spiral~pain~7
「ほら、もういいよ。これ飲みなよ」
ぬるくなったレモンティーで渇きを癒す。
「あ、はぁっ」
大きく息を吐き、こびりついて離れないものを振り払おうと頭を抱えた。
ゴトンとペットボトルが床に落ちる。
「マナ?」
「う……っく、ふ、ぐっ」
ボロボロ涙を落とす。落下という言葉が合うだろう泣き方。
味方がいるのか分からない。先が見えない。
こんなに泣き崩れるほどにも不安になってるんだ、あたし。
「なんで?」
凌平さんの声。
「なんでなの、ねぇ」
なにを聞かれているのか分からない。
「なんで表に出してやらないの? 自分の感情だろ?」
ううんと頭を抱えたまま、左右に大きく振った。
「ダ……メな、の」
極端なほどに恐怖感を持ってる、誰かにどんな拍子で嫌われるかということ。
ママやパパに笑顔を見せて、いうことを聞いてた。聞き続けていてもダメだった。
自分の何がそんなに嫌われていたのか分からないまま、7歳から今まで来たんだ。
子供が嫌いだと、ママの過去のこともある……と知った今でも、まだ怖い。
ママがあたしを嫌う理由が他にありそうで。
あたしがするナニカが琴線に引っかかったりするんじゃないかって、何をするんでも怖くなる。
嫌われないように。
それだけを頭に入れて、小さくなっていた。自分の本心は常に握りつぶして。
泣けばうるさいと言われ、笑えばうるさいと言われ。喜怒哀楽のどの感情も、自分の首を絞めるんだと経験してきた。
「吐きだせよ。俺に吐きだしたって、マナは損しないだろ」
謀らずとも自分も思ってたこと。だけど本人の口から聞くそれは、彼を傷つけていると思えた。
「や……っ」
口元を押さえ、言葉を洩らさないようにする。
抑えるんだ。自分を、感情を。何かに依存したくなる心を。
依存は罪なんだ。
そう思えば思うほど、涙が溢れて止まらなかった。こんなに自分の感情を出したいと思った夜はない。
泣いて泣いて、ただ泣いて。
そんなあたしを、凌平さんが頭も体も全部包み込むように抱きしめた。
「生きてんだろ? 今。マナは生きてんだよな?」
頷くことも出来ないでいると、
「だったら、ちゃんと生きてるってわからせてやれよ。生きてて死んでるような生き方すんなよ」
また怒られた。なんで今日初めて会ったあたしに、こんなにも怒ってくれてるんだろう。
「これ以上、バカになんなよ」
その言葉に、疑問が浮かんだ瞬間、涙が止まった。
「……マナ?」
凌平さんの胸元のシャツをギュッと握って、俯いたまま聞く。
「あの」
「なんだよ、急に静かになって」
まだどこか怒ってる凌平さんに、ゆっくりと顔を上げ、見つめながら、
「これ以上って、あたし、そんなにバカですか?」
思ったままを口にした。シンとした室内。
どこか驚いたような表情で、あたしを見つめる凌平さん。
「あー、もう。そういうことじゃないんだよなぁ。どう言えばいいんだよ」
目の前の彼が困っているのは、明らかだ。
彼を困らせてしまうほど、愚かだという事なんだね。
「バカで、ごめんな……さい」
震える声でそれだけ言う。
凌平さんは抱きしめていた両手をバンザイして、お手上げって感じのジェスチャーをする。
「ちょっとでいいから、泣かないで黙って聞いててくれる? 理解してほしいことあるから」
改めてって感じで切り出されたそれに、あたしは頷くしかなくて。
「まずひとつ、ナオトは味方。それと、俺も味方。まずはそれを理解して」
お兄ちゃんの名前が出た瞬間に、また涙がぶわっと出てしまい、
「ちょっと、約束破んなって」
さらに困った顔の凌平さんがオロオロしてた。
「だ、だって、お兄ちゃんは……あたし」
止めなきゃと思うのに、そう思えば思うほど涙は溢れてしまう。
「味方。ホント、間違いないから。……な、ナオト」
(……え)
凌平さんの肩越しに見える、その姿。
こんな涙の止め方はない。
今、会いたくない人が奥の部屋から出てきちゃうなんて。止まるよ、確実に。
「マナ」
お兄ちゃんの顔を見たら、疑ってたとか会いたくなかったとか頭から一瞬で消えてて。
「おに……ちゃ」
お兄ちゃんに向かって、腕を伸ばしてた。
「なんだ、それって」
呆れた声の凌平さんが、髪をかきあげてため息をつく。
「あんだけ散々会いたくなさそうだったのに、顔見た瞬間にそれって」
お兄ちゃんに向かってそう吐きかける凌平さんに、
「うるせぇな。あんだけ待ったんだから、それくらいのご褒美あったっておかしかないだろ」
と、口を尖らせたお兄ちゃんが答える。
「ご褒美って、あのなぁ」
二人の会話は続いていたけど、あたしはどうしていいのかわからないまま。
(なんでいるの? お兄ちゃん)
そう思ったりはしても、完全に会いたくなかったわけじゃなかった。まだ会えないと思っていただけ。
お兄ちゃんの胸元に顔を埋めて、しゃくりあげながら訴える。
「お兄ちゃん、は……、ママの味方、なの?」
そうじゃないことを願いながら、同じ言葉を繰り返す。
「嘘、つかれたくない……け、ど、どっちの味方……か、ひっく、言って」
「マナ」
「ママの味方って言ってもいい。そしたら……あ、たし。諦め、るからっ」
どう答えてほしいのか不確かだ。
お兄ちゃんにいってる言葉がグッチャグチャだって、自分でもわかるよ。
こんな矛盾だらけの質問に答えられるはずがない。
「うぅっ」
泣かないで話そうとすればするほどに、喉の奥がギュッとなって言葉がうまく繋げない。
「お、に……ちゃん」
肩を上下しながら泣くあたしに、容赦ない痛みが後頭部に降ってきた。
「つっっ」
「凌平! マナに何すんだ!」
叩いたのは凌平さん。
そうしてあたしに向かって、怒鳴りつけた。
「諦めたくないから、だから苦しんでるんだろ? 言えばいいだろ、ナオトに!」
また怒ってる。
「違っ」
矛盾だって分かってても、いえない。
心が千切れそうになってるけど、それでも言えないんだもん。
何かが、誰かが後ろから腕を引っ張ってるみたいなの。
信じれば、寄りかかろうとすれば、きっと裏切られるよって。
「ナオトに直接聞けよ。今までのこと、全部」
「やだ! いやだぁ!」
お兄ちゃんのシャツをギュッと握り、もっと俯く。
「聞けばいいじゃん。なんで自己完結すんの? 家族なんだろ」
凌平さんが言ってることは当たり前なんだよね? きっと。
でもあたしは知らない! そんな常識、知らないんだもん!
「家族になりたいんじゃないのかよ。独りでいいのか?」
その独りという言葉。それが今のあたしにはスイッチになってた。
あたし自身気づけていなかったことに気づいた人が、そのスイッチに触れた。
「また独りになって、どうにかなりたいわけ? マナの母親が望むように」
ビクンと肩先が震えた。ゆっくりと顔を凌平さんに向ける。
「お前、なんてこと」
お兄ちゃんがそう言いかけたのに、かぶせるようにしてあたしは呟く。
「ママの望み……」
目を見張る。どこを見てるでもなく、今はこの場にいないママがいるみたいな気になる。
「ママの……」
戻ってくる記憶が、あたしを苦しめる。辛くさせる。
「マナ?」
お兄ちゃんがあたしを呼び、肩をギュッとつかむ。
「不要、って。ママ」
携帯の画面。不要の文字。
怖い顔のママ。ママの口から直接告げられた、要らないという言葉。
「あたしは、要らないって。ママは、ママの望みはっっ」
あの日が今、戻ってきているよう。
体の震えが止まらない。お兄ちゃんが肩に触れている手に、力を込めた。
「なるの? そうなりたいの? だからナオトを突き放すの?」
なりたいはずがない。なりたくなんかないよ、アキの分も生きたい。
「独りでいるの、そんなに楽しかった?」
もう一度スイッチに触れたその言葉に、プツンとナニカが切れた音がした。
「……ふざ、けな……ぃで!」
肩に触れているお兄ちゃんの手を弾くように、凌平さんに詰め寄る。
怒りでも体が震えるということを知ったのは、今が初めて。
「好んで死のうなんて思わない! 独りが好きなんて、一言も言ってないもん!」
ドン!と凌平さんの胸に体当たりして。
「あたしのこと、知りもしないくせに」
拳を叩きつける。
「知ってもらおうとしないくせに」
あたしの拳をはねのける。
「知ったって何も出来ないよ! 出来るはずないもん」
こんなにあたしが大声出せるなんて、自分が一番驚いてる。
「出来ないかどうか試してもいないくせに」
あたしの肩をトンと指先で払うように押した凌平さんに、あたしは初めてのことをする。
バシンと乾いた音が、部屋中に響いた。
「あたしを見てだなんて言えるわけないでしょ!」
それは、願い。不器用すぎる言葉でしか言えない、幼いころからの願い。
「言えばいいじゃん」
「言えない!」
「そんなとこ大人になる必要ないだろ」
「大人になんなきゃ生きてけなかったんだもん!」
ゴツンと凌平さんの鎖骨に、あたしの拳が当たった音がして、ハッとする。
「うっ」
「あ」
目の幅で流れてた涙が、止まる。
「ごめん、なさい」
誰かに手を挙げたことも、初めて。
反射的に体がすくんで、体を縮こませながら盗み見るように謝るあたし。
半歩下がると、凌平さんがニッと笑ってこういった。
「言えるじゃん、ちゃんと」って。