spiral~pain~8
「え」
どういうこと? どう反応していいのか困って、お兄ちゃんを見る。
「え?」
もう一度声を上げた。お兄ちゃんが唇を噛んで悔しそうにしてるから。
「どうしてそんな顔」
伸ばしかけた手は、なんでかお兄ちゃんに弾かれた。
「お兄ちゃん?」
「あ……悪い」
沈黙が重い。あたし、また何かやったのかな。
「ごめんなさい」
癖が出ちゃう。幼いころからの、癖。
「え?」
今度はお兄ちゃんが固まった。
「ごめんなさい」
謝ってやりすごすしかなかった、あの寂しい、長い長い時間。
「なに謝ってんだよ」
怒るお兄ちゃんに、あたしは繰り返し謝るしかできない。
「謝るな」
「だってお兄ちゃん怒ってるから」
「俺がなんで怒ってるか理由わかんないのに、自分が悪いのかどうかを聞く前に謝るのかよ」
「だってそうしなきゃあたし」
言葉を飲みこむ。
(そうしなきゃ生かしてもらえなかったって、言葉にしたくない)
続く言葉を言えずにお兄ちゃんを見つめるあたしに、お兄ちゃんがポツリ。
「マナ。お前さ、頭ん中で自己完結しないで、ちゃんと話してくれよ。あと、自分だけ下にする癖も直せ」
後頭部をカリカリ掻きながら、はぁっとため息を吐きながらそう言ったんだ。
「何があったんだよ」
「何って」
急な話題に、戸惑う。
話していいのか、ダメなのか。それもまだ判断できていないのに。
だいたい、ママにされたどこをどう言えばいい?
お兄ちゃんからは、ママは普通っぽくみえるとしか聞かされていなかった。
それを壊すようなこと、あたしが言ったとしたら……。
(またママが消しに来る?)
怖くなった。だから、あたしは自分を自分で守るために笑うんだ。
「ない。なにもなかったよ」
笑えてる? あたし。ちゃんと笑えてるかな。
目の前に鏡があったらいいのに、自信がない。
笑えてるのかわからないよ。
「……」
黙ってその言葉を聞いてたお兄ちゃんが「悪い」と呟いた刹那、音がした。痛みはその後。
「え……? え?」
左の頬。ママに殴られて痛む顔に、新しい痛み。
でもママに殴られた痛みよりも、お兄ちゃんの平手打ちとお兄ちゃんがしている表情が痛くて、あたしはまた泣いた。
「さっき奥の部屋から出てきた時点で気づけよ。俺はお前と凌平の話、ほぼ聞いてる。お前とあの女の間に起きたこともな」
言われてみればそうだ。
お兄ちゃんは奥の部屋にいた。聞いていた。
けど、それでもあたしから話を聞こうとしたんだ。
その理由は……?
自然と困った顔になったあたしに、お兄ちゃんが問いかけてくる。
「なんでそんなに俺のこと信じられない? お前と母親とが過ごした時間と同じ時間がなきゃ、信じてもらえないのか?」
「そんなつもりは」
ないといいかけて、それも飲み込む。
いろんな言葉を飲み込んでばかりだ。
「お前は十分に自分の気持ちを出せるって、今やっとわかった。出会ってから今まで見てきたお前は、きっとまだ俺に距離置いてたってことだろ」
お兄ちゃんの口調は、どこかまだ怒りを含んでいるよう。
「違っ」
怒ってるお兄ちゃんになんとか許してもらおうと、否定を肯定しようとする。
けどそれこそ、本当は一番してはいけないこと。この場では許されないこと。
それに気づけずに、あたしはとにかく許されたくて縋る。
「いい加減にしろ」
お兄ちゃんがもっと顔を赤くして怒ってる。
あたしは何も言えなくなって、ただ青くなるだけ。
どうすれば許してもらえるの? お兄ちゃんに触れたくて、でも怖くて。
「話せよ、二人で」
凌平さんが部屋を出て行こうとする。
「あ」
また、だ。なんで?
「ん?」
凌平さんが足を向けた方向に、体が勝手に動いて、数歩付いていってしまうあたし。
「……なぁに? マナ」
今度は追いついてしまえる距離だったみたい。つまんだシャツの裾。
「どうかした?」
長身の身を屈め、視線を合わせてくれる。
「別にあたしは」
本当に何してんのかな。凌平さんに何か言いたいことあったっけ。
「……そ? じゃあ、ナオトと話しときなよ。俺、ちょっと抜けるから」
裾をつかんでいた手をソッと離し、手をヒラヒラ振っていなくなった。
今まで凌平さんの服の裾をつかんでいた手を見つめる。
(何したかったんだろう)
わからないや、全然。さっきも今も、なんで後を追ったのか。
「……マナ」
お兄ちゃんの声で自分が呆然としてたことに気づくまで、ずっとその場に立ってた。
「あ、うん。はい」
気の抜けた返事をして、「ごめんなさい」とか、また謝ってるあたし。
そんなあたしをお兄ちゃんは悲しそうに見てて、あたしはまた困惑する。
さっきまでは怒ってて、今度は悲しそうになってて。
「もういい」
諦めの言葉を吐かれ、心底困り果てて、床に足がくっついたようになった。
立ってればいいのか、座ればいいのか。何を言えばいいのか。沈黙がまた続く。
(お兄ちゃんと話せって言ったけど、無理だよ。凌平さん)
心の中で文句を言う。勝手なこといっていなくなった人に。
お兄ちゃんが奥の部屋に行って、タオルを手にして戻ってきた。
キッチンに行って、タオルを濡らしてる。動く先々を目で追う。
まるで親を目で追う子供みたいな感じかもしれない。
とても、必死に……。
「マナ」
お兄ちゃんが、ギュッと絞ったタオルを放ってきた。
(タオル?)
今さっきまでの表情と変わって、明るい笑顔になって、
「それで顔拭け。涙でグチャグチャのままだぞ」
いつもの明るい笑顔でそういった。
タオルを手にボーッとしてるあたし。
「顔も自分で拭けないとか言うなよな」
ゆっくりと近づいて、タオルをあたしの手から取って。
「ほら、目をつぶれよ」
優しく顔を拭いてくれる。
「う……」
こんなことされたことってない。きっと赤ちゃんのころにはあったのかもとは思う。
「逃げるなって」
ギュッと顔をしかめて、半歩下がる。
「だ、だって」
恥ずかしい。ものすごく照れくさいんだもん。
「ったく、いろんな意味で手がかかる妹だよな」
その言葉にソッと目を開けば、またどこか悲しげな目に戻ってた。