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spiral  作者: 本城千聖
3/20

spiral~one~3

 夢物語みたいな思いは、木っ端みじんに打ち砕かれる。

受験できるのかわからないけど、勉強しておきたくて頑張る。苦手な英語を二時間やってたら、眠ってしまってた。

今日はドアにレジ袋がかかってた。

『時間がないから置いていくよ。うちの新商品のお弁当。今度感想きかせてくれるかな』

なんてメモが入ってた。鶏南蛮弁当というものだった。鶏肉は好物。

関わるなと言われているけど、勝手に置いていかれてしまったんだもん。

「仕方がない、よね? こればっかりは」

言い訳のように呟き、軽くレジ袋を上にあげて、

「ごちそうさまです」

聞こえるはずがないのに、感謝を口にした。レンジで軽くあたためて、ふたを開ける。肉の匂いに、お腹が早く食べろと急かしたてた。

「いただきまぁす」

噛むとじゅわっと肉汁が出てくる。食べてる最中に、またお腹が鳴った。

「美味しいなぁ」

そんな満たされた気持ちで始めた受験勉強。苦手なものも、なんとか頑張ろうという気になったんだ。

 カタンと物音がした。けど眠気の方が勝ってて、確認する気が起きなかった。

「マナ」

聞き覚えのある声に、頭の中が一気に覚醒した。

「マ、ママッ!」

テーブルに突っ伏してた体を起こして、ママに近づこうとした次の瞬間。

(え?)

夢見てるんだって思えたらいいのに。これは現実じゃないって誰かに言ってほしくなった。

「マ……マ……」

ママがあたしを押し倒し、馬乗りになって首を絞めていた。顎が上がるほど、ギュウギュウと締めつけられている。息が出来なくなる。

「マ……」

頭の先がほわぁっとなって、白くかすんできた。

首を絞められて死ぬって、こんなに時間がかかるの?こんなにも苦しいの?

会いたいと思ってた。声が聞きたいって願ってた。

(こんな再会、願ってない)

あの日から泣かずにいたのに、涙がひとつ目尻から耳に向かってこぼれた。

「ふん……。泣いてるの? あんた」

ママの声。低くて、重い声。お客さんと話してる時の甘えた声じゃない。

「苦しい? ねぇ」

そういえばママって、あたしと話してた時ってどんな声だったっけ。

歪んでいく目の前のママの姿に、そんなことを今更のように思い出す。でも思い出せない。

「あんた、あたしの人生の邪魔してんじゃないわよ」

締めつける手に、もっと力がこもった。

あきらかな拒絶。

邪魔するようなことなんかしてない。静かに一人で暮らしてただけなのに。

「いっそ、死んじゃって。消えてよ、ねぇ」

白くもやがかかったような感覚が、ゆっくりと暗くなっていく。

(アキ、ごめんね)

心のどこかでアキの分も生きようと思ってた。勝手に決めてた、アキへの約束。それを果たせないのが哀しかった。

「ア、キ……」

かすかに洩れたその声に、ママの手が緩んだ。ただ、ほんの一瞬。その一瞬で一気に酸素が体内に入り込んでくる。

「ゲホッ! ……げ、ほん、ゲホッ」

激しくむせるあたしの顔を、ママが殴りつけた。

「ギャッ!」

目の下。骨が軋んだかと思うほどの痛み。

「あんたのせいで!」

そうしてまた、ママは首を絞めてきた。

あたし、そんなにママを苦しめるようなことして生きてきたの?アキのこと以外、何もしてないって思ってたのに。

(ここまでしなくたっていいじゃない)

沸々と沸いてくる、初めての感情。体が勝手に動いてた。

「っったぁぁ! なにすんの!」

ママを思い切り突き飛ばしてた。

また一気に酸素が入ってきて、咳を激しくしたらものすごい吐き気が襲った。

「うげ、ぇ」

ボタボタと床に落ちていく嘔吐物。あんなに美味しかった鶏南蛮が、全部吐きだされた。

四つん這いになって吐いていると、目の前にママの爪先。ゾクッとした刹那、逃げる間もなく顔を蹴りあげられる。

「う、あぁっ!」

テーブルごとひっくり返る。床には半分残していたお弁当。

それをおもむろに掴み、顔の痛む箇所に的確に擦りつけられる。調味料がしみて、ジンジンする。

「関わるなって言ってあったでしょうが!」

ドカドカとかかとでわき腹を蹴られる。

(どうして? どうしてこんなに血の繋がった母親に嫌われなきゃならないの?)

体も心もすべてがキシキシ痛んだ。痛みが支配して、切なかった。

あたしの髪を鷲掴み、ママが顔を近づける。

「なんなのよ、コレ。十分に関わってるでしょ?」

またお弁当を顔に擦りつけ、そのまま床に頭を叩きつけられそうになる。

「やだっ!」

とっさに手をつく。これ以上の痛みからなんとか逃げた。でも……。

「いい? これ以上あの人と関わったら、今度こそあんたを消してやるから」

体の痛みから逃れられても、心の痛みからは逃れられなかった。

「生きていたかったら、あたしの言うこと聞きなさい。明日生活費を振り込んでやる。あたしに関係するすべてに関わらないで」

鬼の形相でそう一気にまくしたて、いなくなった。ヨロヨロと起き上がり、蹴られたわき腹に手をあてた。

「はぁ、はぁ……、痛っ」

力がちょっと入っただけで痛む。

「電話、し……なきゃ」

関わるなと言われた。生きたきゃ言うことを聞けって。

「言わなきゃ」

ボロボロと涙が止めどなく流れていく。

あの日からこんなに流すことなかった涙が、堰を切ったかのようにこぼれていく。

涙が目の下の傷にしみる。その痛みに、まだ生かされているんだって思えた。

「生き……た、い」

生きて、何かしたいことがあるわけじゃない。それでもアキの分も生きていたい。それだけだ。

前にもらっていたメモを探し、伊東さんの携帯に電話をかける。数回コールしただけで、聞きなれた声がした。

「わっ、ビックリしたよ。マナちゃん? マナちゃんだよね、この番号」

「あ、はい」

手が震えてる。心臓が飛び出そう。

「どうかしたの? こんな時間に」

そういわれ、時計をみると夜十時過ぎ。

「あ、ごめんなさい」

カタカタと震えが止まらない。太ももをつねってみたりするけど、変わるはずもない。

「何か相談? 受験の話とかかな? 嬉しいよ、初めての電話だね」

弾むような声。この相手にあたしは今から別れを告げなくてはいけない。ゴクンと唾をのみ、「あの」と切り出す。

「うん、なにかな?」

緊張が高まって、声がひっくり返る。

「あた、し」

その声の恥ずかしさに黙ってしまう。

どうしようって言葉が頭の中をグルグル回ってる。

「……マナちゃん」

いつもの声がする。

「ゆっくりでいいよ。話していいよ」

優しい声。その声の優しさが、今はあたしを辛くさせている。

「ふ……くっ」

涙がまた溢れる。喉が絞まって、上手く声が出てこない感覚。

「大丈夫だよ。待ってるから、ね?」

こんな風に自分の言葉を待っててくれた人がいたかな。

(ごめんなさい……ごめんなさい)

心の中で何度も謝る。優しい人を傷つける罪悪感。今日はいろんな傷を自分に与えている。

(痛い、痛いよ、ぉ)

胸の痛みにこらえきれず、やっと押し出すように出した言葉。

「来ないで」

「え?」

驚かれて当然だ。

「お弁当、いら……ない」

それだけ言って、通話を終わらせた。その後、鳴り続ける伊東さんからの着信音。

布団の中に携帯を押しこんで、リビングで汚れた床を掃除していた。

嘔吐物の臭いに何度もむせて、トイレで何度か吐いた。

顔は時間が経つと腫れあがって、タオルを冷やして何度もあてた。絞められた首もひどく傷んだけど、冷やせなかった。

どこか息苦しくなって、首に触れられない。触れたら、さっきの絞められていた感覚がすぐさま戻ってくるから。

薄く紅く残る、ママがつけた無数の傷痕。ママに拒絶された証拠。

拒絶され、こんな思いまでしたのに、心の奥にあるのはひとつのこと。たとえ愚かだといわれてもかまわない。

縋りたかった。ママの娘であるという事実に。

「言うこときくから、ぁっ」

愛されたい気持ちだけ。満たされないその欲求を叶えるために、従うだけ。

でも、いつになったら愛される?

アキが空に逝ってから何年経った?

あれから何年も待ち続けた。先が見えなくても待てた。この先も同じ思いで待ち続けていたら、いつかは報われるの?

長い長い片思い。実の母親への愛情を待ち続けて、想ってる。

「ママが作ったオニギリでいいから、食べてみたかったな」

ささやかな願いすら、きっと届かない。そうわかってても、まだママを想ってた。

想いたかった。

生かされていることが正解なのか、不正解なのか。ママに聞けば、不正解と即答されそうだななんて思って、苦笑いをした。


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