え、
「中学生なんだろ? 自分で着れるよな?」
ズボッと頭にかぶせられた。
「袖くらいは自分で通せ」
「あ、う、うん」
袖を通す。ものすごく余ってる。
(おっきいなぁ)
汗の匂いがする。初めて嗅いだ匂い。
「さあ、行こう」
おそるおそる車を降り、二人の後に付いて行った。