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spiral  作者: 本城千聖
5/20

spiral~one~5

 ママに殺されかかった日に、あたしが一度死んでしまったとするなら。

もしもそうなら、あたしはもう一度死ぬことになる。

それは一本のメールがきっかけだった。

(生温かいんだな、人間の血って)

そんなことを水面に滲む紅い色をみながら思ってた。

呑気なことを思っていられる以上、あたしはまだ生きている。もっと簡単に死ねるんだって思ってたのに。

「どうして死んでくれないの?」

自分に叫ぶ。ボロボロと涙が溢れた。

(こんなやり方じゃダメなんだ。もっとちゃんと死ななきゃダメなんだ)

濡れた制服のまま、バスルームから出て、外に出た。

 夕暮れ。オレンジの空の色。アスファルトに指先から落ちて、点になってくあたしの血。

もうすぐ夕食の時間だ。近くの家から、魚が焼ける匂いがする。

「こっちの家はカレーだ。……うん、いい匂い」

こんな状況下でも、お腹は素直に反応してる。死のうとしているのに、ホント滑稽。

「あ……はは」

力なく笑う。バカみたいな自分に向かって。

(死にたいんだよね? 死にたいんでしょ? 死ぬんだよね?)

摺りこむように繰り返す言葉。

泣きじゃくりながら、緩やかな坂を登っていくとその場所が見えてきた。

まばらな人影。みんなあたしに気づいてない。濡れた制服にも、指先から落ちていくものにも。

気づくはずがない。

あたしは、そういう子。

ママがくれた一本のメールみたいな子だもの、ね? ママ。

あたしは不要。どこにも要らない子なんだもん。

 遡る、時。

いつものように嫌がらせの電話で寝不足の頭で、今日も復習をしてた。外には子供の楽しげな声だってする。

ウトウトしながらの勉強は、ちっとも頭に入っていかない。

湯ざましを飲み、ゴロンと寝っ転がった時、あの曲が聴こえた。

ママのお気に入りの曲。

「あ。メール、か」

短いその音に、電話で声を聞かずに済んだことにホッとしてた。

自分の母親なのに、そんなことを思う自分はどうなんだろうってどこかで思いながら携帯を開いた。

「……な、んで」

開いた携帯の中には、一行のメール、

目に飛び込んできたメールの内容は、目をそらしても、頭の中に張りついて離れない言葉。

『不要よ、マナ』

それだけだった。

絶句した。息が止まったようだった。

現実的には、とっくに不要にされてた。再婚しても一緒に住むことを許されていない。

誰も知らない、あたしの新しい生活。辛いだけの生活なのに、誰かに縋ることを選ばなかった。

それをすると、繋がりが切れるって思った。親子なんだ、あたしたちは。切ることはしたくない。親子のままでいたい。

そんな甘い考えはあたしだけの話で、ママの中であたしはとっくに……ってわかってた。

でも、わかってないフリをしたかったんだもん。

親子でいたかったんだ。

決まりきらないあたしとママの関係。理解してる自分と、納得したくない自分がグルグル回り続ける。

そのタイミングでの、ママからのメールだった。

不要という二文字。ゴミの扱い方と同じ言葉。

「消え……れって、こと?」

読んだ瞬間、手が震える。

日々削られていた体力と精神力も、あたしのこの先の行動を後押ししてる。もう、疲れたって言いたくなった。

一人でこらえてきたんだ。だからあたしだけは許してあげようって決めた。すべてを終わらせて、ママの願いを聞き入れてあげよう。

そうすることで自分も楽になれるって考えた。

ママが簡単に切ってしまう、限界まで来ていたあたしの緊張の糸。糸が切れてしまえば、後は崩れていくだけ。

ゆっくり歩きながら、周りを横目で見る。誰かの視界に入ってるって気がしない。

一人だ。あたしは、独りなんだ。

 やっとたどり着いた場所の階段を上がってく。

薄暗い階段。コンクリートに足音が響く。古いマンションの階段は、まるで絞首刑を執行するその場への階段みたい。

一歩上がると、コツンと鳴る靴音。ドキンと心臓も同時に大きく脈打つ。

「楽になれる、よね」

言い聞かせてるみたい。苦笑いしちゃう。

時間をかけて上った先、屋上の階段へのドアは閉まってた。非常階段へのドアが開いている。

「重たい……」

ドアを開けると、絶句した。

目の前に見える景色。ゆっくりと夜へと変化していこうとする街の景色。

点在する明かり。生活の色だ。今までこんなこと思ったりしなかった。

「キレイだ」

それ以上の言葉が出てこない。ため息が出るほどキレイだ。

しばらく魅入ってしまう。どれほどの時間が経ったのか、放心してた自分に気づく。

「最後にいいこと、あった……な、ぁ」

また涙が溢れる。泣きじゃくりながら思った。

我慢して小さくなって、いいことなんかなかった。

けどね、最期には一瞬でも幸せだって感じられたら、それでいいのかもって思える気がしたんだ。

そう思わなきゃ全部がダメだったって思いたくなりそうだ。

この景色の一部になれるのかな、あたし。

落ちて死んで、本当に星になれるなんて甘いこと思ってない。

でも……このキレイな景色の空気に溶けていけたなら、どんなにいいだろうって。

「これでいいんだよね、ママ」

ママの望みとあたしの望み。きっとどっちもが叶う。本当の意味でこの方が幸せになれるんだよね?

ブルッと体が震える。息を飲み、下を見下ろす。かすかにみえる、人の影。人が切れたら落ちよう。

死ぬ瞬間までも、誰かを巻きこみたくない。嫌われたくない。

仕事帰りの人。

お母さんと手を繋ぎ帰っていく子供。

ジョギングをしてる人。

いろんな人がいる。生活してる。

「……」

しばらく黙って見下ろしてた。

(みんな、幸せなのかな)

なんて、聞けない疑問を抱えながら。

(みんなの中の幸せってなんなんだろう。幸せって何かって知ってるのかな)

引力に従って、涙が遠い場所まで落ちていく。ふ……と、人の流れが途絶えた。

(チャンスだ)

そう思って、片足を手すりにかける。あとは体重を下に向けてしまえば勝手に落ちるだけ。

グッと身を乗り出して、落ちようとした刹那。

(え?)

次の瞬間には、ゴンという派手な音と一緒に後頭部に激しい痛み。

「うぅぅーっっ!」

もんどりうって悶える。こういう時って、本当に星が見えるんだ。初めて知った。

悶えている耳元で、ハァハァと荒い呼吸が聞こえる。

「な、何して……んだよ」

顔だけ何とか声の方へ向けると、見知らぬ男の子。

「何って」

そういってからハッとし、もう一度手すりへと体を起こそうとする。

「やめろってんだろ!」

誰? この男の子。ヤダ、止めないで。死ななきゃ、ママにいいことがないんだもん。

あたしが死ななきゃ……!

「やだぁぁぁ、死ななきゃダメ、ぇ」

自分にこんなに力があるなんて、思ってもみなかった。彼のことを突き飛ばし、もう一度足をかけようと足を上げたその時。

「あっ」

視界の端っこに、手すりに向かってよろけて落ちかけている男の子の姿が入ってしまう。

「危ない!」

上げた足を戻し、瞬時に引っ張った男の子の手。

勢いづいて、ドスンと尻もちをついた。

二人で四つん這いになって、息を切らす。

「……はぁ、危ない……って、お前の方、だ……ろが」

「だ、だって」

そう返すのがやっと。ドキドキして心臓がバクバク。

「は、ふーーっ」

大きく息を吐き、手すりにもたれかかった。

「捕獲したぞーー」

どこかに向かって叫んだ、意味不明な言葉。

「?」

首をかしげ、呼吸を整える。

手が震える。怖かった。目の前でこの男の子が落ちていくのを見たくなかった。必死だった。

自分は死のうとしてたのに、この男の子が落ちなくてよかったなんて思った。

(あたし、何やってんだろう)

結果的に死ねなかったし、人助けまでしてる。

さっきみた景色に目をやると、色とりどりの明かりがさっきより増えて、もっとキレイ。

涙がツーッと流れる。いろんな感情が頭の中にいっぱいだ。

「あたし」

やっぱりダメ。死ななきゃ!

そう思い、体を起こそうとするも、体が動かない。

「逃がすわけねぇって」

男の子に、しっかりと腕を掴まれていた。

 やがて重たいドアが開く。誰かが非常階段へと近づく。廊下の明かりを背にしてるせいか、顔がよく見えない。ただ、

「おかえり」

聞こえた声は、聞き覚えのある声。

「さぁ、帰ろう」

男の子と誰かに掴まれた両手。振り返る非常階段。

その隙間に見えた夜景は、後ろ髪を引かれるほどにキレイだった。


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